学位論文要旨



No 117348
著者(漢字) 久保,かなえ
著者(英字)
著者(カナ) クボ,カナエ
標題(和) 進行性腎障害の尿中wt1検出とisoform解析の意義
標題(洋)
報告番号 117348
報告番号 甲17348
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1956号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 五十嵐,隆
 東京大学 助教授 後藤,淳郎
 東京大学 助教授 北村,聖
 東京大学 助教授 門脇,孝
 東京大学 講師 中尾,彰秀
内容要旨 要旨を表示する

 Wilms' tumor suppressor gene (wt1)は腎生殖器系の発達形成に重要な役割を果たしている。wt1は腎ネフロンの発生段階で高発現した後に徐々に発現量が低下し、成熟腎ではpodocyteにのみ限局して発現している。10個のexonをもつwt1は、17アミノ酸からなるexon 5とexon 9 C末端にある3つのアミノ酸(KTS)という2つのalternative splice siteによって4つのisoformが存在し、これらは正常腎組織でほぼ一定の割合で発現している。4つのzinc-fingersとproline-glutamin-rich regionを持つ蛋白構成から、transcription factorであることが推測され,細胞増殖や成長、上皮細胞分化、apoptosisに関わる遺伝子などを標的遺伝子としていることがin vitroで示唆されているが、その生理的作用は不明な点も多い。成熟腎でpodocyteに限局して発現しているwt1がpodocyteの発生のみならず機能維持に関与していることはいくつかの報告から推測される。Kreidbergらはwt1 null miceでは腎ネフロンの発達形成不全が起こることを示し、Hammesらは+KTS ablation miceと−KTS ablation miceを作成し、+KTS isoformの発現がない状態では腎ネフロンの発達は行われるがpodocyteの形成不全が起こり、-KTS isoformの発現がない状態では糸球体の低形成が起こることを示している。先天性wt1異常によって小児期に早期腎不全に至るDenys-Drash症候群においてはwt1の点変異によるdominant negative mutationが、またFrasier症候群においてはalternative splicingの異常によるisoform(+KTS or −KTS)不均衡が原因として知られている。私は、成熟腎ではpodocyteに限局して発現しているwt1が成人の進行性腎障害にも影響を与えている可能性を考え、1)これを非侵襲的に解析するために進行性腎障害患者尿沈渣細胞からRNAを採取し、nested RT-PCRによってwt1 cDNAを増幅することを試み、更に、2)wt1が成人の腎障害に関与するとしても、DDSやFSで認められるようなwt1の変異でなく、isoformの不均衡などのwt1のminor abnormalityが高血糖や糸球体内高血圧などの状況下で腎障害の進行に影響を与える可能性を考え、この方法を用いて尿中wt1のisoform発現の検討を行った。

 365名の患者と21名の腎障害のない健常者を対象に研究を行った。患者は90例の蛋白尿を伴わない糖尿病(DM)、85例の蛋白尿を伴う糖尿病、70例の慢性糸球体腎炎(CGN)、74例のリウマチ関連疾患(RD)、17例のループス腎炎(LN)、29例のその他の疾患に分けられた。50-100mlの新鮮尿の沈渣細胞からacid guanidinium thiocyanate-phenol-chloroform法でRNAを採取し、ヒトwt1特異的primerを用いたnested RT-PCR法にてwt1cDNAを増幅した。exon 5 splicingによるisoformとKTS splicingによるisoformの検出は、各々のsplice siteを増幅するようなprimerでnested PCRを行い、前者はagarose gelでの泳動で、後者は9 bpの差を検出するためpolyacrylamide gelでの泳動で分離した。Controlとしてglyceraldehyde-3-phosphate dehydrogenase (GAPDH)のPCRを同時に行った。尿中GAPDHは全検体386例中323例で検出された(83.7%)。wt1 mRNAは61例の尿に発現を認め、GAPDH陽性例の18.9%であった。wt1陽性例は蛋白尿のないDM群の4.4%(4/90)、蛋白尿のあるDM群の29.1% (25/86)、CGN群の21.4% (15/70)、RD群の9.5% (7/74)、LN群の35.3% (6/17)、その他の疾患群の13.8% (4/29)であった。健常者群にwt1陽性例はなかった。蛋白尿を伴うDM群では、wt1陽性患者の血清クレアチニン値の平均が2.69±0.58mg/dlと、wt1陰性患者より高値であった(1.56±0.26mg/dl)。CGN群とLN群ではwt1陽性患者とwt1陰性患者との間に血清クレアチニン値の有意な差は認めなかった。一方、これら3群において、wt1陽性患者の蛋白尿の程度はwt1陰性患者に比して有意に高いという結果を得た(p<0.05)。

 次にwt1陽性患者のうち44例を対象に、尿中のwt1 isoform(+exon 5)または(-exon 5)の発現についての検討を行った。正常な腎臓ではwt1 isoform(+exon 5)と(−exon 5)がおよそ9:5の割合で発現しているとされており、尿中から+exon 5が検出された37例(+exon 5のみ検出された6例と+exon 5、−exon 5両方が検出された31例)と、−exon 5のみが検出された7例の、2つのグループに分けて臨床所見を検討した結果、+exon 5群の血清クレアチニン平均値は1.66±0.26mg/dlで、ほぼ正常範囲を示した−exon 5群(1.04±0.31mg/dl)に比べ高値であった。+exon 5群の7例(18.9%)がisoform studyを行った後1年以内に末期腎不全(ESRD)に至っている。−exon 5群でESRDに陥った者はいなかった。蛋白尿の程度は+exon 5群が2.01±0.22、−exon 5のみ検出された群が1.71±0.64と、+exon 5群で蛋白尿の程度が高い傾向にあった。

 尿中のwt1 isoform(+KTS)および(−KTS)に関する検討は50例を対象に行われた。+KTSと−KTSの両方が検出されたのは26例、+KTSのみが検出されたのは14例、−KTSのみが検出されたのは10例であった。+KTSと−KTSの両方が検出された群の血清クレアチニン平均値は2.55±0.52mg/dlであり、+KTSのみ検出された群の1.01±0.18mg/dlと−KTSのみ検出された群の1.94±0.75mg/dlに比べ高値であった。+KTSのみが検出された群の血清クレアチニン値は+KTSと−KTSの両方が検出された群より有意に低値を示した。蛋白尿の程度は両方のisoformが検出された群で2.50±0.27であり、+KTSのみの群で1.11±0.33、−KTSのみの群で2.00±0.47であった。+KTSのみが検出された群の尿蛋白は他群に比べて少なく、+KTSと−KTSの両方が検出された群とは有意差をもって少なかった。wt1 isoform検出のための採尿後1年以内にESRDに至り、透析導入となった患者は+KTSと−KTSの両方が検出された群で5例、−KTSのみ検出された群は2例認めたが、+KTSのみ検出された群にはみられなかった。

 私は尿沈渣細胞から患者自身のmRNAを解析することが可能であることを明らかにした。wt1は進行性腎障害患者の尿から有意に高率に検出され、進行性腎障害患者群では尿中wt1陽性が蛋白尿の程度と関連していた。糖尿病性腎症群では尿中wt1が蛋白尿だけでなく腎機能低下の程度とも関連しており、wt1が腎尿路系でpodocyteに限局して発現していることから、尿中wt1検出は糸球体から剥離したpodocyteの存在を表し、進行性腎障害の程度や予後と関連している可能性が示唆された。更にisoformの検討から、exon5を含まないisoformのみが検出された群で腎機能低下が軽度であることが確認され、各々のisoformが異なる意味を持ち、腎機能障害の程度に影響を与える可能性が示唆された。正常腎組織では+exon5 isoformと−exon5 isoformの割合は9-5であり、本研究で示されたように−exon 5が優位に発現するという特異な状況が存在する可能性が考えられた。Frasier症候群は+KTSと−KTSのisoform ratioの異常が巣状糸球体硬化症様の病態と早期腎不全を惹き起こすが、exon 5 splicingによるisoform ratioの異常も、ある状況下においては腎障害に影響を与えている可能性が考えられた。私は、wt1の4つのisoformが各々異なった働きを持ち、その割合のバランスが崩れることが腎症の病態や進行に関連している可能性を考えている。先天的に+KTS/−KTS isoformバランスが変化することが巣状糸球体硬化症様変化を惹起するというFrasier症候群の病態以外にも、糸球体がダメージを受けた時に後天的に+KTS/−KTS isoformバランスが崩れたり、exon 5 splicingによるisoformバランスの変化が糸球体病変の進行を修飾する可能性がある。直接的な証明は為されていないが、これらの結果はwt1というひとつの遺伝子産物の機能的異常が進行性糸球体病変のメカニズムに関与している可能性を示唆すると考えた。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は進行性腎障害の発症、進展および予後に関する因子を解明するためにWilms' tumor suppressor gene (wt1) mRNAを尿沈渣細胞から検出することを試みたものである。尿中wt1の検出と進行性腎障害の程度との関連を検討し、更に尿中wt1のisoformの発現についての解析を行い、下記の結果を得ている。

1. 尿沈渣細胞からRNAを分離してnested RT-PCR法により尿中のwt1 mRNA発現を検出した結果、wt1の発現頻度は蛋白尿のない糖尿病などの腎障害のない疾患に比べて糖尿病性腎症や慢性糸球体腎炎、ループス腎炎といった進行性腎障害患者において有意に高率であり(21-35%)、腎機能が正常で尿所見に異常のない健常者や膿尿を伴う膀胱炎患者のように尿沈渣中に細胞成分が多い患者からはwt1が検出されなかった。wt1は糸球体上皮細胞(podocyte)以外の尿路系には発現しておらず、尿中wt1の検出は糸球体基底膜から剥離したpodocyteの存在を示しており、この検出法はpodocyte由来のwt1 mRNAのみを検出していると考えられた。

2. 進行性腎障害の3群(糖尿病性腎症、慢性糸球体腎炎、ループス腎炎)でwt1陽性例とwt1陰性例の臨床所見を比較した結果、蛋白尿の程度はwt1陽性例の方が有意に高く、糖尿病性腎症においては、血清クレアチニン値もwt1陽性例で有意に高値を示した。尿中wt1の発現は定量的な評価ではないが、これらの結果から、尿中wt1の検出が簡便で迅速な糸球体傷害のmarkerとなる可能性があり、特に糖尿病性腎症の重症度に関係しうると考えられた。

3. wt1は2つのalternative splice site(17アミノ酸をコードするexon 5とexon 9-3'側に存在し3アミノ酸をコードするKTS)により4つのisoformが存在する。nested RT-PCR法でexon 5を含むisoform(+exon 5)とexon 5を含まないisoform(−exon 5)の解析を行った結果、+exon 5が検出された患者群(37例)では−exon 5のみが検出された群(7例)に比べて血清クレアチニン値が高値の傾向にあり、蛋白尿の程度も+exon 5群が−exon 5群より高い傾向にあった。また+exon 5群の19%が1年以内にESRDに至ったのに対し、−exon 5群にESRDに至った症例は見られなかった。−exon 5が殆ど正常に近い腎機能の患者から検出されたのに対し、+exon 5群の多くは腎機能の低下した患者から検出されていた。

4. KTSを含むisoform (+KTS)とKTSを含まないisoform (−KTS)の解析を行った結果、+KTSのみが検出された患者群(14例)の血清クレアチニン値は−KTSのみが検出された群(10例)より低値で、蛋白尿も軽度であり、+KTSのみ検出された群の血清クレアチニン値、尿蛋白の程度はともに+KTS、−KTS両方が検出された群(26例)よりも有意に低かった。wt1検出時の血清クレアチニン平均値が+KTSと−KTS両方が検出された群、−KTSのみが検出された群で高値であっただけでなく、1年以内にESRDに至った患者も−KTSが検出された2群にみられ、+KTSのみが検出された群ではESRDに至った症例はなかった。

以上、本論文はnested RT-PCR法によって尿沈渣細胞から遺伝子解析を行うことが可能であることを示し、尿中wt1 mRNAの検出が進行性腎障害の程度と関連している可能性を示唆した。更に、定量的な解析ではないが、4つのisoformの尿中での発現状態が進行性腎障害の程度や進行に関与している可能性を示し、4つのisoformがそれぞれ異なる機能に関与すると報告されていることから、wt1というひとつの遺伝子産物の機能的異常が進行性糸球体病変のメカニズムに関与している可能性を示唆すると考えられた。多因子疾患であると考えられる進行性腎障害に影響を及ぼす一因子としてwt1を取り上げ、尿沈渣細胞を用いて解析を行うという新たな方法で腎障害のメカニズムを解明しようと試み、wt1の発現およびisoformの発現様式が進行性糸球体疾患の程度と予後に関係するということを示した本研究は学位の授与に値するものと考えられる。

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