学位論文要旨



No 117349
著者(漢字) 飯塚,陽子
著者(英字)
著者(カナ) イイヅカ,ヨウコ
標題(和) 高血圧自然発症ラット(SHR)におけるインスリン抵抗性遺伝子の探索
標題(洋)
報告番号 117349
報告番号 甲17349
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1957号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 教授 豊岡,照彦
 東京大学 助教授 門脇,孝
 東京大学 助教授 後藤,淳郎
 東京大学 助教授 横溝,岳彦
内容要旨 要旨を表示する

 高血圧自然発症ラット(Spontaneously Hypertensive Rat: SHR)は、高血圧を指標とした選択交配の繰り返しにより確立された本態性高血圧症の最も良いモデル動物である。SHRはまた、高インスリン血症と耐糖能異常、脂質代謝異常や、内臓脂肪蓄積等を呈する、いわゆるインスリン抵抗性症候群の良いモデル動物でもある。SHRにおける高血圧を含むこれらの異常は、複数の遺伝因子と環境因子の相互作用によって生じる複合遺伝形質(complex trait)と考えられるが、その原因遺伝子はまだ明らかではない。

 SHRにおけるインスリン抵抗性原因遺伝子の染色体上での局在は、いわゆるQTL (quantitative trait locus)解析によって同定されつつある。QTL解析によりすでに、SHRの脂肪細胞におけるインスリン抵抗性原因遺伝子座位が、ラットの4番および12番染色体上に存在することが明らかにされており、特に4番染色体の当該領域には、SHRの高血圧や、高中性脂肪血症等のQTLも集簇することより、この領域にSHRにおけるインスリン抵抗性症候群の主要な原因遺伝子(群)の存在が想定されている。

 本研究で私は、SHRにおけるインスリ抵抗性の原因遺伝子を探索する目的で、cDNA subtraction法とgene chip microarray法を用い、SHRとその遺伝的コントロールであるWistar Kyoto (WKY)ラットとの間で脂肪細胞におけるmRNAの発現比較を行った。Charles River社より購入したSHR/NCrjとWKY/NCrjの脂肪細胞のcDNA subtraction解析により、発現に差のある500個以上の独立したcDNAクローンが得られ、その中の72個において二倍以上の発現レベルの違いが見られ、6個のクローンに構造上の大きな違いが見られた。DNA sequencing解析の結果、6個クローンのうち、2個がCd36遺伝子の一部を含むことが判明した。

 リンケージマッピングとradiation hybridマッピングにより、4番染色体の当該領域に同定されたラットCd36遺伝子(Cd36)は、northern-blot解析では、米国NIH由来のSHR (SHR/NCrj)にのみmRNAの長さの変化と発現量の減少が見られたが、日本で開発・保存されているオリジナルのSHR (SHR/Izm)にはそのような違いは認められなかった。cDNAのsequencing解析の結果、SHR/NCrjのcDNAには多様な変異が存在し、これはゲノムのイントロン14のsplice-acceptor siteに存在する8塩基欠失によるmRNAのalternative splicingが原因と考えられたが、オリジナルのSHR/Izmにはこのような変異は見られなかった。また、SHRに遺伝的な多様性が存在することを考慮し、SHRの各strainについて解析を行った結果、米国NIH由来のSHR strainにのみ異常が見られ、日本のオリジナルSHR/Izmの全strainにおいては、このような異常が認められないことを確認した。さらに、Cd36近傍のマイクロサテライトマーカーの解析により、NIH由来のSHRに見られるCd36変異は、米国NIHでの飼育中に新たに生じたde novo変異であることを明らかにした。一方、元々の4番染色体QTLの同定に用いられたphenotypeである脂肪細胞でのインスリン刺激によるグルコースの取込みとカテコールアミン刺激によるNEFAの産生について調べた結果、Cd36欠損のあるSHR/NCrjと欠損のないSHR/Izmとでは、有意差は認められなかった。このことより、Cd36変異はこれらのQTLとは関係のないことが示唆され、また一方、WKYに比べて両方のSHR strainではグルコースの取り込みとNEFAの産生量が有意に減少していたことより、Cd36の近傍に別個の原因遺伝子が存在する可能性が考えられた。次いで、in vivoでのphenotypeの比較により、Cd36欠損のあるSHR/NCrjは、欠損のないSHR/Izmに比較して、空腹時血糖値、中性脂肪値、および白色脂肪組織重量がいずれも有意に低く、空腹時インスリン値も低い傾向が見られ、一方、逆に空腹時遊離脂肪酸値は有意に高いことが判明した。さらに、経静脈的糖負荷試験(IVGTT)の結果では、Cd36欠損のないSHR/Izmに比べて、欠損のあるSHR/NCrjでは、グルコース応答性インスリン分泌の改善が認められた。しかし、両SHR strainでの膵臓のインスリン含量、islet batch incubation法によるグルコース刺激前後のインスリン分泌反応には有意差は見られなかった。ラットの膵isletでCd36 mRNAが発現していることは、ラットCd36 cDNAをプローブとしたnorthern-blot解析により確認された。これらのことより、長鎖脂肪酸の取り込みにも働くCd36を欠損するSHR/NCrjに見られるインスリン分泌の改善が、いわゆるlipotoxicityの軽減によってもたらされている可能性が考えられた。長鎖脂肪酸存在下で培養したislet中の中性脂肪含量の測定によりこの可能性を検討したが、両方のSHR間には有意差は見られず、それを支持する結果は得られなかった。最後に、Cd36の異常がSHRに与える影響について、欠損のあるSHR/NCrjと欠損のないSHR/Izm由来のF2を作製して、分子遺伝学的手法を用いて解析した。その結果、Cd36変異はSHRにおいて、空腹時血糖値の減少、コレステロール値の減少および遊離脂肪酸値の増加と有意な連鎖を示すことを明らかにした。以上の結果を総合して、Cd36の異常がSHRにおけるインスリン抵抗性発現の主要な原因ではないとの結論に至った。

 ところで、SHRではWKYに比して、腎臓、脳、延髄をはじめ各組織でkynurenine aminotransferase 1 (KAT-1)の酵素活性が有意に低下していることがKapoorらによって報告されている。その酵素反応産物であるkynurenic acidの含量がSHRの脳や脊髄で有意に低下していること、また免疫組織染色でKAT-1は延髄の腹外側野などの血圧調節領域に多量に存在していることなどより、KAT-1がSHRの高血圧原因候補遺伝子の一つとして注目されている。そこで、KAT-1の染色体上での局在をradiation hybridマッピング法により決定したところ、KAT-1はラット3番染色体の近位端側、マイクロサテライトマーカーD3Rat54の近傍に位置することが判明した。そして、cDNA sequencing解析の結果、SHRでは、種の違いを超えて保存されているKAT-1の61番目のアミノ酸であるグルタミン酸(GAG)がグリシン(GGG)に置換するGlu61Glyミスセンス変異を同定した。複数の交配集団における解析では、KAT-1のGlu61Gly変異は、血圧の上昇、体重の減少、および脂肪細胞でのインスリン刺激によるグルコース取り込みとカテコールアミン刺激によるNEFA産生量の低下とそれぞれ有意な連鎖を示すことを明らかにした。すなわち、Glu61Gly変異は、SHRにおける高血圧を含むインスリン抵抗性症候群様の異常を説明する有力な候補の一つとしてさらなる解析が必要である。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、高血圧自然発症ラット(SHR)におけるインスリン抵抗性の原因遺伝子を探索する目的で、cDNA subtraction法とgene chip microarray法を用いて、SHRとその遺伝的コントロールであるWKYとの間でmRNAの発現の網羅的な比較を行った。得られた陽性クローンの内、Cd36に関して詳細な解析を行い、また、SHRにおける高血圧を含む異常の有力な候補遺伝子であるkynurenine aminotransferase 1遺伝子(KAT-1)についての解析も行い、以下の事柄を明かにした。

 Cd36に関しては、1)米国NIH由来のSHRにのみCd36 mRNAの長さの違いと発現量の減少が見られたが、日本のオリジナルのSHR/Izmにはそのような変化は認められなかった、2)Cd36はラット4番染色体のD4Rat8の近傍に位置することを明らかにした、3)SHR/NCrjのCd36遺伝子およびcDNA上に多様な変異を同定し、特にイントロン14のsplice-acceptor部位での8塩基欠失はmRNA異常の直接的な原因と考えられた、4)Cd36の変異は、米国NIH由来のSHRにのみ見られ、オリジナルSHR/Izmのいずれのstrainにおいても変異は認められなかった、5)NIH由来のSHRに見られる変異は、NIHでの飼育中に新たに生じたde novo変異であると考えられた、6)単離脂肪細胞でのインスリン刺激によるグルコースの取込みとカテコールアミン刺激によるNEFAの産生は、WKYに比べるとSHRでは有意に減少していたが、Cd36変異のあるSHR/NCrjと変異のないSHR/Izmの間での比較では差は認められなかった、7)in vivoのphenotypeの比較では、変異のあるSHR/NCrjで、空腹時血糖値と中性脂肪値、および白色脂肪組織重量が有意に低値であり、また空腹時インスリン値も低くなる傾向が見られたが、逆に遊離脂肪酸値は有意に高値であることが示された、8)IVGTTにおいても、変異のあるSHR/NCrjの方がむしろ良好なグルコース応答性のインスリン分泌反応が示された、9)膵臓インスリン含量、islet batch incubation法によるグルコース刺激前後のインスリン分泌反応、長鎖脂肪酸存在下で培養したisletの中性脂肪含量には、両SHR strain間で有意差は認めなかった、10)F2における解析の結果、Cd36変異は、空腹時血糖値とコレステロール値の減少、および遊離脂肪酸値の増加と遺伝的に有意な連鎖を示すことを明らかにした。

 KAT-1に関しては、1)KAT-1遺伝子は、ラット3番染色体の近位端側でマイクロサテライトマーカーD3Rat54の近傍に位置すること、2)SHRでは、種の違いを超えて保存されているKAT-1の61番目のアミノ酸であるグルタミン酸(GAG)がグリシン(GGG)に置換するGlu61Glyミスセンス変異が同定されること、3)Glu61Gly変異は、すべてのSHR strainに共通して見られる、SHRに特異的な変異であること、4)F2における解析の結果、Glu61Gly変異は血圧の上昇、体重の減少、および脂肪細胞でのインスリン刺激によるグルコース取り込みの増加量とイソプロテレノール刺激によるNEFAの産生量の各々の低下と有意な連鎖を示すこと、などが示された。

 まとめると、NIH由来のSHRに見られたCd36変異は、SHRにおけるインスリン抵抗性の主要な原因とは考えられないが、血糖値やコレステロール値の減少、あるいは遊離脂肪酸値の増加と遺伝的に関連する可能性が示唆された。一方、KAT-1のGlu61Gly変異は、すべてのSHRに共通して見られる特異的な変異であることより、SHRにおけるインスリン抵抗性の有力な原因候補遺伝子の一つとして考えられた。

 以上、本論文は臨床的にも非常に価値の高い研究課題に対し、科学性の高い方法でアプローチした意欲的な研究である。その結果、新規性の高い知見を得た極めて優れた学位論文である。インスリン抵抗性原因遺伝子の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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