学位論文要旨



No 117350
著者(漢字) 磯尾,直之
著者(英字)
著者(カナ) イソオ,ナオユキ
標題(和) 腎障害に対するPAF : アセチルヒドロラーゼ過剰発現の効果の検討
標題(洋)
報告番号 117350
報告番号 甲17350
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1958号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤田,敏郎
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 教授 北村,唯一
 東京大学 助教授 谷,憲三郎
 東京大学 講師 谷口,茂夫
内容要旨 要旨を表示する

(はじめに)

 糸球体腎炎の発症と進展に酸化ストレスの関与が考えられている。我々は生体内で抗酸化作用をもつ物質の一つとして、過酸化リン脂質を水解する血小板活性化因子アセチルヒドロラーゼ(PAF-AH)に注目し、糸球体腎炎のモデル動物であるSHC−ラットにアデノウイルスベクターを用いてPAF-AH蛋白を過剰発現させ、腎病変に対する影響を検討した。

(方法)

 ヒト分泌型PAF-AH (sPAF-AH) cDNAを、アデノウイルス作成用組換えシャトルベクターにサブクローニングした後、これを第二世代アデノウィルスDNAとともにHEK293細胞にco-transfectし、相同組換え法にてウイルスを作成した。これを大量培養し、超遠心法にてsPAF-AH cDNAを含むアデノウイルス(AdPAF-AH)を精製した。

 12週齡雄SHC−ラットにAdPAF-AHを、1.6x1012粒子/個体で尾静脈より投与した。βガラクトシダーゼcDNAを同様に組み込んだアデノウイルス(Ad LacZ)を等量投与したもの、およびvehicleであるPBSを投与したものをコントロールとした。3日、1週、2週、3週および4週後に血液と24時間尿のサンプリングを行い、また各々一部の個体を屠殺し、肝臓および腎臓を摘出した。

 血漿検体でsPAF-AH活性を測定し、ウェスタンブロット法によるsPAF-AH蛋白量の検討も行った。AdPAF-AH投与後3日の血漿をFPLCにより分画し、各分画のコレステロール値とsPAF-AH活性を測定した。尿検体で総蛋白濃度を測定し、24時間尿量とから24時間尿蛋白を求めた。腎臓は一部をホルマリン固定後PAS染色して組織像を観察し、糸球体病変のスコアリングを行った。腎臓の残りで凍結組織切片を作成し、免疫組織染色法によりsPAF-AHの存在を検討した。肝臓に対しても同様に免疫組織染色を施行した。

(結果)

AdPAF-AH投与後3日で、血中sPAF-AH活性は投与前の約500倍となり、その後減少した。ウェスタンブロット法でも、活性と比例してsPAF-AH蛋白が検出された。FPLCによる解析では、sPAF-AH活性はHDL画分に一致して認められ、他の画分には認められなかった。24時間尿蛋白はAdPAF-AH投与群で減少し、逆に増加したコントロール群との間に明らかな有意差を認めた(図1)。腎組織像は、コントロール群では糸球体の硝子化を認めたが、AdPAF-AH投与群では硝子化は軽度であった。免疫組織染色法により、AdPAF-AH投与群の肝臓および腎臓でsPAF-AH蛋白が検出されたが、sPAF-AH蛋白量が最大になるのは、肝臓では血漿と同様AdPAF-AH投与後3日であるのに対し、腎臓では投与後1週であった。腎臓でsPAF-AHが検出されたのは糸球体の血管係蹄に沿った部位であり、組織学的な観察により、主に内皮細胞であるとみられた。

(考察)

 SHC−ラットにsPAF-AHを過剰発現させたところ、明らかな腎障害の改善が認められた。糸球体腎炎の発症と進展に酸化ストレス・過酸化リン脂質が関与していることが示唆された。

 アデノウィルスベクターを経静脈投与で用いた遺伝子導入法では、目的遺伝子は主に肝臓で発現し、腎臓その他の臓器での発現はわずかである。本実験では腎糸球体で明瞭にsPAF-AH蛋白を検出しており、その蛋白量が最大となるのが肝臓より数日遅れることからも、主に肝臓で発現したsPAF-AH蛋白が腎臓に輸送され、局所的に蓄積され、糸球体に対する効果を発揮したものと考えられる。sPAF-AHは血中では殆どがHDLと結合して存在しており、HDLが輸送担体となっている可能性が示唆される。

 本研究は、糸球体腎炎の発症と進展の機序の解明、また将来的な治療の開発に寄与するのみならず、アデノウィルスベクターを用いた遺伝子治療が'gene transfer and protein delivery' methodとして、その応用範囲がさらに拡がる可能性があることを示唆している。

図1 24時間尿蛋白の変化。

n=9(ウイルス投与前、3日、7日、14日後)、n=6(ウイルス投与21日、28日後)。同一日のLacZ群と比較し、.:p<0.01、.:p<0.001、28日後ではp=0.14

審査要旨 要旨を表示する

 近年、糸球体腎炎の発症と進展に酸化ストレスの関与が考えられるようになっている。本研究では、生体内で抗酸化作用をもつ物質の一つとして、過酸化リン脂質を水解する血小板活性化因子アセチルヒドロラーゼ(PAF-AH)に注目し、糸球体腎炎のモデル動物であるSHC−ラットにアデノウイルスベクターを用いてPAF-AH蛋白を過剰発現させ、腎病変に対する影響を検討するものであり、下記の結果を得ている。

1.ヒト分泌型PAF-AH(sPAF-AH)cDNAを含むアデノウイルス(AdPAF-AH)を作成し、これを12週齡雄SHC−ラットに1.6x1012粒子/個体で尾静脈より投与したところ、3日後に血漿sPAF-AH活性は投与前の約500倍に上昇し、ウェスタンブロット法にても血漿でsPAF-AH蛋白が明瞭に検出された。AdPAF-AH投与後3日の血漿のFPLCによる解析では、sPAF-AH活性はHDL画分に一致して認められ、他の画分には認められなかった。

2.24時間尿蛋白はAdPAF-AH投与群で減少し、逆に増加したコントロール群との間に明らかな有意差を認めた。腎組織像は、コントロール群では糸球体の硝子化を認めたが、AdPAF-AH投与群では硝子化は軽度であった。

3.免疫組織染色法により、AdPAF-AH投与群の肝臓および腎臓でsPAF-AH蛋白が検出されたが、sPAF-AH蛋白量が最大になるのは、肝臓では血漿と同様AdPAF-AH投与後3日であるのに対し、腎臓では投与後1週であった。腎臓でsPAF-AHが検出されたのは糸球体の血管係蹄に沿った部位であり、組織学的な観察により、主に内皮細胞であるとみられた。アデノウィルスベクターを経静脈投与で用いた遺伝子導入法では、目的遺伝子は主に肝臓で発現し、腎臓その他の臓器での発現はわずかであるとされており、主に肝臓で発現したsPAF-AH蛋白が腎臓に輸送され、局所的に蓄積され、糸球体に対する効果を発揮したことが示唆された。

 以上、本研究は糸球体腎炎の発症と進展の機序に酸化ストレスが強く関与していること、また生体内で抗酸化作用をもつ物質の投与により、糸球体病変を改善させる可能性があることを示した。アデノウイルスベクターを用いた腎臓への遺伝子導入は従来困難とされてきたが、本研究は、肝臓で発現させた目的の蛋白を腎臓に輸送させるという、全く新しい手法での遺伝子治療のモデルとなっており、将来、遺伝子治療の応用範囲がさらに拡がる可能性があることを示している。また、本論文を含む最近の幾つかの文献から、HDLがsPAF-AHを含む一群の抗酸化物質の輸送担体として働いている可能性が示唆されるが、本研究はこのように血管生物学の新しい展開に寄与するところもまた大であり、学位の授与に値するものと考えられる。

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