学位論文要旨



No 117351
著者(漢字) 岡田,光正
著者(英字)
著者(カナ) オカダ,テルマサ
標題(和) 膵β細胞の発生・分化に関わるNeurogenin3などの遺伝因子の解析
標題(洋)
報告番号 117351
報告番号 甲17351
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1959号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 御子柴,克彦
 東京大学 教授 山下,直秀
 東京大学 教授 油谷,浩幸
 東京大学 客員助教授 井ノ上,逸朗
 東京大学 講師 大西,真
内容要旨 要旨を表示する

 2型糖尿病は、遺伝因子および環境因子が複合して発症する生活習慣病である。膵β細胞のインスリン分泌不全と、末梢組織でのインスリン抵抗性のそれぞれに複数の遺伝因子が関与している多因子遺伝病であるが、その正確な要素は不明である。しかし、糖尿病患者は発症前から、グルコースに対するインスリン分泌能が低いことが知られており、インスリン分泌に関連する因子は病態解明の上で重要であると考えられる。

 従来「インスリン非依存性糖尿病(NIDDM)」として取り扱われてきたものの中に単因子遺伝によるものと多因子遺伝によるものの両者が存在することが分かってきた。単因子遺伝病であるMODY(Maturity-Onset Diabetes of the Young)の原因遺伝子として現在判明しているもののうち、MODY2のグルコキナーゼを除いては、膵β細胞の発生・分化に関与する転写因子である。「転写因子病としての糖尿病」という概念は、MODYという単因子遺伝病やノックアウトマウスの成績から確立されたものであるが、多因子遺伝病の遺伝因子としても、転写因子が糖尿病発症や進展の原因になっている可能性は十分に考慮に値すると思われる。特にIPF1は膵の発生・分化の際のmaster regulatorであり、軽度の機能変化をもたらす遺伝子多型が多因子遺伝病としての糖尿病の原因を説明する可能性は大いにあると考えられる。

 Neurogenin3(Ngn3)は中枢神経系の一部に発現が見られる他に、膵臓の内分泌系前駆細胞に発現する転写因子である。Ngn3は膵内分泌系細胞の発生に必須であることが示唆され、膵内分泌系前駆細胞のマーカーとしても期待されている。Hes1はNgn3のnegative regulatorとして隣接する細胞が内分泌系細胞に分化することを防ぐ。Hes1を欠損したマウスでは膵内分泌系細胞の分化が亢進すると報告され、Ngn3はHes1により転写の調節を受ける。同様にNgn3の転写を調節する分子としてHNF(Hepatocyte Nuclear Factor)6がある。したがって、Ngn3やHes1,HNF6の遺伝子変異や多型が糖尿病の発症や進行に関与している可能性があるものと考えた。

 本研究では、Neurogenin3およびHes1(ヒトにおいてはHairy-homologに相当する)については新たに遺伝子多型を検索し、2型糖尿病患者と正常対照者との間での相違を検討した。また、IPF1およびHNF6について、既知の遺伝子多型を中心に遺伝子型を決定して患者対照相関解析を行った。

【方法】

 糖尿病患者181名と正常対照者210名を解析対象とした。Neurogenin3に関してはコード領域およびこれと連続する上流配列約2.4kbの合計約3.4kbと、転写開始点から上流約3.7kbの転写因子結合部位集積配列約70bpを、Hes1(ヒトではHairy-homolog)については4つのexonにまたがったコード領域全長を含む領域約1.8kb、および上流と下流の配列それぞれ約1.7kbの合計約5.2kbを対象とした。直接シークエンス法により遺伝子多型を検索し、見出した多型に関して遺伝子型を決定した。さらに、IPF1遺伝子およびHNF6遺伝子において、既に糖尿病発症や糖・脂質代謝との関連が知られている多型についても、糖尿病患者と正常対照者で遺伝子型を決定した。

【結果】

 Neurogenin3遺伝子の多型を検索し、コード配列にアミノ酸置換を伴う一塩基多型を1つ(596C>T[Ser199Phe])、イントロンに2塩基の挿入欠失多型(-44--43insCA)、上流配列に一塩基多型を2つ同定した(-983C>T,-1822G>A)。上流の転写因子結合部位集積配列には多型の存在を認めなかった。また、Hairy-homolog遺伝子については上流配列に頻度の低い多型を2つ(-1023C>T,-93C>T)、イントロンに4つの一塩基多型(488A>C,791C>T,986G>A,1263G>T)を同定した。各々の遺伝子多型頻度はHardy-Weinbergの平衡にしたがっていた。Neurogenin3の4つの遺伝子多型(596C>T,-44--43insCA,-983C>T,-1822G>A)、および比較的頻度の高いHairy-homologの3つの遺伝子多型(488A>C,791C>T,986G>A)は互いに連鎖不平衡の関係にあった。糖尿病患者と正常対照者の間での多型頻度はNeurogenin3,Hes1(Hairy-homolog)ともに有意差を認めなかった。糖尿病患者の治療法別で解析しても明らかな差を認めなかった。

 IPF1遺伝子において、Caucasianにおける解析より報告されている5種の変異・多型(Cys18Arg,Gln59Leu,Asp76Asn,Arg197His,InsCCG243)について遺伝子型を決定したが、いずれについても今回の解析対象において変異や多型の存在を確認できなかった。直接シークエンス法を用いて遺伝子型の決定を行う過程で、1塩基の挿入変異[c.735-736insA]のヘテロ接合体の患者の存在が判明した。この変異はhomeodomainよりC末端側に存在し、フレームシフトを起こすことによって246番以降のアミノ酸変異と短小化をもたらす。なお、この変異は正常対照者には1例も認めなかった。

 HNF6遺伝子において、従来より糖脂質代謝への相関が指摘されているPro75Ala多型についてPCR-RFLP法により遺伝子型を決定したが、今回の解析対象とした患者と正常対照者の何れにおいてもPro75Ala多型の存在そのものを認めなかった。

【考察】

 Ngn3およびHairy-homologの遺伝子多型について、糖尿病患者と正常対照者の間で明らかな有意差を認めなかったため、単独では2型糖尿病の発症・進展を説明する因子とはなりがたいと考えられた。単独の遺伝子多型の2型糖尿病発症や進展への影響が弱いことや、2型糖尿病自体が多彩な病像の疾患の複合体であり集団が不均一であることも、有意な結果を得るに至らなかった背景にあると思われる。例えば、解析する患者数をさらに増やし、インスリン分泌低下の強い患者群を相当数抽出して解析できれば、有意な結果を得られる可能性もある。また、今回記載した遺伝子多型あるいはこれらの組み合わせであるハプロタイプを、今後の遺伝解析に際してマーカーとして利用できる可能性を残している。

 IPF1遺伝子のコード領域にフレームシフトによりアミノ酸変異と短小化を伴う、1塩基の挿入変異を同定した。現在までのところ、日本人においてIPF1遺伝子変異に伴う常染色体優性遺伝・若年発症の糖尿病(MODY4)の報告はない。また、これまでIPF1遺伝子についてはMODYの原因として考えられるいくつかの変異が同定され報告されているが、今回記載した変異はこれまでのところ文献的報告がないものである。

 IPF1遺伝子およびHNF6遺伝子において、既にCaucasianで糖尿病発症や糖・脂質代謝との関連が示されている多型そのものを、今回の解析対象において認めなかった。遺伝研究においては常に民族間の遺伝的背景の差を意識しなければならないが、細胞生物学的に大きな役割を果たしていることが証明されている分子やその機能変化を伴う遺伝子多型についてさえも、他民族の解析結果をそのまま適用できるわけではないことを示していると考えられる。

 糖尿病には単因子遺伝によるものと多因子遺伝によるものの両者が存在するが、一見多因子遺伝による2型糖尿病と思われる患者でも、中には単因子遺伝による糖尿病の場合があることも考慮しなければならない。転写因子はこれら両者の原因遺伝子として良い候補であると考えられる。膵β細胞に発現する転写因子群は、糖尿病発症の原因遺伝子として、また幹細胞からの再生を通じて糖尿病治療につながる可能性のある分子として、近年非常に注目されている。インスリン分泌機構や増殖能への関与をさらに解析することにより、糖尿病の病態解明や新たな治療法の開発に近づけるものと考える。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究では、膵内分泌系細胞の分化に関わる転写因子の糖尿病発症や増悪への関与を明らかにするため、2型糖尿病患者と正常対照者のゲノムを用いてNeurogenin3、Hes1(ヒトではHairy-homologに相当する)、Insulin promoter factor-1(IPF1)およびHepatocyte Nuclear Factor(HNF)-6遺伝子において遺伝子多型解析を行い、下記の結果を得ている。

1.Neurogenin3遺伝子の多型を検索し、コード配列にアミノ酸置換を伴う一塩基多型を1つ(596C>T[Ser199Phe])、イントロンに2塩基の挿入欠失多型(-44--43insCA)、上流配列に一塩基多型を2つ同定した(-983C>T,-1822G>A)。各々の遺伝子多型頻度はHardy-Weinbergの平衡にしたがっていた。これら4つの多型は互いに連鎖不平衡の関係にあった。糖尿病患者と正常対照者の間での多型頻度は有意差を認めなかった。糖尿病患者の治療法別で解析しても明らかな差を認めなかった。なお、他民族における報告との比較により、アリル頻度には民族間での差が存在することが明らかになった。

2.Hairy-homolog遺伝子については上流配列に頻度の低い多型を2つ(-1023C>T,-93C>T)、イントロンに4つの一塩基多型(488A>C,791C>T,986G>A,1263G>T)を同定した。各々の遺伝子多型頻度はHardy-Weinbergの平衡にしたがっていた。比較的頻度の高い3つの遺伝子多型(488A>C,791C>T,986G>A)は互いに連鎖不平衡の関係にあった。糖尿病患者と正常対照者の間での多型頻度は有意差を認めなかった。糖尿病患者の治療法別で解析しても明らかな差を認めなかった。

3.IPF1遺伝子において、1塩基の挿入変異[c.735-736insA]のヘテロ接合体の患者の存在が判明した。なお、この変異は正常対照者には1例も認めなかった。現在までのところ、日本人においてIPF1遺伝子変異に伴う常染色体優性遺伝・若年発症の糖尿病(MODY4)の報告はない。また、今回記載された変異はこれまでのところ文献的報告がないものである。

4.IPF1遺伝子において、Caucasianにおける解析より報告されている5種の変異・多型(Cys18Arg,Gln59Leu,Asp76Asn,Arg197His,InsCCG243)について遺伝子型を決定したが、いずれについても今回の解析対象において変異や多型の存在を確認できなかった。また、HNF6遺伝子において、従来より糖脂質代謝への相関が指摘されているPro75Ala多型についてPCR-RFLP法により遺伝子型を決定したが、今回の解析対象とした患者と正常対照者の何れにおいてもPro75Ala多型の存在そのものを認めなかった。細胞生物学的に大きな役割を果たしていることが証明されている分子やその機能変化を伴う遺伝子多型についてさえも、他民族の解析結果をそのまま適用できるわけではないことが示された。

以上、本論文は糖尿病患者と正常対照者における遺伝子多型解析により、IPF1遺伝子の新規遺伝子変異の家系を同定した。また、Caucasianで既に文献的に報告されている遺伝解析の結果が、必ずしも日本人では当てはまらないことを明らかにした。本研究は糖尿病発症の遺伝因子としての転写因子群の関与や、日本人における疾患感受性遺伝子解明において重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク