学位論文要旨



No 117354
著者(漢字) 山下,滋雄
著者(英字)
著者(カナ) ヤマシタ,シゲオ
標題(和) 膵β細胞株におけるミトコンドリアDNAの転写抑制とアポトーシス
標題(洋)
報告番号 117354
報告番号 甲17354
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1962号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 深山,正久
 東京大学 教授 宮園,浩平
 東京大学 教授 山下,直秀
 東京大学 講師 竹内,二士夫
 東京大学 講師 福本,誠二
内容要旨 要旨を表示する

 ミトコンドリアDNA 3243変異による糖尿病は我が国の糖尿病の約1%を占めると考えられ、日々の臨床で遭遇する糖尿病の中にも、ミトコンドリアDNAの変異による糖尿病(以下、ミトコンドリア糖尿病)が相当数含まれる。通常インスリン抵抗性は軽度で、発症当初は食事療法やスルフォニルウレア(SU)剤によって数年以上インスリン治療を必要としない例も散見されるが、大部分は進行性にインスリン分泌の低下を来す。剖検例では、膵β細胞数および細胞量の減少が報告されている。

 ethidium bromide(EB; 0.4μg/ml)処理を行ったβHC9細胞では、ミトコンドリアDNAに由来する遺伝子の転写が特異的に低下する。これによって、EBによる処理6日目にはグルコース応答性インスリン分泌が抑制され、このことから、EB処理βHC9細胞はミトコンドリア糖尿病の膵島のよいモデルと考えられる。この系においてアポトーシスの有無およびその機序を検討した。

 EB処理後のβHC9細胞のアポトーシスを蛍光法(propidium iodide及びヘキスト33342)、電子顕微鏡、TUNEL法(TdT-mediated dUTP nick end labeling)により観察し、対照細胞と比較したところ、蛍光法でEB6日処理後のEB群でアポトーシス像が認められ、EB10日処理後のEB群においてアポトーシス像の増加が認められたが、10日目と14日目とは大きくは異ならなかった。電顕ではEB群(10, 14日処理)において、細胞質の濃縮と核のクロマチン凝縮を伴うアポトーシス像がみられたが、対照群では観察した範囲で認められなかった。TUNEL法でアポトーシスの頻度を定量したところ、EB群では6日処理で3.8%[対照(1.1%)の3.4倍(p<0.05)]、10日処理で23.9%[対照(4.2%)の5.7倍(p<0.0001)]であった。対照群では培養期間によるアポトーシス頻度に違いはみられなかった。

 また、rhodamie123(Rh123)とpropidil iodide(PI)の二重染色を行い、フローサイトメトリーにてPI陰性、Rh123陽性の細胞の解析を行った結果でも、EB処理2, 4, 6日後の細胞では対照群との差異はなく、10日後のEB群において、Rh123の取り込みが低い細胞群が出現していた(Mean: control Day 2 358.66(SD 479.86), Day 4 352.27(SD 596.25), Day 6 368.47(SD 444.94), Day 10 324.88(SD 370.15), EB Day 2 289.03(SD 306.76), Day 4 313.40(SD 469.77), Day 6 286.44(SD 495.96), Day 10 205.35(SD 453.26), EB Day 10 left 44.91(SD 26.14), right 395.96(SD 497.93)。5-bromo-2'-deoxyuridine(BrdU)を用いた細胞増殖能の評価では、EB処理6日後(p<0.0001)、10日後(p<0.0001)ともEB群において増殖能の低下が認められた。

 細胞質におけるチトクロームcを免疫沈降−ウェスタン法で確認したところ、細胞質へのチトクロームcの放出が確認された。細胞質におけるチトクロームcの濃度をELISA assayで測定したところ、EB群では6, 10日処理で対照群の約1.5倍の濃度であった[6日:対照の1.45倍(p<0.005), 10日:対照の1.46倍(p<0.05)]。一方、チトクロームbのウェスタン法による測定では、ミトコンドリアDNAによってのみコードされるチトクロームbの産生は予想通り低下していた。

 細胞質中のチトクロームcにより活性化されるカスパーゼ9は、EB処理10日目の群において活性が対照群の1.60倍に増加していた(p<0.001)。EB処理2日目、6日目においても有意差を認めたが、EB群における活性上昇の割合は、それぞれ1.16倍(p<0.05)、1.29倍(p<0.05)とわずかであった。また、カスパーゼ9の活性化により活性化されると考えられているカスパーゼ3も、EB処理10日目のEB処理群において活性が対照群の1.48倍に増加しており(p<0.01)、EB処理2日目、6日目においては有意差は認められなかった。一方、アポトーシス・シグナルの最終共通経路であると考えられているカスパーゼ3の活性化は、カスパーゼ9以外の経路によってもなされることが知られているが、この中の一つであるカスパーゼ8の活性を測定したところ、EB処理後2, 6, 10日目の実験群と対照群との間に有意差は認められなかった。

 また、ミトコンドリア内から細胞質中へのチトクロームcの放出を抑制するBcl-2と、促進するBaxは、ともにウエスタン法によって大きく変化していないことが確認された。

 本系において、グルコース応答性インスリン分泌の抑制がEB処理6日後に認められており(既報)、一方、今回の結果では、アポトーシスは処理6日よりあとに増加していた。したがって後者は前者より遅れて認められる事象であり、これはミトコンドリア糖尿病でみられる進行性のインスリン分泌低下とβ細胞量の減少の原因となっている可能性がある。

 また、本系におけるアポトーシス出現の機序は、ミトコンドリアDNA由来であるチトクロームbなど複合体形成蛋白の産生が低下することにより、電子伝達系において核DNA由来の蛋白であるチトクロームcとの不均衡が生じ、その結果チトクロームcがミトコンドリア内から細胞質中へと遊離し、カスパーゼ9、カスパーゼ3の活性化によってアポトーシスが惹起されたと考えた。

 しかし、アポトーシスはβ細胞量減少の原因の一端を説明する現象であるに過ぎず、細胞増殖能が低下している理由の詳細な検討、アポトーシスとセルサイクル停止との関連の検討が、今後の課題として残された。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、ミトコンドリアDNAの変異による糖尿病(ミトコンドリア糖尿病)におけるβ細胞量減少の原因を明らかにするため、マウス由来の膵β細胞株であるβHC9細胞に、DNA、RNAの合成阻害作用を有するエチジウムブロマイド(EB; 0.4μg/ml)を作用させてミトコンドリアDNAの転写を特異的に抑制した系において、アポトーシス及び細胞増殖能の検討を行ったものであり、下記の結果を得ている。

1.EB処理後のβHC9細胞を蛍光法(propidium iodide及びヘキスト33342)、電子顕微鏡、TUNEL法(TdT-mediated dUTP nick end labeling)により観察し、対照細胞と比較したところ、蛍光法ではEB 6日処理後のEB群で経度にアポトーシス像が認められ、EB 10, 14日処理後のEB群においてアポトーシス像の著明な増加が認められた。10日と14日処理の間には大きな変化はなかった。電顕ではEB群(10, 14日処理)において、細胞質の濃縮と核のクロマチン凝縮を伴うアポトーシス像がみられたが、対照群では観察した範囲で認められなかった。TUNEL法でアポトーシスの頻度を定量したところ、EB群では6日処理で3.8%[対照(1.1%)の3.4倍(p<0.05)]、10日処理で23.9%[対照(4.2%)の5.7倍(p<0.0001)]であった。対照群では培養期間によるアポトーシス頻度に違いはみられなかった。本系において、グルコース応答性インスリン分泌の抑制がEB処理6日後に認められている(既報)。アポトーシスはこれより遅れて認められる事象であり、これがミトコンドリア糖尿病でみられる進行性のインスリン分泌低下とβ細胞量の減少の原因となっている可能性が示唆された。

2.rhodamie123(Rh123)とpropidil iodide(PI)の二重染色を行い、フローサイトメトリーにてPI陰性、Rh123陽性の細胞の解析を行った結果、EB処理2, 4, 6日後の細胞では対照群との差異はなく、10日後のEB群において、Rh123の取り込みの低い細胞群が出現していた。このことからミトコンドリア膜電位が低下していたアポトーシスの初期像が、EB処理10日で多く出現していることが示された。

3.5-bromo-2'-deoxyuridine (BrdU)を用いた細胞増殖能の評価では、EB処理6日後、10日後ともEB群において増殖能の低下が認められた。β細胞量減少の原因はアポトーシスだけではなく、細胞増殖能の低下も関与していることが示された。

4.細胞質におけるチトクロームcを免疫沈降−ウェスタン法で確認したところ、細胞質へのチトクロームcの放出が確認された。細胞質におけるチトクロームcの濃度をELISA assayで測定したところ、EB群では6, 10日処理で対照群の約1.5倍の濃度であった[6日:対照の1.45倍(p<0.005), 10日:対照の1.46倍(p<0.05)]。

5.ミトコンドリア内膜に存在し、チトクロームcを介して電子の受け渡しを司る複合体IIIの構成蛋白であるチトクロームbのウェスタン法による測定では、ミトコンドリアDNAによってのみコードされるチトクロームbの産生が低下していた。

6.細胞質中のチトクロームcにより活性化されるカスパーゼ9は、EB処理10日目の群において活性が対照群の1.60倍に増加していた(p<0.001)。EB処理2日目、6日目においても有意差を認めたが、EB群における活性上昇の割合は、それぞれ1.16倍(p<0.05)、1.29倍(p<0.05)とわずかであった。

7.カスパーゼ9の活性化により活性化されると考えられているカスパーゼ3は、EB処理10日目のEB処理群において活性が対照群の1.48倍に増加しており(p<0.01)、EB処理2日目、6日目においては有意差は認められなかった。

8.アポトーシス・シグナルを活性化する別系統のシグナル伝達物質の一つであるカスパーゼ8の活性を測定したところ、EB処理後2, 6, 10日目の実験群と対照群との間にいずれも有意差は認められなかった。

9.ミトコンドリア内から細胞質中へのチトクロームcの放出を抑制するBcl-2と、促進するBaxは、ともにウエスタン法によって大きく変化していないことが示された。

 これらのことより、本系におけるアポトーシス出現の機序は、チトクロームbなどミトコンドリアDNA由来の複合体形成蛋白の産生が低下することにより、電子伝達系において核DNA由来の蛋白であるチトクロームcとの不均衡が生じ、その結果チトクロームcがミトコンドリア内から細胞質中へと遊離し、カスパーゼ9、カスパーゼ3の活性化によってアポトーシスが惹起されたと考えた。

 しかし、以上の成績からはアポトーシスがβ細胞量減少の原因の一端を説明することが導かれるに過ぎず、細胞増殖能が低下している理由の詳細な検討、アポトーシスとセルサイクル停止との関連の検討は、今後の課題として残された。

以上、本論文はマウス由来の膵β細胞株であるβHC9細胞株のミトコンドリアDNA転写を抑制した系においてβ細胞数減少の解析を行うことで、ミトコンドリア糖尿病患者において膵β細胞量が減少する一因として、アポトーシスが関与している可能性を明らかにした。当研究はミトコンドリア糖尿病におけるインスリン分泌低下と膵β細胞量減少の病態解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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