学位論文要旨



No 117361
著者(漢字) 和田,修
著者(英字)
著者(カナ) ワダ,オサム
標題(和) 癌抑制遺伝子BRCA1の転写活性化領域に結合する転写共役因子群の解析
標題(洋)
報告番号 117361
報告番号 甲17361
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1969号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橋都,浩平
 東京大学 助教授 門脇,孝
 東京大学 助教授 辻,浩一郎
 東京大学 講師 大西,真
 東京大学 講師 金森,豊
内容要旨 要旨を表示する

 1)緒言および目的

 全ての乳癌のうちおよそ5〜10%は家族性発症であることが知られている。家族性乳癌・卵巣癌発症の有力な原因候補遺伝子として知られているBRCA1(Breast cancer susceptibility gene 1)は、家族性乳癌家系において、およそ半数で変異が見られると報告されている。BRCA1変異キャリアーが有する腫瘍は、残りの野生型のアレルのBRCA1遺伝子が失われているか、もしくは不活性化しているため、BRCA1は癌抑制遺伝子として作用しているものと考えられている。

 BRCA1は核内局在の巨大遺伝子であり、既知のアミノ酸との全体的な相同性は少ない。生物学的な役割は、ユビキチン活性、細胞周期の制御、細胞増殖抑制、転写制御、DNA損傷修復、相同組み換えによるゲノムの安定性制御などといった広範な機能に関わっているとする報告がされている。カルボキシ末端に位置するBRCT領域は、GAL4 DNA結合領域との融合タンパクを細胞内で発現させると転写活性化能を示すが、癌家系で見られるBRCT領域内での点変異では、転写活性化能が失われることが知られている。BRCTリピートの後半の領域を除いたマウスは胎生致死であり、細胞死が胚の広範囲におきていること、BRCTはコファクターと結合しながらクロマチン構造の解除を行うことから、BRCT領域に存在する転写活性化能は、正常な細胞発育、増殖制御に対して非常な重要な役割を担うものであることが予想される。よってこの領域の転写活性化能、および転写活性化能の制御に関与する遺伝子の存在についての解明は急務である。

 本研究では核内レセプターに結合する、クロマチン再構成に関与する複合体として知られているTRAP(Thyroid hormone receptor associated proteins)複合体の中の、核内レセプターにリガンド依存的に結合する架橋因子であるTRAP220が、野生型BRCT複合体に特異的に結合することを明らかにし、さらにその結合が細胞の正常な発育に対して影響を与えうる可能性について検討する。

 2)材料と方法

BRCTを含む複合体のアフィニティーカラム精製

 アフィニティーカラムは陽イオンカラムphosphocellulose column(P11)と下記のGST融合タンパクカラムの2種類を用いた。

 BRCT領域は、アミノ酸1528〜1863を用いた。野生型BRCT、点変異によるミスセンス変異体であるBRCT A1708E、P1749R、M1775Rの四種類のBRCT領域をタンパク発現ベクターに組み込み、グルタチオン−S−トランスフェラーゼ(GST)融合タンパクとして大腸菌内でタンパク発現誘導を行いGSTアフィニティーカラムとして使用した。

 HeLa S3細胞から核抽出液を調整しP11カラムとインキュベートして、結合するタンパク複合体分画を溶出し、溶出液をGST融合BRCT(野生型)またはGST融合BRCT(変異体)のいずれかとインキュベートすることにより複合体を精製した。結合分画をBRCT結合複合体とした。

Liquid HAT、HMT assay

 等しいタンパク量の複合体を、基質と、さらに3H標識されたacetyl CoAまたはS-Adenosyl-[methyl-3H]-methionineと混和しHAT(ヒストンアセチル化)、HMT(ヒストンメチル化)反応を行った。反応液はフィルターにしみ込ませ、liquid scintillation counterにて放射線活性測定した。

GST pull down assay

 hGCN5およびTRAP220の全長とその分割された断片を、各々発現ベクターpcDNA3にサブクローンし[35S]methionine標識したタンパクを発現させた。GST融合タンパクと標識タンパクを低温下にインキュベートし、GST融合タンパクに結合した標識タンパクをSDS-PAGEで泳動してバンドを解析した。

免疫沈降法、ウェスタンブロッティング

 293E細胞に発現ベクター(pcDNA FLAG BRCA1, pcDNA TRAP220 Myc/His)をリポフェクション法でトランスフェクションした。細胞を回収後、細胞溶解液をanti-FLAG M2 agaroseと混和しFLAG epitopeに結合する免疫複合体を精製した。ビーズを洗浄した後にSDS-PAGEで泳動し、ウェスタンブロッティングを行った。

トランスフェクションおよびルシフェラーゼ活性測定

 293T細胞をリポフェクション法でトランスフェクションした。ルシフェラーゼレポーター遺伝子、pMベクター、internal control用ベクター、発現ベクターを、トランスフェクションし、細胞を回収後Firefly luciferase活性を測定した。トランスフェクション効率是正のためRenilla luciferase活性も同時に測定した。

 3)実験結果

BRCT複合体の構成成分、ヒストン修飾能について

 BRCTを含む複合体のアフィニティーカラム精製により、GST-BRCT野生型、変異体複合体を各々精製した。複合体の構成成分を同定するためMALDI-TOF/MSを行ったが、転写活性化因子は得られなかった。精製分画がHAT活性およびHMT活性を持つかどうかを検討したが、BRCT野生型、変異体どちらの複合体も強いHAT、HMT活性を示すことが判明した。転写活性化能の有無に関わらずHAT活性は存在するため、転写活性化のためにはHAT活性以外のものが必須であることが示された。転写活性化因子を同定する目的でウェスタンブロッティングを行い、hTAFp250、TRAP220がBRCTの野生型に特異的に結合することが判明した。hGCN5はGST pull down法にて野生型、変異体のどちらにも結合することが判明した。

TRAP220は細胞内においてBRCA1と結合する

 BRCA1がヒト細胞内でTRAP220と相互作用するか否かを293E細胞に発現させることで検討したがTRAP220とBRCA1は特異的に共沈降するので293E細胞内においてTRAP220とBRCA1は結合していることが判明した。

BRCTとTRAP220の結合領域の同定

 TRAP220のBRCTとの結合領域の同定のため、TRAP220の全長を5断片に分けた。5断片を各々in vitro翻訳し、[35S]methionine標識されたタンパクをGST-BRCTと共にインキュベートし、SDS-PAGEにて泳動後イメージアナライザーにて解析した。その結果TRAP220のアミノ酸末端がBRCTとの結合領域であることが判明した。

In vitroにおけるTRAP220とBRCTの結合TRAP220のBRCTに対する転写活性増強効果

 野生型BRCT、変異体BRCTA1708E、P1749R、M1775RとTRAP220との結合の差を検討するためGST pull down assayを行ったが、野生型BRCTのみがTRAP220と特異的に結合することが判明した。

 TRAP220がBRCTの転写活性化能に正または負の影響を与えるかを検討してみた。TRAP220をGAL-BRCTと同時に293T細胞に発現させたところ、ルシフェラーゼ活性はおよそ2倍の増強作用を示した。この転写活性の増強はGAL-BRCTに特異的なものであった。TRAP220のアンチセンスの発現ベクターをトランスフェクションすると、この転写活性増強効果は抑制された。

 4)考察

 BRCTの野生型に特異的に結合するタンパク群が、BRCTの転写活性化能に対して重要な役割を担うものと推測された。またHAT、HMT活性測定より、転写活性化のためにはヒストン修飾能以外のものが必須であることが予想された。

現在、提唱されている転写のモデルはtwo step modelと呼ばれ、ヒストンのアミノ酸末端のリジン残基がアセチル化酵素によりアセチル化される(first step)ことで標的遺伝子のヌクレオソーム構造が変化し、クロマチン構造修飾因子による効果でクロマチンの構造が変化し(second step)DNAに転写因子が結合しやすくなることにより転写がより効果的に増強するという考えである。ヒストンアセチル化は転写にとって重要なステップではあるが、それだけでは転写が十分に進むわけではない。TRAP複合体はクロマチン構造修飾を行うmediator complexであることが知られている。またコアクチベーターとして基本転写因子群に作用するが、TRAPにはHAT活性を持つタンパクが含まれていない。野生型BRCTと変異体BRCTの複合体は共にHAT活性を持つが、HAT活性だけでは転写を進ませるには不十分である可能性があり、基本転写因子に含まれるBRCA1にはTRAP複合体のようなmediator complexが結合する、そしてTRAP220はBRCA1とTRAPの複合体形成に架橋的役割を担うという可能性が考えられた。

 免疫沈降法により、BRCA1とTRAP220はヒトの細胞である293E細胞において複合体をなしていたため、この複合体形成は内在性のものであることが示された。

 トランスフェクションによりBRCTの転写活性をTRAP220は増強することが判明した。よってBRCA1とTRAP220とのクロストークには、ルシフェラーゼ活性測定で用いられたプロモーターの下流に存在する遺伝子の発現において機能するものと考えられ、生物学的な重要性があるものと考えられた。BRCTの点変異で転写活性増強の効果がなくなることも考えると、BRCTとTRAP220との結合が癌関連の変異により失われることは、BRCA1の下流の遺伝子(細胞周期関連)の発現、正常な細胞発育、増殖調節にとって極めて重要であるものと考えられた。

 変異体BRCA1の発癌性については、TRAP複合体が何らかの形でクロマチン再構成機能の面から関与している可能性が以上より考えられたが、そのような報告は現在までのところない。今後BRCA1の持つ生物学的役割に、TRAP220がどのように関与してくるかについても含め検討する必要があるものと思われる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、家族性乳癌の原因候補遺伝子であるBRCA1の持つ転写活性化能が細胞の正常な発育に必須である点に着目し、転写活性化に重要な役割を演じていると考えられる、転写活性化因子(群)を取得することを目標とし、タンパク複合体精製を行ったものであり下記の結果を得ている。

1.陽イオンカラム、GSTアフィニティーカラムを用いた二段階のカラム精製により、BRCT野生型、変異体(BRCT A1708E、P1749R、M1775R)と相互作用するタンパク複合体を精製した。その複合体成分がヒストン修飾能を持つかどうかについて、ヒストンアセチル化反応、ヒストンメチル化反応を行ったが、BRCT野生型、変異体のどちらの複合体にもヒストン修飾能があることが判明した。変異体には転写活性化能がないが、転写活性化能の有無に関わらず、ヒストンアセチル化活性は存在するため、転写活性化のためにはヒストンアセチル化活性以外のものが必須であることが示された。

2.BRCT複合体を形成する因子群を同定するためにウェスタンブロッティングを行ったところ、BRCT複合体中に、hTAFp250、hGCN5、p300、TRAP220などが含まれることが判明した。GST pull down法でhGCN5とBRCTとの結合パターンを検討してみたところ、hGCN5は野生型、変異体BRCTのいずれにも直接結合することが分かった。野生型BRCT複合体に特異的に含まれているのはhTAFp250とTRAP220の二つであった。

3.BRCA1がヒト細胞内でTRAP220と相互作用するか否かを、各々の発現ベクターを293E細胞に発現させることで検討したが、TRAP220とBRCA1は特異的に免疫共沈降するので293E細胞内においてTRAP220とBRCA1は結合していることが判明した。

4.TRAP220のBRCTとの結合領域の同定のため、TRAP220の全長を5断片に分けた。5断片を各々in vitro translationし、GST pull down assayを行った。その結果TRAP220のアミノ酸末端がBRCTとの結合領域であることが判明した。

5.野生型BRCT、点変異体との結合の差を検討するためGST pull down assayを行ったが、野生型BRCTのみがTRAP220と特異的に結合することが判明した。

6.TRAP220がBRCTの転写活性化能に影響を与えるか否かを検討するためTRAP220をGAL-BRCTと同時に293T細胞に発現させたところ、ルシフェラーゼ活性はおよそ2倍の増強作用を示した。この転写活性の増強はGAL-BRCTに特異的なものであった。TRAP220のアンチセンスの発現ベクターをトランスフェクションすると、この転写活性増強効果は抑制された。

以上、本論文はBRCA1とTRAP220がin vitroおよびin vivoにおいて結合しうること、協調的な転写活性化能を持つことを明らかにし、これまでBRCA1に結合することが知られていなかったMediator複合体の関与について明らかにした。よって学位の授与に値するものと考えられる。

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