学位論文要旨



No 117365
著者(漢字) 難波,聡
著者(英字)
著者(カナ) ナンバ,アキラ
標題(和) マウス卵巣におけるAd4BP/SF−1およびDax−1の発現と卵胞発育・閉鎖における役割
標題(洋)
報告番号 117365
報告番号 甲17365
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1973号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 五十嵐,隆
 東京大学 助教授 門脇,孝
 東京大学 助教授 本間,之夫
 東京大学 助教授 岩田,力
 東京大学 講師 藤井,知行
内容要旨 要旨を表示する

 近年、生殖医療の進歩とともに排卵誘発や体外受精が有用な治療手段として一般的に行われるようになり、わが国でも年間約1万人以上が体外受精によって誕生するに至っている。一方で早発卵巣機能不全の患者や多嚢胞性卵巣症候群(polycystic ovary syndrome : PCOS)の患者のように現在でも治療に苦慮する症例がまれならず存在する。したがって生殖医療に携わるものにとっては、より有効な排卵誘発を行うために、卵胞発育・卵胞閉鎖のメカニズムを知ることが重要となる。

 ヒトの卵巣内には、原始卵胞、二次卵胞、さらにFSH(Follicle stimulating hormone)の作用を受けて成熟した排卵前のantral follicleなどがあり、これらが成人女性では卵巣内に混在する。最終的に下垂体から分泌されるLH(Lutenizing hormone)の作用を受けて排卵がおこるが、実際に順調に成熟発育し排卵に至るものはごくわずかで、ほとんどの卵胞は発育の過程でアポトーシスによって消滅する。

 さて本研究において着目した転写因子は、Ad4BP/SF-1とDax-1の2つである。これらはもともと性腺の発生・分化において重要な役割を果たしていると考えられている転写因子であった。

 Ad4BP/SF-1はステロイドホルモン産生組織に特異的なP450遺伝子の転写を制御する転写因子として同定された。Ad4BP/SF-1により、P450遺伝子のみならず3βHSD, StAR, LHβ, MIS, FSH受容体などの遺伝子が制御されることが明らかになっている。またAd4BP/SF-1は性腺、副腎といったステロイド産生組織だけではなく下垂体や視床下部にも発現しており、中枢及び末梢臓器においてステロイド産生系の機能維持に重要な役割を果たしていると考えられている。また、Ad4BP/SF-1遺伝子のノックアウトマウスが性腺及び副腎の発生を欠いたことからAd4BP/SF-1は性腺と副腎の発生・分化に重要な役割を果たしていることが判明した。Ad4BP/SF-1は卵巣においては莢膜細胞と顆粒膜細胞、黄体に発現することが明らかになっているが、性周期のなかでどのように発現が変化し、卵巣においていかなる役割を果たしているのかについての報告はない。

 一方、Dax-1はヒトの疾患から見いだされた転写因子である。X染色体上のXp21領域が重複するようなXY女性の症例が知られており、この現象はDSS(Dosage-sensitive sex reversal)と呼ばれ、Xp21に存在する遺伝子が卵巣の分化に重要な働きをしていることを示唆している。一方、X連鎖遺伝形式をとり低ゴナドトロピン性性腺機能低下症を伴う先天性副腎低形成の解析により、Xp21領域から単一の原因遺伝子が同定されDax-1と名付けられた。Dax-1遺伝子を強制発現させたトランスジェニックマウスではDax-1遺伝子の量依存的に精巣形成が遅延したことから、Dax-1はDSSの原因遺伝子であると考えられている。Dax-1の機能については、in vitroでAd4BP/SF-1による転写活性を抑制することが報告されている。実際Dax-1はAd4BP/SF-1と同様、性腺、副腎、下垂体、視床下部に発現が認められるが、卵巣での局在や役割に関する報告はない。

 本研究では、性腺の発生・分化に重要な役割を演じるとされていたAd4BP/SF-1、Dax-1に着目し、卵巣における発現様式を卵胞発育との関連で観察することで卵胞発育・閉鎖におけるこれらの役割を明らかにすることを試みた。

 <方法>

 21日齢雌ICRマウスにPMSG 5IUを腹腔内注射し、注射後0、12、24、36、48時間後に卵巣を摘出した。Ad4BP/SF-1とDax-1の発現パターンを定量的RT-PCRを用いてmRNAレベルで測定し、また免疫組織染色により蛋白レベルで局在の解析を行った。さらに両者の発現と卵胞におけるアポトーシスとを比較検討するために隣接切片でTUNEL染色を行い、また各ポイントで卵巣から抽出したDNAの低分子領域のバンド強度をグラフ化した(DNAラダー法)。最後に21日齢のDax-1遺伝子欠失変異マウスの卵巣についても免疫組織染色、TUNEL法を行った。

 <結果>

 Ad4BP/SF-1のmRNA発現量は、PMSG投与後36、48時間後に0時間の約2倍に上昇した。それに対しDax-1のmRNA発現量はPMSG投与後ただちに減少し24時間後には0時間の約1/3となった。48時間後には再び0時間のレベルまで戻った。またDNAラダーの解析の結果、PMSG投与後のDNA断片化の変動パターンはDax-1mRNAの変動パターンときわめて類似していた。

 次に免疫組織染色によればAd4BP/SF-1は顆粒膜細胞と莢膜細胞の核に発現が認められたが、卵胞によって顆粒膜細胞が濃染する卵胞と濃染されない卵胞が存在した。Dax-1は顆粒膜細胞の核に発現していたが、Dax-1陽性の顆粒膜細胞はまだら状に散在していた。また、やはり顆粒膜細胞の発現が認められる卵胞と発現に乏しい卵胞が存在した。TUNEL法による染色も加えた隣接切片の検討により、顆粒膜細胞にAd4BP/SF-1の発現が強く認められる卵胞ではDax-1の発現が認められずTUNEL陰性、逆にAd4BP/SF-1が発現が弱い卵胞ではDax-1発現が認められTUNEL陽性であった。しかしながら、閉鎖卵胞内でのDax-1陽性細胞とTUNEL陽性細胞の局在は必ずしも一致しなかった。すなわち卵細胞に近い内側の顆粒膜細胞にTUNEL陽性細胞が多いのに対してDax-1は反対に外側の基底顆粒膜細胞に多く発現していた。

 最後にDax-1欠失変異マウスの21日齢卵巣で同様の解析を行った。Dax-1欠失マウスにおいてもTUNEL陽性の顆粒膜細胞を有する閉鎖卵胞は同様に存在した。そして顆粒膜細胞にAd4BP/SF-1が強く発現する卵胞はTUNEL陰性であり、逆にAd4BP/SF-1の発現が弱い卵胞はTUNEL陽性であった。Dax-1の顆粒膜細胞での発現は発育卵胞・閉鎖卵胞を問わず認められなかった。またDax-1欠失マウスでもTUNEL陽性の顆粒膜細胞は、より内側の層に多く認められた。

 <考察>

 免疫組織染色による結果から、発育卵胞の顆粒膜細胞ではAd4BP/SF-1が強陽性でDax-1は陰性、逆にアポトーシスをおこしつつある閉鎖卵胞の顆粒膜細胞ではAd4BP/SF-1の発現は弱くDax-1が陽性であった。すなわち卵胞発育・閉鎖にこれらの転写因子が関わっている可能性がはじめて示唆された。またPMSG処理後の卵巣において発育卵胞数の増加に伴ってAd4BP/SF-1のmRNA発現量も増加するが、一方Dax-1のmRNA発現量は12-24時間後に約1/3へと著明に低下し、この変動パターンはDNAラダー法により得られた卵巣のDNA断片化の変動と酷似していた。すなわちAd4BP/SF-1が卵胞発育に、Dax-1が卵胞閉鎖に何らかの役割を果たしている可能性をさらに裏付ける知見と考えられた。

 Dax-1の発現が卵胞閉鎖をひきおこす原因であるのか、それとも卵胞閉鎖が生じたための結果であるのかを本研究の実験結果のみから結論づけることは困難である。しかしDax-1欠失変異マウスの21日齢の卵巣にはDax-1の発現が認められないにもかかわらずTUNEL陽性となる閉鎖卵胞が存在したことから、Dax-1の発現は卵胞閉鎖を生じるのに必須ではないことが示された。TUNEL法で陽性を示す卵胞はアポトーシスの最終段階に入った卵胞であり、それとDax-1の発現卵胞が一致するということは、Dax-1は卵胞閉鎖の誘導や調節に関わる因子であるというより卵胞閉鎖が不可逆的に進行した結果として発現すると予想される。

 またAd4BP/SF-1とDax-1は発現が卵胞ごとに対照的である所見に加え、比較的発育の進んだ閉鎖卵胞の顆粒膜細胞において発現強度の内外勾配という形でも両者の局在は対照的であった。しかし両転写因子の拮抗する発現機構の解明は今後の検討を待たねばならない。

 Ad4BP/SF-1はステロイド合成に必須なP450遺伝子群の転写を活性化することから、発育卵胞においてAd4BP/SF-1はステロイド合成に促進的に働いていると推察される。一方Dax-1はAd4BP/SF-1の転写活性化能を抑制することから顆粒膜細胞でのステロイド合成に抑止的に作用していると考えられる。すなわちDax-1はアポトーシス開始・誘導のシグナルを受けてcaspaseなどのアポトーシス実行装置と同時期に発現し、閉鎖卵胞では不要であるステロイド合成をストップさせることで卵胞を形態学的のみならず機能的にも退行に導いているとの解釈が可能である。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、性腺の発生・性分化に重要な役割を果たすことが知られている転写因子Ad4BP/SF-1とDax-1のマウス卵巣での発現様式を検討し、卵胞発育・閉鎖におけるこれらの役割を明らかにすることを試みたものであり、以下の結果を得ている。

1.免疫組織染色による結果から、顆粒膜細胞でAd4BP/SF-1が発現している卵胞ではDax-1が発現しておらず、逆にDax-1が発現している卵胞ではAd4BP/SF-1の発現は弱く、両者の発現場所はきわめて対照的であった。さらにTUNEL法により、発育卵胞においてAd4BP/SF-1陽性でDax-1陰性であり、閉鎖卵胞においてAd4BP/SF-1陰性でDax-1陽性であることが示された。

2.PMSG処理後12-24時間にかけてマウス卵巣でのDax-1のmRNA発現量は約1/3に著明に減少した。この変動はDNAラダー法により得られた卵巣のDNA断片化の変動と酷似しており、Dax-1が卵胞閉鎖において重要な役割を果たしている可能性を裏付ける知見と考えられた。

3.同一卵胞内でのDax-1陽性細胞とTUNEL陽性細胞の局在は必ずしも一致しなかった。すなわち卵細胞に近い内側の顆粒膜細胞でTUNEL陽性細胞が目立つのに対してDax-1は反対に外側の基底顆粒膜細胞に多く発現していた。またAd4BP/SF-1とDax-1も一部の閉鎖卵胞において、内外の発現強度の勾配という形で局在の対称性を認めた。

4.Dax-1欠失マウスにおいても野生型と同様にTUNEL陽性の顆粒膜細胞を有する閉鎖卵胞が存在した。また発育卵胞はAd4BP/SF-1陽性、閉鎖卵胞はAd4BP/SF-1陰性であった。したがって卵胞閉鎖には必ずしもDax-1の発現が必須でないことが示された。

 以上、本論文はマウス卵巣においてAd4BP/SF-1が卵胞発育に、Dax-1が卵胞閉鎖に関わっている可能性をはじめて示唆した。卵巣におけるAd4BP/SF-1、Dax-1の発現パターンとその役割はこれまで全く知られておらず、特にDax-1が卵胞閉鎖ないしアポトーシスの機能的な意味での「実行」を司っていることが推測されたことは、今後の卵巣におけるアポトーシスやステロイド合成といった領域の研究に貴重な手がかりを与えると考えられる。以上より、本論文は学位の授与に値すると判断された。

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