学位論文要旨



No 117368
著者(漢字) 堤,修一
著者(英字)
著者(カナ) ツツミ,シュウイチ
標題(和) 遺伝子発現プロファイルを用いた腫瘍の分類に関する研究
標題(洋)
報告番号 117368
報告番号 甲17368
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1976号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橋都,浩平
 東京大学 助教授 辻,浩一郎
 東京大学 助教授 真船,健一
 東京大学 講師 鄭,子文
 東京大学 講師 林,泰秀
内容要旨 要旨を表示する

<背景>

ヒトゲノムの配列解読の進展やcDNAの解読に伴い、ヒトの遺伝子数はスプライシングを考慮しなければ、3万から4万と推定されるに至った。また、ヒトの組織の遺伝子発現情報を網羅的に取得する手法として、マイクロアレイ技術は広い分野で使用されるようになってきた。特に高密度オリゴヌクレオチドアレイは対照検体を必要とせず、鋭敏な測定ができる反面、データの信頼性の解析が必要となる。しかし、このような基礎的研究は多くはない。腫瘍組織の遺伝子発現プロファイルは多ければ多いほど、情報として有用となるはずであるが、十分な種類のヒトの組織や腫瘍の遺伝子発現プロファイルデータがあるとは言えない状況である。また多量のデータはその量が増大するにしたがって、取り扱いも苦慮することになる。今研究は高密度オリゴヌクレオチドアレイを使用して、ヒト組織の個々の遺伝子発現プロファイルと混合されたRNAから得られた遺伝子発現プロファイルを比較した。その結果、遺伝子発現の測定スコアと遺伝子量について、ある程度の線形性が認められることを示した。また、遺伝子発現を示すスコアの信頼できる区間を示した。多量のプロファイルデータから注目すべき遺伝子群抽出ための一つのアルゴリズムを示した。その上で、白血病細胞株や固形腫瘍など腫瘍組織の発現プロファイルを得て、プロファイル情報のみからの腫瘍組織の判定のために遺伝子抽出を行った。

<材料と方法>

1.ヒトの正常肝・肝硬変・肝細胞癌各8例のトータルRNAからAffymetrixのGeneChip法を用いて約12600の遺伝子発現プロファイルを得た。また正常肝・肝硬変・肝細胞癌・C型肝炎ウイルス(HCV)感染肝硬変・HCV感染肝細胞癌の各グループについてトータルRNAを等量ずつ混合させたプールサンプルを作製し、プールサンプルからも遺伝子発現プロファイルを得た。

2.加えて、肝芽腫8例、正常肝2例、慢性肝炎6例、肝硬変2例、肝細胞癌17例を得て同様にGeneChip法により遺伝子発現プロファイルを得た。

3.クラスター解析とは、類似したパターンを隣接するように分配する方法である。類似度に応じて階層または樹形図を形成する階層型クラスター解析を1.および2.の個々のプロファイル全てを対象に施行した。

4.肝硬変・肝炎の個々の遺伝子発現プロファイルをHCV感染群、HBV感染群の2群に分け、各群に特異的に発現している遺伝子を抽出し、その統計的有意性について検証した。

5.t(4;11)を有する急性リンパ球性白血病(ALL)細胞株3種、t(11;19)を有するALL細胞株3種からGeneChip法を用いて約6000の遺伝子発現プロファイルを得た。また、同型のmicroarrayを使用しているWhiteheadの公開データから得られたALL27例・急性骨髄性白血病(AML)12例の遺伝子発現プロファイルを元にして、ALL細胞株を未知のサンプルとして遺伝子発現からの判定を行った。

<結果>

1.混合サンプルにおける発現プロファイルの解析

GeneChip法では遺伝子発現の値として、単一のスコア(Avg Diff)

が得られる。個々の発現プロファイルは同じ組織型の中でもある程度のばらつきを生じていた。個々のプロファイルからグループ毎に線形平均をとり、平均プロファイルを作成し、プールサンプルのプロファイルと比較した。平均プロファイルとプールサンプルのプロファイルは非常に良い相関を示した。閾値以下として切り捨てるAvg Diff値が示され、加えてAvg Diff値の精度を上げるための新たなAvg Diff値の算出法を示した。

2.多種類サンプルの発現プロファイル解析

遺伝子発現のパターンを元にサンプルの類似性から分類すると、腫瘍と非腫瘍で最も大きく分かれた。また、同じ組織型の腫瘍は隣接して分類される傾向を認めた。慢性肝炎・肝硬変群のみでサンプルをクラスター解析すると、HCV感染とHBV感染で主にクラスターが分かれ、統計的にも有意であった。しかし、肝細胞癌の遺伝子発現プロファイルはHCV感染群とHBV感染群では、非腫瘍部ほど有意な遺伝子発現の差は認められなかった。

3.遺伝子発現パターンによる未知のサンプルの判定

Whiteheadより得られた39例の遺伝子発現プロファイルと判定のための遺伝子リストを用いたALL細胞株の判定は、1例が判定不能、5例がALLという結果であった。遺伝子発現情報だけから組織を判別する可能性が示唆された。また、対照サンプルを必要としない、GeneChip法ではデータの互換性があることも示唆された。

<考察>

相補的なDNAやRNAが互いに結合する原理を利用したマイクロアレイ法は、多数の遺伝子の発現を同時に測定する方法として開発された。測定されたデータも他方法にて検証され、遺伝子発現量への相関性が認められるに至っている。GeneChip法に代表される高密度オリゴヌクレオチド法はマイクロアレイの一種であるが、6〜16対の25merプローブの組と独自の計算方法により、実験に対照サンプルを必要とせず単一な数値が得られる。データの信頼性としてそれぞれの遺伝子について、発現の差が2倍以上を有意な差として解析されることが一般的であった。またクラスター解析など、データの類似性を元にして腫瘍を分類する手法は、広く行われるようになってきた。

1.アレイデータの信頼性

GeneChip法は、Avg Diff値は、遺伝子の発現量に応じて相関する値となることが一部のプローブで報告されている。様々な値をとるプローブのAvg Diff値の線形平均と、平均量存在していると考えられる遺伝子のAvg Diff値が非常に近い値をとることは、プローブが対応する遺伝子の発現量に線形性をもってAvg Diff値を示すことを示唆している。また、精度を上げるためにプローブの組を構成している25merプローブ対への新たな処理方法を示した。

2.多種類サンプルの遺伝子発現情報解析

クラスター解析により、概ね組織型にしたがってサンプルが分類された。慢性肝炎・肝硬変群内においては、HCV感染とHBV感染で遺伝子発現のパターンが統計的に異なっていた。またHCVで高く発現している遺伝子はインターフェロン関連遺伝子群で、過去の報告と矛盾しない結果となった。

3.遺伝子発現プロファイルによる未知のサンプルの判定

細胞株であり、かつMLL再構成のある今回のサンプルは、判定にはやや不適当であったが、6例中5例がALLと判定された。また通常のマイクロアレイ実験では難しいとされるデータの互換性も示された。

マイクロアレイ法より得られる遺伝子発現プロファイルには、精度や解析方法で多くの改良が今もなされているが、本研究により一つのデータ取り扱い方法が示されたと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は細胞内の転写産物(mRNA)の発現を網羅的に測定する技術である、マイクロアレイ法を用いて、腫瘍組織の持つ分子生物学的な特徴を明らかにし、マイクロアレイ法の結果のみから腫瘍を判定しようと試みたものである。ヒトの肝細胞癌、肝芽腫、非癌肝組織、白血病細胞株から約1万ないしは約7000遺伝子のmRNAの相対量を網羅的に測定(遺伝子発現プロファイル)し、以下の結果を得ている。

 1.等量ずつ混合された転写産物(トータルRNA)と各検体のトータルRNAを共にマイクロアレイ法の一つであるGeneChip法で解析した。解析結果から約1万のプローブ中、発現値が充分な値を示す約4000のプローブでは、遺伝子の発現に線形性をもって測定値が得られることが示唆された。また、信頼性をもつ測定値の範囲を示した。

 2.正常肝、肝炎、肝硬変、肝細胞癌、および肝芽腫から得られた遺伝子発現プロファイルをその類似性から比較し、検体の類似度に応じて樹形図を示した。腫瘍部と非腫瘍部で全く異なる遺伝子発現パターンを示していることが示唆された。肝芽腫の2つのタイプ(pure fetal type, embryonal type)では組織型に応じて2つのグループにそれぞれ分類された。一方で、肝細胞癌の遺伝子発現プロファイルは低分化型では同じグループになるものの、他の分化型と遺伝子発現プロファイルとは一致せず、腫瘍の持つ多面性を示すものであった。

 3.16例の肝炎、肝硬変組織における遺伝子発現プロファイルの類似性に応じた樹形図では、大きく2つのグループに分かれることが示された。一方のグループではB型肝炎ウイルス(HBV)感染が8例中7例を占め、もう一方ではC型肝炎ウイルス感染が8例中7例であり、ウイルス感染による変化が多数の遺伝子群で起こっていることが示された。各群内で変動が少なく、かつ2つの群間で発現の異なる遺伝子を計算し(Neighborhood Analysis)、群に特異的に発現している遺伝子を抽出した。HCV感染肝組織群とHBV感染肝組織群で、前者に高く後者に低い発現の遺伝子群40個の中で12までがインターフェロン関連の遺伝子であり、インターフェロンとHCVでの関連性を示唆する結果であった。

 4.急性骨髄性白血病(AML)と急性リンパ球性白血病(ALL)の39の遺伝子発現プロファイルからNeighborhood Analysisを用いて、各群に特異的に発現している遺伝子を選択した。その遺伝子群を用いて、未知のサンプルとしたALL細胞株の判定を行った。重みつき投票法では5例中4例を正確に判定することができた。

 以上、本論文はマイクロアレイ法の一つを用いて多数・多種の検体においての遺伝子発現を網羅的に測定した結果の解析から、肝組織、肝細胞癌、肝芽腫の遺伝子発現パターンの特徴や同群に特異的に発現する遺伝子を示した。また、遺伝子発現プロファイルのみの情報から腫瘍を判定できる可能性を示した。本研究において行われた腫瘍の網羅的遺伝子発現データは未知に等しく、解析法においても腫瘍内で起きている様々な変化を解明するために重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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