学位論文要旨



No 117373
著者(漢字) 前間,篤
著者(英字)
著者(カナ) マエマ,アツシ
標題(和) 胃壁に対する空間選択的レーザー凝固療法の開発
標題(洋) Spatially Selective Laser Coagulation of the Gastric Wall : a New Methodology
報告番号 117373
報告番号 甲17373
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1981号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上西,紀夫
 東京大学 教授 名川,弘一
 東京大学 教授 井街,宏
 東京大学 講師 川邊,隆夫
 東京大学 講師 川端,康浩
内容要旨 要旨を表示する

「はじめに」胃集団検診の普及によって、本邦においては近年全胃癌に占める早期胃癌の比率は上昇しつつある。それにともない、症例に応じて単に治癒のみならず術後QOLの向上を重視した低侵襲治療法が選択されるようになってきており、内視鏡下粘膜切除術(Endoscopic Mucosal Resection : EMR)がminimally invasive treatmentのひとつとして、主に2cm以下のm癌に対し行われるようになった。一方、EMR適応外の早期胃癌に対しては現在も原則的に外科的切除が行われており、郭清範囲の一部省略等の縮小手術が行われるようになってきているものの、EMRと比較すると肉体的負担・術後QOLの面で依然大きな差異が存在している。

 著者らは、早期胃癌に対する新しい低浸襲治療法の開発を目的とし、生体組織に対する透過性に優れた近赤外線領域のレーザーを胃漿膜側から照射し、同時に照射対象となる胃漿膜表面の冷却を組み合わせることによって、漿膜側組織を保護しつつ粘膜側組織を選択的に熱凝固させる新しいレーザー照射システムを考案した。本研究では、この着想に基づいた新しいレーザー照射装置の開発と、効果・安全性を評価するための基礎実験を行った。

「レーザー照射装置開発」レーザーは、波長980nmのNd : YAGレーザー(FYL-M1:富士写真光機株式会社)及び半導体レーザー(NQ101:日本赤外線工業株式会社)を採用した。漿膜側からレーザーを照射しつつ漿膜・筋層を熱損傷から保護するためには、レーザー照射と組織表面冷却を完全に同期させて施行することが必要であるため、組織表面冷却とレーザー照射の両システムを一体に組み込んだレーザー照射装置を独自に開発した(図1)。全体はシリンダー状、装置先端に熱伝導性に優れたサファイアレンズを備え、このレンズは装置内部を環流する冷却水(4.0℃)によって常に冷却される。レーザー光は、装置内部に固定したレーザーファイバー先端から発射され、サファイアレンズを介して標的組織に照射される。対象となる組織表面にこのサファイアレンズを接触させつつ照射すれば、組織表面を常時冷却しつつレーザーを照射することが可能となった。

「STUDY1.予備実験」開発したレーザー照射装置の、組織表面温度上昇の抑制効果及び組織深部温度の上昇効果を検証するため、牛食肉を用いて組織内部温度変化を測定する予備実験を施行した。

方法:内部の複数の位置に熱電対を正確に挿入した牛食肉に対し、Nd : YAGレーザーを出力5.0,7.5,10.0wで200秒間連続照射した。熱電対から得られた試料表面及び内部温度のデータをもとに、内部温度のシミュレーションカーブをパソコンによって作図した。

結果:いずれの照射出力においても、照射した試料表面の温度は30℃以下に抑えられていた。また、表面から約2mmの深度をピークとする組織内部の温度上昇を示し、最高温は5.0,7.5,10.0wでそれぞれ約50,80,100℃に達した。これらの結果から、本レーザー照射装置によって対象組織表面を保護しつつ内部温度のみを上昇させることが可能であることが明らかになった。また、組織内部の蒸散を防ぎつつ有効に熱凝固させるためには、5.0wでは出力不足で、10.0w以上では出力過剰となると考えられた。

「STUDY2.動物実験」生体胃に対する熱凝固効果・安全性を、体重16〜23kgの成犬8頭を使用して確認した。

方法:全身麻酔下に上腹部正中切開にて開腹し、胃内観察のため経口的に内視鏡を挿入した。照射ポイントは胃体部の腹側胃壁とし、一つの胃につき数箇所、互いの間隔を2cm以上あけて照射した。照射装置のサファイアレンズ全面が標的となる胃壁漿膜に接触するように、装置を垂直に接触させた。出力は6.0,8.0,10.0w、照射時間は50,100,200秒とした。さらに、過照射に対する安全性を確かめるために、出力10.0wで照射時間を300,400秒に延長した照射条件も施行した。照射実験終了後、麻酔から覚醒させた。術後は食餌を自由に摂らせ、7日後安楽死させ胃を摘出した。照射ポイントの漿膜・粘膜両面に生じた変化の有無を観察した後ホルマリンにて固定、組織学的検査を行った。照射効果判定は、粘膜層と粘膜下層の全層が蒸散・凝固変性している場合を「良好」とした。熱的損傷の深達度は、損傷最深部と漿膜との最短距離(Minimal Distance : MD)で評価した。また、固有筋層の何%がダメージを受けているかも記録した(%External Muscle Layer Damage : %EMLD)。

結果:1.術中所見一頭につき8〜20ヶ所胃漿膜面にレーザー照射した(合計91ヶ所)。内視鏡下に粘膜が照射開始後より徐々に凝固・炭化していくのが観察された。一方、照射した漿膜面には、わずかな発赤を認めるものの明らかな熱損傷を認めなかった。胃穿孔は一例も生じなかった。

2.剖検時所見8頭とも術後7日間生存し、剖検時に胃穿孔を疑う所見は認めなかった。照射ポイント漿膜には明らかな変化を認めず、一方照射ポイントの粘膜面には直径3〜15mmの潰瘍様の円形粘膜欠損を認めた。

3.組織学的所見レーザー照射によって生じた変化は標本割面上、粘膜寄りに生じた円弧状の熱凝固変性部として観察された(図2)。10.0w-400sの照射条件以外は熱損傷が胃壁全層を貫通することはなく、漿膜及び少なくとも漿膜寄りの固有筋層の一部が損傷を免れていた。8.0w-200s及び10.0wと100s以上の照射時間を組み合わせた照射条件では、全例において粘膜層・粘膜下層ともに全層脱落もしくは熱凝固していた(表1)。10.0w-400sの条件では、9例中6例において固有筋層を貫通する熱凝固変性を認めたが、組織学的にも穿孔の既往を疑わせる所見は認めなかった。

「結論」照射条件を適切に設定した場合、組織表面冷却を同期させて胃漿膜にレーザーを照射すれば、漿膜及び固有筋層を保護し穿孔を起こすことなく、粘膜層・粘膜下層の全層を熱的に破壊させることが可能であると考えられた。この照射装置によるレーザー照射は腹腔鏡下においても可能と考えられ、装置や照射条件設定等に未だ改良の余地を残すものの、将来的にはこれまで切除以外の治療が困難であった粘膜下層に浸潤した早期胃癌に対する新しい低浸襲治療となる可能性が考えられた。

粘膜は欠損し、その直下の粘膜下層は全層が熱変性しており照射効果は「良好」と判定。漿膜及び漿膜寄りの固有筋層には損傷を認めず(矢印は損傷最深部)。

表1 照射効果及び壁内損傷深度評価

図1.レーザー照射装置

図2.照射部位割面

HE染色(×3)照射条件:10.0w 50s MD : 16mm %EMLD : 41% 照射効果:良好

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は早期胃癌に対する新しい低浸襲治療法の開発を目的とし、近赤外線領域のレーザー(波長980nm)による胃漿膜側からのレーザー照射と照射対象となる胃漿膜表面の冷却を組み合わせることによって、漿膜側組織を保護しつつ粘膜側組織を選択的に熱凝固させる新しいレーザー照射システムを考案し、実験的にその照射効果・安全性を検証したものであり、下記の結果を得ている。

1.レーザー照射と照射対象組織表面の冷却を同時に可能とする、表面冷却機構を内蔵した円筒状のレーザー照射装置を独自に開発した。装置のレーザー射出側先端には熱伝導性に優れた人工サファイア製のレンズを装着し、装置内部を循環する4.0℃の冷却水によりこのサファイアレンズが常時冷却されるようにした。この照射装置を用いて、レンズを照射対象となる生体組織に接触させつつレーザーを照射することにより、レーザー照射と組織表面冷却が同時に施行可能となった。

2.牛モモ肉を照射対象試料として内部温度変化を測定しつつレーザーを照射、照射出力5.0,7.5,10.0wで200秒間連続照射を行ったところ、いずれも照射した試料表面の温度は30℃以下に抑えられた。また、表面から約2mmの深度をピークとする組織内部の温度上昇を示し、10.0wでは最高100℃にまで達することが明らかになった。

3.生体胃に対する照射効果・安全性を確かめるため犬を用いた動物実験を施行し、照射出力6.0,8.0,10.0wに照射時間50,100,200,300,400sを組み合わせてレーザー照射を行った(全8匹、91ヶ所)。照射した漿膜には肉眼的に明らかな熱的損傷を認めず、粘膜側には円形の明瞭な凝固斑を生じた。照射部位の穿孔は一例も認めなかった。

4.照射実験を施行した犬はすべて術後7日目まで生存し、消化管穿孔を疑わせる所見は認められなかった。照射を施行した漿膜表面には7日後も明らかな肉眼的変化は認められず、一方粘膜側には円形の粘膜欠損部が認められた。

5.照射部位を組織学的に検討したところ、10.0w-400sの照射条件以外は全例において熱的損傷が胃壁全層を貫通することはなく、漿膜及び漿膜寄りの固有筋層の少なくとも一部が損傷を免れていた。粘膜層は脱落しており、粘膜下層にも熱凝固による変化が生じていたが、10.0w-100s等、照射を施行したすべての例において脱落した粘膜層直下の粘膜下層全層が完全に熱凝固する照射条件が存在した。

6.本レーザー照射システムは接触照射法を採用しているため組織内部に深達する光エネルギーはほぼ一定していると考えられる。そのため、照射条件に応じて照射効果はある程度一定しており、適切に照射条件を設定すれば確実に粘膜層及び粘膜下層を熱凝固させることが可能と考えられた。

 以上、本論文は照射する胃漿膜表面の冷却を施行しつつ胃漿膜側からレーザーを照射することによって、漿膜側の壁内組織を保護しつつ粘膜側組織を選択的に熱凝固させることが可能であることを明らかにした。本研究はこれまで切除以外の治療が困難であった、粘膜下層に浸潤した早期胃癌に対する新しい低浸襲治療となる可能性が考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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