学位論文要旨



No 117380
著者(漢字) 武藤,智
著者(英字)
著者(カナ) ムトウ,サトル
標題(和) Pkd1遺伝子欠損マウスの解析
標題(洋)
報告番号 117380
報告番号 甲17380
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1988号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 小児科教授 五十嵐,隆
 東京大学 内分泌病態学教授 藤田,敏郎
 東京大学 腎臓内科学助教授 後藤,淳郎
 東京大学 泌尿器科学助教授 本間,之夫
 東京大学 保健センター講師 引地,尚子
内容要旨 要旨を表示する

 常染色体優性遺伝性多発性嚢胞腎autosomal dominant polycystic kidney disease(ADPKD)は遺伝性腎疾患のなかで最も頻度が高く、腎臓に嚢胞が多発し半数の患者は終末期腎不全となる。腎臓以外では肝臓、膵臓、卵巣、甲状腺にも嚢胞を認め、心臓には僧帽弁逆流、大動脈弁逆流を認める。また、血管病変としては高血圧や動脈瘤を生じる。ADPKDの患者の85%は16p13.3に位置する遺伝子PKD1の異常により発症し、15%は4q21-23に位置する遺伝子PKD2の異常により発症する。PKD1はcDNAサイズ14.5kbの極めて巨大な遺伝子であり、遺伝子産物のpolycystin-1は460K Daの巨大な蛋白である。

 ADPKDにおける症状は、腎嚢胞のみならず肝、膵嚢胞、大腸憩室、頭部および腹部大動脈瘤など、全て正常な管腔構造が何らかの原因により拡張しておこることから、細胞外器質と細胞、もしくは細胞間接着の異常が主体をなすと考えられる。そこで本論文においては、ヒトPKD1遺伝子のマウスホモログであるPkd1 5'欠損マウス胎仔の表現型およびその発現機序について分子生物学的,組織化学的検討を行った。

 マウス胎仔のホモ欠損マウスは胎生14.5日から著しい浮腫、全身出血、羊水過多、顎形成異常を生じ胎生致死であった。

 ホモ欠損マウスの胎生致死の原因について検索するため、胎仔心臓を組織学的に検索した。ホモ欠損マウスには心臓神経堤細胞の移動の異常を示唆する心室中隔欠損ventricular septal defect(VSD)および大動脈騎乗Double Outlet of Right Ventricle(DORV)が認められた。これらの異常は野生型では認められず、ホモ欠損マウスの胎生致死との関与が示唆された。polycystin-1のc端には内因性のβ-cateninを安定化させる作用があり、またβ-cateninの心臓神経堤細胞の分化への関与も以前から指摘されている。したがって、ホモ欠損マウスではpolycystin-1の欠損のためにβ-cateninが不安定となり、VSDやDORVといった表現型が引き起こされていると考えられる。そこで、胎仔心臓でのβ-cateninの発現を、ホモ欠損マウスと野生型で比較したところ、ホモ欠損マウスが野生型と比べて57.8%に低下し、またβ-cateninの標的遺伝子であるc-MYCの発現も野生型と比べて25.2%に低下していた。

 Pkd1ホモ欠損マウスにみられた総動脈管形成異常は心臓神経堤細胞の異常な遊走に起因し、endothelin-1(ET-1)欠損マウスにおいても認められる。polycystin-1は神経堤細胞由来臓器においても発現が認められるため、polycystin-1がET-1のsignaling pathwayに関与している可能性があると考えられる。ET-1はERKを活性化することが知られている。そこで、ET-1に誘発されるERKの活性化におけるpolycystin-1の関与をmouse embryonic fibroblast(MEF)を用いて検討した。endothelin receptor A、Bの発現は野生型とホモ欠損MEFの間で差を認めなかった。ERK gel shift assayでは野生型がET-1刺激により急速なERK2のリン酸化を認めたのに対して、ホモ欠損MEFではERK2のリン酸化が減弱しており、ET-1を介するERKの活性化にpolycystin-1が関与すると思われた。

 ホモ欠損マウスにおいては、尿細管が成熟を始める胎生15.5日頃から腎嚢胞の形成が認められ、胎生16.5日以降ではホモ欠損マウス全例に嚢胞が観察された。野生型およびヘテロ欠損マウスには嚢胞は認められなかった。また、胎仔腎臓でのβ-cateninの発現は、心臓と同様にホモ欠損マウスが野生型と比べて67%に低下していた。

 尿細管上皮の成熟と機能分化にはcadherin依存性の細胞間接着が必要であるため、cadherinの発現低下がADPKDにおける嚢胞発生の原因の一つとされている。そこで胎仔腎尿細管上皮におけるE-cadherinの発現を、免疫蛍光染色にて野生型と比較した。野生型では尿細管細胞の細胞−細胞間、基底側ともにE-cadherinの強い発現を認めたのに対して、ホモ欠損マウスでは細胞−細胞間における発現は比較的保たれていたものの、基底側における発現は著明に減少していた。また、ホモ欠損マウスの嚢胞でも細胞−細胞間、基底側ともに発現は減少していた。E-cadherin以外のadherens juncionsの構成成分の一つにPECAM-1(CD31)がある。このPECAM-1についても発現を比較したところ、E-cadherinと同様に野生型と比べてホモ欠損マウスでは基底側における発現が著明に減少していた。

 嚢胞発生は、tyrosine kinaseの活性化による細胞増殖の亢進や脱分化に特徴づけられる。Epidermal growth factor receptor(EGFR)はADPKDにおいて過剰発現していることが知られている。また、hepatocyte growth factor(HGF)も嚢胞発生に関与し、HGF/c-METシグナルの過剰発現により嚢胞が発生することが遺伝子導入マウスにおいて示されている。Gab1はtyrosine kinase受容体であるc-Metの下流に位置し、ERK2を調節する重要なtyrosine-phosphorylated docking proteinであり、管腔形成に重要な役割を果たすことが知られている。そこで胎生16.5日マウス腎臓でのGab1リン酸化を野生型と比較したところホモ欠損マウスでは著明に亢進していた。また、MEFをHGFで刺激した場合、野生型ではGab1のリン酸化に変化を認めなかったが、ホモ欠損MEFでは著名なリン酸化の亢進を認めた。

 以上の結果から、polycystin-1はβ-cateninやcadherin、MAPK、tyrosine kinaseといった分子を介して、心臓および腎発生において重要な役割を果たしていることが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究はADPKDの原因遺伝子であるPKD1の遺伝子産物であるpolycystin-1の発生における役割を明らかにするために、Pkd1遺伝子欠損マウス(Pkd1(del2-6))を用いた解析を行い下記の結果を得ている。

1.Pkd1(del2-6)は全身の浮腫、出血、顎形成異常、羊水過多を認め胎生14.5日から胎生致死であった。野生型およびヘテロ欠損型では胎生致死を認めなかった。

2.Pkd1(del2-6)では心奇形(総動脈管発生異常)を認めた。

 a) 心臓神経堤細胞の移動の異常を示唆する両大血管右室起始症、心室中隔欠損症を認めた。

 b) 胎生12.5日胎仔心臓におけるβ-cateninとc-MYCの蛋白レベルが有意に低下していた。

 c) extracellular signal-regulated kinase(ERK)/mitogen-activated protein kinase(MAPK)gel shift assayにおいて、胎児線維芽細胞でのendothelin-1および高浸透圧刺激に対する応答としてのERKリン酸化が低下していた。

3.Pkd1(del2-6)では胎生15.5日以降に腎嚢胞形成を認めた。

 a)Pkd1(del2-6)では胎生16.5日以降全例に腎嚢胞形成を認めた

 b)胎生16.5日胎仔腎臓におけるE-cadherin、PECAM-1とβ-cateninの蛋白レベルが低下していた。

 c)尿細管上皮細胞でのE-cadherin、PECAM-1とβ-cateninの局在の異常が認められた。

 d)胎生16.5日胎仔腎臓および胎児線維芽細胞でのチロシンキナーゼ型受容体docking moleculeであるGab1のリン酸化が恒常的に亢進していた。

 以上、本論文はPkd1遺伝子欠損マウスにおいて、(1)Wnt pathway、(2)MAPK、(3)チロシンキナーゼの情報伝達系の異常が胎仔の心臓および腎臓において認められたことから、polycystin-1が心臓および腎臓の発生にこれらの分子を介して関与していることを明らかにした。本研究はこれまで未知に等しかったin vivoでのpolycystin-1の機能の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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