学位論文要旨



No 117387
著者(漢字) 内田,源太郎
著者(英字)
著者(カナ) ウチダ,ゲンタロウ
標題(和) レチノイドを用いたケロイド治療に関する基礎的および臨床的研究
標題(洋)
報告番号 117387
報告番号 甲17387
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1995号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 玉置,邦彦
 東京大学 教授 堤,治
 東京大学 教授 安藤,譲二
 東京大学 講師 川端,康浩
 東京大学 講師 玉置,泰裕
内容要旨 要旨を表示する

I.本研究の背景

 ケロイドに対しては、現在、様々な治療方法が用いられているが、いずれも満足すべき治療効果が得られてはおらず、おそらくそれは、創傷治癒過程逸脱のメカニズムの詳細が全く不明であることによる。そもそもケロイドおよび肥厚性瘢痕は膠原線維の塊であり、正常創傷治癒過程のような膠原線維の産生と分解のバランスが失われている。ケロイド組織においては蛋白レベルにおけるtype III collagenの過剰な沈着と、生合成におけるtype I procollagen mRNA亢進がこれまで報告されており、一見不整合であるが今日まで全く議論されおらず、未だ不明である。collagen分解レベル、特にtype III collagen分解過程に異常が生じているのであれば、説明がつきそうであるが、ケロイド組織におけるコラーゲン分解活性に関する報告は、変化無し、低下している、亢進している、とまちまちであり、collagenaseのtype別にはっきりと活性の変化を報告している文献は存在しない。collagenaseは現在では、細胞外基質成分(extra-cellular matrix : ECM)を分解する一連の相同性がきわめて高い酵素群、すなわちmatrix metalloproteinases(MMPs)に分類されており、MMP-1 (collagenase 1)、MMP-8 (collagenase 2)、MMP-13 (collagenase 3)の3種類が知られている。MMP-1はtype III collagenに対する分解活性が高く、type I collagenに対する分解活性も若干認められる。一方MMP-8は対照的にtype I collagenに対する分解活性が高く、type III collagenに対する分解活性も若干認められる。MMP-13は最近発見されたcollagenaseで、type II・collagenを含む全てのcollagenを分解する。

 ケロイドが、collagenase活性上昇群に属するのか、collagenase活性低下群に属するのかという問題は、治療の方向性に関わる大問題であるが、この点に関する定説は全く確立していない。

 われわれは、ケロイドの周囲皮膚への浸潤においてもこうした細胞外基質の分解亢進は当然生じているはずであり、ケロイド組織においてもMMPsの産生亢進が生じており、このことが、ケロイド組織の高い代謝活性や、疼痛・掻痒感といった持続する慢性炎症症状形成に関与しているのではないかという仮説を立て、今回、ケロイド由来線維芽細胞と正常線維芽細胞におけるMMPs産生をmRNA産生レベルおよび蛋白レベルで比較することを試みた。

 ケロイド・肥厚性瘢痕は皮膚表面の局所的疾患であり、薬剤を全身投与するよりは局所投与を行う方が薬物動態の観点からすると望ましいことは言うまでもない。そこでわれわれは局所塗布が可能で、局所塗布で使用している分には不可逆的な副作用も知られておらず、一定の効果が期待できる薬剤として、レチノイドに注目した。

 ケロイド・肥厚性瘢痕に対するレチノイドの局所塗布療法の歴史は実は古く、Janssen de Limpens、Hansen、Panabiere-Castingsらの臨床使用の報告が存在する。だが、これらの報告は、レチノイドの作用機序がほとんど解明されていなかった時期のもので、有効性の客観的な判定がなされておらず、当然、基礎的な裏付けや考察も加えられていない。そしてその後しばらくの間、忘れられた治療法となっていた。

 しかしながら、1980年代に、それまで非常に生命予後の悪かった急性前骨髄性白血病の特効薬として、all-trans retinoic acid (atRA; tretinoin)を用いた分化誘導療法が報告されて以降、俄然、レチノイドの臨床応用および作用機序解明の分野の進歩が加速した。一方、悪性腫瘍治療の分野においては、癌細胞の局所浸潤能および遠隔転移能とMMPs活性の相関が報告されており、この高いMMPs活性を抑制し癌細胞の進展を抑制する化学予防療法(chemoprevention)の手段として、レチノイドは注目されている。特に皮膚悪性腫瘍にとっては細胞外基質の分解は局所浸潤および遠隔転移の第一段階であるため、悪性黒色腫・基底細胞腫・扁平上皮癌のchemopreventionを目的として基礎的・臨床的研究が行われており、これらの腫瘍細胞におけるin vitroでのMMP-1やMMP-13のレチノイドによる活性の抑制が報告されている。

 ケロイドの周囲皮膚への浸潤においてもこうした細胞外基質の分解亢進は当然生じているはずである。我々はケロイド組織においてもMMPsの産生亢進が生じており、ケロイド組織の高い代謝活性や、疼痛・掻痒感といった持続する慢性炎症症状形成に関与しているのではないかという仮説を立て、今回、ケロイド由来線維芽細胞と正常線維芽細胞におけるMMPs産生をmRNA産生レベルおよび蛋白レベルで比較することを試みた。さらに、tretinoinを培地に加えた際にMMPs産生に対して変化が起こるか否かの検討を行った。

 一方、実際の臨床の場において、tretinoin外用療法を行い、ケロイドの自覚症状および他覚症状に対する効果および副作用に関する検討を行った。

II.方法

 基礎的研究の対象は、臨床的にケロイドと判定された12例(以下ケロイド群)の臨床材料を検体とし、正常対照群としては、形成手術施行中に余剰となった正常皮膚のうち、ケロイド群の好発部位であった前胸部・肩甲部・背部・上腕部より採取した12例の臨床材料を検体とし、同様に真皮線維芽細胞を初代培養した。いずれも2-4回継代した細胞(P3-5)を実験に供した。これらの細胞培養系におけるMMP-1、8、13の発現状態、tretinoin (10-6M)を添加した際の経時的変化を、mRNAレベルについてはReal-time PCRを用い、蛋白レベルについてはELISA法を用い、定量的に解析を行った。

 臨床的研究の対象は、ケロイド18名27部位、肥厚性瘢痕9名11部位であった。前処置の違いにより、各々を非切除群、全切除群、部分切除群に分類し、tretinoin水性ゲルを1クール8-12週間、1日2回綿棒で塗布するよう指導した。非切除例・部分切除例・全切除例ともに、tretinoin水性ゲル塗布開始前後に病変範囲の計測(面積・隆起状態)を行い変化を分析した。さらに、自覚症状(疼痛・掻痒感)の変化、および副作用発現の有無について調査した。

III.結果

 ケロイド由来線維芽細胞においては、正常真皮線維芽細胞と比較して、mRNAレベルにおいても蛋白レベルにおいても、MMPs-1、8の発現低下およびMMP-13の発現亢進が認められた。培地に10-6Mのtretinoinを添加したところ、mRNAレベルについては、正常線維芽細胞において、12時間後にMMPs-1、8の発現亢進が認められ、MMP-13については著明な変化は認められなかった。一方、ケロイド由来線維芽細胞においては、MMP-13の著明な発現抑制が認められた。蛋白レベルにおいてもtretinoinを添加して96時間後に、同様の傾向が確認された。

 臨床使用の結果、非切除群および部分切除群において、有意な面積縮小効果および平旦化の効果は認められなかった。しかしながら、自覚症状(疼痛・掻痒感抑制効果)改善効果については、全ての症例を総合すると、89.4%ときわめて高い有効性が認められた。

 治療に伴い出現した副作用・後遺症としては、紅斑・落屑形成といった皮膚炎症状が97.4%の部位に、糜爛形成が36.8%の部位に、毛細血管拡張が42.1%の部位に、炎症後色素沈着が31.6%の部位に出現した。これらの副作用については、現在の技術で対処可能な可逆的なものであった。

IV.考察

 ケロイド由来線維芽細胞においては、なんらかの原因によりMMPs-1,8の発現が低下し、MMP-13の発現がこれらに代わって上昇しているために、MMPs-1,8の正常創傷治癒における過剰な膠原線維の吸収や上皮化促進といった機転に代わり、MMP-13の慢性潰瘍底におけるような周囲組織の改変機転がより強力に起こっていて、このことが、ケロイドの持続する慢性炎症や周囲健常皮膚への浸潤という症状の構成に関与している可能性が示唆された。

 培地にtretinoinを加えたことにより、正常真皮線維芽細胞においてはMMP-8の発現が有意な上昇が認められたが、ケロイド由来線維芽細胞においてはMMP-8の発現の有意な上昇および、MMP-13の発現の有意な低下が認められ、MMP-1の発現には影響を与えなかった。この実験結果により、tretinoinが、ケロイドの持続する慢性炎症や周囲健常皮膚への浸潤という症状の改善に有効である可能性が示唆された。

 臨床的研究の結果より、tretinoin塗布療法は積極的にケロイドの膠原線維沈着を吸収させるといった平坦化・萎縮化を志向する動的な治療法ではなく、むしろ、拡大・再発防止、疼痛・掻痒感の緩和といった静的な治療法であることが示唆された。しかしながら、広範囲な病変に対しても使用可能であること、予想される副作用のかなりの部分が現在の技術で対処可能であるといった大きな利点を持ち、外科的療法・中間的療法と併用する際の保存的療法の選択肢の1つとしては有用であり、さらなる研究に値すると思われた。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は難治であるケロイドの、高い代謝活性、疼痛・掻痒感といった持続する慢性炎症症状形成、周囲への浸潤・拡大傾向といった問題に対し、局所の線維芽細胞にその原因を求め、ヒトケロイド由来初代培養線維芽細胞とヒト正常真皮線維芽細胞におけるmatrix metalloproteinases (MMPs)発現状況およびの解析および比較検討を行い、さらにこの実験系に対しall-trans retinoic acid (tretinoin)を添加した際に、MMPs発現状況に対して変化が起こるか否かの検討を試みたものである。併せて、実際の臨床の場において、tretinoin外用療法を行い、ケロイドの自覚症状および他覚症状に対する効果および副作用に関する検討を試み、以下の結果が得られた。

1.ケロイド由来線維芽細胞においては、なんらかの原因によりMMPs-1,8の発現が低下し、MMP-13の発現がこれらに代わって上昇しているために、MMPs-1,8の正常創傷治癒における過剰な膠原線維の吸収や上皮化促進といった機転に代わり、MMP-13の慢性潰瘍底におけるような周囲組織の改変機転がより強力に起こっていて、このことが、ケロイドの持続する慢性炎症や周囲健常皮膚への浸潤という症状の構成に関与している可能性が示唆された。

2.培地にtretinoinを加えたことにより、正常真皮線維芽細胞においてはMMP-8の発現が有意な上昇が認められたが、ケロイド由来線維芽細胞においてはMMP-8の発現の有意な上昇および、MMP-13の発現の有意な低下が認められ、MMP-1の発現には影響を与えなかった。この実験結果により、tretinoinが、ケロイドの持続する慢性炎症や周囲健常皮膚への浸潤という症状の改善に有効である可能性が示唆された。

3.臨床的研究の結果より、tretinoin塗布療法は積極的にケロイドの膠原線維沈着を吸収させるといった平坦化・面積縮小化を志向する動的な治療法ではなく、むしろ、拡大・再発防止、疼痛・掻痒感の緩和といった静的な治療法であることが示唆された。しかしながら、広範囲な病変に対しても使用可能であること、予想される副作用のかなりの部分が現在の技術で対処可能であるといった大きな利点を持ち、外科的療法・中間的療法と併用する際の保存的療法の選択肢の1つとしては有用であり、さらなる研究に値することが示された。

 以上、本論文は、これまで研究することが困難であるとされてきたケロイドについて、基礎・臨床の両側面よりアプローチし、病態解明およびレチノイドによる治療の可能性を提示した点で、重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク