学位論文要旨



No 117394
著者(漢字) 下赤,隆
著者(英字)
著者(カナ) シモアカ,タカシ
標題(和) インスリン受容体基質 : 1の骨折治癒における役割に関する研究
標題(洋)
報告番号 117394
報告番号 甲17394
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2002号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 江藤,文夫
 東京大学 教授 高戸,毅
 東京大学 助教授 五十嵐,徹也
 東京大学 助教授 門脇,孝
 東京大学 講師 岡崎,裕司
内容要旨 要旨を表示する

(要旨)IGF-Iおよびインスリンは重要な骨・軟骨代謝調節因子であることが知られており、その両者の受容体キナーゼ基質であるインスリン受容体基質−1(Insulin receptor substrate-1 : IRS-1)は、これらの細胞内情報伝達に必須の分子である。これまでの報告で、IRS-1の遺伝子欠損マウスでは、低回転型の骨粗鬆症を示し、長管骨は野生型より約20%短く、成長板では軟骨増殖細胞層の増殖障害がみられ早期に骨端軟骨が閉鎖していることがわかっている。このことからIRS-1シグナルの内軟骨性骨化への関与が示唆されたが、臨床的に重要な骨折治癒を代表とする骨再生における役割は不明である。本研究の目的は、形態学的、細胞生物学的手法によりIRS-1ノックアウトマウスにおける骨折治癒過程を野生型マウスと比較することによりIRS-1の骨折治癒過程での役割を解明することである。本研究では実験1でマウスの骨折モデルを確立し、このモデルを用いてIRS-1ノックアウトマウスと野生型マウスでの骨折部を組織学的に比較検討した。続いて免疫組織学的手法により形成された仮骨軟骨組織の基質、増殖・分化マーカー、局所因子の詳細な検討をおこなった。実験2では、マウスの成長板軟骨から軟骨細胞を分離する方法を確立し、この軟骨細胞の培養系を用いて、IRS-1ノックアウトマウスと野生型マウスの細胞レベルでの増殖能、分化能について比較検討した。

 実験1:8週齢のノックアウトマウスおよび野生型マウス(各n=25)の脛骨中央をbone sawにて骨切りの後、髄内釘で固定して骨折モデルを作成した。1週ごとにレントゲン及び骨密度を測定し10週まで観察した(内、各n=15)。他に骨折後1週、3週、6週に各マウスの脛骨を採取し組織学的・免疫組織化学的に検討した(内、各n=4、3、3)。野生型マウスで骨折部のX線像を経時的に観察すると、1週後から仮骨の形成が認められ、2、3週までに骨折部に旺盛な仮骨の架橋形成が起こり骨癒合が見られた。仮骨の大きさは、3週後がピークで、その後リモデリングによって小さくなっていった。

 骨折後3週でのX線像では、野生型マウスでは15例全例に大きな仮骨を伴って骨癒合が見られたが、ノックアウトマウスではそのほとんどは骨癒合がみられず偽関節を呈していた。レントゲン上での評価では15例中4例においてのみ骨癒合がみられたが、形成された仮骨は野生型に比べ大きさが小さく仮骨の硬化度も低下していた。骨癒合を経時的に観察すると、野生型マウスでは骨折後2週で15例中4例が骨癒合しており3週では全例が骨癒合していた。一方ノックアウトマウスでは2週で骨癒合しているものはなく3週でわずかに4例のみ骨癒合していた。その後は10週経過した時点でも残りの11例には骨癒合は認められず偽関節だった。

 骨密度測定器を使用して仮骨の大きさと仮骨の骨量を経時的に測定した。骨折後1週から4週で、ノックアウトマウスの仮骨は野生型の約半分の大きさだった。仮骨の骨量は骨折後2週から4週でノックアウトマウスが野生型マウスに比較し有意に低下していた。

 組織学的な両者の相違は骨折後1週の早い時期より明らかだった。骨折後1週では、野生型マウスでは骨折部周囲に旺盛な組織反応がみられ間葉系細胞が数多く集まっていたが、ノックアウトマウスの骨折部では全体的に組織反応が小さく出現する間葉系細胞の数も少なかった。骨折後3週では野生型マウスでは外骨膜部に旺盛な骨形成がみられたが、ノックアウトマウスでの骨折周囲での骨形成は少なく骨折間部には線維組織が介在し偽関節の状態だった。骨折後6週では野生型マウスでは骨癒合のリモデリングが完成し骨組織の連続性がみられた。一方、ノックアウトマウスでは骨折間部に線維組織がみられ偽関節を呈していた。

 トルイジンブルー染色およびX型コラーゲンによる免疫染色で骨折後1週の軟骨様組織を観察すると、トルイジンブルー染色ではノックアウトマウスの骨折部周囲はメタクロマジーを示していたが、野生型にはメタクロマジーは見られなかった。また、肥大化軟骨細胞の基質に特異的なX型コラーゲンの免疫染色では、野生型マウスでの軟骨様組織ではX型コラーゲンの局在が見られないのに対しノックアウトマウスではX型コラーゲンの局在がみられ肥大化軟骨細胞用の像を呈していた。すなわちノックアウトマウスの方が野生型マウスに比べ骨折部周囲の軟骨の分化が進行していた。

 さらに骨折後1週で骨折部周囲組織の細胞の増殖能を評価するためにPCNA染色を行った。野生型マウスで骨折部周囲にPCNA陽性を示す軟骨細胞が多く存在したのに対し、ノックアウトマウスではほとんど存在しなかった。対照的に、TUNEL染色にてアポトーシスをみると、野生型マウスの軟骨形成部ではTUNEL陽性細胞がほとんど見られなかったのに対しノックアウトマウスではTUNEL陽性細胞が見られた。すなわちノックアウトマウスの骨折部周囲の軟骨形成は、十分な細胞の増殖なしに分化やアポトーシスが進行している状態だった。

 骨折後3週で仮骨部をアルカリフォスファターゼ染色で観察すると、野生型マウスでは骨折周囲に出来た仮骨領域はアルカリフォスファターゼ陽性細胞が広い範囲で観察されたが、ノックアウトマウスでは骨折端から離れた領域に一部の部位にアルカリフォスファターゼ陽性を示す細胞があるものの骨折間部では陽性の細胞はほとんど見られなかった。このことからノックアウトマウスの骨形成の程度が野生型に比較し弱い事がわかった。

 実験1をまとめると、IRS-1ノックアウトマウスでは骨折治癒が明らかに障害されており、骨折部における仮骨の大きさも骨量もともに野生型に比べて低かった。組織学的に検討すると、IRS-1ノックアウトマウスの骨折治癒過程においては、骨折部を中心とした部位での軟骨細胞の増殖が障害され、軟骨細胞が十分な増殖することなしに分化やアポトーシスが進行していた。以上によりIRS-1シグナルは骨折治癒に重要であることがわかった。

 実験2:マウスの成長板よりコラゲナーゼ処理で軟骨細胞を単離する方法を確立した。この採取した軟骨細胞の純度を確認するため大腸菌由来のβ−ガラクトシダーゼを1型コラーゲンまたは2型コラーゲンのプロモーターに組み込まれたマウス(Col1マウス、Col2マウス)を用いてマウスの成長板から単離した軟骨細胞をX-gal染色により観察した。Col1マウスではX-gal染色で染まらず、Col2マウスでは青く染まった。すなわち、この方法で採取した細胞は、骨芽細胞等の他細胞の混在は少なく軟骨細胞としての純度が高いことが確認できた。

 この方法を用いてノックアウトマウスと野生型マウスから単離した軟骨細胞の増殖能を評価するためにMTTアッセイとサイトカイン刺激下でのチミジンの取り込み実験をおこなった。ノックアウトマウス由来の細胞はdoubling timeが野生型と比較し差はなかった。これに対しIGF-Iやインスリンの刺激に対する反応性が、ノックアウトマウス由来の軟骨細胞では低下していた。すなわち、無刺激下での軟骨細胞の増殖は両者で差はないものの骨折治癒過程での局所のサイトカインが上昇するような状況下ではノックアウトマウスの軟骨細胞の増殖が減少しているのではないかと考えられた。

 次に単離した軟骨細胞の基質合成能を評価するのにAlcian Blue染色を行った。confluentになった後、各種サイトカイン(IGF-I : 10ng/ml, Insulin : 100ng/ml, BMP-2 : 300ng/ml)を添加したmediumへ交換し3週後に染色した。野生型マウスではIGF-IやInsulinの刺激に対して基質合成が亢進していたが、ノックアウトマウスではBMP-2の刺激では基質合成が軽度亢進するものの、他のIGF-IやInsulin刺激には反応しなかった。

 以上のように、本研究ではマウスで経時的に内軟骨性骨化を観察できる骨折モデルを確立し、さらにin vitroでのマウス軟骨細胞の培養実験を行う目的でマウス成長板から軟骨細胞を単離する方法を確立した。この骨折モデルおよび軟骨細胞の培養の系を用いてIRS-1ノックアウトマウスと野生型マウスで比較検討することによりIRS-1シグナルの骨折治癒への関与を調べた。

 IRS-1ノックアウトマウスの骨折修復過程では初期の間葉系細胞、軟骨細胞の増殖が抑制され、十分な増殖なしに軟骨細胞の分化が進行し細胞死にいたるため、十分な仮骨形成が行われず、骨再生が阻害されるものと思われた。

 本研究で確立した、マウスの骨折モデル及びマウス成長板からの軟骨細胞単離の2つの実験方法は、今後増えると思われるノックアウトマウスに応用することによって、ある遺伝子の骨折への関与を解明するのに役立つ可能性がある。本研究でIRS-1シグナルは骨折治癒などの骨再生には重要であり、今後の骨折治療の主要なターゲットとなりうることが明らかとなった。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究はIGF-Iおよびインスリンの受容体キナーゼ基質であるインスリン受容体基質−1(Insulin receptor substrate-1 : IRS-1)の骨折治癒への役割を明らかにするため、内軟骨性骨化のモデルシステムを確立し、そのシステムを用いて、IRS-1ノックアウトマウスと野生型マウスとを比較解析することを試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.マウスでの骨折モデルを確立した。このモデルで、骨折部のX線像を経時的に観察すると、1週後から仮骨の形成が認められ、2、3週までに骨折部に旺盛な仮骨の架橋形成が起こり骨癒合が見られた。仮骨の大きさは、3週後がピークで、その後リモデリングによって小さくなる事が示された。

 2.このモデルを用いてIRS-1ノックアウトマウスと野生型マウスでの骨折治癒を比較検討した。骨折後3週でのX線像では、野生型マウスでは15例全例に大きな仮骨を伴って骨癒合が見られたが、ノックアウトマウスではそのほとんどは骨癒合がみられず偽関節を呈し、15例中4例においてのみ骨癒合がみられたが、形成された仮骨は野生型に比べ大きさが小さく仮骨の骨塩量も低下している事が示された。

 3.組織学的には、骨折後1週では、野生型マウスでは骨折部周囲に旺盛な組織反応がみられ間葉系細胞が数多く集まっていたが、ノックアウトマウスの骨折部では全体的に組織反応が小さく出現する間葉系細胞の数も少なかった。骨折後3週では野生型マウスでは外骨膜部に旺盛な骨形成がみられたが、ノックアウトマウスでの骨折周囲での骨形成は少なく骨折間部には線維組織が介在し偽関節の状態だった。X型コラーゲンの免疫染色では、野生型マウスでの軟骨様組織では局在が見られないのに対し、ノックアウトマウスでは局在がみられ肥大化軟骨細胞用の像を呈していた。TUNEL染色にてアポトーシスをみると、野生型マウスの軟骨形成部ではTUNEL陽性細胞がほとんど見られなかったのに対しノックアウトマウスではTUNEL陽性細胞が見られた。すなわちノックアウトマウスの骨折部周囲の軟骨形成は、骨折治癒早期に軟骨細胞の増殖の障害がみられ、分化やアポトーシスが進行している事が示された。

 4.マウスの成長板よりコラゲナーゼ処理で軟骨細胞を単離する方法を確立した。単離した軟骨細胞の純度を確認するために、大腸菌由来のβ−ガラクトシダーゼを1型コラーゲンまたは2型コラーゲンのプロモーターに組み込まれたマウス(Col1マウス、Col2マウス)の成長板から単離した軟骨細胞をX-gal染色により観察したところ、Col1マウスではX-gal染色で染まらず、Col2マウスでは青く染まった。すなわち、この方法で採取した細胞が、軟骨細胞としての純度が高いことが示された。

 5.この方法を用いてノックアウトマウスと野生型マウスから単離した軟骨細胞の増殖能を評価するためにMTTアッセイとサイトカイン刺激下でのチミジンの取り込み実験をおこなったところ、ノックアウトマウス由来の軟骨細胞はIGF-Iやインスリンの刺激に対する反応性が低下していた。次に単離した軟骨細胞の基質合成能を評価するのにAlcian Blue染色を行ったところ、野生型マウスではIGF-IやInsulinの刺激に対して基質合成が亢進していたが、ノックアウトマウスではIGF-IやInsulin刺激には反応しなかった。

 以上、本論文はマウスでの内軟骨性骨化を観察できるモデルシステムを確立し、このシステムを用いてIRS-1ノックアウトマウスと野生型マウスで比較検討することによりIRS-1シグナルの骨折治癒への関与を明らかにした。本研究はこれまで未知に等しかった、骨折治癒初期の細胞増殖にIRS-1シグナルが重要である事の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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