学位論文要旨



No 117396
著者(漢字) 山本,愛一郎
著者(英字)
著者(カナ) ヤマモト,アイイチロウ
標題(和) 慢性関節リウマチの滑膜細胞活性化と炎症性骨破壊における細胞内情報伝達の研究
標題(洋)
報告番号 117396
報告番号 甲17396
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2004号
研究科
専攻
論文審査委員      
内容要旨 要旨を表示する

 慢性関節リウマチ(rheumatoid arthritis, RA)は可動関節に最も顕著な症状があらわれる慢性炎症性の全身性疾患で、古代人類の骨に見られる骨破壊の様式などから少なくとも3000年前から存在していたことが知られている。その病因は不明であるものの、慢性的な疼痛、関節および軟部組織の進行的な破壊が疾患の特徴であることは良く知られている。民族、空間を越えて広く分布するRAはこれらの症状により個人の健康を損ね、QOLを低下させるばかりでなく、社会的・医療経済的にも著しい損害を与え、大きな問題となっている。病理組織学的には炎症関節においては滑膜の異常増殖が存在し、増殖した滑膜が骨・軟骨に浸食するような形で破壊が生じるが、疾患の終末像である関節の顕著な変形とそれに伴う疼痛の制御は、Gilbert A. BannatyneがRAにおかされた関節のX線像を初めて発表して以来、この疾患治療に携わる医療従事者の頭を悩ます大きな課題となってきた。そのような炎症関節の滑膜中に存在するRA滑膜細胞は、形質転換細胞様の形態を呈するだけでなく、異常増殖能をもち正に腫瘍状に増殖する。これらの細胞は基質分解酵素や炎症性サイトカインの産生を介して炎症関節における骨軟骨破壊を生じさせるばかりでなく、骨破壊を実際に担う最終的なエフェクター細胞である破骨細胞の形成を誘導することにより骨軟骨の破壊を導くことがこれまでに報告されている。低分子量型GTP結合タンパク質Rasは原癌遺伝子rasのタンパク産物で、真核細胞生物の細胞においては種をこえて広範に発現が見られ、様々な細胞内情報伝達を担うターミナル的な情報伝達因子である。細胞膜上に存在する受容体チロシンキナーゼの下流に存在し、様々な細胞外刺激をその下流のmitogen-activated protein kinases(MAPKs)などの細胞内情報伝達系に振り分けるリレースイッチのような働きをしている。活性化されたMAPKは転写因子の活性を制御することにより遺伝子発現を調節する。ヒトの悪性腫瘍細胞においてはRasの変異が高頻度に存在し、それによる増殖シグナルの亢進が腫瘍細胞の増殖のメカニズムのひとつであるとされている。炎症関節におけるRA滑膜細胞の増殖も正に腫瘍状であり、その増殖のメカニズムのひとつとしてrasなどの原癌遺伝子の関与が示唆される。これまでにRA滑膜組織におけるras遺伝子の変異の存在が報告されているものの、RA滑膜細胞の活性化におけるRasの役割は明らかにされたとはいえない。一方、我々はドミナントネガティブ型Ras(RasDN)の過剰発現によりRasの活性を低下させると、in vitroで形成された破骨細胞において急速にアポトーシスが生じることを報告した。これらの事実からRasを介した細胞内情報伝達系の制御は、炎症の主座である滑膜細胞と骨破壊を実際に担う破骨細胞の双方を標的とした効率的な新しいRAの治療法となる可能性があると考えられた。

 そこで本研究ではRasを介した細胞内情報伝達系がRAの滑膜細胞活性化および骨破壊において果たしている役割を明らかにするために、RA滑膜細胞の株細胞であるE11細胞およびRA患者より手術時に採取した初代培養RA滑膜線維芽細胞に、Rasに対してドミナントネガティブな作用をもつ変異型Ras遺伝子(RasDN)をもつアデノウィルスベクター(AxRasDN)を用いて遺伝子導入した。RasDNの過剰発現の効果を、滑膜細胞の増殖、インターロイキン(IL)-1誘導性のmitogen-activated protein kinases(MAPKs)の活性化およびIL-6の産生につき検討した。また滑膜細胞活性化および炎症性骨破壊に対するin vivoでのRasDNの過剰発現の効果を、アデノウィルスベクターをRAのモデル動物であるアジュバント関節炎ラットの足関節内に投与することにより検討した。

 RasがRA滑膜細胞の増殖において果たす役割を明らかにするため、AxRasDNをE11細胞および初代培養RA滑膜線維芽細胞に感染させ、その増殖率を検討した。RasDNの過剰発現はそれぞれの細胞において著明に増殖を抑制した。これらの結果から、RasはRA滑膜細胞の増殖において重要な役割を果たしていると考えられた。

 RA滑膜組織中には大量の炎症性サイトカインが存在する。それらによるオートクライン、パラクライン機構によりRA滑膜細胞の細胞内情報伝達系は異常に亢進した状態にあると考えられる。そのようなサイトカインの中でもIL-1は強力な作用をもつ炎症性サイトカインで、免疫反応や炎症反応において重要な役割を果たす様々な遺伝子の発現を調節しており、RAの炎症反応の亢進においても中心的な役割を果たしていると考えられている。近年IL-1受容体とIL-1の細胞内情報伝達についての詳細な知見が蓄積されつつある。IL-1はNF-κBの活性化に至る経路および3つのMAPK、すなわちp38MAPK、c-Jun N-terminal kinase(JNK)とextracellular signal-regulated kinase(ERK)の活性化に至る経路を活性化することが知られている。IL-1受容体からNF-κBの活性化に至る情報伝達系に比較してMAPKの活性化に至る情報伝達系には不明な点も多い。また低分子量型GTP結合タンパク質のMAPKの活性化において果たす役割についてはこれまでに多くの報告がなされてきたが、IL-1細胞内情報伝達とRasを介した細胞内情報伝達との関係についても明らかでない部分が多く残されている。そこで次に、IL-1刺激によるERK, JNK, p38の3つのMAPKの活性化におけるRasの役割を検討した。E11滑膜細胞にAxRasDNを感染したところ、IL-1はERK, p38, JNKの3つのMAPKの活性化を誘導し、それらはRasDNにより著明に抑制された。これらの結果からIL-1による細胞内情報伝達においてRasが重要な役割を果たしていることが示唆された。

 炎症性サイトカインであるIL-6はB細胞やT細胞などの活性化や発熱反応の誘導、あるいは急性期タンパクの放出などの炎症に関する生物学的反応に広く関わっている。IL-6はIL-1とともにRA滑膜細胞の増殖、活性化に関与し、RAの病態生理において重要な役割を果たしていることがこれまでに報告されている。RA滑膜細胞は自発的に多量のIL-6を産生すること、またIL-1がそのIL-6の産生を強力に誘導することもこれまでに報告されている。RasDNの過剰発現がRA滑膜細胞におけるIL-1誘導性のIL-6産生に与える影響を検討するために、E11滑膜細胞および初代培養RA滑膜細胞にAxRasDNを感染させた。RasDNはIL-6メッセンジャーRNAの転写を著明に抑制すること、滑膜細胞の無刺激状態での自発的なIL-6産生およびIL-1誘導性のIL-6産生を抑制することが明らかとなった。

 アジュバント関節炎ラットの足関節内へのAxRasDNの投与により軟部組織の炎症反応および骨関節破壊が著明に抑制され、この結果はRasDNのRA滑膜細胞に対する抗炎症効果および破骨細胞に対するアポトーシス誘導効果によるものと考えられた。

 Rasを介した細胞内情報伝達はRA滑膜細胞の活性化および炎症性骨破壊に関与しており、Rasを介した細胞内情報伝達の抑制はRAの滑膜細胞と破骨細胞の双方を標的とした、新規の効率的なRAの治療法となる可能性があると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、慢性関節リウマチ(RA)の炎症関節での滑膜細胞活性化と骨破壊における細胞内情報伝達の役割を明らかにするため、アデノウィルスベクターを用いて遺伝子導入を行う系を用い、滑膜細胞活性化と骨破壊に対する細胞内情報伝達因子Rasの抑制の効果を検討したものであり、下記の結果を得ている。

 1.細胞内情報伝達因子Rasに対して抑制的な効果を持つRasDNタンパクの過剰発現のRA滑膜細胞の増殖に対する影響を検討した。アデノウィルスベクターは滑膜細胞でRasDNの発現を効率よく誘導し、RasDNはRA滑膜細胞の増殖を抑制した。この結果からRA滑膜細胞の増殖においてRasが重要な役割を果たしていることが示された。

 2.炎症性サイトカインインターロイキン1(IL-1)はRAの炎症反応において中心的な役割を果たし、細胞内でp38MAPK、c-Jun N-terminal kinase(JNK)extracellular signal-regulated kinase(ERK)などのタンパクキナーゼカスケードを活性化する。IL-1刺激によるERK, JNK, p38の3つのMAPKの活性におけるRasの役割を検討したところ、IL-1が誘導したERK, JNK, p38の3つのMAPKの活性化はRasDNによりすべて抑制され、IL-1による細胞内情報伝達においてRasが重要な役割を果たしていることが示された。

 3.炎症性サイトカインIL-6はIL-1とともにRA滑膜細胞の増殖、活性化に関与する。Rasの抑制がRA滑膜細胞におけるIL-1誘導性のIL-6産生に与える影響を検討した。ノザンブロットでは、RasDNの過剰発現により、IL-1刺激後の細胞内IL-6mRNAの産生が抑制された。ELISA法では、RasDNの過剰発現により、滑膜細胞の自発的なIL-6産生およびIL-1誘導性のIL-6産生がともに抑制された。Rasの抑制によりRA滑膜細胞のIL-6産生が転写レベルおよび蛋白レベルで抑制されることが示された。

 4.In vivoでの、Rasの抑制のRA滑膜細胞活性化と炎症性骨破壊に対する効果を検討するためRasDNウィルスをRAのモデル動物であるアジュバント関節炎ラットの足関節内に投与したところ、炎症関節の軟部組織の炎症及び破骨細胞による骨破壊がともに抑制されること示された。

 以上、本論文はRAの炎症関節での滑膜細胞活性化と骨破壊において、細胞内情報伝達因子Rasが果たす役割をアデノウィルスベクターにより遺伝子導入を行う系を用いて明らかにしたものである。本研究はこれまでに未知に等しかったRAの炎症反応におけるRasの役割の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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