学位論文要旨



No 117397
著者(漢字) 山本,真一
著者(英字)
著者(カナ) ヤマモト,シンイチ
標題(和) 成体脊髄に内在する神経前駆細胞の再生能に関する基礎的研究
標題(洋)
報告番号 117397
報告番号 甲17397
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2005号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 江藤,文夫
 東京大学 教授 玉置,邦彦
 東京大学 教授 井原,康夫
 東京大学 助教授 高取,吉雄
 東京大学 助教授 中福,雅人
内容要旨 要旨を表示する

【背景・目的】整形外科領域における中枢神経疾患である外傷性脊髄損傷やその他の慢性脊髄障害において、損傷脊髄そのものの組織再生・修復は現在まで不可能と考えられてきた。脊髄だけでなく、一般に、ヒトを含む成熟した哺乳動物の中枢神経組織は、有意な自己再生・修復能力を失っていると、長く信じられてきた。しかしながら近年、自己複製能と多分化能を併せ持つ神経幹細胞が成体中枢神経系内の様々な領域に残存していることが明らかにされてきた。さらに、成体脳内の一部の領域、すなわち大脳側脳室周囲や海馬歯状回では、生涯にわたって持続的なニューロンの新生がおこっていることも示されている。即ち、成体中枢神経系には部分的にではあるが再生能が残存していると考えられる。しかし、脊髄を含め他の大部分の領域では、神経幹細胞が存在するにもかかわらず、正常あるいは損傷組織内でのニューロンの新生は観察されていない。近年、新たな再生医療の開発を目指して神経幹細胞や胚性幹細胞の移植実験が始められている。一方で、成体に残存する神経幹細胞の持つ潜在的な能力を活性化することが出来れば、損傷組織の再生を促し得る可能性が考えられる。このような再生誘導療法の開発のためには、成体に内在する神経幹細胞あるいはその他の前駆細胞について、その性質や個体内での挙動を分子レベルで詳細に明らかにすることが重要な課題である。本研究では、ラットをモデル動物として、成体脊髄の再生誘導療法の開発を目指した基礎的研究を行った。

【方法・結果】これまでの研究から、成体の脊髄内にはニューロンあるいはグリアへの分化能を持った前駆細胞が存在し、また少なくともその一部は神経幹細胞としての性質を示すことが明らかにされている。しかし、脊髄に実際どの程度の幹細胞あるいはその他の前駆細胞が含まれているのか、あるいは脊髄内でどのように分布しているにかついては、これまで不明のままであった。本研究では、まずこれらの点を明らかにするため、試験管内培養系を用いて、成体ラット脊髄内の神経前駆細胞の同定を試みた。その結果、中心管周囲組織のみならず実質外側部にも神経前駆細胞が存在することを見出した。上衣細胞を含む実質内側部と含まない外側部を比較した場合、単離される前駆細胞の集塊、すなわちneurosphereの数は、いずれも培養開始時の生細胞数の約1%に相当し、両組織でほぼ同程度であった。このneurosphere形成頻度は、これまでの発生初期のマウス胎児神経組織あるいは成体大脳側脳室周囲からの培養系とほぼ同等であった。また培養下に観察される前駆細胞群の増殖能・分化能は、両者で極めて類似していた。前駆細胞のクローン解析から、成体脊髄には分化能の点で多様な前駆細胞が存在していること、さらに多分化能を保持した神経前駆細胞が実質外側部にも存在していることが明らかとなった。従って、成体の中枢神経組織においては、従来考えられていた脳室周囲のみならず実質部深部にも広範囲に相当数の神経前駆細胞が存在していると考えられた。

 さらに、成体に内在する神経前駆細胞の増殖や分化を制御する分子機構を明らかにするために、培養系で成体および胎生期神経前駆細胞における様々な分子マーカーの発現を解析した。その結果、成体および胎生期由来の細胞群は共に、ホメオドメイン型(Pax6, Pax7, Nkx2.2, Prox1)やbasic helix-loop-helix (bHLH)型(Ngn2, Mash1, NeuroD1, Olig2)の転写因子を発現していた。従って、成体および胎生期神経前駆細胞はいずれも、共通の機構によって制御されており、分子レベルでも多様な細胞群が混在していると考えられた。しかし、成体神経前駆細胞由来のニューロンでは、脊髄運動・介在ニューロンに特異的なマーカー(Islet1, Lim1, Lim3, HB9)の発現は認められなかった。

 次に、ラット脊髄第10胸髄切断モデルを用いて、組織レベルでの前駆細胞の同定を行った。免疫組織化学的解析から、これまでの報告のように幹細胞の候補とされる上衣細胞が、未分化前駆細胞のマーカーであるnestinを発現し増殖することを観察した。損傷実質部においてもGFAPやNG2などのグリア系細胞のマーカーを発現しないnestin陽性の増殖性細胞が、広範囲に出現することを観察した。発生期の神経幹細胞あるいはその他の未分化前駆細胞はnestinを強く発現し、ニューロンまたはグリア系細胞マーカーを発現しない細胞群として同定されている。このことから、成体脊髄内で同様の抗原性を示す細胞群の少なくとも一部は、神経前駆細胞である可能性が高いと考えられる。また、損傷脊髄組織内には、Pax6, Pax7, Nkx2.2といったホメオドメイン型転写因子を発現する細胞が出現し、特異的分布様式を示した。

 以上の結果から、内在性の神経前駆細胞が損傷に応答して一過性に増殖していると考えられた。実際、損傷脊髄内で増殖する細胞群を5-bromo-2'-deoxyuridine (BrdU)標識した後に培養すると、多数のBrdU陽性細胞がneurosphere中に含まれており、さらにその一部はニューロンへと分化する能力を持っていた。また、損傷部位近傍の組織を培養すると、正常脊髄からの培養と比較して約2倍のneurosphereが単離されることから、内在性の神経前駆細胞が個体内で実際に増殖しその数が増加していることが示された。このように内在性の神経前駆細胞は損傷に応答し得ることから、何らかの形で組織の再生・修復機転に関わっていると考えられる。

 しかし、損傷脊髄組織内にはニューロンへの分化を促すbHLH型転写因子(Ngn2, Mash1, NeuroD1)の発現やニューロンの新生は認められなかった。発生期においては、Notch受容体を介したシグナル伝達機構が、神経幹細胞・前駆細胞の分化を抑制する外界シグナルのひとつとして知られている。成体脊髄に発現しているNotch1は、損傷後に上衣細胞でその発現が増強しており、損傷実質部内の増殖性細胞においても発現していることを見出した。よって、Notchシグナル系によるニューロンへの分化の制限の可能性が示唆された。そこで、培養系において組換型レトロウイルスを用いた遺伝子操作により、成体前駆細胞におけるNotchシグナル系の役割を検討した。恒常活性型Notch1の強制発現により、前駆細胞の分化が抑制された。一方、Notch1受容体のリガンドであるDelta-like-1のドミナントネガティブ型の発現によりニューロンへの分化が促進され、アストロサイトへの分化は抑制された。さらに、ニューロンへの分化を促すbHLH型転写因子のNgn2の強制発現により、ニューロンへの分化が著明に促進された。これらの結果は、Notchシグナル系が成体前駆細胞の分化を多段階で制御しており、また成体脊髄でのニューロン新生の制限に関与していることを強く示唆していると考えられた。

【考察】成体脊髄には神経前駆細胞が相当数存在し、しかも実質内に広範囲に分布することが明らかになった。にもかかわらず、損傷時にはニューロンの新生を含め有意な組織の再生は観察されなかった。この要因として、成体神経前駆細胞の持つ内的な性質とともに、組織内でその増殖・分化を強く制限する外的環境要因の存在が考えられる。本研究では、この外的制限機構の一つとして、Notchシグナル系が関与している可能性を示した。この外的要因による制限を何らかの手法により解除し、成体前駆細胞の持つ潜在的な能力を活性化することが出来れば、損傷組織の再生を促し得る可能性があると考えている。また、損傷局所の組織修復が部分的にでも成されれば、遮断された軸索路の再生にもつながる可能性もある。今後のこの分野の益々の発展によって、臨床応用可能な脊髄再生療法の開発が近い将来なされることを期待したい。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、成体脊髄の再生誘導療法の開発を目指し、成体脊髄に内在する神経前駆細胞の再生能に関する基礎的な解析を行ったものである。ラットをモデル動物として、試験管内培養系と第10胸髄切断モデルを用いて、成体神経前駆細胞の同定を行い、その増殖、分化制御機構について検討し、以下の結果を得ている。

1.試験管内培養系を用いて神経前駆細胞をneurosphereとして単離し、脊髄中心管周囲組織のみならず実質外側部にも神経前駆細胞が相当数存在することが示された。単一前駆細胞のクローン解析から、成体脊髄には分化能の点で多様な前駆細胞が存在していること、さらに多分化能を保持した神経前駆細胞が実質外側部にも存在していることが示された。

2.培養系で成体前駆細胞は、胎生期と同様に、ホメオドメイン型(Pax6, Pax7, Nkx2.2, Prox1)やbasic helix-loop-helix (bHLH)型(Ngn2, Mash1, NeuroD1, Olig2)の転写因子を発現していることが示された。成体前駆細胞は分子レベルでも多様な細胞群が混在していると考えられ、胎生期と共通の制御機構の存在が示唆された。しかし、成体前駆細胞では、脊髄運動・介在ニューロンに特異的なマーカー(Islet1, Lim1, Lim3, HB9)の発現は認められなかった。

3.第10胸髄切断モデルを用いた組織レベルでの解析から、上衣細胞だけでなく、損傷実質部においてもGFAPやNG2などのグリア系のマーカーを発現しないnestin陽性の増殖性細胞が出現することを観察し、内在性前駆細胞に相当すると考えられた。また、損傷組織内には、Pax6, Pax7, Nkx2.2といったホメオドメイン型転写因子を発現する細胞が出現し、特異的分布様式を示した。

4.損傷脊髄内の増殖性細胞群をBrdU標識した後に培養すると、多数のBrdU陽性細胞がneurosphere中に含まれており、さらにその一部はニューロンへと分化する能力を持っていることが示された。また、損傷部位近傍組織を培養した場合、正常脊髄からと比較して約2倍のneurosphereが単離されることから、内在性の神経前駆細胞が個体内で実際に増殖していることが示された。

5.損傷脊髄組織内にはニューロンへの分化を促すbHLH型転写因子(Ngn2, Mash1, NeuroD1)の発現やニューロンの新生は認められなかった。成体脊髄に発現しているNotch1は、損傷後に上衣細胞や損傷実質部内の増殖性細胞において発現が増強しており、発生期と同様にNotchシグナル系によるニューロンへの分化の制限の可能性が示唆された。

6.組換型レトロウイルスを用いた遺伝子操作により、培養系において成体前駆細胞におけるNotchシグナル系の役割を検討したところ、恒常活性型Notch1の強制発現により前駆細胞の分化が抑制され、Notch1受容体のリガンドであるDelta-like-1のドミナントネガティブ型の発現やNgn2の強制発現により、ニューロンへの分化が促進されることが示され、Notchシグナル系が成体脊髄でのニューロン新生の制限に関与していることが強く示唆された。

 以上、本論文は、成体脊髄には神経前駆細胞が広範囲に相当数存在することを明らかにした。損傷時には内在性前駆細胞は増殖するも、ニューロンの新生を含め有意な組織の再生は観察されなかった。この要因として、成体前駆細胞の内的性質とともに、組織内での外的環境要因の存在が考えられ、この外的制限機構の一つとして、Notchシグナル系が関与している可能性を明らかにした。本研究は、成体前駆細胞の持つ潜在的な能力を活性化することによる将来の再生誘導療法の開発に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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