学位論文要旨



No 117398
著者(漢字) 黄,麗輝
著者(英字)
著者(カナ) コウ,レイキ
標題(和) 前言語期における健聴児と先天性高度難聴児の音声発達に関する比較研究
標題(洋)
報告番号 117398
報告番号 甲17398
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2006号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 牛島,廣治
 東京大学 助教授 上妻,志郎
 東京大学 教授 五十嵐,隆
 東京大学 助教授 山岨,達也
 東京大学 助教授 富田,剛司
内容要旨 要旨を表示する

I.研究の目的

 1970年代以後の30年間、数多くのかつ長期フォローアップを行った研究により、乳児は始語が出現するまでの生後1年間の音声発達は発声期、原始的調音期、拡張期と標準的喃語期の4つの段階に分けられるようになった。前言語期の音声発達過程において最も重要な飛躍的な変化は、標準的喃語の出現の時期であるとされている。拡張期までの音声発達には聴覚のフィードバックは必ずしも必要ではないようである。乳児の音声発達に関する研究については、横断的な研究はすくないが、健聴児と難聴児を比較した縦断的かつ横断的な比較研究はもっと少ない。さらに、乳児期の音声発達に関連する認知の発達やコミュニケーション行動についての研究はほとんどない。このような研究を背景に、次の5つの問題点を検討する。すなわち(1)健聴児と難聴児の音声発達の違いはいつから始まるのか、(2)難聴児の指さし行動は音声発達に関連しているか、(3)早期補聴と後期補聴はどのような特色があるか。以上の研究に基づいて、(4)早期補聴、早期療育はいつまでに開始すると効果的か、(5)難聴児の音声発達を促進する条件は何かについて明らかにするために、縦断的かつ横断的な比較研究を行った。音響分析を通じて、音声発達の特徴を調べた。認知の発達やコミュニケーション行動を他覚的かつ統計学的に検討した。これらの点を解明することによって、難聴児の前言語期の音声発達を正確に評価し、特に聴覚スクリーニングにて超早期に発見される難聴乳児の早期補聴、早期療育へのための科学的根拠を与えることを計画した。

 II.研究の対象

1)健聴児

 保育園在籍中の乳幼児13名。男児6名、女児7名。フォローアップ開始時の平均月齢3.9ヵ月、終了時の平均月齢26.9ヵ月。

2)難聴児

 先天性高度難聴の乳幼児17名。男児10名、女児7名。補聴・療育開始月齢がそれぞれ異なるため、8ヵ月目までに補聴・療育が開始されたグループを難聴A群4名とし、8ヵ月以降に補聴・療育が開始されたグループを難聴B群13名として2群に分けた。フォローアップの平均開始月齢では、難聴A群は3.8ヵ月、難聴B群は19.7ヵ月、終了時の平均月齢では、難聴A群は27ヵ月、難聴B群は45ヵ月であった。

 III.研究の方法

1)音声の録音と音響分析

 2週間〜3週間に1回、デジタルビデオを用いて、対象児が遊んでいる時、自然な行動の映像記録とともに音声の記録を行った。サウンドスペクトログラフを用いて、音声の音響分析を行った。

2)音声発達に関連する各因子の検討

 本研究において、Non-parametricな解析方法を用いた。(1)音声発達に関連する各因子:"過渡的喃語"、"標準的喃語"、"指さし行動"と"有意味語"の4つの因子の出現月齢の比較については、Kruskal-Walls Testを行い、スコアの計算はWilcoxon法を用いた。4つの因子の出現率の比較については、Fisherの正確法を用いた。(2)音声発達に関連する4つの因子の間の相関分析を行った。難聴A群と難聴B群それぞれにおいて、補聴月齢と音声発達に関連する4つの因子の相関分析を行った。相関係数rの計算はPearson法を用いた。統計パッケージはSASを用いた。

 IV.結果

1)各因子の出現頻度と出現月齢の比較検討の結果

 過渡的喃語の出現頻度(図1)と出現月齢(図2)では、健聴児、難聴A群と難聴B群の3群の間に、有意な差が認められなかった。標準的喃語、指さし行動と有意味語の出現頻度(図1)では、健聴児と難聴A群の間に、有意な差はなかったが、難聴B群と健聴児、難聴B群と難聴A群の間に、高度な有意差が認められた。標準的喃語の出現月齢は、健聴児では8ヵ月頃に出現したのに対して、それよりも難聴A群では7ヵ月程、難聴B群では15ヵ月程遅れた。指さし行動の出現月齢は、健聴児の11ヵ月頃に出現したのに対して、難聴A群が健聴児より3ヵ月程、難聴B群が健聴児より6ヵ月程遅れた。有意味語の出現月齢は、健聴児の12ヵ月頃に出現したのに対して、健聴児より難聴A群が5ヵ月程、難聴B群が21ヵ月程遅れた(図2)。以上のように標準的喃語、指さし行動と有意味語の出現月齢は、いずれも難聴B群の方が著しく遅れることがわかった。

 さらに難聴児の補聴後の変化を調べた。補聴器の装用に慣れるまでの期間では、難聴A群は平均0.6±0.1ヵ月、難聴B群は平均2.0±0.5ヵ月、視線によるコミュニケーションが始まるまでの期間では、難聴A群は平均0.4±0.2ヵ月、難聴B群は平均2.3±0.6ヵ月、いずれも難聴A群が難聴B群より短く、両群の間に高度な有意差が認められた。

ii)各因子の相関分析の結果

 音声発達に関連する各因子の相関について、健聴児では、過渡的喃語と標準的喃語、標準的喃語と指さし行動、指さし行動と有意味語の間に、相関性が認められた。難聴A群では、過渡的喃語と他の3つの因子のそれぞれの間に、有意な相関が認められなかったが、標準的喃語と指さし行動、標準的喃語と有意味語の間には、相関傾向が認められた。難聴B群では、標準的喃語と指さし行動、指さし行動と有意味語の間に、標準的喃語と有意味語の間に、有意な相関が認められた。補聴開始月齢と4つの因子の間については、難聴A群では、補聴開始月齢が標準的喃語との相関が明らかとなったが、難聴B群では、補聴開始月齢と4つの因子の間での相関は認められなかった。

3)音響分析の結果

 健聴児の発声は明瞭で、イントネーションを伴い、成長とともにフォルマントの移行時間が短縮し、フォルマントの分化が良好で、子音の種類が多かった。難聴A群では、標準的喃語が出現した後の発声が健聴児の発声に類似していた。難聴B群の発声はイントネーションが乏しく、平坦化していた。成長によるフォルマントの移行時間が短縮せず、明瞭度が低かった。子音の種類が少なく、母音化し、摩擦子音(S音)の出現が難しかった。唇音化と鼻音化の傾向が特徴的であった。

 V.考察

 近年、耳音響放射(otoacoustic emission; OAE)や自動聴性脳幹反応(automated auditory brainstem response; AABR)の登場によって、難聴が生後間もなく発見できるようになった。そして、早期に補聴器を装用させ、聴能・言語訓練を受けた乳幼児は、音声はどのように発達していくか注目されている。本研究は、発達の観点から、健聴児と難聴児を早期補聴A群と後期補聴B群の3群に分け、前言語期の音声発達を調べ、検討を行った。

 初期の段階では、過渡的喃語の出現頻度と出現月齢は、3群の間に有意な差はなかった。このことは過渡的喃語が聴覚のフィードバックによらない音声活動であることが示唆された。標準的喃語の出現頻度は、健聴児と難聴A群の全員に出現したのに対して、難聴B群では38.5%にすぎず、出現頻度が低かった。その出現月齢では、健聴児の平均7.9±1.0ヵ月に出現したのに対して、難聴A群が健聴児より7ヵ月程、難聴B群が健聴児より15ヵ月程遅れることが明らかとなった。早期補聴の難聴A群が後期補聴の難聴B群より、標準的喃語の出現頻度も高く、出現月齢も早まることは補聴器の早期装用により標準的喃語の出現に重要な影響を与えることが示唆された。指さし行動の出現頻度では、健聴児と難聴A群の全員に出現したのに対して、難聴B群では53.8%にすぎず、出現頻度が低かった。その出現月齢では、健聴児の平均10.8±1.2ヵ月に対して、難聴A群が健聴児より3ヵ月程、難聴B群が健聴児より6ヵ月程遅れることを示した。これは指さし行動の出現が音声の発達に関連していることが示唆された。指さし行動も乳児の音声発達を評価する一つの指標として有用であると考えられた。有意味語の出現頻度では、健聴児と難聴A群の全員に出現したのに対して、難聴B群では53.8%にすぎず、出現頻度が低かった。その出現時期では、健聴児の平均12.1±1.1ヵ月に対して、難聴A群が5ヵ月程、難聴B群が21ヵ月程遅れた。前言語期において、聴覚を通して物事の意味を学ぶ聴能の発達や音声の発達では難聴児の方が遅れることが明らかとなった。早期補聴の難聴A群が後期補聴の難聴B群より、有意味語の出現頻度が高く、出現月齢が早まることは補聴器の早期装用の効果によるものと考えられ他。

 また難聴児では、補聴器装用後、視線によるコミュニケーションが始まるまでの期間と補聴器の装用に慣れるまでの期間においては、難聴A群が難聴B群より、補聴器がフィティングしやすく、視線によるコミュニケーションができやすいことがわかった。これは良い音声の発達に促進する条件であると考えられた。

 VI.まとめ

 前言語期における健聴児と先天性高度難聴児の音声発達に関する比較研究を行い、以下の知見が得られた。

1、過渡的喃語は聴覚のフィードバックによらない音声活動であることが明らかとなった。高度難聴の乳幼児でも過渡的喃語があり、逆に、過渡的喃語があっても、難聴が存在しうることを示した。

2、健聴児と難聴児の音声発達の違いの一つとして、難聴児の標準的喃語の出現時期が健聴児より著明に遅れることを明らかにした。標準的喃語は音声の発達を評価する一つの指標として適切であると考えられた。3、指さし行動は音声の発達にも関連していることが明らかとなり、音声の発達を評価する一つの指標として有用であると考えられた。4、難聴児の早期補聴群が後期補聴群より、よりよい音声発達を遂げることが明らかとなった。難聴児の早期補聴・早期療育にあたっては、生後8ヵ月までに開始することが望まれる。5、早期補聴により、補聴器の装用がしやすく、視線によるコミュニケーションが早く出来ることは、良い音声の発達に促進する条件であると考えられた。

図1 3群における各因子の出現頻度の比較

図2 3群における各因子の出現月齢の比較

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は前言語期における健聴児と難聴児の音声発達過程の特徴および音声発達に関連する認知の発達やコミュニケーション行動の特徴を明らかするため、音響分析を行い、統計学的に解析しました。同時に補聴開始月齢の相違により、難聴児の音声発達にどのように影響を与えるかについて検討し、下記の結果を得ている。

 1、過渡的喃語は聴覚のフィードバックによらない音声活動であることが明らかとなった。高度難聴の乳幼児でも過渡的喃語があり、逆に、過渡的喃語があっても、難聴が存在しうることを示した。難聴児の早期発見にあたっては、たとえ喃語があっても安心せず、難聴が疑わしい場合、早期に聴覚の精密検査をする必要があることが示唆された。

2、健聴児と難聴児の音声発達の違いの一つとして、難聴児の標準的喃語の出現時期が健聴児より著明に遅れることを明らかにした。標準的喃語の開始年齢は音声の発達を評価する重要な一つの指標として見なすことが適切であると考えられた。

 以上から難聴児の早期発見、早期療育にあたっては、難聴と喃語の関連、喃語の種類についての正しい認識が必要であることが示唆された。

3、指さし行動は音声の発達にも関連していることが明らかとなり、音声の発達を評価する一つの指標として有用であると考えられた。

4、難聴児の早期補聴群が後期補聴群より、よりよい音声発達を遂げることが明らかとなった。難聴児の早期補聴・早期療育にあたっては、生後早期に出来れば8ヵ月以内に開始することが望まれる。

5、早期補聴により、補聴器の装用がしやすく、視線によるコミュニケーションが早く出来ることは、良い音声の発達に促進する条件であると考えられた。

 以上、本論文は音響分析を行うことを通じて、統計学的に解析することから、前言語期における健聴児と先天性高度難聴児の音声発達過程の特徴および音声発達に関連する認知の発達とコミュニケーション行動の特徴を明らかにした。またさらに補聴開始月齢の相違が難聴児の音声発達にどのように影響を与えるかについても明らかにした。本研究は難聴児の前言語期の音声発達の問題点を解明することによって、聴覚スクリーニングにて超早期に発見される難聴乳児の早期補聴、早期療育へのための科学的根拠を与えることに重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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