学位論文要旨



No 117405
著者(漢字) 夏原,和美
著者(英字)
著者(カナ) ナツハラ,カズミ
標題(和) 近代化過程にあるパプアニューギニアコミュニティーにおける栄養生態学的研究:フードシェアリングの栄養・健康状態への影響について
標題(洋) Nutritional Ecology of Modernizing Rural Communities in Papua New Guinea : Influences of Food Sharing on Nutritional and Health Status
報告番号 117405
報告番号 甲17405
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第2013号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 豊岡,照彦
 東京大学 教授 甲斐,一郎
 東京大学 教授 若井,晋
 東京大学 助教授 川久保,清
 東京大学 助教授 土屋,尚之
内容要旨 要旨を表示する

1.緒言

 パプアニューギニアには伝統的な生活を続けている集団が多い一方で、他の発展途上国と同様に、都市やその周辺の農村部では近代化にともない生活様式が変化してきている。近代化の開始が遅かった高地地域の農村においても、血圧の上昇や肥満、糖尿病の増加などが報告されるようになり、その主要な原因として食生活の変化が指摘されてきた。

 本調査対象のパプアニューギニア高地地域は、近代化が特に急速に進行している。伝統的にはサツマイモを主食とし、塩分、タンパク質、脂質の摂取量は非常に少なかったが、現金経済の導入にともない、米、小麦粉、缶詰、スナック菓子など塩分、タンパク質、脂質に富む購入食品の消費が増加している。この変化は、タンパク質摂取量の増加という、特に子どもにとって望ましい変化とともに、血圧への影響が大きい塩分摂取量の増加を引き起こしている。一方、パプアニューギニアのコミュニティーではフードシェアリングが伝統的に頻繁に行われてきたが、近代化の影響はその減少をもたらす可能性が高い。このような食生活の変化は、人々の社会経済的状況および文化的特徴に関係する行動パターンによって異なると考えられ、変化のプロセスはコミュニティーレベルだけではなく、世帯レベル、個人レベルでも検討する必要がある。

 本論文は、近代化の程度が異なる3つのコミュニティーを対象としたフィールドワークに基づき、1)フードシェアリングと世帯間の近代化のレベルの違いが食生活の多様性に与える影響、2)このような食生活の特徴が個人の栄養・健康状態に与える影響に焦点を当て、近代化が及ぼす住民の食生活と栄養・健康状態への影響を明らかにすることを目的とした。

2.対象と方法

 対象者は、パプアニューギニア東高地州・アサロ地区の3集落に居住する3歳以上の住民である。3集落は、東高地州の州都ゴロカから近い順に(1)マシラカユファ(Masiと略称する)、(2)フリガノ(Fri)、(3)ギミサベ(Gimi)と呼ばれる人口60から170の小集落で、それぞれから8、4、7世帯を選び、全体で111人を対象とした。どの集落も農業を主たる生業としているが、Masiは近代化が進みゴロカへの通勤者も存在する。また、FriはGimiに比べて規模が小さく、近代化の程度に世帯間差が大きい。1996年から1998年にかけてFriで行った住民の栄養状態に関する研究に続き、本論文の基になる調査は1999年6月から2000年3月までの10ヶ月間行った。

人口学的・社会経済的調査:インタビューと直接観察により家族形態、世帯構成員の性、年齢、資産、教育等に関する情報を収集し、世帯の近代化の指標(Modernity score)とした。

生体試料:1人につき平均8.2日の早朝尿サンプルを採取し、帰国後に尿中のNa、K、クレアチニン、尿素窒素の分析を行った。

身体計測:身長、体重、上腕周囲、皮脂厚(上腕3頭筋、肩甲骨下)と、成人対象者は胴囲、腰囲について、標準的な方法で測定し、Body Mass Index(BMI)と体脂肪率を計算した。

血圧:成人既婚者を対象に血圧測定を2度行い、低値を分析に用いた。

直接秤量食事調査:各対象世帯で1週間の食事調査を直接秤量法で行い、秤量できなかった場合は後にサンプルを用い摂取量を推定した。同時に、摂取した場所、時間、食物の入手先、子どもについては親と一緒であったかを記録した。エネルギー、タンパク質、脂質、炭水化物、Na、鉄、ビタミンAの摂取量を計算し、性・年齢に基づく推奨摂取量に対する摂取量の割合をNAR値として分析に用いた。

 集落毎に18歳以下の子ども(63人)と成人(48人)に分け、成人は男性(23人)と女性(25人)に分けた。統計分析はSASを用い、有意水準はp<0.05とともに、サンプル数が少ないためp<0.10の場合も考慮した。

3.結果

1)栄養・健康状態

 Masiでは平均年齢が低いにもかかわらず、男性の収縮期血圧の平均値が90.6mmHgと高く、他の2集落との間に有意差が見られた。高血圧と判断されたのは全体で7名であった。

 Masiの成人女性とMasi成人全体の平均BMIは他の2集落より有意に高かった。子どもの体格では、GimiのBMIとBMI-for-age-Z scoreが他の2集落より有意に高かった。

 尿中Na、K排泄量及びNa/Kは、成人では有意差は見られなかったが、子どもではMasiがFriよりも有意に高かった。

 栄養素摂取量の群別の平均値は、Fri男性のタンパク質を除き推奨摂取量を満たしていたが、個人差も大きかった。推奨値以下の者は、成人と子どもでエネルギーでは7名と4名、タンパク質では21名と8名、鉄では1名と10名、ビタミンAでは3名と5名見られた。エネルギー摂取量へのタンパク質、脂質、炭水化物の寄与率を比較すると、Masiでは他の2集落に比ベタンパク質寄与率が高く、炭水化物寄与率は低かった。Na摂取量はMasiで高く、体重別摂取量は全ての集落で子どもが大人よりも有意に多かった。鉄とビタミンAの摂取量はMasiで少なかった。

 摂取量と血圧とに有意な相関が見られた栄養素は、男女ともにタンパク質とNaであり、男性では尿中Na排泄量とNa/Kも関与していた。

 摂取量と体格の関係では、BMIと関連した栄養素は、成人男性のタンパク質、成人女性のエネルギー、子どもの鉄で、体脂肪率との関係にも類似の傾向が見られた。エネルギー摂取量への寄与率と体格の関係では、タンパク質及び脂質の寄与率が高いほどBMIが高くなる傾向があった。

2)カテゴリー別の食品の栄養素摂取量への影響

 食品を主食、動物性食品、その他に分け、それぞれをLocal食品(主に集落内で生産され店舗を通さない)とStore食品(缶詰、小麦粉、米など、輸入され店舗で購入する)に分け、さらに入手先別に自世帯と他世帯に分けて分析した。その結果、Masiでは自世帯由来の食品、特にStore食品が栄養素摂取量に占める割合が高かった。他の二つの集落では、特に子どもにおいて他世帯由来食品の栄養素摂取量への寄与が大きかった。Masiではシェアリング頻度が有意に低いとともに、シェアされた食品中のLocal食品割合が有意に低かった。

 集落・年齢群別のエネルギー摂取量の変動係数(CV)を、自世帯由来の食品だけの場合と、他世帯由来の食品も含めた場合について分析したところ、Fri成人を除く群でフードシェアリングが個人間変動を小さくし、同時にNAR[エネルギー]を高くしていた。さらに、集落間差もシェアリングを含めた場合に小さかった。

3)食生活パターンの決定要因

 コミュニティー要因、世帯要因(Modernity score)、個人要因(性、年齢、シェアリングの頻度)を独立変数、(1)総エネルギー摂取量に対するStore食品の占める割合、(2)総エネルギー摂取量に対する自世帯由来のStore食品の占める割合、(3)総エネルギー摂取量に対する自世帯由来食品の占める割合を従属変数とし、重回帰分析を行った。その結果、1)コミュニティー要因は子どもでのみ(1)と(2)に関連し、2)世帯要因は成人の(3)を除き有意に関連し、3)個人のフードシェアリング頻度が両年齢群で(2)と(3)に負に関連していた。

4.考察

 3集団における近代化による食生活の変化は、Local食品からStore食品への移行に見られたが、Store食品の摂取頻度は世帯要因、特に現金収入に大きく影響され、さらに食品へのアクセス(集落内の店の存在、街までの交通の便など)も影響していた。Masiでは他の2集落に比ベエネルギー、タンパク質、Na、脂質の摂取量が多く、成人の肥満や血圧上昇の原因であることが示唆された。ビタミンAと鉄は野菜類をはじめとするLocal食品から多く摂取されていたが、Masiではこれらの食品の摂取量への寄与率が低く、摂取量も少なかった。従って、Store食品の摂取量の増加はタンパク質摂取量の増加という利点とともに、Na・脂質摂取量の増加とビタミンA摂取量の減少という不利な健康影響ももつことが示された。

 フードシェアリングは全ての集落で見られ、特に子どもの栄養素摂取量の個人間差を緩和する機能があった。しかし、その頻度や栄養素摂取量へ占める割合が近代化とともに減少する傾向が示された。主食のサツマイモは長期の貯蔵ができないので、世帯間のシェアリングシステムが各世帯の安定供給に重要である。しかし、サツマイモが商品としての価値を持ち、かつ現金で食物購入ができるようになると、収穫の余剰分を現金化し購入食物によって食物供給の安定をはかろうとする世帯が増加する。コミュニティーの世帯間での頻繁なフードシェアリングが減少し、食物摂取における世帯の独立性が強化されると、コミュニティー内の裕福な世帯では栄養過多による肥満や血圧上昇などが増加し、一方では現金収入へアクセスできない世帯では低栄養が問題になる可能性が示された。

 パプアニューギニアでは、コミュニティーによって栄養・健康状態に大きな違いが見られることが特徴であるが、その原因に各コミュニティーの近代化の程度が指摘されてきた。本研究の結果、対象者の栄養摂取量には世帯要因と個人要因がコミュニティー要因とともに関連し、フードシェアリングがそれぞれのレベルで食糧の安定供給に果たす重要な役割が示された。栄養生態学の研究では、行動に見られる世帯間及び個人間の多様性に注目する重要性が、具体的なデータから示されたといえよう。また、特に子どもについては、行動の直接観察が信頼性の高い食物・栄養摂取量のデータ収集に必要であることも示された。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、パプアニューギニア東高地州・アサロ地区において、近代化の程度が異なる3集落に居住する3歳以上の住民111人を対象とした10ヶ月のフィールドワークを行い、自給自足経済から現金経済への移行に代表される近代化が住民の食生活と栄養・健康状態へ及ぼす影響を明らかにすることを目的としている。特に1)フードシェアリングと近代化のレベルの違いが食生活の多様性に与える影響、2)このような食生活の特徴が個人の栄養・健康状態に与える影響、に焦点を当て調査・分析し、以下の結果を得ている。

1.対象世帯の各人に対して行った7日間連続の直接秤量法による食事調査の結果、3集団における近代化による食生活の変化はLocal食品(主に集落内で生産され店舗を通さない)からStore食品(缶詰、小麦粉、米など、輸入され店舗で購入する)への移行に見られた。コミュニティーの近代化程度の違いや、直接観察とインタビューによって得られた世帯毎の近代化の程度の指標と各食品群摂取頻度との関係を分析したところ、Store食品の摂取頻度は世帯要因、特に現金収入に大きく影響され、さらに食品へのアクセス(集落内の店の存在、街までの交通の便など)も影響していた。最も近代化した集落では他の2集落に比べStore食品に多く含まれるエネルギー、タンパク質、Na、脂質の摂取量が多く、これらの摂取量は血圧や体格(身体計測値からBMIと体脂肪率を計算)と相関があったことから、対象成人、特に近代化した集落における肥満や血圧上昇の増加の原因であることが示唆された。一方、ビタミンAと鉄は野菜類をはじめとするLocal食品から多く摂取されていたが、この集落ではこれらの食品の摂取量への寄与率が低く、摂取量も少なかった。従って、Store食品の摂取量の増加はタンパク質摂取量の増加という利点とともに、Na・脂質摂取量の増加とビタミンA摂取量の減少という不利な健康影響ももつことが示された。

2.食品の入手先を自世帯と他世帯(フードシェアリングによって得られたもの)にわけて、摂取頻度と栄養素摂取量への貢献度を分析した。フードシェアリングは全ての集落で見られ、食糧の安定供給と栄養素摂取量の個人間差を緩和する機能があり、特に子どもにおいて重要な役割を果たしていることが明らかになった。しかし、その頻度や栄養素摂取量へ占める割合が近代化とともに減少する傾向があり、特にLocal食品において顕著であった。近代化によって食物の分配、流通にかかわる社会的なシステムが変化していくことが具体的なデータによって示されたと言える。コミュニティーの世帯間での頻繁なフードシェアリングが減少し、食物摂取における世帯の独立性が強化されると、コミュニティー内の裕福な世帯では栄養過多による肥満や血圧上昇などが増加し、一方では現金収入へアクセスできない世帯では低栄養の問題が解決されないままになる可能性があることが示された。発展途上国の都市部や急激に近代化した地域での栄養摂取における個人間差とそれに関連する健康問題の原因として、コミュニティーが食物供給にはたす役割は、注目に値すると考えられる。

 以上、本論文は信頼性の高い詳細なデータを収集し、行動に見られる世帯間及び個人間の多様性に注目する重要性を示した。また、特に子どもについては、行動の直接観察が信頼性の高い食物・栄養摂取量のデータ収集に必要であることも明らかにした。近代化がもたらす食生活変化を扱った論文は多いが、そのメカニズムとしてフードシェアリングを取り上げ、その重要性を示した論文はかつて無い。本研究はこれまで詳細な研究がされてこなかった近代化が食物分配システムにもたらす影響とその栄養素摂取量や健康への影響の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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