学位論文要旨



No 117406
著者(漢字) 石川,陽子
著者(英字)
著者(カナ) イシカワ,ヨウコ
標題(和) 夫婦のリプロダクティブヘルスに対する意識と女性のリプロダクティブヘルスに関する研究
標題(洋) Relationship between couples' reproductive health attitudes and women's reproductive health in Japan
報告番号 117406
報告番号 甲17406
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第2014号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 甲斐,一郎
 東京大学 教授 大塚,柳太郎
 東京大学 助教授 福岡,秀興
 東京大学 助教授 矢野,哲
 東京大学 講師 萱間,真美
内容要旨 要旨を表示する

 諸言

 1994年のカイロ国際人口開発会議(ICPD)はリプロダクティブヘルスの概念を明確にし、世界の人口政策に新たな潮流を生み出した。ICPDは女性を世界における開発の中心と位置付け、これまでの人口抑制政策を見直し、女性の生涯を通じた健康に焦点を当てることを決議した。ICPDの示すリプロダクティブヘルスの要素とは、性行動、家族計画、母子保健、人工妊娠中絶に係わる障害、不妊、更年期障害、HIV/AIDSを含む性感染症やその他の生殖器関連疾患、性暴力を含む女性に対する暴力等である。

 日本における地域保健政策は母子保健に重点がおかれ、男性を対象としたリプロダクティブヘルスサービスは皆無といえる。しかしながら近年、少子化対策として厚生労働省は男性が子育てに参加する重要性を認識し、キャンペーンを行っている。また、1995年の第4回北京世界女性会議において女性に対する暴力を根絶する決議がなされたことに応え、旧総理府は1999年に初めて家庭内暴力に関する全国調査を実施し,2001年10月には「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律」(DV防止法)を導入した。日本は先進国の中では避妊実行率が低く、また意図しない妊娠の率が高い。女性の地位に関しても国連開発計画が示す女性のエンパワーメント(経済、政治への参加度)が遅れているとされる。思春期を対象とした調査では男女の力関係の不平等から生じるハイリスクな性行動が報告されているが、成人男女を対象とした調査は殆どなく、とりわけパートナーである男性の性に関する意識が女性のリプロダクティブヘルスに及ぼす影響について明らかにされた研究はない。

 そこで本研究では、1)成人を対象とした「リプロダクティブヘルス意識スケール」を作成する、2)リプロダクティブヘルスに関する意識の男女差を明らかにする、3)夫婦のリプロダクティブヘルスに関する意識が女性のリプロダクティブヘルスに与える影響を測定する、4)女性のリプロダクティブヘルスに影響を及ぼすその他の要因を明らかにすることを目的とした。

 方法

 本研究は、1)リプロダクティブヘルス意識スケール(RHAS)の作成と、2)夫婦を対象としたリプロダクティブヘルスに関する調査から成る。

 スケールの項目を作成するために有配偶者の成人男性に対する面接を繰り返し、性行動やジェンダーに関わるスケールの文献調査から65項目の質問を作成した。回答は「そう思う」から「そうは思わない」までの5段階尺度(最低点1点、最高点5点)で求め、項目の合計得点を尺度得点とした。調査は2000年の10月から12月に主に郵送(一部は回収箱を使用)で行われた。対象はパートナーを持つ関東地方に居住する成人男女で171人に対し調査票を配布した。結果は因子分析を行い、項目を確定した後に、信頼性と妥当性を検定した。

 リプロダクティブヘルスに関する調査は2001年3月から5月に都内2ヶ所の総合病院の産科病棟と外来で行われた。対象は産科病棟に入院中または外来を受診した妊産婦とその配偶者200組で、病棟または外来で調査票を手渡し、郵送または回収箱による回収を行った。

 第1の調査で作成されたリプロダクティブヘルス意識スケール、社会経済的属性、リプロダクティブヘルスに関する知識と情報源、家族計画に関する夫婦間のコミュニケーションを説明変数とした。従属変数は女性の望まない性行為、望まない妊娠、人工妊娠中絶、夫からの言葉による暴力、身体的暴力、性感染症の経験とし、多変量解析により分析した。

 結果

 スケール作成の調査の回答者は106人(男性48人、女性58人)であり有効回答率は62.0%であった。因子分析の結果、4因子20項目のリプロダクティブヘルス意識スケールが形成された。各因子は1:出産に関する自己決定(4項目)、2:性における反ジェンダーステレオタイプ(7項目)、3:性に関するコミュニケーション(4項目)、4:リプロダクティブライツ(5項目)である。各因子の信頼性係数(クロンバッハα)は0.70-0.84で、総スケールでは0.73であった。再テストの相関係数は0.69-0.84で、総スケールでは0.84であった。因子1:出産に関する自己決定(p<0.01)、因子2:性における反ジェンダーステレオタイプ(p<0.01)、因子4:リプロダクティブライツ(p<0.05)と総スケール(p<0.01)の平均点について男女差がみられた。

 リプロダクティブヘルス調査の回答者は131組で有効回答率は65.5%であった。回答者の平均年齢は女性が32.7歳、男性が34.5歳で、婚姻年数の中央値は4年、53.4%が無子であった。

 リプロダクティブヘルスに関する情報源では避妊については45.0%の女性が専門書から情報を得ているのに対し、61.1%の男性がマスメディアを情報源としていた。性感染症に関する情報源では男女ともマスメディアと回答した者が最も多かった(女性45.0%、男性67.9%)。知識に関しては妊娠、出産に関する項目では女性の方が高い(p<0.01)反面、性感染症に関する1項目では男性の知識が有意に高かった(p<0.01)。全13項目の正解数の平均値は女性で有意に高かった(p<0.01)。希望する子供の数について性差はみられなかったものの、配偶者の希望する子供の数を正しく認識していたのは全体の54.2%であった。

 男性のリプロダクティブヘルス意識スケールの第2因子:性における反ジェンダーステレオタイプの平均点は配偶者が望まない妊娠と人工妊娠中絶の経験のある群で有意に低かった(p<0.01)。男性の学歴で層化すると高学歴群(専門学校卒以上)ではリプロダクティブヘルス意識スケールの総得点が低い群(中央値以下)では配偶者の望まない性行為の経験率は有意に高いのに対し(p<0.05)、低学歴群(高卒以下)では、スケールの総得点が低い群の配偶者は望まない妊娠(p<0.05)、人工妊娠中絶(p<0.05)、言葉の暴力(p<0.01)を有意に多く経験していた。

 ロジスティック回帰分析では、男性のリプロダクティブヘルス意識スケール得点をパラメーターとしたときに、得点が低い集団では高い集団に比べ、配偶者の望まない性行為、望まない妊娠、人工妊娠中絶、身体的暴力のオッズ比がそれぞれ3.26、3.49、6.42、28.85 (p<0.05)であった。社会経済的属性では、女性の就労が望まない妊娠と人工妊娠中絶でオッズ比5.33、9.11 (p<0.01)となり、2人以上の子供を有する場合、人工妊娠中絶のオッズ比は5.74 (p<0.01)であった。男性の高卒以下の学歴群では専門学校卒業以上の学歴群と比べ、配偶者の身体的暴力経験のオッズ比が35.66 (p<0.05)であった。

 考察

 女性はリプロダクティブヘルスの情報源を専門書に求める傾向が強いのに比して男性ではマスメディアが主な情報源である。しかしながら先行研究が示すように男性を対象とした新聞、雑誌等はリプロダクティブヘルスに関する誤った情報を伝えるものや、ステレオタイプ的な性関係を押し付けているものが多い。男性を対象とした健康情報の伝達には特にメディアを媒体とすることが有効であると考えられる。また、1990年代から性に関するコミュニケーションすなわち交渉能力が望まない妊娠や性感染症を予防する手段の一つとして注目されてきた。しかしながら本研究では女性が性に関して話すことへの障壁があること、性にかかわる夫婦間のコミュニケーションも十分とはいえないことが示唆された。

 望まない性行為や望まない妊娠、人工妊娠中絶は社会経済的な属性要因が大きいと考えられているが、本研究により男性のリプロダクティブヘルス意識もその要因のひとつであることが明らかにされた。特にリプロダクティブヘルス意識スケールの第2因子に説明される「性におけるジェンダーステレオタイプ」=masculinityは最も影響力のある因子と考えられる。また女性より男性のリプロダクティブヘルス意識が女性のリプロダクティブヘルスに与える影響が強いことは、性における男女の不平等な力関係の存在を現しているといえる。

 厚生労働省のリプロダクティブヘルス関連保健政策の1つである「健やか親子21」の中にも、思春期の男女への性教育の必要性は述べられている。成人は両親、教師、保健政策者、メディア製作者等として思春期の男女の性行動に大きな影響を及ぼすにも関わらず、特に男性はこれまでリプロダクティブヘルスプログラムの対象としてとらえられていなかったといえる。本研究で得られた結果は、男女双方を対象としたリプロダクティブヘルスプログラムの構築が女性のリプロダクティブヘルス増進に効果をもたらす可能性を示すものである。

 本研究の対象は、妊娠中または出産直後の夫婦であり、得られた結果全てを一般化することは妥当ではない。今後の課題として、地域の代表性のあるサンプルについて測定を行い外的妥当性の検証をしていくことが必要である。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、日本における男女のリプロダクティブヘルス意識と女性のリプロダクティブヘルスとの関係を夫婦単位で調査・研究したものである。具体的には、1)リプロダクティブヘルス意識スケールを作成し、2)妊産婦とその配偶者に対し、調査票を用いた量的研究を行い、リプロダクティブヘルス意識と女性の望まない性行為、望まない妊娠、人工妊娠中絶、性感染症、言葉による暴力、身体的暴力の経験との関係を解析したものであり、下記の結果を得ている。

1.開発されたリプロダクティブヘルス意識スケールは20項目4因子から成り、第1因子:生殖における女性の自己決定、第2因子:性に関する反ジェンダーステレオタイプ、第3因子:性に関するコミュニケーション、第4因子:リプロダクティブライツである。

2.リプロダクティブヘルスに関する意識における男女の得点差は、第1因子:生殖における自己決定、第2因子:性に関する反ジェンダーステレオタイプ、第4因子:リプロダクティブライツと総スケールでみられ、女性の方が有意にリプロダクティブヘルス・ライツの概念を受容する態度を示していた。

3.リプロダクティブヘルスに関する情報源では、避妊については女性が専門書から情報を得ることが多いのに比して、男性はマスメディアを主な情報源としていた。性感染症に関する情報源では、男女ともマスメディアが第一であった。知識に関しては妊娠、出産に関する項目では女性の正解率が高い反面、性感染症に関する項目では男性の知識が高かった。希望する子供の数について性差はみられなかったものの、配偶者の希望する子供の数を正しく認識していたのは約半数であった。

4.望まない性行為を経験している女性と夫から身体的暴力を受けた経験を持つ女性は望まない妊娠と人工妊娠中絶をより多く経験していた。

5.望まない妊娠と人工妊娠中絶を経験している女性では、未経験群に比べ、配偶者の第2因子:性に関する反ジェンダーステレオタイプの平均得点が有意に低かった。

6.男性のリプロダクティブヘルス意識得点の低さは、配偶者の望まない性行為、望まない妊娠、人工妊娠中絶、身体的暴力の経験と有意に関連していることが明らかになった。反面、身体的暴力の経験は女性のリプロダクティブヘルス意識の上昇と関連していた。多変量解析により、男性のリプロダクティブヘルス意識が、女性の意識よりも有意に女性のリプロダクティブヘルスに影響を与えていることが明らかになった。

7.社会経済的属性との関係については、女性の就労は望まない妊娠と人工妊娠中絶の増加と、2人以上の子供を有することは人工妊娠中絶の増加と、男性の高卒以下の学歴は配偶者の身体的暴力の経験の増加とそれぞれ関連していた。

 以上、本論文は男女、とりわけ男性の意識が女性のリプロダクティブヘルスに大きな影響を与えることを証明したものである。夫婦単位の研究により男女の意識と女性のリプロダクティブヘルスとの関係が検証されたのは避妊行動を除いては本研究が初めてであるという点で独創性があり、また男性への介入の必要性を示唆したことは、今後のリプロダクティブヘルスプロモーションに重要な貢献をなすものであり、学位の授与に値するものと考えられる。

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