学位論文要旨



No 117407
著者(漢字) 高島,英造
著者(英字)
著者(カナ) タカシマ,エイゾウ
標題(和) クルーズトリパノソーマ原虫のフマル酸還元酵素についての研究
標題(洋) Study of fumarate reductases in Trypanosoma cruzi
報告番号 117407
報告番号 甲17407
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第2015号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 徳永,勝士
 東京大学 助教授 大海,忍
 東京大学 助教授 土屋,尚之
 東京大学 助教授 横溝,岳彦
 東京大学 助教授 渡邊,知保
内容要旨 要旨を表示する

[緒言]

 嫌気的環境下に生息する生物に広く観察されるフマル酸還元によるレドックス恒常性の維持は、これらの生物の生存に必須であり、フマル酸還元酵素(fumarate reductase; FRD)によって触媒されることが知られている。例えば解析の進んでいるカイチュウでは、幼虫期では哺乳類同様、好気的呼吸鎖を利用しているが、成虫期にはヒト小腸内の嫌気的環境に適応してフマル酸を最終電子受容体として用いる嫌気的呼吸を営むことが知られており、それに伴ってコハク酸を最終代謝産物として産生する。この系は肺吸虫など他の寄生虫ばかりでなく多くの嫌気性細菌にも観察される。

 Trypanosoma cruziは南米の風土病、シャーガス病を惹起する感染性原虫であるが、特効薬が無い事から治療薬の開発が急務となっており、サシガメ(大型のカメムシ類の昆虫)によって媒介され、図1のようなライフサイクルをとる。T. cruziはTCAサイクルと呼吸鎖から構成される好気的エネルギー代謝をすべてのステージで営んでいるが、一方、そのすべてのステージにわたってコハク酸を産生する事が知られている。このことからT. cruziのフマル酸・コハク酸代謝系は、カイチュウなどの嫌気的呼吸鎖とは大きく異なっている事が考えられ、未知のフマル酸還元系がT. cruziのレドックス環境を維持していることが予測される。しかし、T. cruziのコハク酸産生に深く関わっていると考えられるフマル酸還元酵素は精製されておらず、蛋白質レベルでの解析は進んでいない。本研究は、T. cruziの各細胞画分についてFRD活性を確認し、FRDを分子レベルで同定することで、この原虫に特異的な代謝系を明らかにする事を目的としている。

[FRDの細胞内局在]

 最初にFRDの細胞内局在を調べる目的でT. cruziを細胞分画し、ミトコンドリア、膜、細胞質画分を得た(表1)。人工電子供与体であるMethylviologen(MV)を用いて測定したFRD活性(MV-FRD)は細胞質画分とミトコンドリアに局在し、その約40%が可溶画分に局在していた。ミトコンドリアに局在するMV-FRDはT. cruziの複合体II由来であると考えられる。また、NADHの還元力によってフマル酸を還元するFRD活性(NADH-FRD)は同じくミトコンドリアに93%局在していた。

[細胞質MV-FRDとDHOD]

 共同研究を進めているGaoらは最近T. cruziのピリミジンde novo合成系のすべての遺伝子をコードする遺伝子クラスターを同定した(pyr遺伝子)。このうち核酸の塩基配列の相同性から、pyr4はフマル酸を電子受容体として用いるファミリー1A(表)のジヒドロオロト酸脱水素酵素(DHOD)に属する酵素をコードする遺伝子であることが予測された。そこで私は、可溶性MV-FRDがT. cruzi DHODによるものではないかと考え研究を進めた。

 MV-FRD活性を指標に、T. cruzi細胞質画分に局在するDHODをゲルろ過(TSK-gel 3000)を用いて部分精製した。MV-FRDのピークは二つに分かれ、そのうち低分子量(〜70kDa)のピークがDHOD活性のピークと一致した(図1)。この事からT. cruziの可溶性MV-FRDは少なくとも二種類の蛋白質からなり、そのうち低分子量のピーク(可溶性MV-FRDの約40%)はT. cruzi DHOD由来であることが強く示唆された。この点を確認するために、pyr4全長を用いた組換えDHOD(rDHOD)を大腸菌でpET systemによって発現させ、Nickel-agarose chromatograpyを用いて精製した。得られた精製標品は、99%以上の純度を持っており、DHOD活性とMV-FRD活性の双方を有していた。また、抗組換えT. cruzi DHOD抗体を用いたImmunoaffinity chromatograpyによって、T. cruzi細胞質画分からCBB染色でほぼ単一のバンド(〜34kDa)にまでT. cruzi DHODを精製した。精製標品はDHOD、FRD活性、両酵素反応を触媒し、また、N末端アミノ酸配列をエドマン分解法により決定した結果、T. cruzi DHOD遺伝子から予測されるアミノ酸配列と一致した事から、少なくとも2種類ある可溶性FRDのうちの一つが、T. cruzi DHODであることが明確になった。

 ゲルろ過とSDS-PAGEによる分子量のデータから、本酵素は溶液中でホモダイマーとして存在すると考えられた。さらに動的光散乱解析では、rDHODが非常に均一な試料であることと、蛋白質分子が球形であることを仮定すると約70kDaの分子量を持つことが示され、ゲルろ過の結果と一致した。また、分光学的解析では他の生物種由来のDHODと同様、ジヒドロオロト酸(DHO)特異的なフラビンに還元よる350nmの吸光度の減少が観察された。

[酵素学的性質]

 本研究でT. cruziのDHODがMVからの還元力をフマル酸に伝達するMV-FRD活性を持つということがはじめて見出されたので、さらにその酵素学的性質を調べた。Family 1Aに属するDHODはフマル酸の他、酸素を電子受容体として用いることができることが知られている。精製したT. cruzi DHODは、フマル酸を電子供与体として用いた場合、酸素と比較して12.6倍のDHOD活性を示した。これは同じFamily 1Aに属する分裂酵母、Enterococcus faecalis、Lactococcus lactisのDHODと比較すると高い活性であり(それぞれ4.3,1.4,3.0倍)、T. cruzi DHODが、生理的にも特にフマル酸還元に深く関わっていることを示唆している。

 速度論的解析では、rDHODのDHOおよびフマル酸に対するKmは原虫由来のDHODとほぼ同一であった。そこでrDHODを用いてさらに酵素学的解析を進めた。DHODのDead-end阻害剤であるバルビツール酸は、DHOに対して拮抗的、フマル酸に対しては反拮抗的にT. cruzi DHODを阻害した。この事は本酵素がPing-pong Bi-Bi機構でDHOD活性を触媒している事を示している。またオロト酸はDHODの生成物であり、他のFamily 1A酵素のDHOD活性を精製物阻害する事が知られているが、rDHODもオロト酸によって効果的に阻害された。このようにT. cruzi DHODはファミリー1Aに属する酵素であることが生化学的に確認された。さらに、MV存在下のDHOD活性の酵素学的解析から、MVの酸化還元部位の同定を試みた。その結果、MVはDHOと拮抗的にDHODを阻害し、MVの結合部位は生理的な基質結合部位であるDHOの結合部位と同一あるいは近傍に存在する事が示された。

[T. cruziにおけるフマル酸・コハク酸代謝]

 以上の事実を基にT. cruziのフマル酸に関わる代謝系を考察した(図3)。TCAサイクル、二酸化炭素固定、アミノ酸分解によって得られるフマル酸はT. cruzi細胞質内のT. cruzi DHOD、また、未知の可溶性FRDによってコハク酸に還元され最終的に細胞外へ排出される。ミトコンドリアに局在するMV-FRD(表1)はTCAサイクルのコハク酸−キノン酸化還元酵素(SQR)の逆反応であり、T. cruziの複合体IIはFRDではなく、SQRとして働いていると考えられる。実際にSQRはin vitroにおいて、逆反応を触媒する事が知られており、またT. cruziにはユビキノンのみが存在し、複合体IIがFRDとして機能するために必要な低酸化還元電位のメナキノンやロドキノンは存在しない。

 NADH-FRDについては、いまだ不明な点が多く、さらに解析が必要である。先行研究において、このNADH-FRD活性は高濃度のKClによって可溶化される事が明らかになっている。カイチュウ成虫のミトコンドリアにもNADH-FRDが存在するが、これはカイチュウの嫌気的呼吸鎖の膜酵素である複合体Iと複合体IIによるものであって、KClによって可溶化されないことから、T. cruziのNADH-FRDは未知のFRDである事が示唆される。T. cruzi NADH-FRDの分子レベルでの解析を行うことによって、より詳細かつ正確なT. cruziの代謝系の全体像を得ることができると考えられる。

 本研究では、可溶性MV-FRD活性が少なくとも二種類の蛋白質によって担われ、そのうちの一部がT. cruziの増殖に必須な核酸合成系のピリミジン代謝酵素のひとつ、DHODであることを明らかにした。T. cruzi DHODはファミリー1Aに属する酵素であり、ヒトに存在するファミリー2のDHODとはその細胞内局在性、基質特異性が異なり、構造も大きく異なっていることが予想される。また大腸菌内で機能的に発現させたrDHODは原虫由来のT. cruzi DHODと生化学的に同等の機能を持っていることから、このrDHODを用いてさらにT. cruzi DHODの分子レベルでの解析を進めることによって、新規抗トリパノソーマ薬の開発に大きく寄与できると期待される。

図1 T. cruziの生活環

図2 T. cruzi可溶画分におけるMV-FRDの部分精製

10mgのT. cruzi原虫の可溶画分をTSK-Gel3000を用いてゲルろ過を行った。白丸、黒丸はそれぞれFRD活性、DHOD活性を表わしている。点線は0.D.280nmを表わしている(arbitrary unit, AU)。流速=1ml/min,分画容量=1ml.

表1 T. cruziの各細胞分画におけるフマル酸・コハク酸代謝に関する酵素の比活性

すべての測定は25℃で行った。結果は独立した三つの実験の平均±標準偏差を表した。 *コハク酸脱水素酵素活性 **DHOD活性の測定は1mMフマル酸存在下で行った。 N.D.=非検出

表2 DHODの分類

図3 T. cruziのフマル酸・コハク酸代謝モデル

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は新規抗トリパノソーマ薬の開発のための標的分子について知見を得る目的で、クルーズトリパノソーマ原虫のフマル酸還元酵素について酵素学的に解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.フマル酸還元酵素の細胞内局在性

 新規抗トリパノソーマ薬開発にむけて、クルーズトリパノソーマ原虫の最終代謝産物であるコハク酸の産生経路について着目し、まず始めにコハク酸産生の末端に位置すると考えられる原虫のフマル酸還元酵素(FRD)について酵素活性を測定した。人工電子供与体であるMethylviologen(MV)を用いて測定したFRD活性(MV-FRD)は細胞質画分とミトコンドリアに局在し、そのうち約40%が細胞質画分に局在していた。また、NADHの還元力によってフマル酸を還元するFRD活性(NADH-FRD)は同じくミトコンドリアに93%局在していた。

2.可溶性MV-FRDとジヒドロオロト酸脱水素酵素

 可溶性MV-FRDを持つ生物は非常に少なく、宿主であるヒトには存在しないことから、本酵素は化学療法剤開発において有効な標的となると考えられたため、原虫の可溶性MV-FRDに焦点を絞り生化学的な解析を行った。まず、ゲルろ過を用いてT. cruzi細胞質画分に局在する可溶性MV-FRDを部分精製した。その結果、二峰性のMV-FRDピークを得た。さらに、そのうち低分子量(~70kDa)のピークが、ピリミジン新規合成系の第四酵素であるジヒドロオロト酸脱水素酵素活性(DHOD)のピークと一致する事を見出した。これらの結果からT. cruziの可溶性MV-FRDは少なくとも二種類の蛋白質からなり、そのうち低分子量のピーク(可溶性MV-FRDの約40%)はT. cruzi DHOD由来であることが強く示唆された。この点を確認するために、組換えDHOD(rDHOD)を大腸菌でpET systemによって発現させ、Nickel-agarose chromatograpyを用いて精製した。得られた精製標品は、99%以上の純度を持っており、DHODならびにMV-FRD活性を触媒した。また、抗rDHOD抗体を用いたImmunoaffinity chromatograpyによって、T. cruzi細胞質画分からCBB染色でほぼ単一のバンド(~34kDa)にまでT. cruzi DHODを精製した。精製標品はDHOD、FRD活性、両酵素反応を触媒し、また、N末端アミノ酸配列をエドマン分解法により決定した結果、T. cruzi DHOD遺伝子から予測されるアミノ酸配列と一致した事から、少なくとも2種類ある可溶性FRDのうちの一つが、T. cruzi DHODであることが明確になった。

 ゲルろ過とSDS-PAGEによる分子量のデータから、本酵素は溶液中でホモダイマーとして存在すると考えられた。さらに動的光散乱解析によって、rDHODが非常に均一な試料であることと、蛋白質分子が球形であることを仮定すると約70kDa(35kDa×2)の分子量を持つことを確認した。また、分光学的解析では他の生物種由来のDHODと同様、ジヒドロオロト酸(DHO)特異的なフラビンに還元よる350nmの吸光度の減少が観察された。

3.T. cruzi DHODの酵素学的解析

 本研究でT. cruziのDHODがMVからの還元力をフマル酸に伝達するMV-FRD活性を持つということがはじめて見出されたので、さらにその酵素学的性質を解析した。精製したT. cruzi DHODは、フマル酸を電子供与体として用いた場合、酸素と比較して12.6倍のDHOD活性を示した。これは核酸配列の相同性から同一のファミリー(ファミリー1A)に属すると考えられる分裂酵母、Enterococcus faecalis、Lactococcus lactisのDHODと比較すると高い活性であり(それぞれ4.3,1.4,3.0倍)、T. cruzi DHODが、生理的にも特にフマル酸還元に深く関わっていることが示唆された。

 速度論的解析では、rDHODのDHOおよびフマル酸に対するKmは原虫由来のDHODとほぼ同一であった。そこでrDHODを用いてさらに酵素学的解析を進めた。DHODのDead-end阻害剤であるバルビツール酸は、DHOに対して拮抗的、フマル酸に対しては反拮抗的にT. cruzi DHODを阻害した。この事は本酵素がPing-pong Bi-Bi機構でDHOD活性を触媒している事を示している。またオロト酸はDHODの生成物であり、他のファミリー1A酵素のDHOD活性を精製物阻害する事が知られているが、rDHODもオロト酸によって効果的に阻害された。このようにT. cruzi DHODはファミリー1Aに属する酵素であることが生化学的に確認された。さらに、MV存在下のDHOD活性の酵素学的解析から、MVの酸化還元部位の同定を試みた結果、MVはDHOと拮抗的にDHODを阻害するという事実を見出し、MVの結合部位は生理的な基質結合部位であるDHOの結合部位と同一あるいは近傍に存在する事を示した。

 これらの結果から、T. cruzi DHODはヒトに存在する膜結合性のDHODとはその細胞内局在性、基質特異性が大きく異なっている事が明確となった。また大腸菌内で機能的に発現させたrDHODは原虫由来のT. cruzi DHODと生化学的に同等の機能を持っていることから、このrDHODを用いてさらにT. cruzi DHODの分子レベルでの解析を進めることによって、新規抗トリパノソーマ薬の開発に大きく寄与できると期待された。

 以上、本論文はクルーズトリパノソーマ原虫のフマル酸/コハク酸代謝およびピリミジン代謝の基礎的研究であり、新規抗トリパノソーマ薬の開発に不可欠な解析である。本研究はフマル酸を基質とする酵素群、特にT. cruzi DHODを標的とした阻害剤の探索に重要な貢献をしていると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク