学位論文要旨



No 117410
著者(漢字) 遠藤,篤史
著者(英字)
著者(カナ) エンドウ,アツシ
標題(和) エクテナサイジン743の全合成
標題(洋) Total Synthesis of Ecteinascidin 743
報告番号 117410
報告番号 甲17410
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第974号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 福山,透
 東京大学 教授 大和田,智彦
 東京大学 教授 柴崎,正勝
 東京大学 助教授 長澤,和夫
 東京大学 講師 徳山,英利
内容要旨 要旨を表示する

【背景と目的】 エクテナサイジン類はカリブ海原産のホヤより極微量に産出する、抗腫瘍性海洋産アルカロイドの一群である。なかでもエクテナサイジン743(1)1(以下Et 743と略す)は、極めて強い抗腫瘍活性を有することから、抗ガン剤としての実用化が急がれており、現在、欧米の十数カ国において第II相臨床試験が実施されている。全合成は米国ハーバード大学のE. J. Corey教授らにより達成されているが2、活性試験への供給は微量の天然サンプルに頼っているのが現状である。そこで、効率的な合成ルートの確立によるEt743の大量合成を目的として本研究を開始した。

【逆合成解析】 まずEt 743 (1)の構造上最も不安定なへミアミナール部は比較的安定な合成上の等価体であるアミノニトリル体より発生させることとした。その上で、上部5環性骨格とスピロ結合を介して連結する下部ユニットの導入を合成の最終段階で行うことを計画し、Et 743の前駆体としてケトラクトン2を設定した。Et 743に特徴的な構造であるスルフィド結合を含む10員環ラクトン部の構築については、酸性条件下に発生させたベンジル位のカチオンを、分子内のチオールによって捕捉する方法を計画した。この際、スルフィド結合の構築に必要な酸化段階を備えた5環性のベンジルアルコール3は、フェノールのオルト位での分子内アルデヒドへの付加反応により構築可能であると考え、4のような3環性のアルデヒドを重要中間体として設定した。さらに、4は左右2つの光学活性アミノ酸誘導体6および7の縮合で得られるジケトピペラジン5より導くことを計画した(Scheme 1)。

【右セグメントの合成】 3環性アルデヒド4の波線部位での結合生成について、当初はPictet-Spengler反応による構築を想定していたが、モデル実験により環状エナミド8を用いた分子内Heck反応が円滑に進行し、3環性化合物9を与えることを見出した(Scheme 2)。そこで、6の芳香環部に位置選択的にハロゲン原子の導入されたフェニルアラニン誘導体10の合成を目指した。10の合成法としては、以下のようにデヒドロアミノ酸エステル15に対する不斉還元を鍵反応とする合成法が、工程数,収率,操作の簡便さを総合すると最も大量合成に適した合成法であった。市販の3-methylcatechol (11)を出発原料とし、フェノールの位置選択的トシル化、フェノールのパラ位のブロム化、ハロゲン−リチウム交換に続くDMF処理等を経てベンズアルデヒド13を合成した。芳香環への位置選択的なヨウ素原子の導入は、MOMエーテルのオルト位の選択的リチオ化を用いて行った。得られたヨードベンズアルデヒド14は、Horner-Emmons反応によってデヒドロアミノ酸エステル15とした後、DuPHOS-Rh触媒を用いた触媒的不斉還元を経て効率良く右セグメント16へと導くことができた(Scheme 3)。

【左セグメントの合成】 筆者らは本研究の初期、D−グルコースを出発原料とする合成ルートの開発過程において、イミノラクトン17とフェノール18とのMannich型の付加反応が立体選択的に進行することを見い出した3。そこで、イミノラクトン17と共通の部分構造を有するキラルテンプレート25を新たに開発し4、それをフェノール25とのカップリング反応へと応用することによって、左セグメントの大量合成を実現した。市販の(R)−フェニルグリシンを定法により20へと変換後、メチルエステル部位へのMeMgBrの付加反応を経てアミノアルコール21へと導いた。21に対してブロモ酢酸フェニルを用いたアミノラクトン化、続いて四酢酸鉛を用いた酸化を行って安定なイミノラクトン22を得た。このキラルテンプレートとセサモール誘導体25とのカップリング反応はTFA存在下-10℃にて円滑に進行し、付加体26を単一生成物として高収率で得ることに成功した。付加体はフェノールをトリフレートとした後、還元的にラクタム環を開環、一級水酸基の選択的シリル化を経て27へと導いた。トリフレート27に対してPd触媒と亜鉛試薬を用いたクロスカップリング反応を行って芳香環上にメチル基の導入を行って28を得た後、キラルテンプレートに由来するアミノアルコール部分を酸化的に開裂、生じたイミンをヒドロキシルアミンを用いて分解して、左セグメント29を得た(Scheme 5)。

【Et 743の全合成の達成】 以上のようにして合成した左右2つのセグメント16および29は、このほかにp-メトキシフェニルイソニトリル(PMP-NC) (30)とアセトアルデヒド(31)を加えた4成分によるUgi反応を行うことで、Et 743の上部5環骨格を構築に必要な全ての炭素および窒素原子を有するアミド32へと効率良く一段階で導くことができた。ジケトピペラジン環の構築は、Boc基の除去と続く加熱によって円滑に進行して33を得た。ジケトピペラジン33は、Boc基の導入によるラクタムのカルボニルの活性化、イミドの部分還元、脱水を経て環状エナミド34へと導いた。モデル実験と同様、29を用いたHeck反応も円滑に進行し、望みとする3環性のエナミド35を高収率で得ることに成功した。得られたエナミドの二重結合部は、ジメチルジオキシランを用いた酸化、アシルイミニウムイオンを経由した立体選択的な還元によって、側鎖に関して望みの立体を有するアルコール36へと導いた。残るアミド結合のRed-Alを用いた還元は、遊離の水酸基の存在によって円滑に進行し、部分還元体を比較的安定なオキサゾリジン体37として得た。引き続き、ルイス酸存在下オキサゾリジン環の開環と同時にシアノ基の導入を行った後、上部水酸基の酸化を経て重要中間体であるアルデヒド38へと導いた。芳香環部のアルデヒドへの付加反応は2つのベンジル基を加水素分解によって除去すると同時に進行し、高収率で5環性のベンジルアルコール39を得ることに成功した。その後、右部フェノールの選択的アリル化、下部水酸基へのシステインユニット40の導入を経て41を得た。鍵となるベンジル位でのスルフィド結合の生成は、チオール部のアセチル基を除去した後、CF3CH2OH中で低濃度のTFAで処理することにより円滑に進行した。得られたスルフィドは左部フェノールをアセチル化して42へと導いた。最後に2級アミン部のメチル化、アミノ基転移反応を用いたケトラクトンへの誘導、アミン43とのPictet-Spengler反応によるスピロ結合と下部ユニットの導入、アミノニトリル部からのヘミアミナールの発生を経てEt 743(1)の全合成を達成した(Scheme 6)。

【参考文献】 1) Sakai, R.; Rinehart, K. L.; Guan, Y.; Wang, H. J. J. Proc. Natl. Acad. Sci. U. S. A. 1992, 89, 11456. 2) Corey, E. J.; Gin, D. Y.; Kania, R. J. Am. Chem. Soc. 1996, 118, 9202. 3) Endo, A.; Kan, T.; Fukuyama, T. Synlett 1999, 1103. 4) Tohma, S.; Endo, A.; Kan, T.; Fukuyama, T. Synlett 2001, 1179.

Scheme 1

Scheme 2

Scheme 3

Scheme 3

Reagents and conditions : a) i) TsCl, TEA, CH2Cl2, 0℃, ii) Br2, AcOH, CH2Cl2, rt, iii) Mel, K2CO3, acetone, reflux, b) i) NaOH, EtOH-H2O, reflux, ii) MOMCl, i-Pr2NEt, CH2Cl2, 0℃, iii) n-BuLi, DMF, THF, -60℃; c) i) HC(OMe)3, CSA, MeOH, rt, ii) n-BuLi, I2, Et2O, 0℃ to rt, iii) conc. HCl, THF, rt, iv) BnBr, K2CO3, CH3CN, reflux; d) BocNHCH(CO2Me)PO(OMe)2, TMG, CH2Cl2, rt; e) i) Rh[(COD)-(S,S)-Et-DuPHOS]+OTf-(1.5mol%), H2(500 psi), EtOAc, 50℃, ii) LiOH, MeOH-H2O-THF, 0℃ to rt.

Scheme 4

Scheme 5

Reagents and conditions : f) i) MeMgBr, THF, rt, ii) SOCl2, MeOH, rt; g) i) BrCH2CO2Ph, propylene oxide, CH3CN, 50℃, ii) Δ, toluene, iii) Pb(OAc)4, CH3CN, 0℃; h) MOMCl, THF-DMF, 0℃; i) n-BuLi, B(OMe)3, THF, 0℃ then H2O2, AcOH, rt; j) TFA, CH2Cl2, -10℃; k) i) Tf2O, pyridine, CH2Cl2, 0℃, ii) NaBH4, MeOH, rt, iii) TBDPSCl, imidazole, DMF, rt; l) MeZnCl, PdCl2(dppf) (5 mol%), THF, reflux; m) i) Pb(OAc)4, CH3CN, ii) NH2OH・HCl, NaOAc, EtOH, rt.

Scheme 6

Reagents and conditions : n) MeOH, reflux; o) i) TBAF, THF, rt, ii) Ac2O, pyridine, DMAP, rt, iii) TFA, anisole, CH2Cl2, rt, iv) Δ; p) i) MsCl, pyridine, CH2Cl2, rt, ii) (Boc)2O, DMAP, CH3CN, rt, iii) NaBH3CN, H2SO4, EtOH, 0℃, iv) CSA, quinoline, toluene, reflux; q) Pd2(dba)3(5mol%), TEA, P(o-tol)3(20mol%), CH3CN, reflux; r) i) NaOH, MeOH-H2O, reflux, ii) Ac2O, pyridine, DMAP, rt, iii) TFA, CH2Cl2, rt, iv) TrocCl, sat. NaHCO3-CH2Cl2, rt, v) dimethyldioxirane, MeOH, 0℃ then CSA, vi) NaBH3CN, TFA-THF, 0℃; s) i) TBSCl, imidazole, DMF, rt, ii) guanidine nitrate, NaOMe, MeOH-CH2Cl2, iii) BnBr, K2CO3, CH3CN, reflux, iv) Red-Al, THF, 0℃; t) i) TMSCN, BF3・OEt2, CH2Cl2, ii) Ac2O, pyridine, DMAP, rt; iii) HF, CH3CN, rt, iv) Dess-Martin periodinane, CH2Cl2, rt; u) Pd-C, H2, THF, rt; v) i) allyl bromide, i-Pr2NEt, CH2Cl2, reflux, ii) K2CO3, MeOH, iii) 40, WSCD・HCl, DMAP, CH2Cl2, rt; w) i) NH2NH2・H2O, CH3CN, rt, ii) TFA, CF3CH2OH, rt, iii) Ac2O, pyridine, DMAP, rt; x) i) Zn, AcOH, Et2O, rt, ii) HCHO, AcOH, NaBH3CN, MeOH, rt, iii) Pd(PPh3)2Cl2, AcOH, n-Bu3SnH, CH2Cl2, rt, iv) 4-formyl-1-methylpyridinium benzenesulfonate, DBU, citric acid, DMF-CH2Cl2, rt, v) 43, NaOAc, EtOH, rt, vi) AgNO3, CH3CN-H2O.

審査要旨 要旨を表示する

 Ecteinascidin 743 (1, Et 743)は極めて強い抗腫瘍活性を有する海洋産の希少なアルカロイであり、新規抗ガン剤としての実用化を目指した臨床試験が欧米諸国において実施されている。全合成は1996年に米国ハーバード大学のE. J. Corey教授らにより達成されているが、活性試験への供給は微量の天然サンプルに頼っているのが現状である。そこで遠藤篤史はEt743 (1)の大量供給を可能にする効率的な合成ルートの確立を目指して全合成研究を開始した(図1)。

 Et743 (1)の上部基本骨格の合成にあたって、右セグメント3は、市販の・3-methylcatecholより誘導した、高度に官能基化された芳香環部を有するエナミドエステル2に対して、触媒的不斉還元を適用することによって大量に合成した。一方で、光学活性アリールグリシン類の新規合成法(イミノラクトン5をキラルテンプレートとするMannich型反応)を開発し、それを市販のセサモールより合成したフェノール4に対して応用することによって左セグメント6を光学活性体として効率的に合成した。これら2つのセグメントは、効率的な4成分のカップリング反応(Ugi反応)によって、上部5環性骨格の構築に必要な炭素原子を全て備えた縮合体7へと1工程で導くことに成功している。Et743 (1)の右半部を構成する3環性骨格の構築については、環状エナミド8の分子内Heck反応という独自性に富んだ手法を数多くの検討の末に見い出し、高収率にて9を得ている。続いて3環性エナミド9のエキソオレフィン部分に対してアシルイミニウムイオンを経由する酸化/還元反応を行ない、望みの立体化学を有するアルデヒド10へと巧みに導いた。10の2つのベンジル基を還元的に除去すると、遊離した左部フェノールのオルト位において、アルデヒドに対する付加反応が自発的に進行して5環性トリオール11を与えた。この際に生成するB環の酸化段階すなわちベンジル位の水酸基の存在は、Et743 (1)に特徴的な含硫黄架橋構造を温和な条件下簡便に構築する上で決定的な役割を果たしている。11より誘導したチーオール12を、トリフルオロエタノール中トリフルオロ酢酸で処理することによって、活性化されたベンジル位に対するチオールの環化反応が円滑に進行し、望みとする10員環スルフィド13を簡便に合成することに成功した。その後、Pictet-Spengler反応による下部ユニットの導入を含む数工程を経て、3-methylcatecholより50段階、通算収率0.4%にてEt743 (1)の全合成を達成した(式1)。

 遠藤篤史は医薬化学的非常に興味深いEcteinascidin 743 (1)の効率的全合成の成功により、広汎な類縁体合成への道を開いた。従って、薬学研究のさらなる発展への寄与は大きいものと考えられ、博士(薬学)の学位を授与するに値すると認めた。

図1

式1

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