学位論文要旨



No 117411
著者(漢字) 黒川,利樹
著者(英字)
著者(カナ) クロカワ,トシキ
標題(和) (+)−リセルグ酸の合成研究
標題(洋) Synthetic Studies on (+)-Lysergic Acid
報告番号 117411
報告番号 甲17411
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第975号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 福山,透
 東京大学 教授 大和田,智彦
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 助教授 遠藤,泰之
 東京大学 講師 徳山,英利
内容要旨 要旨を表示する

 (+)−リセルグ酸(1)は麦角アルカロイドの基本分子であり、LSDを代表とするその誘導体は幅広い生理活性を有することが知られている。また合成目標分子としても多くの有機合成化学者の興味を集め、1954年Woodwardらにより初めての全合成が達成されて1から現在まで多様な合成デザインに基づく全合成及び合成研究が報告されている。しかしながら、それらはいずれもラセミ体の合成であり未だに不斉合成は達成されていない。そこで筆者は効率的な不斉全合成を目標とし検討を行ったので、以下その概略を述べる。

 (+)−リセルグ酸(1)の基本骨格である4環性化合物の構築において、B、C環をPd触媒を用いて同時に閉環することを鍵反応とした合成計画を立案した(Scheme 1)。カルボン酸部位は合成の終盤で構築することとし、残る4環性化合物は図に示した位置で逆合成的に切断することにより、B、C環はそれぞれPd触媒による分子内芳香族アミノ化反応2、Heck反応により1工程で形成できると考えられる。また環化前駆体2をA環部、D環部の両セグメントに分割することができれば、容易に合成可能な対称置換ベンゼン3をA環部とすることができる。

 以上の逆合成的解析に基づき、A、D環の接続に利用可能な反応の検討を行った。既知の方法であるMeerwein Arylation等の様々な反応を試みたが、オルトジブロモベンゼン類のカップリングは困難であった。更なる検討の結果、ハロゲン−リチウム交換反応における新しい知見を得ることができ、それをもとにA、D環の接続方法を確立することができた(Scheme 2)。2,6−ジブロモ−4−メチルーヨードベンゼン(4)に対して、トルエン中、-78℃でn-BuLiを加えると、期待したようにヨウ素のみが選択的にリチオ化される。続いて1−ニトロアルケンを加えると、Michael反応が進行しほぼ定量的に付加体6が得られた。

 次に環化前駆体への誘導及び鍵反応についてモデル検討を行った(Scheme 3)。D環部に相当する1−ニトロアルケン7に対して、上述の方法によりA環部との接続を行った。得られた付加体8を塩酸存在下、鉄紛、塩化第一鉄を作用させ、エタノール中加熱還流することによりニトロ基のみを選択的に還元することができた。生じたアミノ基をBoc基で保護し、環化前駆体9へと導いた。この様にして得られた9に触媒としてPd(PPh3)4、塩基として炭酸セシウムを用いトルエン中加熱したところ、分子内芳香族アミノ化、Heck反応による閉環が円滑に進行し、望みとする4環性化合物10を収率94%で得ることができた。こうして、Pd触媒による2環同時閉環反応を鍵とする基本骨格構築に成功した。

 続いて今回新たに確立した合成経路に従い、リセルグ酸の合成について検討を行った(Scheme 4)。基本骨格構築後のカルボン酸部位導入を視野に入れ、その足がかりとしてエノールエーテルを有する基本骨格11を合成することとした。ここでC環構築のHeck反応において、PdはC5の立体の影響で図のα面からオレフィンに挿入し、中間体14を形成する(Figure 2)。続くβヒドリド脱離を考慮するとC8のアルコキシ基はC5の側鎖に対しtransとなることが必須である。

 そこで筆者は、夏目らにより報告されている1,2−ジヒドロピリジン16の一重項酸素酸化生成物に対する付加反応3を用いて、側鎖が互いにtransに位置する付加体17を選択的に合成した。遊離のヒドロキシル基のメチル化、アセタールの脱保護により対応するアルデヒド18に変換後、常法によりD環部となる1−ニトロアルケン19へと導いた。これを上述の方法を用い環化前駆体20とし、鍵であるPd触媒による2環同時閉環反応を試みた。この場合もやはり反応は円滑に進行し、当初の計画通りエノールエーテルを有する4環性化合物21を得ることができた。

 次に、骨格上の官能基変換について検討した。エノールエーテル21をメタノール中、NBSを作用させることによりα−ブロモケタール化を行い22へと変換した。続く脱臭化水素化、アセタールの脱保護、Luche還元を行うことにより、ピリジンから14工程でリセルグ酸のカルボン酸以外全ての官能基を有するモデル化合物24の合成に成功した(Scheme 5)。残るカルボン酸部位の導入に関して、種々検討を行ったが困難であることが判明した。そこで、あらかじめカルボン酸と等価なヒドロキシメチル基を有するD環部を用いた合成へと変更した。

 上で述べた合成経路を踏襲すると、結局D環部は先程と同じ様に2本の側鎖がtransに配置したアルデヒド27から合成できる。しかしながら、この様な相対配置を有するアルデヒドの効率的な合成法は知られていない。そこで筆者は、C8の側鎖を利用すればアシルイミニウム塩26に対する付加反応を立体選択的に行えるのではないかと考え検討を行った(Scheme 6)。

 酸素原子及び窒素原子上に様々な保護基のついた基質を調整し検討を行った結果、窒素原子に2−ニトロベンゼンスルホニル(Ns)基をついたアミナール28において立体選択制に関する顕著な違いが見られた。酸素原子が無保護もしくは立体的に嵩高いTBDPS基がついたアミナールに対してアリル化を行うと、生成物はcis : transほぼ1:1の混合物として得られた(Table 1, entry 1and2)。それに対して保護基がアセチル基の場合は立体選択制に有意な差が見られ(entry 3)、更に反応温度を-78℃に下げることで望みとするtrans体29cのみを得ることができた(entry 4)。

 次にこの手法を用いた合成に着手した(Scheme 7)。酵素による光学分割により得られる(+)-31からRuO2による酸化反応を鍵とする数段階の変換を経て、望みの不斉中心を有する35を得た。その後、新たに開発した立体選択的アリル化、Scheme 3に示した一連の変換を行い環化前駆体38へと誘導後、鍵であるPd触媒による2環同時閉環を行い望みとする4環性化合物39を得た。更にインドリン部位の酸化によりリセルグ酸の全ての炭素及び官能基を有するモデル化合物40の合成に成功した。

 現在リセルグ酸の全合成を目指して更なる検討を進めており、近い将来、全合成が達成できると確信している。

 なお、本合成研究の過程で新たに開発した2,6−ジブロモヨードベンゼン類のヨウ素選択的リチオ化からの一連の変換は適用範囲の広い手法である。この変換後得られる化合物は、2個の芳香族ブロミドからそれぞれ官能基化することで多様な含窒素化合物が合成可能である。よって、本手法は含窒素天然物合成に新たな道を開いたといえる。

文献

(1)Woodward, R. B. et al. J. Am. Chem. Soc., 1954, 76, 5256; 1956, 78, 3087.

(2)For recent reviews, see : (a)Hartwig, J. F. Angew. Chem. Int. Ed., 1998, 37, 2046.

 (b)Buchwald, S. L. et al. J. Organomet. Chem., 1999, 576, 125.

(3)Natsume, M et al. Tetrahedron Lett., 1979, 36, 3473.

Figure 1

Scheme 1

Scheme 2

Scheme 3

Scheme 4

Figure 2. Heck reaction intermediate

Scheme 5

Scheme 6

Table 1. Stereoselective allylation of 28

Scheme 7

審査要旨 要旨を表示する

 (+)−リセルグ酸(1)は麦角アルカロイドの基本分子であり、LSDを代表とするその誘導体は幅広い生理活性を有することが知られている。また合成目標分子としても多くの有機合成化学者の興味を集め、1954年Woodwardらにより初めての全合成が達成されてから現在まで多様な合成デザインに基づく全合成及び合成研究が報告されている。しかしながら、それらはいずれもラセミ体の合成であり未だに不斉合成は達成されていない。黒川はScheme 1に示した様にPd触媒による2環同時閉環反応を骨格構築における鍵反応とする合成計画を立案し、1の光学活性体の全合成を達成すべく検討を行った。

 上で述べた合成戦略を実現するために最も困難が予想されるのは環化前駆体2への誘導法である。黒川は、ヨウ素選択的ハロゲン-リチウム交換反応を鍵とする一連の変換を新たに開発することにより効率的な合成法を確立した(Scheme 2)。すなわち、2,6−ジブロモーヨードベンゼン類(3)に対して、トルエン中、-78℃でn-BuLiを加えるとヨウ素のみが選択的にリチオ化される。続いて1−ニトロアルケン4を加えることによりMichael反応が進行し付加体5を得た。さらに鉄粉を用いることで芳香族ブロミド、オレフィン存在下ニトロ基の選択的還元を行い、生じたアミノ基をBoc基で保護しほぼ定量的に環化前駆体6へと導いた。この様にして得られた6に触媒としてPd(PPh3)4、塩基として炭酸セシウムを用いトルエン中加熱したところ、分子内芳香族アミノ化、Heck反応による閉環が円滑に進行し、望みとする4環性化合物7を収率94%で得ることができた。こうして、Pd触媒による2環同時閉環反応を鍵とする基本骨格構築に成功した。

 この手法を元にリセルグ酸の合成研究を進めた。残るカルボン酸部位の構築を考慮し、あらかじめヒドロキシメチル基を有する1−ニトロオレフィン14をD環部として用いることとした。市販のニペコチン酸エチル(8)から容易に誘導できる9に対し、酵素による分割を行い光学活性体を得た。続くRu触媒による位置選択的ピペリジン環の酸化、隣接基関与によるアリル基の立体選択的導入を鍵として望みとするD環部14を合成した。14に対して今回新たに開発した合成手法を適用し4環性化合物15を得た。さらに、インドリン部位を酸化することによりリセルグ酸の全ての炭素及び官能基を有するモデル化合物16の合成に成功した。

 なお、本合成研究の過程で新たに開発した2,6−ジブロモヨードベンゼン類のヨウ素選択的リチオ化からの一連の変換は適用範囲の広い手法である。この変換後得られる化合物は、2個の芳香族ブロミドからそれぞれ官能基化することで多様な含窒素化合物が合成可能である。よって、本手法は含窒素天然物合成に新たな道を開いたといえる。

 以上のように、黒川はリセルグ酸の全合成を目的として検討を行い、光学活性体の全合成及び類縁体合成への道を開いた。従って、薬学研究に寄与するところ大であり、博士(薬学)の学位を授与するに値するものと認めた。

Figure 1

Scheme 1

Scheme 2

Scheme 3

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