学位論文要旨



No 117412
著者(漢字) 鈴木,紀行
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,ノリユキ
標題(和) 合成ヘム−チオレートを用いたシトクロムP450の構造・機能解析
標題(洋)
報告番号 117412
報告番号 甲17412
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第976号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 大和田,智彦
 東京大学 教授 柴崎,正勝
 東京大学 助教授 菊地,和也
 東京大学 助教授 原田,繁春
内容要旨 要旨を表示する

 シトクロムP450は、細菌から哺乳類に至る広範囲の生物種に分布している普遍的な代謝酵素であり、700種を越える著しい分子多様性を有している。またその機能については、ステロイドホルモンやプロスタノイド類の生合成、薬物類の代謝にみられる不活性な基質への一原子酸素添加活性が主に注目を集めてきたが、その他にもaromataseやisomerase活性を有するものや、NOを合成するNO synthaseなどもあり、きわめて多彩である。では、その多彩な機能の源となっているのは何であろうか?P450の活性中心は、ヘム酵素としては特異な、システイン由来のチオレートを軸配位子とする鉄ポルフィリンであり、更にそのチオレート軸配位子は周囲のアミノ酸残基からの水素結合を受けている。多くのP450では第6配位子側は疎水的な基質認識部位があるのみであり、他のヘム酵素とは全く異なるP450の性質と反応性は、第5配位子側のチオレート配位子とその近傍のアミノ酸残基によってコントロールされていると考えるのは自然である。しかし、酵素自身を用いた検討では、チオレート軸配位子やその軸配位子への水素結合の効果を純粋に見積もるのは困難である。そこで筆者は、P450化学モデル系によって検討を行えば、その困難を克服できると考えた。当研究室において開発された高安定型チオレート配位鉄ポルフィリン(SR、Figure 1)は、構造的に安定であり、触媒的酸化反応にも耐えうる唯一の合成ヘム−チオレート錯体である。そこで、このSRに様々な修飾を加えることにより、上述のような第5配位子及びその近傍のアミノ酸の及ぼす影響を、構造的のみならず、反応性についても検討する事が出来ると考えた。そしてさらに、そのようなP450に特有の反応性はいかなる活性種によってもたらされるのか、という問題について検討を行い、P450反応中間体について従来の説とは異なる、新たな描像を得た。

1.P450の構造及び反応性に及ぼすチオレート軸配位子とNH-S水素結合の効果

(i)錯体の合成と同定

 ヘム−チオレートの構造及び反応性に及ぼす水素結合の効果を見積もるために、軸配位子近傍に水素結合を導入した水素結合型SR(SR-HB、Figure 1)をデザイン・合成した。そして、そのSR-HBの電子的効果や立体的効果のコントロールとして、Table 1に示すような修飾を軸配位子部分へ加えた錯体群を合成した。これらの錯体についても、UVスペクトルやEPRスペクトルを測定し、SRと同様にいずれもアルカンチオレート配位ヘムに特徴的な性質を示すことを確認している。

(ii)構造と物性の検討

SR-HBについてX線結晶構造解析を行った結果、合成alkanethiolate-hemeとしては初めて解析に成功し、水素結合を確認した。またそのFe-S結合距離は2.18Aであることが分かった。しかしこれは、EXAFS(extended X-ray absorption fine structure spectroscopy)によるSRのFe-S結合距離(2.20A)よりもやや短い。測定法が異なるものの、これはNH-S水素結合によりFe-S結合は伸びるのではないかという予想とは逆であり、興味深い結果であった。そこで、この結果を同一の測定法で確認するために、結合距離の変化が鋭敏に反映される、共鳴ラマン分光を行うこととした。しかしながら、合成alkanethiolate-hemeでFe-S結合を帰属した例はないため、まずFe-S伸縮を帰属するために軸配位子に34Sを導入したSR及びSR-HBを合成した。そしてこの錯体を用いて、合成alkanethiolate-hemeとして初めてvFe-Sを帰属する事に成功した。帰属されたvFe-Sは、SR-HBの方がSRよりも28cm-1高波数であり、確かに水素結合によりFe-S結合の短縮が起こっていることが示された。このFe-S結合の短縮については、Fe-S反結合相互作用が水素結合によって減少し、その結果結合次数が増加していると考えられる。

 次に、水素結合によるthiolate-hemeの電子状態の変化を検討を行った。その結果、酸化還元電位がSR-HBではSRにくらべ約100 mV正にシフトしており、電子欠損となっていることが分かった(Table 1)。コントロール錯体との比較により、この正のシフトは立体的効果によるものではないことが分かった。また電子供与・吸引性基を導入した錯体ではその置換基に応じた酸化還元電位のシフトがみられた。その他、Mossbauerスペクトル、共鳴ラマンスペクトルからもSR-HBの中心鉄が電子欠損であることを示す結果が得られている。P450の酸化反応はreductaseからの電子移動が律速であるため、この水素結合による正のシフトはP450の触媒効率を向上に寄与すると考えられる。そこで、実際に合成錯体を用いて電子移動速度の測定を行った。その結果、SR-HBへの電子移動はSRにくらべ確かに速く、またm-NO2SRと較べても、酸化還元電位はほぼ等しいにもかかわらずSR-HBの方が速かった(Table 1)。これは、酸化還元電位の正シフトによる電子移動のΔGの減少だけでなく、水素結合によりΔG〓も減少している、すなわちFe-S近傍に電子吸引性の水素結合が存在することにより電子移動に伴う再配向エネルギーが減少していることを意味している。

 またこのSR-HBは他のSR誘導体にくらべ、錯体の安定性が大きく向上していた(Table 1)。これも水素結合による酸化還元電位の正のシフト及びFe-S結合次数の増加のためと考えられる。

(iii)反応性の検討

 次に、実際の触媒的酸化反応に与える水素結合の効果を検討するために、SR及び新規錯体群とP450の酸化反応特性をアルカン・アルケン競争酸化反応により検討した。一般的に、アルカン酸化は水素原子引き抜きを初発とし、アルケン酸化はアルケンから酸化活性種への電子移動を初発として反応が進行すると考えられており、反応機構が異なる。よって、アルカン・アルケン競争酸化反応の酸化生成物の比には反応性の特徴が現れると考えられる。SRを用いた競争酸化反応の結果、SR類は他の配位子を持つヘムとくらべてラジカル的反応性が高く、P450と同じ傾向であることが分かった。SR-HBはSR類の中ではラジカル的反応性はやや低く、求電子性が高まっていた(Table 1)。

 以上から、P450の最大の特徴といえるラジカル反応性はチオレート配位子に由来するものであり、NH-S水素結合はその活性種のラジカル性と求電子性をコントロールし、また錯構造の安定化・電子移動の促進に寄与しているということが示された。

2.ヘム−チオレートを用いたP450酸化活性種の検討

 序論で述べたように、P450の高い反応性は他のヘム酵素とは明らかに異なる。その反応性の違いを理解する上で、P450の酸化活性種がどの様な構造であるかということは興味をもたれるところであるが、P450活性種を直接に捕らえた例は未だない。そこで筆者は、SRに更に修飾を加え、ヘムの両側に嵩高い置換基を導入した活性種保護型SRを新たに合成し、それを用いて直接酸化活性種をスペクトル的に捕らえることを試みた。しかし、これらの活性種保護型SRを用いたいかなる検討によっても、反応中間体は捕らえられなかった。一方、イミダゾールなどの配位子を持つヘムの活性種は容易に調製可能であり、その対比からチオレート配位ヘムでは他のヘム酵素のような鉄オキソ中間体(Scheme 1 (a))は生成せず、Scheme 1 (b)のようにperoxy中間体が直接反応しているのではないかと考えた。この仮説をScheme 2に示す反応解析により検証した。鉄オキソ種を経由して酸化反応がstepwiseに進行しているのであれば(Scheme 1 (a))、O-O結合の開裂過程は基質に依存せず、また鉄オキソ種による基質酸化過程は酸化剤ROOHに依存しない。しかし、鉄オキソ種を経由せずに反応が進行しているのであれば(Scheme 1 (b))、基質・酸化剤・触媒が相互に影響しあい、反応に影響を与えるであろう。そこでまず、Scheme 2 (a)に示すように、様々な置換基Xを有する酸化剤を用いてSRによる酸化反応を行い、その置換基効果が酸化反応に現れるかを検討した。その結果、酸化剤の置換基に依存した反応選択性の変化が見られ、さらにこの変化はHammett plotを行うと置換基のσpによく対応していた。次に、これとは逆に、酸化される基質を変え、基質の反応性の違いが酸化剤のO-O結合開裂様式に反映されるかも同時に検討した(Scheme 2 (b))。その結果、ここでも基質の反応性に依存した反応様式の変化が見られた。以上のような、酸化剤と基質との相互作用は、鉄オキソ種を唯一の中間体とするスキームでは起こり得ないことから、SRによる触媒的酸化反応においては、基質酸化はSR-acylperoxy中間体を経由して進行しているということが示された。本結果は、P450の反応機構を考える上で重要な知見である。

Table 1.Physicochemical and Catalytic Properties of SR Derivatives.

Scheme 1.Proposed Scheme for Alkene Epoxidation Catalysed by SR.

Scheme 2.

審査要旨 要旨を表示する

 シトクロムP450は細菌から哺乳類に至る広範囲の生物種に分布している普遍的な代謝酵素であり、700種を越える著しい分子多様性を有している。その機能については、ステロイドホルモンやプロスタノイド類の生合成、薬物類の代謝にみられる不活性な基質への一原子酸素添加活性が主に注目を集めてきたが、その他にもaromataseやisomerase活性を有するものや、NOを合成するNO synthaseなどもあり、きわめて多彩である。

 P450の活性中心はヘム酵素としては特異なシステイン由来のチオレートを軸配位子とする鉄ポルフィリンであり、更にそのチオレート軸配位子は周囲のアミノ酸残基からの水素結合を受けている。多くのP450では第6配位子側は疎水的な基質認識部位があるのみで、他のヘム酵素とは全く異なるP450の性質と反応性は、第5配位子側のチオレート配位子とその近傍のアミノ酸残基によってコントロールされていると考えられる。しかし、酵素自身を用いた検討では、チオレート軸配位子やその軸配位子への水素結合の効果を詳細に解析する事は困難である。

 鈴木は構造的に安定であり、触媒的酸化反応にも耐えうる唯一の合成ヘム−チオレート錯体である鉄ポルフィリン(SR)を用いて、上記の問題点である第5配位子及びその近傍のアミノ酸の反応性に及ぼす効果を精緻に検討した。さらに、P450の特有な反応性を引き起こす活性種についても検討を行い、P450反応活性中間体について従来の説とは異なる新たな知見を得た。具体的成果は以下の2点に要約できる

1.P450の構造及び反応性に及ぼすチオレート軸配位子とNH-S水素結合の効果

(i)錯体の合成と同定

 ヘム−チオレートの構造及び反応性に及ぼす水素結合の効果を明らかするために、軸配位子近傍に水素結合を導入した水素結合型SR-HBをデザイン・合成した。そのSR-HBの電子的効果や立体的効果のコントロールとなる錯体群も合成した。

(ii)構造と物性の検討

 SR-HBのX線結晶構造解析を行った。これは合成alkanethiolate-heme錯体として初めてである。水素結合を確認するとともに、そのFe-S結合距離が予想とは逆に、NH-S水素結合により短くなっているという非常に興味深い結果を得た。詳細にこの点を検討するため、結合距離の変化が鋭敏に反映される共鳴ラマン分光も行った。Fe-S伸縮を帰属するために軸配位子に31Sを導入したSR及びSR-HBも合成した。この錯体を用いることにより、合成alkanethiolate-hemeとして初めてvFe-Sを帰属する事に成功した。帰属されたvFe-Sは、SR-HBの方がSRよりも28cm-1高波数であり、確かに水素結合によりFe-S結合の短縮が起こっていることが示された。このFe-S結合の短縮については、Fe-S反結合相互作用が水素結合によって減少し、その結果結合次数が増加していると考えられる。

 次に、水素結合によるthiolate-hemeの電子状態の変化を検討を行った。その結果、酸化還元電位、Mossbauerスペクトル、共鳴ラマンスペクトルからSR-HBの中心鉄が電子欠損であることを示す結果が得られた。P450の酸化反応はreductaseからの電子移動が律速であるため、この水素結合による正のシフトはP450の触媒効率を向上に寄与すると考えられる。実際に合成錯体を用いて電子移動速度の測定を行った結果、SR-HBへの電子移動はSRにくらべ確かに速く、これはFe-S近傍に電子吸引性の水素結合が存在することにより電子移動に伴う再配向エネルギーが減少していることによると考えられる。またこのSR-HBは他のSR誘導体にくらべ、錯体の安定性も大きく向上していた。これも水素結合による酸化還元電位の正のシフト及びFe-S結合次数の増加のためと考えられる。

(iii)反応性の検討

 次に、実際の触媒的酸化反応に与える水素結合の効果を検討するために、SR及び新規錯体群とP450の酸化反応特性をアルカン・アルケン競争酸化反応により検討した。一般的に、アルカン酸化は水素原子引き抜きを初発とし、アルケン酸化はアルケンから酸化活性種への電子移動を初発として反応が進行すると考えられており、反応機構が異なる。競争酸化反応の結果、SR類は他の配位子を持つヘムとくらべてラジカル的反応性が高く、P450と同じ傾向であることが分かった。SR-HBはSR類の中ではラジカル的反応性はやや低く、求電子性が高まっていた。以上から、P450の最大の特徴といえるラジカル反応性はチオレート配位子に由来するものであり、NH-S水素結合はその活性種のラジカル性と求電子性をコントロールし、また錯構造の安定化・電子移動の促進に寄与しているということが示された。

2.ヘム−チオレートを用いたP450酸化活性種の検討

 P450の酸化活性種がどの様な構造であるかということはこの分野で最も興味がもたれている点である。鈴木はチオレート配位ヘムでは他のヘム酵素のような鉄オキソ中間体は生成せず、peroxy中間体が直接反応しているのではないかと考えた。この機構により反応が進行しているのであれば、基質・酸化剤・触媒が相互に影響しあい、反応に影響を与えるであろう。検討の結果、基質の反応性・酸化剤の置換基に依存した反応選択性に変化が見られた。このような酸化剤と基質との相互作用は、鉄オキソ種を唯一の中間体とするスキームでは起こり得ないことから、SRによる触媒的酸化反応においては、基質酸化はSR-acylperoxy中間体を経由して進行しているということが示された。

 以上、鈴木は薬物代謝酵素として重要な位置を占めるP450の反応性・反応機構を詳細に検討し、従来考えられていた説とは異なる新たな機構を提唱した。本結果はP450の反応機構を考える上で重要な知見であり、薬物代謝酵素研究に新たなページを開いた。これらの成果は博士(薬学)の学位論文として十分に価値があるものと認められる。

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