学位論文要旨



No 117415
著者(漢字) 水上,進
著者(英字)
著者(カナ) ミズカミ,シン
標題(和) 新規蛍光アニオンセンサーの開発と応用
標題(洋)
報告番号 117415
報告番号 甲17415
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第979号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 今井,一洋
 東京大学 教授 橋本,祐一
 東京大学 助教授 菊地,和也
 東京大学 講師 眞鍋,敬
内容要旨 要旨を表示する

【研究の背景および目的】

生体内には様々な種類のアニオン種が存在し、生命現象において重要な役割を担っている。また、リン酸化反応を初めとしてアニオン性残基が関与する生体反応も多い。アニオン種およびアニオン関連反応の生理的役割を解明する場合、それらを特異的に検出する蛍光プローブを用いることができれば有用である。近年、多くの研究者が蛍光アニオンセンサーの開発研究を行っている。しかし、現段階では高濃度のハロゲン化物イオンを検出する化合物を除いて、実用化されているものは存在しない。その理由の一つとしては、既存の蛍光アニオンセンサーのほとんどが水溶液中では機能しないことが挙げられる。そこで私は生物学研究への応用を視野に入れて、水溶液中とりわけ中性の緩衝液中においても機能する蛍光アニオンセンサーの開発を目指して研究を行った。

【アニオンセンサーの開発戦略】

水溶液中で機能する蛍光アニオンセンサーに要求される特性として、

 (1)水溶液中で特定のアニオン種と十分な結合能を有すること

 (2)アニオン認識を蛍光シグナル(蛍光強度・波長・蛍光寿命などの変化)に変換できることの2つが挙げられる。アニオン種は一般的に金属イオンなどのカチオン種よりもサイズが大きく、また水和の影響を受けやすい為、水溶液中でアニオンを捕捉することは比較的困難である。有機溶媒中においてのみ機能するアニオンセンサーはいずれも(1)の条件を満たしていない。そこで、水溶液中で機能するアニオンセンサー分子を開発する為に、まず「(1)の条件を満たすアニオンホストを選び、その構造に従ってアニオン認識を蛍光シグナルヘ変換する」という戦略を立てた。水溶液中でアニオンを認識するホスト化合物は数多く報告されおり、それらのアニオンホストは次の三種類に大きく分類される。

 I 多価の正電荷を帯びたポリアミン化合物(ほとんどの場合が大環状ポリアミン)

 II グアニジニウム基を複数有した化合物

 III 金属錯体化合物

本研究では上記グループの大環状ポリアミン(I)および金属錯体(III)の二種類のアニオンホストを用い、アニオンセンサーの開発研究を行った。

【大環状ポリアミンをアニオンホストとして有するセンサー分子の開発研究】

初めに、上記の三種類のうちから大環状ポリアミンをホストとして用いてアニオンセンサーを開発した。蛍光センサーの開発に先立ち、より合成の容易な非蛍光性化合物を用いて検出原理のデザインを行った。まず、Figure 1. に示すp-nitroaniline誘導体を合成した。p-nitroanilineのアミノ基は極めて塩基性が低く、アルカリ性から弱酸性までの水溶液中では全くプロトン化していない。しかし、大環状ポリアミン骨格の中に組み込むことで他のアミノ基に結合しているプロトンと水素結合し、スペクトルが短波長側にシフトした。アニオンホスト(ポリアミン)部位と相互作用するアニオン種が存在する場合、アニオン種がプロトン化した大環状ポリアミンに結合することでp-nitroanilineのアミノ基とプロトンとの間の水素結合が弱まり、スペクトル変化を起こすことを期待した(Figure 2.)。

 合成した化合物を含む水溶液に様々なアニオン種を添加し、その吸収スペクトル変化を測定した。この結果、NP-5N-18とNP-5N-20の二種類の化合物において、100 mM HEPES buffer (pH 7.4)の存在下、ピロリン酸イオンを添加していくと吸収スペクトルのシフトが観察された。また、同様のスペクトル変化は、より高濃度のリン酸イオンの添加によっても観察された。NP-5N-20ではコンセプト通りであるレッドシフトが見られたが、NP-5N-18ではブルーシフトが見られた。その理由として、NP-5N-18ではピロリン酸イオンとポリアミンが相互作用することによって、ポリアミン部分のプロトン親和力が上昇し、さらに一分子のプロトンが結合するというメカニズムであることを、吸収スペクトルのpHプロファイルを測定することによって明らかにした。以上の結果から、これらの化合物が中性の水溶液中で吸収スペクトル変化を起こすアニオンセンサーとして機能することが明らかとなった。これらの化合物を蛍光化合物へと誘導体化することによって、水溶液中で機能する蛍光アニオンセンサーの開発に繋がると考えられる。

【大環状ポリアミン−金属錯体をアニオンホストとして有する蛍光センサー分子の開発】

次に、金属錯体をアニオンホストとして有するアニオンセンサーをデザインした。cyclen(1, 4, 7, 10-tetraazacyclododecane)のZnII錯体は中性の水溶液中でリン酸イオンなどと強い相互作用をすることから、金属の配位子としてはcyclenをはじめとする大環状ポリアミンを選んだ。これらの大環状ポリアミン−金属錯体をアニオンホストとして用いたセンサー分子の検出原理として、Figure 3. に示すスキームを考えた。蛍光色素としては、7位の置換基の性質によって蛍光特性が変化する7位置換クマリンを用いることにした。この7−アミノ基を中心金属に配位させて、アニオン種が金属錯体と相互作用すれば7−アミノ基のみが外れ、蛍光特性が変化することを期待した。大環状ポリアミン配位子は速度論的に安定であるために、中性条件下では外れないと考えられる。合成した数種類の化合物に金属を添加して検討したところ、各種スペクトルおよびpH滴定の結果から、化合物TC2412のCdII錯体(Figure 4.)が水中で7−アミノ基がCdIIイオンに配位していることが明らかとなった。これはアニオンセンサーとして機能する為の必要条件であることから、この錯体を合成し、そのアニオンセンサー能を詳しく検討した。

【アニオンセンサーTC2412-CdIIの物性】

合成したTC2412-CdIIを100 mM HEPES buffer(pH 7.4)に5μMの濃度で溶かし、ピロリン酸イオンを添加したところ、Figure 5.に示す励起スペクトルの長波長シフトが観察された。吸収スペクトルも同様のスペクトル変化を示しており、アニオン添加によって錯体の構造が変化したことが示唆された。蛍光スペクトルのピーク波長に変化は見られなかった。また、このスペクトル変化が可逆変化であることを確認した。

 他のアニオン種についても検討を行ったところ、幾つかのアニオン添加により同様に励起スペクトルのレッドシフトが観察された。また、生体中に多く存在する有機物アニオンであるヌクレオチドについても検討した結果、これらも検出可能であった。さらに、各種アニオンを添加したときの励起スペクトルのピーク波長の蛍光強度変化をもとに見かけの解離定数を算出した(Table 1.)。この結果より、アニオン種の価数が大きいほど、またハロゲンイオンにおいてはよりソフトなものほど高感度で認識されることが分かった。また、ヌクレオチドは一般的に無機アニオンよりも強く結合しており、クマリンと塩基の相互作用が示唆された。以上の結果から、蛍光色素−金属錯体化合物TC2412-CdIIが100 mM HEPES緩衝液(pH 7.4)中において蛍光アニオンセンサーとして機能することが明らかとなった。

【蛍光アニオンセンサーを用いた応用研究】

開発したセンサー化合物の有用性を示すために、酵素活性検出系への応用実験を行った。酵素としては環状ヌクレオチドのリン酸ジエステル結合を切断するphosphodiesterase 3':5'-cyclic nucleotideを選択した。Table 1.から分かるように、TC2412-CdIIはAMPを高感度で検出するが、cAMPの検出感度は極めて低い。それ故、反応生成物であるAMPの濃度の上昇を検出することで、酵素反応の進行をモニターすることが可能となる。この手法を用いて、酵素添加後における蛍光強度の変化をリアルタイムで捉えることに成功した(Figure 6.)。

【まとめ】

本研究において私は、二種類のアニオンホストを用いてセンサー分子のデザイン・合成を行い、これまで困難とされてきた水溶液中において機能するアニオンセンサーの開発に成功した。特に、大環状ポリアミン−金属錯体をアニオンホストとして有する蛍光アニオンセンサーTC2412-CdIIは、pH 7.4の100 mM HEPES緩衝液中においても十分に機能することが分かった。さらに、このセンサー分子の応用として、ホスホジエステラーゼの活性検出に成功した。このセンサー分子の更なる改良によって、生物学研究などにおいて有用な新たなセンサー分子の開発に繋がると考えられる。

Figure 1. 合成した化合物

Figure 2. 大環状ポリアミンを用いたアニオンセンサーの設計原理

Figure 4.

Figure 3. 大環状ポリアミン−金属錯体を用いたアニオンセンサーの設計原理

Figure 5.5μM TC2412-CdIIにNa4P2O7を添加したときの励起スペクトルの変化

Na4P2O7の濃度:0, 0.003, 0.01, 0.03, 0.1, 0.3, 3, 10 mM溶媒条件:100 mM HEPES buffer (pH 7.4)温度:25℃,蛍光波長:500 nm

Table 1. 100 mM HEPES緩衝液(pH 7.4)中におけるTC2412-CdIIの各アニオン種に対する見かけの解離定数

Figure 6. TC2412-CdIIを用いたphopsphodiesterase 3':5'-cyclic nucleotideの活性検出

ΔF:蛍光強度の増加分

審査要旨 要旨を表示する

 生体内には様々な種類のアニオン種が存在し、生命現象において重要な役割を担っている。また、リン酸化反応を初めとしてアニオン性残基が関与する生体反応も多い。アニオン種およびアニオン関連反応の生理的役割を解明する場合、それらを特異的に検出する蛍光プローブを用いることができれば有用である。近年、多くの研究者が蛍光アニオンセンサーの開発研究を行っている。しかし、現段階では高濃度のハロゲン化物イオンを検出する化合物を除いて、実用化されているものは存在しない。その理由の一つとして、既存の蛍光アニオンセンサーのほとんどが水溶液中では機能しないことが挙げられる。水上は培養細胞および生体組織への応用を視野に入れて、中性緩衝液においても機能する蛍光アニオンセンサーの開発を目指して研究を行った。

 水溶液中で機能する蛍光アニオンセンサーに要求される特性として、

 (1)水溶液中で特定のアニオン種と十分な結合能を有すること

 (2)アニオン認識を蛍光シグナル(蛍光強度・波長・蛍光寿命などの変化)に変換できる事の2つが挙げられる。アニオン種は一般的に金属イオンなどのカチオン種よりもサイズが大きく、また水和の影響を受けやすい為、水溶液中でアニオンを捕捉することは比較的困難である。本研究では水溶液中で機能するアニオンセンサー分子を開発する為に(I)大環状ポリアミンおよび(II)金属錯体の二種類のアニオンホストを用い、アニオンセンサーの開発研究を行った。

(I)大環状ポリアミンをアニオンホストとするセンサー分子の開発研究

 蛍光センサーの開発に先立ち、より合成の容易な非蛍光性化合物を用いて検出原理のデザインを行った。まず、p-nitroaniline誘導体を合成した。p-nitroanilineのアミノ基は極めて塩基性が低く、アルカリ性から弱酸性までの水溶液中では全くプロトン化していない。しかし、大環状ポリアミン骨格の中に組み込むことで他のアミノ基に結合しているプロトンと水素結合し、スペクトルが短波長側にシフトした。アニオンホスト(ポリアミン)部位と相互作用するアニオン種が存在する場合、アニオン種がプロトン化した大環状ポリアミンに結合することでp-nitroanilineのアミノ基とプロトンとの間の水素結合が弱まり、スペクトル変化を起こすことが期待できる。

 合成した化合物を含む水溶液に様々なアニオン種を添加し、その吸収スペクトル変化を測定した結果、二種類の化合物において、中性緩衝液にピロリン酸イオンを添加していくと吸収スペクトルのシフトが観察された。また、同様のスペクトル変化は、より高濃度のリン酸イオンの添加によっても観察された。得られた結果から、これらの化合物が中性の水溶液中で吸収スペクトル変化を起こすアニオンセンサーとして機能することが明らかとなった。これらの化合物を蛍光化合物へ誘導体化することにより、水溶液中で機能する蛍光アニオンセンサーの開発に繋がると考えられる。

(II)大環状ポリアミン−金属錯体をアニオンホストとして有する蛍光センサー分子の開発

 次に、金属錯体をアニオンホストとして有するアニオンセンサーをデザインした。cyclen ZnII錯体は中性の水溶液中でリン酸イオンと強い相互作用をすることから、金属の配位子として大環状ポリアミンを選んだ。蛍光色素としては、7位の置換基の性質によって蛍光特性が変化する7位置換クマリンを用いた。この7−アミノ基を中心金属に配位させて、アニオン種が金属錯体と相互作用すれば7−アミノ基のみが外れ、蛍光特性が変化すると考えられる。合成した数種類の化合物に金属を添加して検討したところ、各種スペクトルおよびpH滴定の結果から、CdII錯体化合物が水中で7−アミノ基がCdIIイオンに配位することが明らかとなった。これはアニオンセンサーとして機能する為の必要条件であることから、この化合物のアニオンセンサーとしての能力を詳細に検討した。

 CdII錯体化合物について検討した結果、アニオン添加によって錯体の構造が変化したことが示された。各種アニオンを添加したときの励起スペクトルのピーク波長の蛍光強度変化をもとに見かけの解離定数を算出するなど、種々検討した結果、アニオン種の価数が大きいほど、またハロゲンイオンにおいてはよりソフトなものほど高感度で認識できることが分かった。結論としてCdII錯体化合物は中性緩衝液中において蛍光アニオンセンサーとして機能することが明らかとなった。

 開発したセンサー化合物の有用性を示すために、酵素活性検出系への応用実験も行った。酵素としては環状ヌクレオチドのリン酸ジエステル結合を切断するphosphodiesterase 3':5'-cyclic nucleotideを選択した。CdII錯体化合物はAMPを高感度で検出するが、cAMPの検出感度は極めて低い。それ故、反応生成物であるAMPの濃度の上昇を検出することで、酵素反応の進行をモニターすることが可能となる。この手法を用いて、酵素添加後における蛍光強度の変化をリアルタイムで捉えることに成功した。

 以上、要するに本研究において、水上は二種類のアニオンホストを用いてセンサー分子のデザイン・合成を行い、これまで困難とされてきた水溶液中において機能するアニオンセンサーの開発に成功した。特に、大環状ポリアミン−金属錯体をアニオンホストとして有する蛍光アニオンセンサー(CdII錯体化合物)は、pH 7.4の100 mM HEPES緩衝液中においても十分に機能することが分かった。さらに、このセンサー分子の応用として、ホスホジエステラーゼの活性検出に成功した。このセンサー分子の更なる改良によって、生物学研究などにおいて有用な新たなセンサー分子の開発に繋がると考えられる。これらの成果は分析化学、生物有機化学に広く貢献するものであり、博士(薬学)の学位論文として十分な価値があるものと認められる。

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