学位論文要旨



No 117420
著者(漢字) 林田,直樹
著者(英字)
著者(カナ) ハヤシダ,ナオキ
標題(和) 抗DNA(6−4)光産物抗体64M−5のdT(6−4)Tの認識に関する構造生物学的研究
標題(洋)
報告番号 117420
報告番号 甲17420
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第984号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,能雅
 東京大学 教授 今井,一洋
 東京大学 教授 嶋田,一夫
 東京大学 助教授 夏苅,英昭
 東京大学 助教授 原田,繁春
内容要旨 要旨を表示する

 DNAは紫外線の照射により様々な損傷を受け、細胞死や突然変異、皮膚癌の原因となることが知られている。中でも、254nmの紫外線の照射を受けることにより生じる(6-4)光産物は突然変異能が高く、疾病との関連でも注目されている。64M-5はこの(6-4)光産物に対して樹立された抗体であり、癌化や突然変異の研究において(6-4)光産物の検出や定量に用いられている。

 現在、(6-4)光産物の認識機構に関する知見はまだ少ない。本研究はX線結晶構造解析の手法により、第一に64M-5の認識機構を(6-4)光産物2量体dT(6-4)Tをリガンドとして明らかにし、第二に、その過程において発見された同抗体におけるイソアスパラギン酸の生成と、64M-5のdT(6-4)Tに対する結合定数の低下の機構について考察した。

1 64M-5 Fab画分の調製

 マウスハイブリドーマを約1ヶ月間培養した後、その培養上清からProtein Aカラムを用いたアフィニティ精製により64M-5 IgGを得た。次に、酵素パパインによってIgGを限定切断し、この切断産物から陰イオン交換カラムMono QによってFabを得た。続いて陽イオン交換カラムMono S、ゲルろ過カラムSuperdex 75によってFabの精製は行われたが、Mono Sによる精製段階において、64M-5 Fabは2つの主要な画分Fr.1とFr.2として得られた。

 これら2つの画分は、そのMono Sによる溶出時間の違いから化学的性質の異なることが考えられ、その性質を明らかにするために実験を行った。まず、Fr.2をハイブリドーマ培養時と同じ37℃、pH7.5の生理的条件下にてインキュベートし、その変化をMono Sを用いて調べたところ、Fr.1相当の画分を生じることがわかった。また、その生成量は経時的に増加し、インキュベート後31日では約60%がFr.1に変化していた。このことから、Fr.1はFr.2が自己触媒的な反応によって変化した画分であることが考えられた。

2 isoAsp 28Lの同定

 生理的条件下で自己触媒的に進む反応として、タンパク質中のアスパラギン(Asn)がその側鎖の脱アミド化によってスクシンイミドと呼ばれる環状構造へと変化し、さらに水分子が付加することによってイソアスパラギン酸(isoAsp)を生じる反応が知られている。このため、Fr.1とFr.2におけるisoAspの有無を、イソアスパラギン酸メチル基転移酵素の特異的反応を利用して調べたところ、Fr.1からはisoAspが検出されたがFr.2からは検出されなかった。

 次に、相補性決定領域(CDR)においてAsn残基がisoAspに変化し易いと考えられるAsn 28L-Gly 29Lの配列が存在したため、この部位におけるisoAspの同定を目的としてペプチドマッピングを行ったところ、この配列を含む分子量3,029のペプチド断片が得られた。また、Fr.1に由来するこのペプチド断片からisoAspが検出された。さらにこのFr.1由来の断片をエドマン分解したところ、28L部位においてその反応サイクルが停止した。これらのことから、Fr.1においてisoAsp 28Lが存在することが明らかとなった。

 Fr.1 CDRにおいてisoAsp 28Lが同定されたため、そのイソアスパラギン酸の生成と抗体の親和性との関係を調べることを目的として、dT(6-4)Tをリガンドとして結合定数の測定を行ったところ、Fr.1は5.2×106M-1、Fr.2は9.9×107M-1の値を示し、Fr.1の結合定数はFr.2の約20分の1であることが明らかとなった。このことから、CDRにおけるイソアスパラギン酸の生成により、抗体の結合定数の低下が生じていることが考えられた。

3 X線結晶構造解析

 次に、64M-5による(6-4)光産物の認識機構の解明、および抗体の構造と結合定数に及ぼすイソアスパラギン酸の生成の影響を考察することを目的とし、X線結晶構造解析を行った。また、Fr.1にはイソアスパラギン酸が含まれる一方、Fr.2には含まれないことから、Fr.1をIsoaspartate form、Fr.2をNative formとした。それぞれの画分についてリガンド結合体と非リガンド結合体の結晶構造解析を行ったため、合計4種類の構造解析が行われた。リガンドにはdT(6-4)Tが用いられた。

4 CDR L1の構造変化

 Native formとIsoaspartate formを非リガンド結合体、リガンド結合体ごとにVドメインで主鎖を重ねあわせたところ、6つのCDRのうち、L1において構造の差異が非リガンド結合体、リガンド結合体のいずれにおいても認められ、Cα原子の距離で比較すると、非リガンド結合体ではSer 27eLでもっとも大きく5.8A、リガンド結合体ではHis 27dLで最も大きく5.0A離れていた。このことから、イソアスパラギン酸生成によって主鎖構造が変化することが考えられた。

 CDR L1に注目すると、構造が大きく異なっているのはAsn 27aLからTyr 30Lまでの8アミノ酸残基であった。この部位にはAsn 28LとisoAsp 28Lがそれぞれ含まれており、電子密度でもその構造が示唆された。Native formにおけるこの8残基のB-factorは非リガンド結合体で22.8A2、リガンド結合体で25.0A2であったのに対し、Isoaspartate formでは49.4A2と76.3A2であった。このことから、イソアスパラギン酸の生成によって構造が不安定化することが示唆された。また、非リガンド結合体の構造を比較すると、Native form L1とIsoaspartate form L1とでは主鎖間で形成される水素結合を担うアミノ酸残基が異なっており、この水素結合様式の変化をともなうL1ループの構造変化が、側鎖の方向ならびにアミノ酸残基の位置を変えていることが考えられた。

5 dT(6-4)Tの認識機構

 Native formリガンド結合体の結晶構造から、64M-5による(6-4)光産物の認識機構を考察した。抗原結合部位はCDR L1、L3、H1、H2、H3によって構成され、ポケット様の構造を持っていた。そのポケットは底部がArg 95HとHis 35Hの側鎖、側壁がHis 27dL、Tyr 32L、His 93L、Trp 33H、Thr 58H、Tyr 97HとTyr 100iHの側鎖によって形成され、内部には2つの水分子33と48が、側壁近傍には水分子93が存在する。認識は、特徴的なvan der Waals相互作用、水素結合、静電相互作用によって行われ、van der Waals相互作用はTyr 32Lの側鎖と5'-deoxyribose間、Trp 33Hの側鎖と3'-pyrimidone間で、水素結合はHis 93Lの側鎖ならびに主鎖とリン酸基間、His 35Hの側鎖と3'-pyrimidone間、Thr 58Hの側鎖と3'-deoxyribose間、水分子93を介して5'-pyrimidineとTrp 33Hの主鎖間で、静電相互作用はHis 27dLの側鎖とリン酸基間で形成されている。

 非リガンド結合体とリガンド結合体の重ね合わせから、(6-4)光産物認識にともなう構造変化について考察した。Native formの重ね合わせでは、H鎖CDRに変化はほとんどない一方、CDR L1はTyr 32Lの位置は同じであるがAsn 28Lの位置は約1.0A異なっており、His 27dLの側鎖は約45℃回転していた。また、His 93Lの変化は大きく、χ1角とχ2角をそれぞれ約190°、90°回転させることによりその側鎖をリン酸基と水素結合可能な位置に変化させていた。Isoaspartate formにおいても同様の変化が認められるが、CDR L1にisoAsp 28Lが存在することにより、Tyr 32Lの側鎖もリガンド結合にともなって約90°回転している。このように、64M-5は主にL鎖のアミノ酸残基を構造変化させることによってリガンド認識を行っている。

6 dT(6-4)Tに対する結合定数の低下の機構

 Native formとIsoaspartate formのリガンド結合体の重ね合わせから、Isoaspartate formの結合定数の低下の機構を考察した。CDR L3、H1、H2、H3に含まれるアミノ酸残基の構造に相違はほとんどない。構造の相違が存在するのはCDR L1で、Tyr 32Lの構造はほぼ同一であるが、Native formにおいてリガンドリン酸基と静電相互作用しているHis 27dLが、Isoaspartate formではリン酸基から離れた位置に存在し、Native formと同一の相互作用は失われている。Isoaspartate formのdT(6-4)Tに対する結合定数の低下は、このようなHis 27dLとリガンドリン酸基間の静電相互作用が失われることにより起こると考えられる。

 本研究による64M-5の結晶構造の解析は、これまで行われてきた抗体による(6-4)光産物認識についての研究に重要な知見を与え、すでに報告されたこれらの実験結果の機構についての考察を進展させた。またそのイソアスパラギン酸を含む画分の結晶構造の解析は、イソアスパラギン酸を持つ抗体の結晶構造報告の最初の例であり、抗体におけるイソアスパラギン酸生成によって生じる結合定数の低下の機構を立体構造から考察した点で重要である。

審査要旨 要旨を表示する

 紫外線の照射によって生ずる損傷DNAの1つである(6-4)光産物は,隣接する2つのピリミジン塩基のC6位とC4位が共有結合した特異な化学構造を有する。抗体は体液性免疫における主要な構成因子であり,その高い特異性は医薬でも利用され,損傷DNAの検出にも用いられている。本論文の研究では,突然変異の誘発能が高いDNAの(6-4)光産物を特異的に認識するマウスの抗体64M-5について,ジヌクレオチド光産物dT(6-4)Tとの複合体の三次元構造をX線結晶構造解析により解明した。さらに,この抗体ではアスパラギンがイソアスパラギン酸(以下ではisoAspと記す)へ変化してリガンドとの結合定数が低下することを見いだし,isoAspを含む抗原結合部位の構造と結合定数の低下との関連を三次元構造に基づいて考察している。

 研究では,抗体64M-5を産生するハイブリドーマを約1月間培養した後,分子質量約45 kDaの抗原結合部位フラグメントFabを調製し,精製した。陽イオン交換カラムMono Sよる精製段階において,Fabは2つの主要な画分Fr.1とFr.2として得られた。これら画分の性状を調べたところ,Fr.1においては,相補性決定領域CDRのL1鎖に存在するAsn 28L(Lは軽鎖,Hは重鎖のアミノ酸残基を示す)がisoAspに変化していることが明らかになった。さらに,dT(6-4)Tに対する結合定数を蛍光消光法によって調べ,Fr.1の結合定数は5.2×106M-1, Fr.2のそれは9.9×107M-1と,isoAsp 28Lを生じたFr.1の結合定数がFr.2の約1/20に低下することを示した。

 抗体64M-5によるdT(6-4)Tリガンドの認識の機構と,結合定数の低下の機構を解明するためX線結晶構造解析を進めた。Fr.1のIsoaspartate型とFr.2のNative型の試料それぞれについて,dT(6-4)Tと結合したリガンド結合体とリガンド非結合体の結晶を得て,分子置換法によりこれら4種類の結晶構造を解析している。

 Native型リガンド結合体の構造から,抗原結合部位はCDRのL1, L3, H1, H2, H3によって構築され,ポケット様の構造を有することが明らかになった。図(太線の構造はNative型,細線の構造はIsoaspartate型,丸印はdT(6-4)Tリガンドと抗体の原子の間で水素結合している水分子を表す)に示すように,そのポケットの底部はArg 95HとHis 35H,側壁の一方はHis 27dL, Tyr 32LとHis 93L,他方はTrp 33H, Thr 58H, Tyr 97HとTyr 100iHの側鎖によって形成され,その内部には水2分子が,側壁近傍には水1分子が存在し,リガンドとの相互作用に関わっている。リガンドの認識には,5'deoxyriboseとTyr 32Lの側鎖,3'pyrimidone塩基とTrp 33Hの側鎖との間のvan der Waals相互作用,リン酸基とHis 93Lの側鎖ならびに主鎖との間,3'pyrimidoneとHis 35Hの側鎖との間,3'deoxyriboseとThr 58Hの側鎖との間,水分子を介した5'pyrimidine塩基とTrp 33Hの主鎖との間の水素結合,リン酸基とHis 27dLの側鎖との間の静電相互作用が主に寄与している。

 Native型とIsoaspartate型のリガンド結合体の抗原結合部位を比較すると,CDRのL3,H1, H2, H3に存在する残基の構造はほぼ同一であるが,Native型のL1のHis 27dL側鎖はdT(6-4)Tのリン酸基と静電相互作用しているのに対して,Isoaspartate型では側鎖の配向が異なったものとなり,有意な相互作用は存在しない。

 Native型とIsoaspartate型のリガンド非結合体において,CDR L1に含まれるアミノ酸残基の主鎖の二面角値は大きく異なり,Val 27cL, His 27dL, Ser 27eLの側鎖は互いに反対の方向となっている。また,主鎖間で形成される水素結合が,Native型ではHis 27dLとGly 29LおよびTyr 30Lの間の2本であるのに対して,Isoaspartate型ではSer 27eLとTyr 30Lの間の2本となっている。Native型に認められるAsn 27aLの側鎖とAsn 28Lの側鎖が形成する3本の水素結合は,Isoaspartate型では存在しない。Isoaspartate型のisoAsp 28Lはカルボキシル基の酸性の側鎖を有している。isoAsp 28Lは,Asn 28Lの側鎖でのデアミデーションから環状のスクシンイミドの中間体が生じ,スクシンイミドの加水分解による環の開裂を経由して生じると考えられる。この過程で,スクシンイミド中間体の形成によって,Asn 28Lの側鎖が関与する水素結合,そしてHis 27dLとGly 29Lの主鎖の間の水素結合が失われてL1の構造が不安定となり,次に,スクシンイミドの開裂によってVal 27cL, His 27dLとSer 27eLの側鎖の向きが反転し,最終的にSer 27eLとTyr 30Lの主鎖の間に水素結合が形成され,isoAsp 28Lを含んでいるL1の構造が安定なものになると提唱している。これらのことから,Isoaspartate型での結合定数の低下は,His 27dLの配向の変化を伴う,L1でのisoAsp 28Lの生成に起因すると結論している。

 本論文の研究では,抗DNA(6-4)光産物抗体64M-5において,Fabでのイソアスパラギン酸の生成と,Isoaspartate型FabのdT(6-4)Tリガンドに対する結合定数の低下を見いだし,さらに,Native型とIsoaspartate型それぞれのリガンドとの結合体と非結合体の三次元構造を詳細に解析した。その結果,抗体による(6-4)光産物の認識機構と,イソアスパラギン酸への変化による親和性の低下を三次元構造に基づいて明らかにできた。抗体におけるイソアスパラギン酸生成に関する知見は,モノクローナルまたはリコンビナントの抗体医薬で生じうる変性と結合定数の低下などの可能性を指摘している。よって,本論文は,蛋白質と損傷DNAの構造生物学および蛋白質工学の面から薬学の進歩に貢献するところが大きく,博士(薬学)の学位の授与に価すると判定した。

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