学位論文要旨



No 117423
著者(漢字) 桶本,和男
著者(英字)
著者(カナ) オケモト,カズオ
標題(和) 昆虫由来の抗菌ペプチドSarcotoxin IAとグラム陰性菌リポ多糖(LPS)との相互作用に関する研究
標題(洋)
報告番号 117423
報告番号 甲17423
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第987号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 今井,一洋
 東京大学 教授 嶋田,一夫
 東京大学 教授 佐藤,能雅
 東京大学 助教授 仁科,博史
内容要旨 要旨を表示する

 生物の生命維持には生体防御機構が必須である。生体防御機構は獲得免疫と自然免疫に大別される。昆虫の生体防御機構は自然免疫のみから成るが、昆虫は多細胞生物の七割以上を占めている最も繁栄した生物と言える。この様な昆虫の成功には優れた自然免疫系も寄与しているに違いない。この自然免疫に携わる分子の一つとして抗菌ペプチドが上げられる。

 当教室ではセンチニクバエから様々な抗菌性物質を精製単離してきた。その一つにSarcotoxin IAがある。Sarcotoxin IAはセンチニクバエ三令幼虫で体表傷害や感染時に誘導される抗菌ペプチドで、特にグラム陰性菌に高い活性を持つ。Sarcotoxin IAは39アミノ酸からなる二つのα−へリックスを形成する塩基性で両親媒性のペプチドである。

 一般に塩基性で両親媒性のペプチドは抗菌活性を持つと考えられている。その理由は細菌の細胞膜の外側が酸性を帯びている為に抗菌ペプチドの塩基性残基が相互作用し、続いて両親媒性の性質が脂質膜を傷害すると考えられているからである。Sarcotoxin IAは昆虫やほ乳類のような高等生物の細胞に対しては全く傷害活性を持たないが、Sarcotoxin IAが真核細胞の中性の細胞膜に相互作用出来ない為と考えられている。しかし、私は博士課程においてSarcotoxin IAに抗真菌活性を見いだした。真菌は真核細胞でありその細胞膜表面は中性である。従って、Sarcotoxin IAの抗真菌作用が塩基性アミノ酸残基と細胞膜との相互作用による効果とは考えられなかった。更に酸性細胞膜を持つグラム陽性菌に対してSarcotoxin IAは殆ど抗菌活性を示さない。この様に、Sarcotoxin IAの抗微生物活性は細菌の酸性細胞膜をターゲットとするだけでは説明出来なかった。そこで、私は塩基性以外の性質もSarcotoxin IAの抗微生物活性に関与すると考えた。本研究はSarcotoxin IAのグラム陰性菌との相互作用を解析し、その生物学的な意義を明らかにすることを目的とした。

 Sarcotoxin IAのアミノ酸配列と抗菌活性の関係を調べる目的で、まずSarcotoxin IAの抗菌活性と膜傷害活性における構造活性相関を検討した。その結果、N末端2残基(グリシン1ートリプトファン2)が無いΔ2 Sarcotoxin IAでは大腸菌に対する抗菌活性が著しく低下した。一方で細菌内膜のリン脂質組成を模した酸性リポソームに対しては全長のNative Sarcotoxin IAとその膜傷害活性に差が認められなかった。さらに、Δ2 Sarcotoxin IAは未処理の大腸菌には抗菌活性を示さないが、外膜の透過性を上げた大腸菌に対しては内膜を傷害し抗菌活性を示すことが解った。従って、N末端2残基のグリシン−トリプトファンがグラム陰性菌の外膜層との相互作用に必須であり、この相互作用が抗グラム陰性菌活性に関係することが示唆された。

 グラム陰性菌の外膜層の主成分はリポ多糖(LPS)である。このLPSは多糖と糖脂質のlipid Aから構成される。私はLPSとSarcotoxin IAが相互作用して細菌に結合したのち、細菌細胞膜に作用する事で抗菌活性を示すと考えた。この仮説を証明する為にLPSとSarcotoxin IAの相互作用を検討した。その結果、Sarocotoxin IAはN末端2残基を削るとLPSに対する親和性が減少した。さらにNative Sarcotoxin IAはlipid Aにより抗菌活性を阻害された。そこで、Sarcotoxin IAのリポソーム膜傷害活性に対するlipid Aの影響を検討した。その結果、lipid Aの含量に応じて中性リポソームのNative Sarcotoxin IAに対する感受性が著しく上昇した。一方、N末端2残基を削ったΔ2 Sarcotoxin IAに対してはlipid Aの含量を増やしても中性リポソームの感受性に変化は認められなかった。以上の結果はN末端2残基はSarcotoxin IAとLPS中のlipid Aとの相互作用に必須であり、この相互作用が抗菌活性に関係している事を強く示唆した。

 多くの抗菌ペプチドは二次構造を形成する、この様な抗菌ペプチドの二次構造は抗菌活性に必須である事が解っている。N末端の2残基がSarcotoxin IAの二次構造形成に影響を与えていると当初は考えた。Native Sarcotoxin IAとΔ2 Sarcotoxin IAの構造をNMRスペクトル、CDスペクトル及びゲル濾過により比較した。その結果、Native Sarcotoxin IAとΔ2 Sarcotoxin IA共にlipid Aと共存するとα−helixを形成した。N末端2残基のトリプトファンはその蛍光変化からlipid Aとの相互作用部位に位置することも示唆された。また、1 mMのSarcotoxin IAにおいて自己会合を起こす事が示唆された。しかし、今回の結果ではNative sarcotoxin IAとΔ2 Sarcotoxin IAで構造に大きな違いは認められなかった。

 LPSはその生物活性からエンドトキシンと呼ばれている。大量のLPSを哺乳類に投与すると発熱やショックを起こし最終的には死に至る。この様々なLPSの生物活性に必要な活性部位はlipid Aで有ることが知られている。Native Sarcotoxin IAはlipid Aに結合すると考えられたので、Sarcotoxin IAのLPSへの結合でLPSの生物活性が失われる事が予想された。LPSの生物活性に対するSarcotoxin IAの影響を調べる目的でLPSよるマクロファージからのサイトカイン産生とセンチニクバエでのLPS誘導性遺伝子に対するSarcotoxin IAの効果を検討した。その結果、マウス株化細胞J774.1細胞からのLPSによるTNF−αの産生、及びマウス腹腔マクロファージからのLPSによるサイトカイン(IL-1α、IL-10、TNF-α、GM-CSF)の産生をNative Sarcotoxin IAの濃度依存に抑制した。一方、Δ2 Sarcotoxin IAではその様な抑制効果は認められなかった。また、センチニクバエ三令幼虫に於いてもSarcotoxin IAはLPS誘導性遺伝子の活性化を抑制した。サイトカインの結果と同様にΔ2 Sarcotoxin IAによるLPS誘導性遺伝子の抑制は認められなかった。従って、Sarcotoxin IAは抗菌活性以外の機能としてLPSに結合する事でLPSに対する過剰な応答を抑制していると考えられた。

 以上は抗菌ペプチドの塩基性や両親媒性以外の性質が抗菌作用とLPS中和作用に必須である事を示した初めての知見である。Sarcotoxin IAはLPSによりセンチニクバエで体液中に誘導される抗菌物質である。Sarctoxin IAはlipid Aに対する親和性によりグラム陰性菌に選択的な傷害活性を有するのみならず、センチニクバエのグラム陰性菌に対する生体防御機構において負の制御機構の一役を担っていると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 従来から、両親媒性塩基性ペプチドは、細菌細胞膜を標的として抗菌活性を示すことが解っていた。しかし、これらのペプチドの抗菌スペクトルの違いが何に起因するのかは不明のままである。また、抗菌活性との構造活性相関などに関する情報は極めて限られている。抗菌ペプチドの抗菌メカニズムにおいて、塩基性の性質による酸性リン脂質膜との相互作用と両親媒性の性質による細胞膜の破壊を結びつける以上のことはほとんど未解明であるのが実状であった。この論文はセンチニクバエ三令幼虫で体表傷害時や感染時に誘導される抗菌ペプチドSarcotoxin IAのグラム陰性菌との相互作用を解析し、その生物学的な意義を検討したものである。

 まず、Sarcotoxin IAのN末端2残基(グリシン1ートリプトファン2)を削ると、Sarcotoxin IAはグラム陰性菌の外膜と相互作用できず抗菌作用を失う事を示した。さらにlipid Aに対する親和性がN末端2残基を削ることで著しく減少する事を示した。また、lipid AはSarcotoxin IAのグラム陰性菌に対する抗菌活性を阻害した。これらの結果は、Sarcotoxin IAのN末端2残基がSarcotoxin IAとLPS分子中のlipid Aとの相互作用に必須であり、この相互作用が抗グラム陰性菌活性に重要である事を示している。

 さらに、マウス株化細胞J774.1細胞からのLPSによるTNF−αの産生、及びマウス腹腔マクロファージからのLPSによるサイトカイン(IL-1α、IL-10、TNF-α、GM-CSF)の産生をNative Sarcotoxin IAの濃度依存に抑制した。一方、N末端2残基の無いΔ2 Sarcotoxin IAではその様な抑制効果は認められなかった。この結果は、Native Sarcotoxin IAがlipid Aに結合してLPSの生物活性を抑制する事を示すものである。

 最後に、センチニクバエ三令幼虫に於いてもSarcotoxin IAはLPS誘導性遺伝子の活性化を抑制する事を示した。Sarcotoxin IAはグラム陰性菌から遊離した微量のLPSの刺激によりセンチニクバエで体液中に誘導される。この結果として、Sarcotoxin IAはlipid Aと結合してグラム陰性菌にのみ傷害活性を示すだけでなく、破壊された菌体から遊離する多量のlipid Aによる生物活性を阻害する事で個体のLPSに対する過剰な応答を抑制すると考えられた。

 以上の研究は、塩基性でもなくへリックス形成領域にも属さないアミノ酸残基が抗菌ペプチドの抗菌作用とLPS中和作用に必須である事を示した初めての知見である。抗菌ペプチドの抗菌作用におけるLPSとの相互作用に関する報告が殆どないことから、これまで不明な点が多く残されている抗菌メカニズムの解明に大きな知見が得られるものと期待される。さらに、Sarcotoxin IAのN末端2残基とLPSとの相互作用の解析を進めることにより、新しいLPS中和機構が明らかになる事が期待される。これらの成果は、薬学の発展に寄与するものと考えられることから、博士(薬学)の学位に相当するものと判定した。

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