学位論文要旨



No 117424
著者(漢字) 小野,高
著者(英字)
著者(カナ) オノ,タカシ
標題(和) 糖鎖認識部位の改変による多様なレクチンの創製
標題(洋) Diverse Plant Lectins Generated by Alterations of Carbohydrate Recognition Loops
報告番号 117424
報告番号 甲17424
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第988号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 嶋田,一夫
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 助教授 高崎,誠一
 東京大学 講師 東,伸昭
内容要旨 要旨を表示する

【序】

 糖鎖とそれを認識する分子が細胞間の相互作用を制御し、細胞の生体内での交通様式を決定している例が数多く知られている。多様な細部表面糖鎖は、細胞交通様式を決定することによって癌、炎症、アレルギーなどに関与する。このような細胞認識に関わる糖鎖の研究にいて、糖鎖認識分子(レクチン)はプローブとして広く利用されてはいるが、糖鎖の多様性に比べてその数は圧倒的に少ない。もし新規な特異性を持つレクチンのライブラリーを作製することができれば、レクチンチップとして細胞の分別同定を行い、糖鎖構造をインフォーマティクスの方法に基づいて解析するなど、広範囲の応用ができる。

 本研究では、シアル酸を含む糖鎖に結合能を有するマメ科植物レクチンであるMaackia amurensis hemagglutinin(MAH)の遺伝子の、糖鎖結合部位を改変し、新規な糖結合特異性を持つ人工レクチンを創製することを試みた。マメ科植物レクチンの糖鎖認識部位は4本のループで形成されている。他の種々のマメ科レクチンのX線構造解析、アミノ酸配列比較、およびコンピュータモデリングなどの結果から、特にループC、Dと呼ばれる2本のループを形成するアミノ酸の配列および長さが多様性に富んでおり、この部分が糖鎖認識特異性を決定していると考えられた。そこで、この2つのループのアミノ酸をランダムに改変すること、および伸長させることにより、新規な特異性を持つレクチンを創製することを試みた。本研究では種々の改変の方法によって、広い糖鎖結合特異性スペクトルを持つ人工レクチンライブラリーを創製することを主な長期的な目標とした。さらに、改変レクチンライブラリーを用いてレクチンチップを作製することを念頭に、多数の組換え体レクチンを簡便に精製、固定化し、細胞や糖鎖の結合を検出する系を確立することも重要な研究目標とした。

【第一章:ループCの伸長による多様なレクチンの作製】

目的:ループCの長さを、任意の位置に任意のアミノ酸を挿入することにより、アミノ酸1つ分伸長してライブラリーを作製し(図1)、おのおののクローンの結合特異性を調査すること。

方法:合成ヌクレオチドをプライマーとしたPCRによって、285個のアミノ酸のうち、対象となる127番目から137番目の部分で、それぞれのアミノ酸の間いずれか一カ所に、20種のアミノ酸のうち1つをランダムに強制的に挿入した。作製したレクチンライブラリーcDNAをpFLAGベクターに組み込んで、大腸菌にFLAGタグが付随したレクチンタンパク質として発現させた。得られた大腸菌コロニーを回収し、それぞれのDNA配列を確認し、作製されうる220種すべての人工レクチンのcDNA、およびタンパク質を単離、同定することを目指した。特異性の検出のためには、ELISA法を用いた。ELISAプレートにまず抗FLAG抗体を固定化し、そこに一定量の培養大腸菌液から凍結/融解繰り返して得た溶解物を加えた。単離した人工レクチンタンパク質の細胞に対する結合特異性の違いは、それぞれ異なる糖鎖をその表面上に発現していると考えられるヒト、ウサギ、ニワトリ、ウマ、ウシ、ブタ、モルモットの赤血球の、固定化レクチンに対する結合性の検出によって確認した。

結果:現在までに180個のクローンを得た。これらのおのおののクローンがMAHレクチンを発現していることを、抗MAHポリクローナル抗体を用いたウエスタンブロッティングによって確認した。次いでFLAGエピトープを用いてレクチンをプレートに固定化した。固定化された人工レクチン量を、抗MAH抗体を用いて測定したところ、どのウェルにもほぼ同量の人工レクチンが固定化されていることが明らかになった。異種動物赤血球を用いた特異性の確認の結果、他の動物の赤血球には結合しないが、ウマの赤血球にのみ結合するクローンが存在することが判明した。またヒト赤血球に対する結合性を見ると、野生型よりも弱い結合ではあるが、約75%が陽性であった。これらは特異性は変化したが、レクチンとして機能するクローンがあることを示唆している。また、異種動物赤血球との結合パターンと、アミノ酸挿入位置に関連がある可能性がある。

 また、20クローンが調査したいずれの異種動物赤血球に結合しなかった。これらの立体構造をコンピュータモデリングで推測したところ、糖認識部位のループ環の空間が、明らかに狭くなってしまっていること、または逆に大きく開いてしまっていることが明らかになった。ウマ赤血球に強く結合性を示したクローンは野生型と同程度の空間が存在することも確認された。このことから、結合性を示さなかったクローンは、糖結合部位空間が変化したことで、糖を挟み込めなくなり、レクチンとしての機能を失った可能性が高いことが予想される(図3、最終ページ)。

【第二章:ループDへの変異導入による改変とファージライブラリーを用いた上皮細胞結合性レクチンの選別、ならびにその特異性の確認】

目的:ループDにあたるアミノ酸のうち、5つをランダムに改変して、異なるアミノ酸に置換し(図1)、得られたライブラリーをファージミドpComb3に組み入れ、ヒト上皮様細胞に結合性の高いものを選別し、これらの特異性を明らかにすること。

方法:合成ヌクレオチドをプライマーとして、ループDを形成すると考えられるアミノ酸のうち219番目から223番目の部分の塩基配列をPCRによってランダマイズした。この人工レクチンライブラリーをファージディスプレイシステムに組み込んだ。人工レクチンcDNAライブラリーをpComb3ファージミドに組み込み、ファージ表面に人工レクチンを提示させた。このファージレクチンライブラリーを用い、表面に多様な糖鎖を発現しているヒト消化管由来のCaco-2細胞に対してパニングを実施した。計3回のパニング操作を行ったところ、回が進むごとにファージ回収率が上昇し、この細胞に結合性を持つレクチンを含むファージが濃縮されたことが予想された。得られたコロニーをクローンとして回収し、そこに含まれている改変MAHのDNAを配列決定した。これらのクローンをFLAG系に組換え、FLAGタグつきタンパク質として大腸菌に発現させた。これらの人工レクチンの細胞および糖鎖に対する特異性の違いを確認するために、異種動物赤血球、糖鎖含有ビオチン化ポリアクリルアミドを用いて、ELISA法によりこれらに対する結合性を比較した。

結果:改変により理論上3.2×105個の人工レクチンが創製されたことになる。パニングの後12種類のクローンを得た。これらのクローンのDNA配列および予想されるアミノ酸配列は野生型とは全く異なっていた(表1)。赤血球に対する結合性を比較したところ、それぞれのクローンが異なる結合力、および特異性を持つことが明らかになった。さらに、糖鎖含有ビオチン化ポリアクリルアミドを用いた結合実験の結果も、これらのレクチンが異なる特異性を持つことを示している(図2)。結合親和性も比較的高く、天然には存在しない、新規な特異性を持つレクチンが創製された。

【考察】

 本研究の結果、植物レクチンの遺伝子をフレームとして、さまざまな改変の仕方によって新規のレクチンが生み出せることが明らかになった。また実際に野生型とは結合特異性が違うが、比較的親和力が高い人工レクチンを得ることができた。特にループDを改変したレクチンライブラリーは、非常に興味深い新たな糖認識特異性を持ち、かつその親和性が強いものが含まれ、今後のレクチンチップなどへの応用によって、よりインフォーマティクス的に、糖鎖や細胞の分別・同定を可能にするようなツールとして利用できる可能性を強く示唆している。今後は、これらのクローンのさらに詳細な結合特異性の検証をすること、ならびに他のパニング方法によるさらに異なる特異性を持つと考えられるクローンを取得することなどを中心に、ツールとして有用なレクチンライブラリーの構築を進めていくことが重要であると考える。

図1:MAH糖鎖認識部位の改変

図2 Binding of mutant lectins to carbohydrate

図3.SWISS-MODELによって予想される立体構造

左:野生型MAH 右:クローン9Asn

クローン9Asnは糖結合部位が野生型に比べ広がってしまったため、糖に結合できなくなったと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 「糖鎖認識部位の改変による多様なレクチンの創製(Diverse Plant Lectins Generated by Alterations of Carbohydrate Recognition Loops)」の題目を持つ本論文には、マメ科植物レクチンであるMaackia amurensis hemagglutinin (MAH)の遺伝子の、糖鎖結合部位を改変し、新規な糖結合特異性を持つ改変レクチンを創製することを目的とした研究の成果が述べられている。この研究はマメ科植物レクチンの一次構造は類似し、糖鎖認識部位は4本のループで形成され、糖鎖認識特異性の異なる植物レクチンはループの構造が異なるという事実に基づく。学位申請者は、種々のマメ科植物レクチンのX線構造解析、アミノ酸配列比較、およびコンピュータモデリングなどの結果から、特にルーブCとループDの2本のループを形成するアミノ酸の配列及び長さが多様性に富んでおり、この部分が糖鎖認識特異性を決定している可能性が高い事に注目した。この考えに基づき、この2つのループのアミノ酸をランダムに改変すること、および伸長させることにより、新規な特異性を持つレクチンを創製することが試みられた。

 レクチンは糖鎖認識ブロープとして広く利用されてはいるが、糖鎖の多様性に比べてその数は圧倒的に少ない。もし新規な特異性を持つレクチンのライブラリーを作製することができれば、レクチンチップなどとして細胞の分別同定を行い、糖鎖構造をインフォーマティクスの方法に基づいて解析するなど、広範囲の応用ができる。本研究では、シアル酸を含む糖鎖に結合能を有するマメ科植物レクチンであるMAHの遺伝子の、糖鎖結合部位を改変し、新規な糖結合特異性を持つ改変レクチンを創製することを試みた。マメ科植物レクチンの糖鎖認識部位は4本のループで形成されている。他の種々のマメ科レクチンのX線構造解析、アミノ酸配列比較、およびコンピュータモデリングなどの結果から、特にループC、Dと呼ばれる2本のループを形成するアミノ酸の配列および長さが多様性に富んでおり、この部分が糖鎖認識特異性を決定していると考えられた。そこで、この2つのループのアミノ酸をランダムに改変すること、およぴ伸長させることにより、新規な特異性を持つレクチンを創製することを試みた。さらに、改変レクチンライブラリーを用いてレクチンチップを作製することを念頭に、多数の組換え体レクチンを簡便に精製、固定化し、細胞や糖鎖の結合を検出する系を確立することも重要な研究目標であった。

 第一章ではループCの127番目のPheから137番目のAspの間に任意の位置に任意のアミノ酸を挿入することにより、アミノ酸1つ分伸長して多様な糖鎖認識特異性を有するレクチンを作製することが目標となった。作製したレクチンライブラリーcDNAをpFLAGベクターに組み込んで、大腸菌にFLAGタグが付随したレクチン蛋白質として発現させた。得られた大腸菌コロニーを回収し、それぞれのDNA配列を確認し、作製されうる220種すべての改変レクチンのcDNA、およぴ蛋白質を単離、同定することが目指されたが、結果としては180種がクローンとして得られた。これらがMAHレクチンを発現していることを、抗MAHポリクローナル抗体を用いたウエスタンプロッテイングによって確認した。特異性の検出のためには、ELISAプレートにまず抗FLAG抗体を固定化し、そこに一定量の培養大腸菌液から凍結融解を繰り返して得た溶解物を加えた。単離した改変レクチン蛋白質の細胞に対する結合特異性の違いは、それぞれ異なる糖鎖をその表面上に発現していると考えられる7種の動物の赤血球が、固定化レクチンに対して異なる結合性を示すかどうか検定する事によった。一例として他の動物の赤血球には結合しないが、ウマの赤血球にのみ結合するクローンが存在することが判明した。このレクチンは野生型では132番目のHisの後ろにGlyが挿入されていた。180個のクローンの内には、ユニークな特異性を有するものが他にも複数含まれていた。ヒト赤血球に対する結合性を有するものは、全体の約75%であった。20クローンは試験したいずれの動物赤血球にも結合しなかった。これらの立体構造をコンピュータモデリングで推測したところ、糖鎖認識部位のループの間の空間が狭いかまたは大きく開いていることが明らかになった。以上から、MAHのループCを1アミノ酸伸長する事によって、多様な特異性を有するレクチンのライブラリーが創製された事が明かとなった。

 次の章では、ループDへの変異導入によるMAHのランダムな改変、ファージライブラリーを用いた上皮細胞に結合性を有するレクチンの選別、及び選別されたレクチンの糖鎖認識特異性を確認した結果が述べられている。具体的には、ループDを形成すると考えられるアミノ酸のうち219番目から223番目に相当する5つのアミノ酸をランダムに改変して、異なるアミノ酸に置換し、得られたライブラリーをファージミドpComb3に組み入れた。理論上3.2×105個の改変レクチンから、ヒト小腸上皮様に分化した細胞に結合性の高いものをパニングにより選別した。結合性を持つレクチンを含むファージのコロニーからクローンを回収し、DNAの配列を決定した。これらの内12種を、FLAGタグを持つ蛋白質として大腸菌に発現させた。発現した改変レクチンの細胞および糖鎖に対する特異性の違いを確認するために、7種の動物の赤血球、14種の糖鎖含有ビオチン化ポリアクリルアミドのこれらのレクチンに対する結合性をELISA法により比較した。7種の動物の赤血球のこれらのレクチンに対する結合性は、それぞれのクローンにより異なることが明らかになった。さらに、糖鎖含有ビオチン化ポリアクリルアミドを用いた結合実験の結果も、これらのレクチンが異なる特異性を持つことを示した。

 本研究の結果、植物レクチンの遺伝子をフレームとして、異なる方法と異なる標的配列を用いた改変により、新規のレクチンが多数生み出せることが明らかになった。また実際に野生型とは結合特異性が違うが、比較的親和力が高い改変レクチンを複数得ることができた。ループDを改変したレクチンライブラリーには、新たな糖認識特異性を持ち親和性が高いものが含まれたが、それらのパニングによる選別に成功した。これらの改変レクチンはレクチンチップなどへの応用を通して、バイオインフォーマティクスの手法を用いて、糖鎖や細胞の分別と同定を可能にするツールとして広範囲に利用できる可能性を強く示唆した。このように糖鎖生物学とバイオテクノロジーの新しい分野に強いインパクトを有する本研究を行った学位申請者である小野高は博士(薬学)の学位を得るにふさわしいと判断した。

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