学位論文要旨



No 117426
著者(漢字) 熊谷,圭悟
著者(英字)
著者(カナ) クマガイ,ケイゴ
標題(和) リゾホスファチジン酸−アシルCoA−アシルトランスフェラーゼの解析
標題(洋)
報告番号 117426
報告番号 甲17426
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第990号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 助教授 青木,淳賢
内容要旨 要旨を表示する

【第1章】

序論

生体内のリン脂質代謝には多くのアシルトランスフェラーゼが関与しているが、そのほとんどは現在でもクローニングされておらず、リン脂質脂肪酸鎖の調節機構の解析を困難にしている。最近、グリセロリン脂質の生合成に関わるアシルトランスフェラーゼについては、その一部が明らかにされつつある。リン脂質の生合成はグリセロール−3−リン酸を出発材料として、2本の脂肪酸鎖が連続して結合することにより始まる。この過程を担う酵素として、グリセロール−3−リン酸をアシル化するグリセロール−3−リン酸アシルトランスフェラーゼ(GPAT)やリゾホスファチジン酸(LPA)をアシル化するリゾホスファチジン酸アシルトランスフェラーゼ(LPAAT)などがあるが、これらの一部はすでにクローニングされている。(Fig.1)哺乳類ではGPATが1つ、LPAATが2つクローニングされ、2つのLPAATはLPAATα・βと呼ばれている。GPATやLPAATなどのアシルトランスフェラーゼ群にはアシルトランスフェラーゼモチーフと呼ばれる共通配列があることが報告された。アシルトランスフェラーゼモチーフをもつ遺伝子群をデータベース検索したところいくつかの新規遺伝子が見つかった。これらの遺伝子群は何らかのリン脂質代謝に関わるアシルトランスフェラーゼの候補であると考えられ、その解析を行った。

【第2章】

アシルトランスフェラーゼファミリーと遺伝子のクローニング

アシルトランスフェラーゼモチーフを持つ新規遺伝子をデータベース検索したところ、少なくとも6個の新規アシルトランスフェラーゼ様遺伝子が見つかった。これらの新規アシルトランスフェラーゼ様遺伝子の生化学的機能は全く分かっていなかった。(Fig.2,四角で囲んだ遺伝子)新規新規アシルトランスフェラーゼ様遺伝子の中には、Ca2+結合ドメインであるEFハンドや、ユビキチン付加酵素の結合ドメインをもつものもあった。また、以前から、Taffazinというアシルトランスフェラーゼ様遺伝子が、Barth syndromeと呼ばれる遺伝性心筋症の原因遺伝子であることが分かっていた。これらの遺伝子群の機能を明らかにするために、動物細胞での過剰発現系を用いて活性を測定することにした。目的の遺伝子はマウス肝臓由来のcDNAライブラリーから全長をクローニングした。pcDNA3に組み込んだ後、CHO細胞に発現させ、細胞から膜画分を調製して、これを酵素源として活性の測定を行った。活性の測定は、[14C]ラベルされたアシル−CoAとリゾリン脂質を加え37℃でインキュベートし、ラベルされたリン脂質をTLCで分離し、目的のバンドに取り込まれた放射活性をイメージアナライザで定量することにより行った。その結果、2つの遺伝子(XP-036003,XP-004374)がLPAAT活性を示し、LPAATにはこれまで知られていたα・βに加え、さらに2つのアイソザイムが存在することが明らかになり、γ・δと命名した。各LPAAT間のホモロジーは、αとβの間は約40%のホモロジー、γとδの間は約60%のホモロジーがあったが、α・βとγ・δの間では、全長で約15%以下の低いホモロジーしかなかった。したがって、LPAATはα・βを含むサブファミリーとγ・δを含むサブファミリーに分けられることが示唆された。また、mycタグを付加したLPAATに対する免疫蛍光染色の結果から、これらのアイソザイムは全てER膜に局在していることが明らかになった。

【第3章】

LPAATの酵素学的性状解析

LPAATγ、δにはリゾホスファチジルコリン、リゾホスファチジルイノシトール、リゾホスファチジルエタノールアミンに対するアシルトランスフェラーゼ活性は全くなかった。(Fig3-1) この結果からも、LPAATγ・δがLPAATのアイソザイムあることが示唆された。βに関しては、僅かながらリゾホスファチジルイノシトルもアクセプターになることが明らかになった。LPAがアクセプターであることが明らかになったので、次に、LPAのsn-1位がエステル結合になっているアシル型LPAと、sn-1位がエーテル結合になっているアルキル型LPAに対する選択性についても検討した。その結果、α・βはアシル型LPAに比べてアルキル型LPAを良い基質としないのに対して、γ・δはアシル型・アルキル型の区別を全くしないことが明らかになった。(Fig.3-2)更に、LPAATα・βとLPAATγ・δのアシルCoAに対する基質特異性を調べた。14CラベルされたいくつかのアシルCoAを用いて活性測定を行ったところ、LPAATα・βはこれまでの報告と同様にいずれのアシルCoAも基質とし、選択性が乏しかった。一方、LPAATγはアラキドノイルCoAやリノレオイルCoAなどの多価不飽和脂肪酸に高い選択性を示した。δはオレオイルCoAに若干の選択性を示した。(Fig.3-3)ところで、mycで各LPAATの発現量を定量し、酵素当たりの活性を比べると、γ・δの比活性はα・βの1/10程度であることが明らかになった。しかし、Km値を算出してみると、γ・δはα・βと比べてLPAに対するKm値が1オーダー程度低いことが明らかになった。γ・δの活性はより基質濃度の低い状態の時に寄与率が高くなることが示唆された。

【第4章】

LPAATアイソザイムの発現の解析

さらに、LPAATアイソザイムの機能的差異を明らかにするため、LPAATの発現について解析した。まず、最初に個体レベルでどの臓器に多く発現しているのかを、ノーザンブロッティング解析によって検討した。その結果、いずれのアイソザイムも様々な臓器に発現していたが、肝臓・心臓・腎臓など古くからLPAAT活性が強いといわれている臓器では、複数のアイソザイムが重複して発現しており、かつ、個々の発現量も高いという結果になった。(Fig.4)興味深いことに、βとγの発現パターンが非常に類似しており、いずれも肝臓・精巣・心臓・腎臓といった臓器に多く発現していた。また、δは脳において発現量が多く、他の3つのアイソザイムの発現レベルが高い肝臓・心臓・腎臓・精巣といった臓器での発現量は低いことが明らかになった。次に、培養細胞における発現について検討した。LPAATの発現量は定量PCRを用いて測定した。調べたほとんどの培養細胞において、LPAATアイソザイムは4つとも発現しており、複数のアシルトランスフェラーゼが単一の細胞に同時に発現していることが示唆された。これらの細胞の中で、脂肪細胞に分化する能力を持った3T3-L1細胞に着目し、脂肪細胞に分化する時のLPAATの発現について解析した。脂肪細胞への分化に伴い、3T3-L1細胞中に多数の油滴が観察され、中性脂質の合成が盛んになっていることが確認された。定量PCRの結果、3T3-L1細胞が線維芽細胞から脂肪細胞に分化する際に、LPAATβが約20倍に増加することが明らかになった。

(Fig.5) また、にγも約6倍に増加していた。一方、この時、δは逆に発現が低下していた。

【第5章】

総括と考察

組織レベルでのリン脂質の新規生合成では、オレイン酸やリノール酸といった脂肪酸がsn-2位に優先的に転移されるのに対して、ミクロソームレベルでの活性測定ではそのような基質選択性が見られないという問題が古くから知られていた。また、LPAATα・βはアシルCoAに対する選択性が乏しいことが報告され、組織内での基質選択性の問題は全く分かっていなかった。今回明らかになったγやδの基質選択性は、組織内でのリン脂質de novo生合成時に見られる基質選択性と近く、γやδがde novo生合成に関わっていることが示唆される。γ・δの比活性はα・βと比べて低いが、ミクロソームを用いた活性測定のようにかなり過剰な基質が存在するような状態ではなく、通常の細胞内のように基質濃度が低い状態において、γ・δの寄与が高くなることがKmの結果から示唆された。脂肪細胞への分化時にβが著しく増加したが、トリアシルグリセロール合成のようにsn-2位の脂肪酸種を選ぶ必要のない時には、選択性に乏しく反応速度の速い酵素であるβを誘導してトリアシルグリセロール合成を促進しているものと考えられた。また、アルキル型のトリアシルグリセロールはリパーゼによる分解を受けにくいことが知られている。βはアルキル型LPAをあまり良い基質としないという性質が明らかになったが、βのこうした性質は脂肪細胞におけるトリアシルグリセロール合成に適していると考えられる。ノーザンブロッティングの結果ではβとγの発現パターンが類似していたが、脂肪細胞に分化した時にもβとγが増加していた。βとγが多く発現していた臓器は脂肪の合成が盛んな臓器ばかりであり、βとともにγもトリアシルグリセロール合成に必要なのかもしれない。βの発現誘導のメカニズムを理解するために転写開始点周辺について解析してみたところ、確かに、脂肪細胞への分化に重要な役割を担う転写制御因子であるC/EBPαやSREBP-1が結合する配列が見つかった。δは脳において発現が高かったが、脳のリン脂質は意外と多くのオレイン酸を含んでいることが知られている。

脳特異的発現、オレオイルCoA選択性、脳リン脂質のオレイン酸の多さ、という3点の一致は大変興味深い。今回、脂肪細胞への分化時にβが増加することに注目してきたが、酵素学的によく似た性質を示したαはほとんど増えておらず、それぞれのアイソザイムは状況に応じて細かく使い分けられていると考えられる。

Fig.1リン脂質de novo生合成経路

リン脂質のde novo生合成はGPに2本の脂肪酸を導入し、生じたPAに各極性基を付加するという順序で行われる。LPAATはLPAのsn-2位に脂肪酸を導入する酵素である。GP=glycerol-3-phosphate, PA=phosphatidic acid, TG=triacylglycerol, PC=phosphatidylcholine, PE=phosphatidylethanolamine, PI=phosphatidylinositol, CL=cardiolipin

Fig.2アシルトランスフェラーゼファミリー

アシルトランスフェラーゼモチーフを持つ遺伝子群を模式的に表した。アシルトランスフェラーゼドメインはほとんどの場合100アミノ酸程度の長さをもつ。これまでに機能が分かっていないものは四角で囲ってある。

Fig.3-1LPAATアイソザイムのアクセプターの基質特異性

ドナーにはアラキドノイルCoAを用い、表中の各アクセプターに対するアシルトランスフェラーゼ活性を測定した。

Fig.3-2アシル型LPAに対する選択性

縦軸は1-アシル型LPAを100%とした場合のアルキル型LPAの場合の比で表した。α、βはアルキル型LPAをあまり良い基質にしないことが分かる。

Fig3-3LPAATアイソザイムの基質選択性の比較

縦軸はパルミトイルCoAを100%とした時の反応速度の比である。非選択的なα・βとは対照的にγ・δには基質選択性がある。

Fig.4マウス各臓器でのLPAATの発現分布

臓器レベルでの発現解析では、古くからLPAAT活性が強いことが知られていた肝臓・腎臓・心臓・肺・脳といった臓器で多くのアイソザイムが重複して発現していることが分かった。

Fig.5 3T3-L1細胞の脂肪細胞への分化時にみられる発現変動

3T3-L1細胞の脂肪細胞への分化誘導は、細胞がコンフルエントになってから2日後に開始した。各アイソザイムのmRNAの定量は定量PCRを用いて行った。

審査要旨 要旨を表示する

 生体内のリン脂質代謝には多くのアシルトランスフェラーゼが関与しているが、そのほとんどは現在でもクローニングされておらず、リン脂質脂肪酸鎖の調節機構の解析を困難にしている。最近、グリセロリン脂質の生合成に関わるアシルトランスフェラーゼについてはその一部が明らかにされつつあり、グリセロール−3−リン酸をアシル化するグリセロール−3−リン酸アシルトランスフェラーゼや、リゾホスファチジン酸をアシル化するリゾホスファチジン酸アシルトランスフェラーゼ(LPAAT)等がすでにクローニングされていた。これらのアシルトランスフェラーゼにはアシルトランスフェラーゼモチーフと呼ばれる共通配列があることが報告されていた。「リゾホスファチジン酸アシルトランスフェラーゼのアイソザイムの解析」と題した本論文では、アシルトランスフェラーゼモチーフをもつ遺伝子群をデータベース検索し、いくつかの新規アシルトランスフェラーゼ様遺伝子を見出している。更に、これらの遺伝子群の解析の結果、既知のLPAATアイソザイムであるα・βに加え、新規のLPAATアイソザイムγ・δが存在することを初めて見出し、これら4つのアイソザイムが状況によって使い分けられていると述べている。

1.アシルトランスフェラーゼファミリーと遺伝子のクローニング

 アシルトランスフェラーゼモチーフを持つ遺伝子をデータベース検索し、10個の機能未知の新規アシルトランスフェラーゼ様遺伝子を見出した。これらの遺伝子群の機能を明らかにするために、動物細胞での過剰発現系を用いて活性を測定した。その結果、新規アシルトランスフェラーゼ様遺伝子群の中の2つがLPAAT活性を示し、LPAATにはこれまで知られていたα・βに加え、さらに2つのアイソザイムが存在することが明らかになり、γ・δと命名した。相同性の比較から、4つのLPAATはα・βを含むサブファミリーとγ・δを含むサブファミリーに分けられることが示唆された。また、免疫蛍光染色の結果から、これら4つのLPAATアイソザイムは全てER膜に局在していることを明らかにした。

2.LPAATの酵素学的性状解析

 LPAATγ・δはリゾホスファチジルコリン等の他のリゾリン脂質に対するアシルトランスフェラーゼ活性は全くなかった。この結果から、γ・δがLPAATのアイソザイムであることが示唆された。また、sn-1位がエステル結合になっているアシル型LPAと、sn-1位がエーテル結合になっているアルキル型LPAに対する選択性について検討した。その結果、α・βはアルキル型LPAを良い基質としないのに対して、γ・δはアシル型・アルキル型の区別を全くしないことを明らかにした。各LPAATアイソザイムのアシルCoAに対する基質選択性を調べ、α・βはこれまでの報告と同様にアシルCoAに対する選択性が乏しいことを確認した。一方、γはアラキドノイルCoAやリノレオイルCoA等の多価不飽和脂肪酸に高い選択性を示すこと、δはオレオイルCoAに若干の選択性を示すことを明らかにした。各LPAATアイソザイムの酵素量当たりの活性を比較した結果、γ・δの比活性はα・βの1/10程度だった。しかし、Km値の解析から、γ・δはα・βと比べてLPAに対するKm値が1オーダー程度低いことを明らかにした。γ・δの活性はより基質濃度の低い状態の時に寄与率が高くなるものと考えられた。

3.LPAATアイソザイムの発現の解析

 LPAATアイソザイムの機能的差異を明らかにするため、LPAATの発現について解析を行った。個体レベルでどの臓器に多く発現しているのかを、ノーザンブロッティング解析によって検討した。その結果、いずれのアイソザイムも様々な臓器に発現していたが、肝臓・心臓・腎臓などのLPAAT活性が強いといわれている臓器では、複数のアイソザイムが重複して高いレベルで発現していた。βとγの発現パターンが非常に類似しており、いずれも肝臓・精巣・心臓・腎臓に多く発現していた。δは脳において発現量が高かった。更に、培養細胞における発現量を定量PCRを用いて測定し、単一の細胞に同時に複数のLPAATが発現していることを明らかにした。培養細胞の中で、脂肪細胞に分化する能力を持った3T3-L1細胞に着目し、脂肪細胞に分化する時のLPAATの発現について解析した。その結果、線維芽細胞から脂肪細胞に分化する際に、LPAATβが選択的に増加することを明らかにし、脂肪細胞分化時のトリアシルグリセロール合成の促進にβが選択的に関与していることを示唆した。

 以上を要するに、本研究は新規のLPAATアイソザイムを見出し、各LPAATアイソザイムの機能的な違いを明らかにし、LPAATβが選択的にトリアシルグリセロール合成に関与していることを、分子生物学的、生化学的、細胞生物学的に初めて明らかにした。以上の知見はLPAATの生理学的な機能を解明する有益な情報を提供するとともに、これまで詳細な解析が困難だったリン脂質生合成の初期過程を理解する手がかりを与えており、博士(薬学)の学位論文として十分な価値があるものと認められる。

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