学位論文要旨



No 117428
著者(漢字) 田中,康弘
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,ヤスヒロ
標題(和) 昆虫由来細胞増殖因子Insect-Derived Growth Factor,IDGFの持つアデノシンデアミナーゼ活性について
標題(洋)
報告番号 117428
報告番号 甲17428
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第992号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 助教授 仁科,博史
内容要旨 要旨を表示する

 細胞増殖因子とは、もともと細胞の増殖や分化を促進する活性を持つ分子として同定されてきた分子である。細胞増殖因子が細胞の増殖や分化を促進する分子機構は細胞膜上に存在する受容体と呼ばれる膜蛋白に直接結合し、その結果として細胞内に情報が伝達されることで最終的に増殖や分化のみならず、現在では様々な現象を引き起こすことが明らかにされている。これまで様々な細胞増殖因子が同定されており、それらの細胞増殖の分子機構の解明および生体内における機能解析により、細胞増殖のみならず多岐にわたる現象が細胞増殖因子を通じて明らかになってきている。このことから、細胞増殖因子の生体内における重要性が示されてきている。したがって、細胞増殖因子の同定、およびその作用の分子機構の解明や機能解析は発生、分化を始め様々な生命現象を細胞生物学的な観点から明らかにし、理解する上で大変重要である。

 IDGFはセンチニクバエ胚由来細胞NIH-Sape-4の培養上清から、この細胞自身に対する増殖促進活性を指標に精製された分泌蛋白であり、構造上、新規な細胞増殖因子である。このことから既知の細胞増殖因子とは異なる新しい細胞増殖の分子機構の存在が考えられたが、その細胞増殖の分子機構や生体内での機能はこれまで全く不明であった。

 そこで、本研究において私は、IDGFの細胞増殖促進の分子機構を明らかにするため、まずはその一次構造に注目した結果、IDGFのアミノ酸配列中にADA活性部位のアミノ酸が保存されていることを見出し、実際にIDGFがADA活性を持つことを示した。さらに、IDGFの細胞増殖促進活性にADA活性が必須であることを明らかにしたので以下に述べる。

IDGFのアミノ酸配列中におけるADA活性部位の保存性

 これまでIDGFの細胞増殖における増殖促進活性の分子機構は全く不明であった。そこで私はIDGFその分子機構を明らかにするための手がかりを得るため、まずその一次構造に注目した。その結果、IDGFのアミノ酸配列中に細胞内酵素であるADAのアミノ酸配列と比較的相同性が高い領域が存在することを見出した。さらに、ADAの活性部位に存在し、その活性に関与するアミノ酸残基すべてがIDGFのアミノ酸配列中にも保存されていることを見出した。このことからIDGFは一次構造上、ADA活性を持つ可能性が考えられた。そこでIDGFがADA活性を持つか否かを調べることにした。

IDGFのADA活性の検出

 そこでまずはIDGFのADA活性を測定するにあたり、充分な量のIDGF蛋白を得るため、そのリコンビナント蛋白の調製した。次に、このリコンビナントIDGFがNIH-Sape-4に対し、増殖促進活性を持つかを確認した。その結果、リコンビナントIDGFはNIH-Sape-4培養上清から精製したauthentic IDGFとほぼ同程度の増殖促進活性を持つことが確認できた。このことから、リコンビナントIDGFが調製できたと判断した。

そこで次に、このリコンビナントIDGFのADA活性を測定した。その結果、IDGFは既知の細胞内酵素であるADAとほぼ同程度のADA活性を持つことが分かった。

 以上の結果より、IDGFは既知の細胞内酵素であるADAとは明確に異なる、細胞外に分泌される構造的にも全く新しいADAであることが分かった。

IDGFの細胞増殖活性のADA活性の関与の検討

 ところで、IDGFは細胞増殖因子であることを考えると、IDGFの持つADA活性がその細胞増殖活性に関与する可能性が考えられる。そこで、IDGFの持つADA活性の細胞増殖促進活性への関与の検討を行った。

 まずはじめに、ADAの特異的な阻害剤である2〓deoxycoformycin (DCF)を用いてIDGFのADA活性を失活させたとき、その細胞増殖活性に与える影響を調べた。その結果、DCFの濃度依存にIDGFのADA活性が阻害されるとき、同様に増殖促進活性も阻害された。さらに、ADA活性が完全に阻害されるDCF濃度では増殖促進活性も完全に阻害されることが分かった。以上の結果から、IDGFのADA活性はその増殖促進活性に必須であることが強く示唆された。

 さらに上記の結論を確かめるため、site-directed mutagenesisによりADA活性部位のアミノ酸残基を改変した、ADA活性を持たない変異体IDGFのリコンビナント蛋白を調製し、その増殖促進活性を測定した。その結果、ADA活性を持たないどの変異体IDGFも増殖促進活性は全く検出されなかった。このことから、変異体IDGFを用いた実験からも、IDGFの持つADA活性はその増殖促進活性に必須であることが示された。

 以上の2つの実験の結果より、IDGFの持つADA活性がその増殖促進活性に必須であると判断した。これまで数多くの細胞増殖因子が同定され、その細胞増殖の分子機構が明らかにされているが、細胞増殖因子がADA活性を持ち、その活性が増殖促進活性に必須であることが示された例はIDGFが初めてである。また、このことから、既知の細胞増殖因子とは異なる、ADA活性を介した全く新しい細胞増殖促進の分子機構の存在が示唆された。

IDGFのNIH-Sape-4に対する作用の検討

 IDGFはもともとNIH-Sape-4に対する増殖促進活性を指標に精製された細胞増殖因子であるが、実際にNIH-Sape-4から分泌されたIDGFは細胞に対しどのような役割を担っているのであろうか。そこで、このことを確かめる目的で、RNA干渉法により、NIH-Sape-4においてIDGF蛋白の発現を抑制した結果、その培地中への分泌を抑制したとき、細胞に与える影響を調べた。その結果、RNA干渉法を行う条件は低栄養条件下であるので培養するに従って、細胞数は減少してゆくがそのとき、IDGF蛋白の培地中への分泌が抑制されると、抑制されないときに比べ、生存する細胞数は半分になっていた。このことから、NIH-Sape-4から分泌されたIDGF蛋白は細胞の生存にも関与していることが示唆された。IDGFが細胞の生存にも関与していることは、IDGFが細胞死に対し抑制的に働いている可能性がある。今回の実験では細胞は低栄養条件下で培養したが、一般にそのような条件下では細胞はアポトーシスを起こすことが知られていることから、IDGFはアポトーシスの抑制に働いている可能性が考えられる。

IDGDの発現組織の同定

 IDGFの機能解析を行うにあたり、その遺伝子の発現時期、また発現組織を知ることは重要である。これまで、ノザンブロット解析により、IDGFは蛹を除く全ての発生段階において発現していることが分かっている。そこで各発生段階でのIDGFの発現の様子をさらに詳しく知るため、各発生段階における組織別発現を調べることにした。まずは、その組織学的解析が比較的進んでいる最終齢幼虫での組織別の発現をRT-PCR法により調べた。その結果、IDGFは脂肪体、気管以外の中枢神経系、唾腺、消化管、筋肉、体液細胞に発現していることが分かった。IDGFはNIH-sape-4においてautocrineもしくはparacrine的に作用していることを考えると、IDGFは今回、同定した組織自身、もしくはその組織から他の組織へと、何らかの情報を伝達している可能性がある。

総括及び今後の展望

本研究において私は以下のことを示してきた。

1、IDGFのアミノ酸配列中にADAの活性部位が保存されていることを見出した。

2、IDGFがADA活性を持つことを示した。

3、IDGFの持つADA活性が細胞増殖促進活性に必須であることを明らかにした。

4、IDGFがNIH-Sape-4の生存に関与していることを示唆した。

5、IDGFはセンチニクバエ最終齢幼虫において中枢神経系、唾腺、消化管、筋肉、体液細胞に発現していることを明らかにした。

 まず初めに、分泌蛋白であるIDGFがADA活性を持つことを示したが、このことは細胞外において既知の細胞内酵素であるADAとは明確に異なるADAの存在を明らかにした初めての例である。また、ヒトから昆虫類にいたるまで、種を越えてIDGFのホモローグ分子が存在し、ADAの活性部位が保存されていることから、今後、細胞外のADAとしてのIDGFファミリーの存在、また、その生物学的意義の解明が期待される。

 そして次に、IDGFのADA活性が細胞増殖促進活性に必須であることを明らかにしたが、このことは細胞増殖因子として初めての報告であり、今後はIDGFの細胞増殖の分子機構の解明を通して、ADA活性を介した全く新しい細胞増殖促進の分子機構の解明が期待される。

 さらに、IDGFの細胞の生存への関与、また発現組織の同定は今後の機能解析をする上で重要な知見と考えられる。今後はこれらの知見をもとに、IDGFの生体内での機能の解明が期待される。

 最後に、IDGFのヒトホモローグは猫目症候群の原因遺伝子の候補と考えられているなど、いくつかの病気との関連が考えられる。多くの細胞増殖因子がそうであるように、今後は病気の治療といった臨床応用的な観点からIDGFの研究が進むことが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 IDGFはセンチニクバエ胚由来細胞NIH-Sape-4の培養上清から精製された、構造上、新規な細胞増殖因子である。このことから、既知の細胞増殖因子とは異なる、IDGFによる新しい細胞増殖促進の分子機構の存在が考えられたが、その分子機構や生体内での機能はこれまで全く不明であった。

 この論文は、IDGFによる細胞増殖促進の分子機構の解明を行うにあたり、IDGFが一次構造上、アデノシンデアミナーゼ(ADA)活性を持つことを見出し、実際にIDGFがADA活性を持つことを示し、さらに、そのADA活性がIDGFの細胞増殖促進活性に必須であることを明らかにしたことについて述べるものである。

 まず、IDGFによる細胞増殖促進の分子機構を解明するための手がかりを得る目的で、その一次構造に注目した結果、IDGFのアミノ酸配列中に細胞内酵素であるADAの活性部位のアミノ酸残基が保存されていることを見出し、一次構造上、IDGFがADA活性を持つ可能性が考えられた。そこで、IDGFのリコンビナント蛋白を調製し、ADA活性を持つか否かを調べた結果、IDGFは既知の細胞内酵素であるADAとほぼ同程度のADA活性を持つことを明らかにした。このことは、ADAとして細胞外に分泌される初めての例である。

 以上、この研究は昆虫由来細胞増殖因子IDGFがADA活性を持つことを見出し、その活性が細胞増殖促進活性に必須であることを明らかにした。これまで知られている細胞増殖因子のなかで、このようにADA活性を持ち、その活性が細胞増殖促進活性に必須であることが示された報告例は全くないことから、IDGFの機能解析を進めることにより、これまで知られていなかった、全く新しい細胞増殖促進の分子機構の存在を明らかにできるものと期待される。よって、博士(薬学)の学位に相当するものと判定した。

 細胞増殖因子とは、もともと細胞の増殖や分化を促進する活性を持つ分子として同定されてきた分子であるが、現在では様々な現象に関与することが明らかにされており、その重要性が示されてきている。したがって、細胞増殖因子の同定、およびその作用の分子機構の解明や機能解析は発生、分化を始め様々な生命現象を細胞生物学的な観点から明らかにし、理解する上で大変重要である。

 さらに、IDGFの機能を考察するため、その遺伝子の発現組織をRT-PCR法により解析した。その結果、最終齢幼虫ではIDGFは特に唾腺、体液細胞に強く発現していることが明らかとなった。

 ところで、IDGFは細胞増殖因子であることを考えると、IDGFの持つADA活性がその細胞増殖促進活性に関与する可能性を考えた。そこで、IDGFの持つADA活性の増殖促進活性への関与の検討を行った。まず、ADAの特異的な阻害剤である2'-deoxycoformycin (DCF)を用いてIDGFのADA活性を失活させたとき、その増殖促進活性に与える影響を調べた。その結果、DCF依存にIDGFのADA活性が阻害されるとき、同様に増殖促進活性も阻害されることが分かった。さらに、site-directed mutagenesisによりADA活性部位のアミノ酸残基を改変した、ADA活性を持たない変異体IDGFのリコンビナント蛋白を調製し、その増殖促進活性を測定した。その結果、変異体IDGFは増殖促進活性を全く示さなかった。以上の結果から、IDGFの持つADA活性がその増殖促進活性に必須であることが分かった。このことから、既知の細胞増殖因子とは異なる、IDGFによるADA活性を介した全く新しい細胞増殖促進の分子機構の存在が示唆された。

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