学位論文要旨



No 117429
著者(漢字) 多留,偉功
著者(英字)
著者(カナ) タル,ヒデノリ
標題(和) アミロイド前駆体タンパク質の結合タンパク質による代謝およびリン酸化の制御
標題(洋)
報告番号 117429
報告番号 甲17429
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第993号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 桐野,豊
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 助教授 仁科,博史
 東京大学 助教授 漆谷,徹郎
 北海道大学 教授 鈴木,利治
内容要旨 要旨を表示する

 アミロイド前駆体タンパク質(APP)はその代謝過程においてβアミロイド(Aβ)を生成することで知られ、アルツハイマー病(AD)の発症・進行に深く関与していると考えられている。APPの生理機能は未だ明らかではないが、ファミリー分子と共遺伝子欠損したマウスが致死を示すことなどから生体内での重要性も指摘されている。一回膜貫通型タンパク質であるAPPの細胞内での代謝調節や生理機能の発現には細胞内ドメインにおける他のタンパク質との相互作用が不可欠であり、その解明はADの分子機構およびAPPの生理機能を理解する上で重要であると考えられる。私は修士課程においてAPPのショウジョウバエホモログであるAPPLに結合するタンパク質としてAPLIP1およびdX11Lを単離した(Table 1)。本研究において、まず哺乳類におけるAPLIP1相同分子としてJIP1およびJIP2を同定し、APP細胞質ドメインとの相互作用について検討した。次に、JIP1およびJIP2のAPP細胞内代謝への関与について検討した。さらにAPPの細胞質ドメインがストレスに応答してリン酸化修飾を受けることを見出し、APP結合タンパク質がそのリン酸化に及ぼす作用について明らかにした。

1.哺乳類APLIP1相同分子JIP1およびJIP2の同定ならびにAPP細胞質ドメインとの相互作用の解析

 ショウジョウバエAPPL結合タンパク質APLIP1のcDNAをプローブとしてマウス脳cDNAライブラリーをスクリーニングし、APLIP1と高い相同性を示す二つの遺伝子を単離した。一つは近年c-Jun N-terminal kinase/stress-activated protein kinase (JNK)の結合タンパク質として同定されたJNK interaction protein 1 (JIP1)と一致し、もう一つの未知遺伝子については5' RACE法で全長配列を決定した。この遺伝子はのちにJIP1のファミリー分子JIP2として報告された。これらは脳において主要に発現しており、C末端領域にはAPLIP1と同様にPIドメインおよびSH3ドメインを、N末端側にはJNKとの結合ドメイン(JBD)を有する(Fig.1)。まずJIP1およびJIP2とAPPとの相互作用について検討をおこなった。GST融合タンパク質として精製したAPP細胞質ドメインとin vitroで生合成したJIP1およびJIP2タンパク質とを混合すると、両者の結合が観察された。さらにJIP1およびJIP2をAPPと共に過発現させたCOS7細胞から免疫沈降するとAPPが共に回収された(Fig.2)ことから細胞内において両者が相互作用しうることが明らかになった。興味深いことに、これらの実験の結果、JIP1とJIP2は共通の機能が報告されたファミリー分子であるにもかかわらず、APPとの相互作用の強さに関しては大きく異なっていることが明らかになった。各種変異体を用いた解析からこのJIP1とAPP細胞質ドメインとの相互作用にはJIP1のPIドメインとAPPのYENPTYモチーフが関与することが示された。

2.APP細胞質ドメイン結合タンパク質JIP1のAPP細胞内代謝への関与

 JIP1の結合に重要なYENPTYモチーフはAPPの細胞内の代謝に関与することが知られている。そこで次に、JIP1がAPPの代謝過程においてはたす役割について検討した。Neuro2a細胞においてJIP1を過剰発現させた結果、細胞内の全長APPの蓄積が観察され、APPの切断によって生成するCTFおよび分泌型APP (sAPP)が減少し、同時に、細胞外に分泌されるAβの量も減少した(Fig.3)。各種変異体を用いた解析によって、この作用にはJIP1とAPPとの相互作用が重要であることが示された。JIP1とは異なり、APPとの相互作用が弱いJIP2については、過剰発現によるAPPの代謝への影響はみられなかった。これらの結果から、JIP1が生体内においてAPPの代謝調節の役割を担っている可能性が示唆された。

3.ストレスに応答したAPP細胞質ドメインのリン酸化の同定とリン酸化におけるAPP結合タンパク質の機能

 JIP1およびJIP2は、APP細胞質ドメインと相互作用する一方で、JNKキナーゼカスケードに関わるスキャフォールド分子としての働きが報告されている。JNK系はストレス応答と密接に関わる細胞内情報伝達系の一つであり、アポトーシス誘導または生存シグナルとしての役割が指摘されている。APPは生体内において細胞質ドメインのThr668サイトにリン酸化修飾を受けうることが知られている。そのリン酸化はAPP細胞内ドメインの立体構造変化を引き起こすことでタンパク質間相互作用に影響を与えることが示されており、APPの代謝もしくは生理機能の調節において重要であると考えられる。

 本研究で私はJNK系の活性化にともなってAPP Thr668のリン酸化が誘導されることを見出した。JNKを活性化させることが知られている高浸透圧刺激、タンパク質合成阻害剤添加、UV照射等の各種ストレスを細胞に与え、APP Thr668リン酸化フォームを特異的に認識する抗体を用いて解析をおこなうと、これらの細胞においてAPP Thr668サイトのリン酸化誘導されていた(Fig.4)。JNK系の上流キナーゼであるzipper protein kinase (ZPK)/dual leucine zipper kinaseの過剰発現によってJNK系を活性化させた際にも、同様のリン酸化が検出された。これらの刺激にともなうAPPリン酸化は、JNKを過剰発現させると顕著に増強され、逆にJNKを阻害することが報告されているJBDを過剰発現させた細胞においては抑制された。さらに、刺激後の細胞から免疫沈降によって回収したJNKは、in vitroでGST-APPタンパク質およびAPP細胞内ドメイン部分の合成ペプチドをリン酸化した(Fig.5)ことからJNKがAPP Thr668リン酸化能を有することが示された。以上の結果より、培養細胞においてストレス等に応答して活性化した内在性JNKがAPPの細胞質ドメインThr668サイトのリン酸化を引き起こすことが示唆された。

 JNK系活性化にともなうAPP Thr668サイトのリン酸化は、APP結合タンパク質による制御を受ける可能性が考えられる。そこでJIP1およびJIP2を過剰発現した細胞におけるJNK活性化刺激にともなうAPPリン酸化レベルを、リン酸化特異的抗体を用いたイムノブロットによって定量した。その結果、JIP2を発現するとAPPのリン酸化の抑制がみられた。それに対しJIP1を共発現した際にはリン酸化が増加する傾向が観察されたが顕著なものではなかった。

 そこでさらにJIP以外のAPP結合タンパク質についても同様に検討したところ、興味深いことに、X11Lを発現させた場合にAPPのリン酸化が顕著に増強された(Fig.6)。X11Lは、APLIP1とともにショウジョウバエAPPL結合分子として同定したdX11Lの相同分子でもあり、過剰発現時にはJIP1と同様に細胞内APPを安定化する効果を示す。しかしX11Lによるこのリン酸化促進作用は、APP代謝安定化に重要なC末領域よりもむしろN末端側の領域を必要とすることから(Fig.6)、APPとの相互作用の新たな機能であると考えられる。

まとめ

 本研究において私は、まずショウジョウバエAPPL結合分子APLIP1の哺乳類相同分子としてJIP1およびJIP2を同定し、そのAPP細胞質ドメインとの相互作用が保存されていることを示した。そして次に、JIP1とAPPとの相互作用がAPPの細胞内代謝に関与する可能性を示した。さらにその相互作用を糸口に、APPがストレス応答等によるJNK系活性化にともなってリン酸化修飾をうけることを見出し、そのリン酸化の制御にJIPさらには同じくAPP結合分子であるX11Lが関与する可能性を示した。

 現在、Aβの異常な産生、蓄積がAD発病の重要な要因であることが示されつつあるが、患者の大部分を占める孤発性ADにおいて、いかにしてそのAβ異常が生じているのかという点が大きな疑問として残されている。その機構を解明する上で、APPの代謝に関わる分子群を同定しその複雑な制御機構を明らかにしていくことは重要であり、本研究でAPP代謝に作用するJIP1との相互作用を新たに見出したことは意義がある。さらにAD発病過程においては様々なストレス、炎症反応の関与が指摘されており、また患者脳における所見としてJNKの活性化が認められている。したがって本研究で得られた、ストレス等に応答したJNKによるAPPのリン酸化とその制御に関する知見は、ADの分子機構を考える上での新たな観点を示したものである。

Table 1 APPファミリーとその結合分子

Fig.1 ショウジョウバエAPLIP1およびマウスJIP1、JIP2の一次構造を模式的に示した。

数字はAPLIP1との間の、括弧内の数字はJIP1とJIP2との間のアミノ酸レベルでの相同性を示す。

Fig.2 COS7細胞に上記の通りAPP、FLAG-JIP1およびFLAG-JIP2を発現させ、抗FLAG抗体を用いて共役免疫沈降をおこなった。

Fig.3 N2a細胞にAPPのみ(vector)またはAPPとJIP1 (JIP1)とを発現させた際の培地中に分泌されるAβの量を比較した。

Fig.4 APPを発現したHEK293細胞にanisomycin (10μg/ml), sorbitol (0.5M)処理30分間またはUV (10J/m2)照射30分後に回収し、APP T668のリン酸化を検討した。

上からそれぞれ抗APP T668リン酸化抗体、抗APP細胞質ドメイン抗体、抗活性化型JNK抗体によるブロットを示す。

Fig.5 FLAG-JNK1α1を過剰発現させた細胞からsorbitol刺激ののちに抗FLAG抗体による免疫沈降で回収し、ATP添加下、APP細胞質ドメインの精製GST融合タンパク質(GST-APPcyt)および合成ペプチドを基質としたリン酸化反応をおこなった。

上の二つは抗APP T668リン酸化抗体、下のパネルは抗FLAG抗体によるブロットを示す。

Fig.6 HEK293細胞にX11L全長(X11L)および各種欠失変異体をAPPとともに発現し、sorbitol処理(上ブロット像、中グラフ)またはZPK共発現(下グラフ)にともなうAPP T668リン酸化を定量し比較した。

N、CはそれぞれX11LのN末側領域、C末側領域を、PIはその間に位置するPIドメインを示す。PIドメインはAPPとの相互作用をになう領域である。

審査要旨 要旨を表示する

アミロイド前駆体タンパク質(APP)はその代謝過程においてβアミロイド(Aβ)を生成することから、アルツハイマー病(AD)の発症・進行に深く関与していると考えられている。一回膜貫通型タンパク質であるAPPの細胞内での代謝調節や生理機能の発現には細胞内ドメインにおける他のタンパク質との相互作用が不可欠であり、その解明はADの分子機構およびAPPの生理機能を理解する上で重要であると考えられる。多留偉功は、修士課程においてAPPのショウジョウバエホモログであるAPPLに結合するタンパク質としてAPLIP1およびdX11Lを単離した。本研究において、まず,ショウジョウバエAPPL結合タンパク質APLIP1のcDNAをプローブとしてマウス脳cDNAライブラリーをスクリーニングし、APLIP1と高い相同性を示す二つの遺伝子を単離した。一つは近年c-Jun N-terminal kinase/stress-activated protein kinase (JNK)の結合タンパク質として同定されたJNK interaction protein 1 (JIP1)と一致した。もう一つの未知遺伝子については5' RACE法で全長配列を決定した。この遺伝子はのちにJIP1のファミリー分子JIP2として報告された。これらは脳において主要に発現しており、C末端領域にはAPLIP1と同様にPIドメインおよびSH3ドメインを、N末端側にはJNKとの結合ドメイン(JBD)を有する。

 更に、JIP1およびJIP2に関して、次の3点を解明した。

(1)哺乳類におけるAPLIP1相同分子であるJIP1およびJIP2とAPP細胞質ドメインとの相互作用。(2) JIP1およびJIP2のAPP細胞内代謝への関与。(3) APPの細胞質ドメインがストレスに応答してリン酸化修飾を受けることを発見したが、このリン酸化に対するAPP結合タンパク質の影響。

1.哺乳類APLIP1相同分子JIP1およびJIP2の同定ならびにAPP細胞質ドメインとの相互作用の解析

 GST融合タンパク質として精製したAPP細胞質ドメインとin vitroで生合成したJIP1およびJIP2タンパク質とを混合すると、両者の結合が観察された。さらにJIP1およびJIP2をAPPと共に過発現させたCOS7細胞から免疫沈降するとAPPが共に回収されたことから細胞内において両者が相互作用しうることが明らかになった。興味深いことに、これらの実験の結果、JIP1とJIP2は共通の機能が報告されたファミリー分子であるにもかかわらず、APPとの相互作用の強さに関しては大きく異なっていることが明らかになった。各種変異体を用いた解析からこのJIP1とAPP細胞質ドメインとの相互作用にはJIP1のPIドメインとAPPのYENPTYモチーフが関与することが示された。

2.APP細胞質ドメイン結合タンパク質JIP1のAPP細胞内代謝への関与

 JIP1の結合に重要なYENPTYモチーフはAPPの細胞内の代謝に関与することが知られている。そこで次に、JIP1がAPPの代謝過程においてはたす役割について検討した。Neuro2a細胞においてJIP1を過剰発現させた結果、細胞内の全長APPの蓄積が観察され、APPの切断によって生成するCTFおよび分泌型APP (sAPP)が減少し、同時に、細胞外に分泌されるAβの量も減少した。各種変異体を用いた解析によって、この作用にはJIP1とAPPとの相互作用が重要であることが示された。JIP1とは異なり、APPとの相互作用が弱いJIP2については、過剰発現によるAPPの代謝への影響はみられなかった。これらの結果から、JIP1が生体内においてAPPの代謝調節の役割を担っている可能性が示唆された。

3.ストレスに応答したAPP細胞質ドメインのリン酸化の同定とリン酸化におけるAPP結合タンパク質の機能

 JIP1およびJIP2は、APP細胞質ドメインと相互作用する一方で、JNKキナーゼカスケードに関わるスキャフォールド分子としての働きが報告されている。JNK系はストレス応答と密接に関わる細胞内情報伝達系の一つであり、アポトーシス誘導または生存シグナルとしての役割が指摘されている。APPは生体内において細胞質ドメインのThr668サイトにリン酸化修飾を受けうることが知られている。そのリン酸化はAPP細胞内ドメインの立体構造変化を引き起こすことでタンパク質間相互作用に影響を与えることが示されており、APPの代謝もしくは生理機能の調節において重要であると考えられる。

 多留偉功はJNK系の活性化にともなってAPP Thr668のリン酸化が誘導されることを見出した。JNKを活性化させることが知られている高浸透圧刺激、タンパク質合成阻害剤添加、UV照射等の各種ストレスを細胞に与え、APP Thr668リン酸化フォームを特異的に認識する抗体を用いて解析をおこなうと、これらの細胞においてAPP Thr668サイトのリン酸化誘導されていた。JNK系の上流キナーゼであるzipper protein kinase (ZPK)/dual leucine zipper kinaseの過剰発現によってJNK系を活性化させた際にも、同様のリン酸化が検出された。これらの刺激にともなうAPPリン酸化は、JNKを過剰発現させると顕著に増強され、逆にJNKを阻害することが報告されているJBDを過剰発現させた細胞においては抑制された。さらに、刺激後の細胞から免疫沈降によって回収したJNKは、in vitroでGST-APPタンパク質およびAPP細胞内ドメイン部分の合成ペプチドをリン酸化したことからJNKがAPP Thr668リン酸化能を有することが示された。以上の結果より、培養細胞においてストレス等に応答して活性化した内在性JNKがAPPの細胞質ドメインThr668サイトのリン酸化を引き起こすことが示唆された。

 JNK系活性化にともなうAPP Thr668サイトのリン酸化は、APP結合タンパク質による制御を受ける可能性が考えられる。そこでJIP1およびJIP2を過剰発現した細胞におけるJNK活性化刺激にともなうAPPリン酸化レベルを、リン酸化特異的抗体を用いたイムノブロットによって定量した。その結果、JIP2を発現するとAPPのリン酸化の抑制がみられた。それに対しJIP1を共発現した際にはリン酸化が増加する傾向が観察されたが顕著なものではなかった。

 そこでさらにJIP以外のAPP結合タンパク質についても同様に検討したところ、興味深いことに、X11Lを発現させた場合にAPPのリン酸化が顕著に増強された。X11Lは、APLIP1とともにショウジョウバエAPPL結合分子として同定したdX11Lの相同分子でもあり、過剰発現時にはJIP1と同様に細胞内APPを安定化する効果を示す。しかしX11Lによるこのリン酸化促進作用は、APP代謝安定化に重要なC末領域よりもむしろN末端側の領域を必要とすることから、APPとの相互作用の新たな機能であると考えられる。

 現在、Aβの異常な産生、蓄積がAD発病の重要な要因であることが示されつつあるが、患者の大部分を占める孤発性ADにおいて、いかにしてそのAβ異常が生じているのかという点が大きな疑問として残されている。その機構を解明する上で、APPの代謝に関わる分子群を同定しその複雑な制御機構を明らかにしていくことは重要であり、本研究でAPP代謝に作用するJIP1との相互作用を新たに見出したことは意義がある。さらにAD発病過程においては様々なストレス、炎症反応の関与が指摘されており、また患者脳における所見としてJNKの活性化が認められている。したがって本研究で得られた、ストレス等に応答したJNKによるAPPのリン酸化とその制御に関する知見は、ADの分子機構を考える上での新たな観点を示したものである。以上により、本研究は博士(薬学)の学位を授与するに値するものと認めた。

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