学位論文要旨



No 117431
著者(漢字) 西川,毅
著者(英字)
著者(カナ) ニシカワ,タケシ
標題(和) RNA干渉法によるセンチニクバエ蛹体液細胞特異的なスカベンジャー受容体の解析
標題(洋)
報告番号 117431
報告番号 甲17431
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第995号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 助教授 青木,淳賢
 東京大学 助教授 漆谷,徹郎
内容要旨 要旨を表示する

1.序論

 マクロファージは、すべての多細胞動物に存在する免疫細胞である。マクロファージは、生体防御に重要な役割を担う一方、個体発生でも不要組織の崩壊や細胞死を誘導するという極めて重要な機能を担うことが近年、明らかにされてきている。しかし、マクロファージが発生過程のある時期に、なぜ特定の自己組織を崩壊することができるのか、その分子機構はよくわかっていない。

 マクロファージが自己組織を崩壊し、排除するという現象が最も顕著に見られる例として完全変態昆虫の変態がある。変態期に崩壊する幼虫組織に脂肪体がある。センチニクバエを用いた解析から、脂肪体の崩壊は、昆虫のマクロファージである蛹体液細胞により引き起こされることが示されている。幼虫体液細胞が、脂肪体を崩壊させることはないので、脂肪体の崩壊は、変態期における体液細胞の機能変化により説明できると考えられる。脂肪体の崩壊には、脂肪体と蛹体液細胞の接触が必要なことから、脂肪体崩壊に関わる候補分子として幼虫体液細胞と比較して、蛹体液細胞で特異的に発現する膜蛋白の検索がおこなわれた。

 その結果、同定されたのが、p120である。p120は、新規なI型膜貫通蛋白で、18個のEGF様繰り返し配列をもつ細胞外領域、47個のアミノ酸からなる細胞内領域からなっている。これまでに、p120はアセチル化低密度リポ蛋白質(アセチル化LDL)の取り込みに関わることが示唆されている。アセチル化LDLを取り込む活性は、さまざまな異物や老廃物を取り込むスカベンジャー受容体の特徴であり、p120はスカベンジャー受容体であると考えられた。

 しかし、p120の生体内における機能は不明だった。私は、p120の生体内機能を知る目的で二本鎖RNAによるRNA干渉(RNAi)により、センチニクバエでp120の発現の抑制を試みた。その結果、蛹体液細胞におけるp120の発現を特異的に抑制した個体の作出に成功した。このような個体の解析から、p120は脂肪体崩壊や変態に必須ではないものの、脂肪体崩壊に関与するプロテアーゼであるカテプシンBの発現量を制御する可能性が示された。

2.センチニクバエにおけるRNAi

 蛹体液細胞のp120の発現を抑制するために、幼虫の体腔中にp120の二本鎖RNAを注入した。そして、p120の発現が抑制されているか否かは、抗p120抗体による蛍光抗体法で検討した。

 通常70%以上の蛹体液細胞が、抗p120抗体により染色されるが、p120 RNAiをおこなった蛹体液細胞は、全く染色されなかった。一方、コントロールとして、カテプシンB RNAiをおこなったが、p120は正常と同様に検出された。したがって、RNAiの効果は、配列特異的であると考えられた。

 次に、p120 RNAiにより、p120の蛋白発現が抑制されているかどうかを、イムノブロットで確認した。その結果、p120 RNAiをおこなった蛹体液細胞で、p120の蛋白発現は検出されなかった。さらに、p120 RNAiが他の蛋白の発現を抑制していないことを確認する目的で、体液細胞で恒常的に発現しているcathepsin B mRNA 3'-untranslated-region-binding proteinの発現をイムノブロットにより調べた。p120 RNAiは、この蛋白の発現には影響を与えないことがわかった。

 以上の結果から、幼虫の体腔中にp120の二本鎖RNAを注入することで、蛹体液細胞のp120の発現を特異的に抑制できることが示された。

3.RNAiによるp120の機能解析

1)p120欠損蛹体液細胞のアセチル化LDLの取り込み

 p120に対するモノクローナル抗体がアセチル化LDLの取り込みを阻害することから、p120がスカベンジャー受容体であることが示唆されていた。そこで、RNAiにより、p120を欠損した蛹体液細胞で、アセチル化LDLの取り込みが減少しているか否かを調べた。

 体液細胞を、蛍光標識したアセチル化LDL存在下で培養し、細胞が取り込んだ蛍光強度を定量した。幼虫から蛹で体液細胞のアセチル化LDLの取り込みは増加するが、p120を欠損した蛹体液細胞では、アセチル化LDLの取り込みが、幼虫体液細胞レベルにとどまっていることがわかった。したがって、p120は蛹体液細胞特異的なスカベンジャー受容体であることが明らかになった。一方、p120を欠損しても、幼虫体液細胞レベルのスカベンジャー受容体活性が残っており、蛹体液細胞にはp120以外のスカベンジャー受容体の存在が示唆された。

2)p120欠損蛹体液細胞のカテプシンBの発現

 カテプシンBは、蛹体液細胞が発現、放出するプロテアーゼで、脂肪体の基底膜を分解することで、脂肪体の崩壊を引き起こすと考えられている。p120蛋白とカテプシンB蛋白の発現時期が一致することから、私は、p120がカテプシンBの発現に関与するのではないかと考えた。そこで、RNAiによりp120を欠損した蛹体液細胞でカテプシンB蛋白の発現をイムノブロットにより調べた。

 その結果、p120を欠損した蛹体液細胞でカテプシンB蛋白の発現量が、著明に減少していることを見出した。さらに、この減少が、カテプシンB mRNAの発現量の減少によるのか否かをノザンブロットにより調べた。その結果、p120を欠損した蛹体液細胞では、正常蛹体液細胞と比較してカテプシンB mRNAの発現量の減少は見られなかった。

 p120を欠損させると、カテプシンB mRNAの発現量が変わらず、カテプシンB蛋白の発現量が減少することから、p120は、カテプシンB mRNAの翻訳を促進する、または翻訳されたカテプシンBの安定性を高めていると思われる。p120が、一回膜貫通型のスカベンジャー受容体であることを考えると、p120が取り込むリガンド、またはp120の細胞内領域が細胞内にシグナルを伝え、カテプシンBの発現量を制御していると考えられる。

 また、スカベンジャー受容体が、さまざまな分子を結合し、取り込むことを考えると、p120はカテプシンB自体を結合し、取り込むことで、カテプシンBの細胞内の発現量を調節している可能性も考えられる。

3)p120 RNAiをおこなった個体の解析

 RNAiによりp120を欠損させた蛹体液細胞の形態、個体あたりの数について、正常個体と比較して異常はみられなかった。さらに、p120 RNAiをおこなった個体は、正常個体と同様に蛹化し、脂肪体の崩壊もみられた。そして、成虫も正常に羽化してきた。したがって、p120は、脂肪体の崩壊、変態に必須ではないと考えられた。

 p120を欠損しても、個体レベルで異常が見られない原因として、p120の機能を相補する分子の存在が考えられる。p120を欠損した蛹体液細胞でも幼虫体液細胞レベルのスカベンジャー受容体活性が残っていたことから、蛹体液細胞にp120以外のスカベンジャー受容体の存在が示唆されている。このスカベンジャー受容体がp120の活性を相補している可能性も考えられる。

4.総括

 本研究で私は、センチニクバエ幼虫の体腔中に二本鎖RNAを注入することにより、蛹体液細胞でRNAiが起きることをはじめて示した。また、RNAiにより、p120は変態期における脂肪体崩壊に必須ではないが、脂肪体崩壊に関与するプロテアーゼであるカテプシンBの発現を転写後制御する可能性を示した。これまでに、このようなスカベンジャー受容体の機能は報告されていない。

 蛹体液細胞は、変態期における幼虫組織の崩壊、排除に重要な役割を果たしていると考えられているが、その分子機構はほとんどわかっていない。今後、本研究で示したRNAiを利用し、蛹体液細胞で発現し、組織崩壊に関わる遺伝子を個体レベルでスクリーニングすることで、変態期における組織崩壊、排除の分子機構が解明されることが期待される。また、p120を介した、カテプシンBの発現制御機構の解明も課題であると考えている。

審査要旨 要旨を表示する

 生物の発生においては、組織の構築だけでなく、不要組織の崩壊や排除、細胞死も起きており、後者の過程も発生における形態形成や器官の成熟に不可欠である。様々な生物において、マクロファージが不要組織の崩壊や死細胞の排除に重要な役割を果たしていることが示唆されてきたが、その分子機構はよくわかっていない。

 完全変態昆虫の変態期には、幼虫組織である脂肪体の崩壊が見られる。センチニクバエを用いた解析から、その崩壊は、昆虫のマクロファージである蛹体液細胞により引き起こされることがわかっている。幼虫体液細胞が脂肪体を崩壊させることはないので、体液細胞は変態期に質的に変化すると考えられた。その後、幼虫体液細胞と比較して、蛹体液細胞で特異的に発現する膜蛋白としてp120が同定されたが、p120の生体内における機能は不明であった。

 本論文の著者は、p120の機能を知る目的で、センチニクバエにおいて二本鎖RNAによるRNA干渉(RNAi)により、p120の発現の抑制を試み、蛹体液細胞のp120の発現を特異的に抑制した個体を作出した。そして、その個体を用いた解析から、p120がスカベンジャー受容体であること、また、脂肪体崩壊に関わるプロテアーゼであるカテプシンBの発現を転写後制御する可能性を示した。

 この論文は、研究の背景を解説した序章を含み、計5章より構成されている。主な研究結果は、2章と3章に記載されている。

 2章では、RNAiにより、蛹体液細胞でp120の発現を特異的に抑制できることを報告している。蛹体液細胞でp120の遺伝子発現を抑制するため、変態期の直前にあたる最終齢(三齢)幼虫の体腔中にp120の二本鎖RNAを注入した。蛹体液細胞におけるp120の発現の抑制は、抗p120抗体による蛍光抗体法、イムノブロットにより検討している。また、p120 RNAiが蛹体液細胞に発現しているcathepsin B mRNA 3'-untranslated-region-binding proteinの発現には影響を与えないことから、p120 RNAiの効果は、配列特異的と結論している。

 3章では、p120 RNAiをおこなった個体について、細胞レベル、個体レベルで解析している。これまでに、p120に対するモノクローナル抗体が、蛹体液細胞のアセチル化低密度リポ蛋白質の取り込みを阻害することから、p120がスカベンジャー受容体であることが示唆されていた。そこで、RNAiによりp120を欠損した蛹体液細胞で、実際にアセチル化低密度リポ蛋白質の取り込み活性が低下しているかどうかを検討した。その結果、p120を欠損した蛹体液細胞では、取り込み活性が正常蛹体液細胞よりも顕著に低下し、その活性は幼虫体液細胞レベルであることがわかった。したがって、p120が蛹体液細胞特異的なスカベンジャー受容体であることが示された。

 さらに、著者は、蛹体液細胞において、カテプシンBの発現に対するp120の欠損による影響を解析している。カテプシンBは、p120と同様、蛹体液細胞で発現するプロテアーゼで、脂肪体の崩壊を引き起こすことがわかっている。RNAiによりp120を欠損した蛹体液細胞で、カテプシンB蛋白、mRNAの発現を、それぞれイムノブロット、ノザンブロットにより解析した。その結果、カテプシンB蛋白の発現が減少していることが明らかになった。このとき、カテプシンB mRNAの発現は減少していないことから、p120は、転写後にカテプシンBの発現を調節すると考えられた。

 p120がI型膜貫通蛋白で、スカベンジャー受容体であることから、p120が結合して取り込む分子、または細胞内領域が細胞内にシグナルを伝え、カテプシンBの発現を制御する可能性が指摘された。

 しかし、p120 RNAiをおこなった個体は、正常に蛹化し、幼虫脂肪体の崩壊もみられた。さらに、成虫も正常に羽化してきた。したがって、p120は、脂肪体の崩壊、変態には必須ではないと考えられた。p120の欠損により個体レベルで異常が見られなかった原因として、p120の機能を相補する分子の存在が指摘される。

 以上、この研究は、昆虫の変態期の体液細胞で発現する遺伝子の機能をRNAiにより個体レベルで解析する方法を提示し、さらに、RNAiによりスカベンジャー受容体(p120)がカテプシンBの発現を転写後制御する可能性を示した。本研究は、昆虫発生学にとどまらず、発生生物学の今後の進展にも大きく寄与するものであり、博士(薬学)の学位に相当するものと判断した。

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