学位論文要旨



No 117433
著者(漢字) 細野,浩之
著者(英字)
著者(カナ) ホソノ,ヒロユキ
標題(和) ラット腹腔マスト細胞におけるリゾホスファチジルセリンの機能解析
標題(洋)
報告番号 117433
報告番号 甲17433
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第997号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 助教授 菊地,和也
 東京大学 助教授 青木,淳賢
 東京大学 助教授 仁科,博史
 東京大学 助教授 漆谷,徹郎
内容要旨 要旨を表示する

【序】

 マスト細胞は、細胞表面のIgE受容体に結合したIgEが抗原により架橋されると脱顆粒し、ヒスタミンやセロトニンなどの生理活性物質を放出して即時型アレルギーを引き起こす。しかしラット腹腔由来のマスト細胞では、抗原によるIgEの架橋だけでは脱顆粒を起こさず、リゾホスファチジルセリン(IysoPS)の添加が必要である。この反応は他のリゾリン脂質では起こらず、IysoPSに特異性の高い反応であることから、マスト細胞上に"IysoPSの標的分子"の存在が想定されているが、その分子的実体は全くわかっていない。生体内でマスト細胞が脱顆粒反応を起こすためにはIysoPSが何らかのメカニズムで供給される必要があるが、その産生経路も不明である。これらの状況をふまえ、私は、ラット腹腔マスト細胞をモデルとし、IysoPSの産生機構及び作用機構についての解析を行った。

【結果】

(1)IysoPSの産生機構についての解析

 ラット腹腔より調製したマスト細胞は、単にIgE受容体架橋を行っても脱顆粒反応を起こさず、さらにIysoPSを添加することではじめて脱顆粒が引き起こされる。しかし私は、カゼインで腹膜炎を惹起したラット腹腔から採取したマスト細胞は、IgE受容体を架橋するConAで刺激するとIysoPS添加なしでも脱顆粒反応が引き起こされることを見出した(Fig.1)。このことからカゼイン腹膜炎ラットの腹腔内では何らかのメカニズムによってIysoPSが産生されているということが示唆された。ところで、カゼイン投与により炎症を惹起した腹腔内には、ホスファチジルセリン特異的ホスホリパーゼA1(PS-PLA1)が誘導されてくることを当教室で見出しており、私は、この酵素がIysoPSを産生してマスト細胞を活性化できるかどうか検討した。まず、ラット腹腔細胞を採取し、マスト細胞と他の腹腔細胞が共存した状態で、ConA刺激と同時にリコンビナントPS-PLA1を加えておくと、IysoPS添加なしでマスト細胞が活性化することがわかった(Fig.2)。PS-PLA1と同様、カゼイン腹膜炎腹腔内に誘導されることが知られているIIA型PLA2(sPLA2-IIA)についても検討したが、PS-PLA1の方がはるかに効率よくマスト細胞を活性化した(Fig.2)。

 次に、この系において実際にIysoPSが産生されているか調べた。ラット腹腔細胞をConAの存在下あるいは非存在下、PS-PLA1を作用させ、上清の脂質画分を抽出し、マススペクトロメトリーを用いてIysoPSの検出を行った。その結果、PS-PLA1処理により、ConA刺激したラット腹腔細胞からのみ、16:1, 18:1の脂肪酸を有するIysoPSを示すピークが検出された(Fig.3)。ConA刺激しない細胞からは、PS-PLA1を添加してもIysoPSは全く検出されなかった。PSは通常、細胞膜脂質二重層の内側に存在するのに対し、PS-PLA1は細胞外に分泌される酵素なので、IysoPSが産生されるには何らかの機構により両者が出会う必要がある。そこで、アネキシンVを用いて細胞膜上にPSが検出されるか調べた結果、ConA刺激するとアネキシンVの腹腔細胞への結合性が上昇し、細胞表面にPSが露出してくることがわかった(Fig.4)。以上の結果から、ConA刺激により腹腔細胞の細胞表面にPSが露出してくること、PS-PLA1はこの露出したPSを分解し、IysoPSを産生することが明らかになった。

(2)IysoPSの作用機構についての解析

 マスト細胞の脱顆粒のメカニズムについては、種々の細胞内タンパク質のチロシンリン酸化と、未知のチャネルを介したCa2+の流入による細胞内Ca2+濃度の上昇が重要なステップであるとわかっている。そこで、IysoPSがこれらのシグナリング機構にどのように関与するのか検討を行った。まずラット腹腔マスト細胞の細胞内タンパク質のチロシンリン酸化を解析したところ、IysoPSは全く影響を与えないことがわかった。次に、蛍光Ca2+指示薬、fura2-AMをマスト細胞に取り込ませて細胞内Ca2+濃度を測定した。IysoPSを単独で添加しても細胞内Ca2+濃度の有意な変化は見られなかった(Fig.5)。一方ConAを単独で添加した場合には数十秒の遅れの後弱い一過的な上昇が観察された(Fig.5)。ところが、IysoPSとConAを同時に添加したところ、細胞内Ca2+濃度の持続的な上昇が観察された(Fig.5)。実際、この条件でのみ脱顆粒反応が見られる事から、マスト細胞内の持続的なCa2+濃度上昇が脱顆粒反応の引き金と考えられた。

 次に、IysoPSをマスト細胞に添加後、時間を経過した後にConAを添加したところ、両者を同時に添加したときとほぼ同等の細胞内Ca2+濃度の持続的な上昇(Fig.6)及び脱顆粒反応(data not shown)が見られた。このことから、ラット腹腔マスト細胞の活性化には、IysoPSはConAと同時に与えられる必要はなく、ConA刺激に先立って与えられていればよいということ、想定される"IysoPSの標的分子"は、マスト細胞周囲にIysoPSが存在し続けても脱感作せずConA刺激とともに脱顆粒を起こすことから、これまでに発見されている他のリゾリン脂質受容体とは異なる性質を持つ分子であると推測された。

 さらに、この"標的分子"の特異性に関して検討を加えた。生体内に存在するL-serineを持つIysoPS、及び非天然型のD-serineを持つIysoPSを作製し、マスト細胞に作用させた。その結果、D-serine型IysoPSはL-serine型IysoPSに比べて脱顆粒促進能は著しく弱いことが確認された(Fig.7)。このときの細胞内Ca2+濃度の持続的上昇も低いことがわかった(data not shown)。従って、"IysoPSの標的分子"はIysoPSの高次構造を厳密に認識していると考えられた。

【まとめと考察】

 PS-PLA1は、ConA刺激によりラット腹腔細胞の細胞膜上に露出したPSを加水分解してIysoPSを産生し、マスト細胞に供与することを示した。供与されたIysoPSはその細胞表面に長時間結合し続け、その状態でIgE受容体が架橋されることが脱顆粒反応が起こるために必須であると考えられた。炎症局所においては、PS-PLA1が存在すると同時に、アポトーシスやサイトカイン刺激により、PSが細胞表面に露出した細胞が多く見出される。このような場所で産生されたIysoPSがマスト細胞に作用すると、マスト細胞はIgE受容体架橋によって極めて脱顆粒しやすくなると考えられる。カゼイン腹膜炎ラットの腹腔マスト細胞は、おそらくこのようなメカニズムによって既にIysoPSを供給されていたため、IgE受容体架橋のみで脱顆粒反応が引き起こされたのではないかと予想される。以上のような結果から、IgEだけでなくIysoPSもマスト細胞の感作状態を作りうる因子であるという可能性が想定できる。さらに、"IysoPSの標的分子"はIgE受容体架橋から始まるシグナルと協調して形質膜上のCa2+チャネルを開口することがわかった。従って"IysoPSの標的分子"はCa2+チャネル自身か、またはその調節因子であるという可能性がある。

参考文献 Hosono, H., Aoki, J., Nagai, Y., Bandoh, K., Ishida, M., Taguchi, R., Arai, H. and Inoue, K. J. Biol. Chem. 276, 29664-29670(2001)

Fig.1 カゼイン腹膜炎ラット腹腔マスト細胞はリゾPSが存在しなくても脱顆粒反応が見られる

Fig.2 PS-PLA1, sPLA2-IIAのマスト細胞脱顆粒促進能

Fig.3 PS-PLA1はConA刺激したラット腹腔細胞からのみリゾPSを産生する

Fig.4 アネキシンVによるラット腹腔細胞膜上PSの検出

Fig.5 IysoPSとConAを単独または同時に添加した場合のラット腹腔マスト細胞内Ca2+濃度変化

Fig.6 ラット腹腔マスト細胞にIysoPS添加後、時間をおいてConAを添加した場合の細胞内Ca2+濃度上昇

Fig.7 IysoPS(L-serine)とIysoPS (D-serine)によるラット腹腔マスト細胞のConA依存的脱顆粒促進効果

審査要旨 要旨を表示する

 マスト細胞は、細胞表面のIgE受容体に結合したIgEが抗原により架橋されると脱顆粒し、ヒスタミンやセロトニンなどの生理活性物質を放出して即時型アレルギーを引き起こす。しかしラット腹腔由来のマスト細胞では、抗原によるIgEの架橋だけでは脱顆粒を起こさず、リゾホスファチジルセリン(IysoPS)の添加が必要である。この反応は他のリゾリン脂質では起こらず、IysoPSに特異性の高い反応であることから、マスト細胞上に"IysoPSの標的分子"の存在が想定されているが、その分子的実体は全くわかっていない。生体内でマスト細胞が脱顆粒反応を起こすためにはIysoPSが何らかのメカニズムで供給される必要があるが、その産生経路も不明である。本論文においては、ラット腹腔マスト細胞をモデルとし、IysoPSの産生機構及び作用機構についての解析を行っている。

(1)IysoPSの産生機構についての解析

 ラット腹腔より調製したマスト細胞は、単にIgE受容体架橋を行っても脱顆粒反応を起こさず、さらにIysoPSを添加することではじめて脱顆粒が引き起こされる。しかし本論文において、カゼインで腹膜炎を惹起したラット腹腔から採取したマスト細胞は、IgE受容体を架橋するConAで刺激するとIysoPS添加なしでも脱顆粒反応が引き起こされることを見出した。このことからカゼイン腹膜炎ラットの腹腔内では何らかのメカニズムによってIysoPSが産生されているということが示唆された。ところで、カゼイン投与により炎症を惹起した腹腔内には、ホスファチジルセリン特異的ホスホリパーゼA1(PS-PLA1)が誘導されてくることを当教室で見出していることから、この酵素がIysoPSを産生してマスト細胞を活性化できるかどうか検討した。その結果、ConA刺激と同時にリコンビナントPS-PLA1を加えておくと、IysoPS添加なしでマスト細胞が活性化することがわかった。PS-PLA1と同様、カゼイン腹膜炎腹腔内に誘導されることが知られているIIA型PLA2(sPLA2-IIA)についても検討したが、PS-PLA1の方がはるかに効率よくマスト細胞を活性化した。この系において実際にIysoPSが産生されているかマススペクトロメトリーを用いた解析を行ったところ、PS-PLA1処理により、ConA刺激したラット腹腔細胞からのみ、16:1, 18:1の脂肪酸を有するIysoPSを示すピークが検出された。ConA刺激しない細胞からは、PS-PLA1を添加してもIysoPSは全く検出されなかった。さらに、アネキシンVを用いて細胞膜上のPSを検出したところ、ConA刺激すると腹腔細胞表面にPSが露出してくることがわかった。以上の結果から、ConA刺激により腹腔細胞の細胞表面にPSが露出してくること、PS-PLA1はこの露出したPSを分解し、IysoPSを産生することが明らかになった。

(2)IysoPSの作用機構についての解析

 マスト細胞の脱顆粒のメカニズムについては、種々の細胞内タンパク質のチロシンリン酸化と、未知のチャネルを介したCa2+の流入による細胞内Ca2+濃度の上昇が重要なステップであるとわかっている。本論文では、IysoPSがこれらのシグナリング機構にどのように関与するのか検討を行った。まずラット腹腔マスト細胞の細胞内タンパク質のチロシンリン酸化を解析したところ、IysoPSは全く影響を与えないことがわかった。次に、蛍光Ca2+指示薬をマスト細胞に取り込ませて細胞内Ca2+濃度を測定した。その結果、IysoPSとConAを同時に添加したときにのみ、細胞内Ca2+濃度の持続的な上昇が観察された。実際、この条件でのみ脱顆粒反応が見られる事から、マスト細胞内の持続的なCa2+濃度上昇が脱顆粒反応の引き金と考えられた。

 次に、IysoPSをマスト細胞に添加後、時間を経過した後にConAを添加したところ、両者を同時に添加したときとほぼ同等の細胞内Ca2+濃度の持続的な上昇及び脱顆粒反応が見られた。このことから、ラット腹腔マスト細胞の活性化には、IysoPSはConAと同時に与えられる必要はなく、ConA刺激に先立って与えられていればよいということ、想定される"IysoPSの標的分子"は、マスト細胞周囲にIysoPSが存在し続けても脱感作せずConA刺激とともに脱顆粒を起こすことから、これまでに発見されている他のリゾリン脂質受容体とは異なる性質を持つ分子であると推測された。

 さらに、非天然型のD-serineを持つIysoPSは天然型のL-serine型IysoPSに比べて脱顆粒促進能は著しく弱いことが確認され、このときの細胞内Ca2+濃度の持続的上昇も低いことがわかった。従って、"IysoPSの標的分子"はIysoPSの高次構造を厳密に認識していると考えられた。

 以上、本論文において、PS-PLA1は、ConA刺激によりラット腹腔細胞の細胞膜上に露出したPSを加水分解してIysoPSを産生し、マスト細胞に供与することを示した。供与されたIysoPSはその細胞表面に長時間結合し続け、その状態でIgE受容体が架橋されることが脱顆粒反応が起こるために必須であると考えられた。炎症局所においては、PS-PLA1が存在すると同時に、アポトーシスやサイトカイン刺激により、PSが細胞表面に露出した細胞が多く見出される。このような場所で産生されたIysoPSがマスト細胞に作用すると、マスト細胞はIgE受容体架橋によって極めて脱顆粒しやすくなると考えられる。カゼイン腹膜炎ラットの腹腔マスト細胞は、おそらくこのようなメカニズムによって既にIysoPSを供給されていたため、IgE受容体架橋のみで脱顆粒反応が引き起こされたのではないかと予想される。以上のような結果から、IgEだけでなくIysoPSもマスト細胞の感作状態を作りうる因子であるという可能性が想定できる。さらに、"IysoPSの標的分子"はIgE受容体架橋から始まるシグナルと協調して形質膜上のCa2+チャネルを開口することがわかった。従って"IysoPSの標的分子"はCa2+チャネル自身か、またはその調節因子であるという可能性がある。

 以上の知見は生理活性脂質としてのIysoPSの生理機能解明に対して重要な情報を与え、さらにマスト細胞を含む生理現象の理解に有益な手がかりを提供するものであり、博士(薬学)の学位論文として充分な価値があるものと認められる。

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