学位論文要旨



No 117438
著者(漢字) 合田,仁
著者(英字)
著者(カナ) ゴウダ,ジン
標題(和) 脊椎動物Escherichia coli Ras-like protein(ERA)の生理機能の解明
標題(洋)
報告番号 117438
報告番号 甲17438
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1002号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 助教授 青木,淳賢
 東京大学 助教授 仁科,博史
 東京大学 助教授 漆谷,徹郎
内容要旨 要旨を表示する

【序】

 ERAは、大腸菌からヒトにいたる様々な種間で保存されたGTP結合タンパク質であり、アミノ末端のGTPaseドメインに加え、カルボキシ末端に、ERAホモログ間で保存されたC末端ドメイン(C-terminal domain ; CTD)を有する(Fig. 1)。大腸菌ERAは増殖、生存に必須であるが、その分子機構は不明である(1)。一方、脊椎動物ERAの機能については全く未知であったが、我々の研究室で、ヒトERA(H-ERA)のGTPaseドメイン点変異体の過剰発現がHeLa細胞にアポトーシスを誘導すること、さらには、C末端領域を欠損させた変異体ではアポトーシス誘導活性が消失することを見い出し、脊椎動物ERAは、GTPaseドメインおよびCTDを介して細胞死を制御する可能性を示した(2)。しかし、これらの実験は、細胞内にERAを過剰発現させた系を用いているため、ERAの生理的な機能を反映しているとは言い難く、脊椎動物ERAの機能のさらなる解析が必要である。そこで、本研究では、ERA遺伝子欠損トリDT40細胞株を樹立し、その表現型を調べることで、脊椎動物ERAの生理機能の解明を目指した。

[実験方法と結果]

 1.DT40細胞を用いたトリERA(C-ERA)欠損細胞株の樹立

 トリB細胞株DT40は、高効率の相同組み換え能をもち、目的遺伝子の破壊が容易である(3)。まず、野性株(+/+)に存在する2つのc-era遺伝子座のうち一方を破壊し、c-era(+/−)のヘテロ株を得た。さらに残る1つのc-era遺伝子座の破壊を行ったが、両遺伝子座を消失したC-ERA欠損株(−/−)を得ることができなかった。このことは、C-ERAの欠損が致死である可能性を示唆している。そこで、tetracycline添加によってC-ERAの発現が抑制される発現ベクターをヘテロ株(+/−)へ導入することにより、外来性C-ERAを発現させた状態で残る1つのc-era遺伝子座の破壊を行った結果、目的とする内在性C-ERAの発現を消失させたC-ERA欠損株(−/−)(#19-3)の樹立に成功した(Fig. 2)。

2.C-ERA欠損による細胞死の誘導

 内在性C-ERA欠損株中の外来性C-ERAの発現をtetracycline誘導体doxycycline添加により停止させ、トリパンブルー染色により生細胞数をカウントした。その結果、C-ERAを発現した細胞に比べ、C-ERAの発現を消失した細胞では、生細胞数の減少とともに死細胞数の増加がみられた(Fig. 3A)。また、フローサイトメーターによりDNA含有量を調べたところ、C-ERAを消失した細胞において、アポトーシスに特徴的なsub G1ピークが増加した(Fig. 3C)。これらの結果から、C-ERAは細胞増殖に必須であり、その欠損はアポトーシスを誘導することが明らかとなった。つぎに、脊椎動物種間でERAの生理機能が保存されているのか検討するために、C-ERA欠損株(#19-3)に、さらにヒトERA(H-ERA)を恒常的に発現させた細胞株を樹立した。その細胞株にdoxycyclineを添加し、H-ERAのみ発現している状態にさせ、生細胞数をカウントした。その結果、C-ERA欠損株でみられた顕著な細胞死の誘導が観察されなかった(Fig. 4A)。すなわち、H-ERAがC-ERAの機能を相補し、ERAの生理機能は脊椎動物種間で広く保存されていることが明らかになった。さらに、この現象はC-ERA欠損DT40細胞株の解析によって得られた知見が哺乳動物ERAにも適用できることを示している。

3.脊椎動物ERAの生理機能に対するCTDの必要性

 CTDの一部(H-ERAのC末端から62アミノ酸)はG1変異体過剰発現によるアポトーシス誘導活性に必要である。そこで、脊椎動物ERAの機能発現にCTDが必要であるか検討するために、C-ERA欠損株(#19-3)にH-ERAのC末端領域の一部を欠損したタンパク質H1-375(Fig. 1)を恒常的に発現させた細胞株を樹立した。この細胞株にdoxycyclineを添加し、C-ERAの発現を消失させることで、H1-375のみが発現している状態にさせた。その結果、死細胞の増加およびsub G1ピークの増加が観察された(Fig. 4B)。このことから、脊椎動物ERAの機能にCTDが必須であると結論した。

4.脊椎動物ERAのRNA結合活性およびERAの機能への関与

 脊椎動物ERAの細胞死制御においてCTDが必要であることを明らかにしたが、その分子機構は不明である。そこで、H-ERAのC末端から62アミノ酸を中心にホモロジー検索を行ったところ、CTDがRNA結合ドメインであるhnRNP K homology(KH)ドメインと相同性を示すことを見い出した。したがって、脊椎動物ERAはRNA結合タンパク質である可能性が示唆された。そこで、ERAのRNA結合能の有無の検討を行った。

 H-ERAを過剰発現させたHEK293T細胞の抽出液に、poly A, poly G, poly C, poly U RNA beadsを加えインキュベートした後、各RNA beadsに結合したH-ERAを抗H-ERA抗体を用いたウエスタン・ブロットにより解析したところ、H-ERAとpoly Gおよびpoly Uの結合が観察された。また、この結合は、poly U beadsのRNase前処理および結合反応液中へのfree poly Uの過剰量添加により抑制された(Fig. 5)。

 さらに、ランダムな塩基配列をもつoligo RNAに対する組み換えH-ERAタンパク質の結合活性を検討した。Maltose binding protein(MBP)融合H-ERAタンパク質を大腸菌発現系により調製したのち、amylose-resinに結合させた。そこへ、32Pで放射ラベルしたoligo RNAを添加しインキュベートしたのち、resinの放射活性を測定することでRNA結合活性を評価した。その結果、resinおよびMBPを結合させたresinに比べ、MBP融合H-ERAにおいて放射活性の増加がみられた(Fig. 6A)。一方、H1-375ではH-ERAよりも放射活性の上昇がみられたが、CTDをすべて欠損したH1-334では(Fig. 1)、resinのみと同程度の放射活性を示し、RNA結合活性が消失した(Fig. 6A)。これらの結果より、H-ERAはRNA結合活性を有し、さらにその活性にはCTDが必要であると結論した。

 さらに、C-ERA、H-ERA、H1-375の各発現DT40細胞の抽出液を用い、poly U beadsへの結合を検討したところ、C-ERAおよびH-ERAとpoly U beadsとの結合はみられたが、H1-375の結合は観察されなかった(Fig. 6B)。この結果は、H-ERAのRNA結合活性にC末端から62アミノ酸が重要であることを示している。さらに、H1-375がH-ERAの機能を相補しないことを考慮すると、CTDを介したRNA結合活性がH-ERAの生理機能に極めて重要であることを示唆している。

5.脊椎動物ERAのRNA結合活性に対するGTPaseドメインの影響

 脊椎動物ERAは、GTPase活性を担うGTPaseドメインとRNA結合活性を担うCTDの2つの機能ドメインを有する。そこで、両ドメイン間の機能関係を明らかにするために、GTPaseドメイン点変異体のRNA結合活性を評価した。

 HEK293T細胞に野生型H-ERAおよび2種類のG1領域点変異体P122V、ST(127, 128)NN(Fig. 7A)を過剰発現させた細胞抽出液を用いて、poly U beadsとの結合を検討した。その結果、野生型H-ERAと同様に、2つの変異体ともにpoly Uへの結合が観察された(Fig. 7B)。さらに、結合のアフィニティーを推測するために、細胞抽出液のNaClを加え、高塩濃度条件下で結合反応を行ったが、野生型H-ERAおよび2つの変異体ともに600mM NaClまでpoly Uとの結合が観察された。このことから、GTPase活性はRNA結合活性に影響を及ぼさない可能性が示唆された。

【総括】

 本研究において、C-ERA欠損DT40細胞株の樹立に成功し、ERAタンパク質が脊椎動物細胞の増殖および生存に必須の分子であり、その機能が脊椎動物種間で広く保存されていることを初めて明らかにした。また、脊椎動物ERAの細胞死制御にCTDが必要であること、さらに脊椎動物ERAはRNA結合活性をもち、CTDがその活性に必要であることを見い出した。これらのことから、脊椎動物ERAは、RNAとの結合を介し細胞の生死の制御に関与する可能性が示唆された。しかし、ERAの細胞死制御におけるRNA結合の分子機構は未だ不明である。また、G1領域への変異はRNA結合活性に影響しないことが示唆されたが、CTDおよびGTPase両機能ドメイン間の制御メカニズムは不明である。さらには、脊椎動物ERAが担う生理的シグナルの解明も今後の課題である。

【参考文献】

(1)Caldon, C. E. et al.: Mol. Microbiol., 6, 1253-1257(2001)

(2)Akiyama, T., Gohda, J., Arai, H. et al.: Genes Cells, 6, 987-1001(2001)

(3)Lahti, J. M.; Methods, 17, 305-312(1999)

Fig. 1 H-ERAおよびC末端欠損変異体H1-375、H1-334の構造

Fig. 2 C-ERA欠損DT40細胞株の樹立

Fig. 3 C-ERA欠損細胞(#19-3)へのdoxycycline添加後の外来性C-ERAの発現消失(A)、増殖抑制(B)、およびアポトーシス誘導(C)

Fig. 4 H-ERA(A)、H1-375(B)発現のC-ERA欠損による増殖抑制への影響

Fig. 5 脊椎動物ERAのRNA結合活性

Fig. 5 H-ERAのRNA結合活性に対するCTDの必要性

A. Random RNAへの結合,B. Poly U beadsへの結合

Fig. 7 H-ERAのG1領域変異体の構造(A)とそのRNA結合活性(B)

審査要旨 要旨を表示する

 Escherichira coli Ras-like protein (ERA)は、大腸菌からヒトにいたる様々な種間で保存されたGTP結合タンパク質であり、アミノ末端のGTPase領域に加え、カルボキシ末端(C末端)に、ERAホモログ間で保存された特徴的な領域を有する。大腸菌ERAは増殖、生存に必須であるが、その分子機構は不明である。一方、脊椎動物ERAについては、ヒトERA(H-ERA)のGTPase領域変異体の過剰発現がHeLa細胞にアポトーシスを誘導すること、C末端領域を欠損させた変異体ではアポトーシス誘導活性が消失することが見い出されていた。しかし、これらの実験は、過剰発現系を用いているため、生理的条件下の実験系ではなく、脊椎動物ERAの生理機能は未知であった。「脊椎動物ERAの生理機能の解明」と題した本論文では、内在性ERA遺伝子欠損トリDT40細胞株の樹立に成功し、その表現型解析により、ERAは脊椎動物細胞の増殖・生存に必須のタンパク質であることを初めて明らかにした。さらに、脊椎動物ERAはRNA結合タンパク質であることを見い出し、C末端領域がERAのRNA結合活性および生理機能に必須であることを明らかにした。本論文は、脊椎動物ERAはGTP結合/GTPase活性およびRNA結合活性を介して細胞の増殖・生存の制御を行っていると述べている。

1.DT40細胞を用いたトリERA(C-ERA)欠損細胞株の樹立

 高効率の相同組み換え能をもつトリB細胞株DT40を用い、野性株(+/+)に存在する2つのc-era遺伝子座のうち一方を破壊し、さらに残る1つのc-era遺伝子座の破壊を行ったが、両遺伝子座を消失したC-ERA欠損株(−/−)を得ることができなかった。そこで、tetracycline(tet)添加によってC-ERAの発現が抑制される発現ベクターをヘテロ株(+/−)へ導入することにより、外来性C-ERAを発現させた状態でc-era遺伝子座の破壊を行った結果、内在性C-ERAの発現を消失させたC-ERA欠損株(−/−)の樹立に成功した。

2.C-ERA欠損による細胞死の誘導

 内在性C-ERA欠損株中の外来性C-ERAの発現をtet誘導体添加により停止させ、生細胞数をカウントした結果、C-ERA発現細胞に比べ、発現を消失した細胞では、生細胞数の減少とともに死細胞数の増加がみられた。また、フローサイトメーターによりDNA含有量を調べたところ、アポトーシスに特徴的なsub G1ピークが増加した。これらの結果から、C-ERAは細胞増殖に必須であることが明らかとなり、その欠損はアポトーシスを誘導することが示唆された。さらに、C-ERA欠損株にヒトERA(H-ERA)を恒常的に発現させた細胞株を樹立し、tet誘導体を添加しH-ERAのみ発現している状態にさせたところ、C-ERA欠損による細胞死誘導が抑制された。この結果は、H-ERAはC-ERAの機能を相補することを示しており、ERAの生理機能は脊椎動物種間で広く保存されていることが明らかとなった。

3.脊椎動物ERAのRNA結合活性およびERAの生理機能への関与

 C-ERA欠損株にH-ERAのC末端から62アミノ酸を欠損した変異体(H1-375)を恒常的に発現させた細胞株を樹立し、外来性C-ERAの発現を消失させたところ、死細胞の増加およびsub G1ピークの増加が観察された。このことから、脊椎動物ERAの機能にC末端領域が必須であることが明らかにされた。さらに、H-ERAのC末端から62アミノ酸を中心にホモロジー検索を行ったところ、RNA結合ドメインであるKHドメインと相同性を示すことを見い出し、脊椎動物ERAはRNA結合タンパク質である可能性が示唆された。そこで、RNA beadsを用いたHEK293T細胞での過剰発現系によるERAのRNA結合能の有無の検討を行ったところ、H-ERAとpoly Gおよびpoly Uの結合が観察された。また、ランダムな塩基配列をもつoligo RNAに対する組み換えH-ERAタンパク質の結合活性を検討したところ、H-ERAタンパク質とoligo RNAの結合がみられたが、C末端領域を完全に欠損させた変異体(H1-334)では結合は観察されなかった。さらに、H1-375を発現させたDT40細胞の抽出液を用い、poly U beadsへの結合を検討したところ、H1-375とpoly Uとの結合はみられなかった。これらの結果は、ERAはRNA結合活性を有し、その活性にはC末端領域が必要であることを示している。さらに、H1-375がH-ERAの機能を相補しないことを考慮すると、C末端領域を介したRNA結合活性がH-ERAの生理機能に極めて重要であることを示唆している。

 以上を要するに、本論文は、C-ERA欠損DT40細胞株の樹立に成功し、ERAが脊椎動物細胞の増殖および生存に必須の分子であり、その機能が脊椎動物種間で広く保存されていることを初めて明らかにした。また、脊椎動物ERAの細胞死制御にC末端領域が必要であること、さらに脊椎動物ERAはRNA結合活性をもち、C末端領域がその活性に必要であることを見い出した。これらの知見は、今まで未知であった脊椎動物ERAの生理機能の解明に多大な貢献を付与するだけでなく、RNAを介した細胞の生存制御に関する新たなシグナル伝達機構の存在を示唆しており、博士(薬学)の学位論文として十分な価値があるものと認められる。

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