学位論文要旨



No 117440
著者(漢字) 尾見,法昭
著者(英字)
著者(カナ) オミ,ノリアキ
標題(和) ホスファチジルイノシトールが胃でのプロトン輸送に関与するK+透過性の必須の決定因子であることの解明
標題(洋)
報告番号 117440
報告番号 甲17440
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1004号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 漆谷,徹郎
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 助教授 青木,淳賢
内容要旨 要旨を表示する

[序]

 壁細胞における胃酸分泌は、H+K+-ATPaseが管腔側のK+と細胞内のH+を交換し、独立してCl-が放出され塩酸(HCI)が出ることにより起こる。管腔側にK+が放出される必要性があり、H+K+-ATPaseの活性化はH+K+-ATPase自体の修飾ではなくK+チャネルの活性化によるものと考えられている。

 近年Cl-チャネルについては壁細胞由来のcDNAライブラリーより候補がクローニングされており、また当研究室においても西澤らがparchorinをCl-チャネルに関与する蛋白としてクローニングしたが、分泌に必須のK+透過性を与える実体についてはいくつかの候補が挙げられているが同定にはいたっていない。それは生理的な酸分泌活性化機構と結びつくような特性が示されていないからである。酸分泌がcAMPに依存していることから、A-kinaseによるリン酸化で活性化されるK+チャネルが存在すると推定されていた。これは分泌刺激した胃粘膜の分泌側膜をMg2+処理するとK+透過性が減少し、非特異的ホスファターゼ阻害薬であるピロリン酸によってK+透過性の減少が阻害されるという報告によって裏付けられていた。私は修士課程において、これを再検討したところMg2+処理によるK+透過性の減少はタンパクの脱リン酸化によるものではないということを明らかにした。その結果を受けて、本研究では胃でのプロトン輸送に関与するK+チャネルがホスファチジルイノシトールリン酸が必須であることを明らかにするとともに、K+チャネルの候補を提出する。

1.酸分泌に関与するK+チャネルはPIP2を要求する

 食餌及びヒスタミン投与により酸分泌を刺激したウサギ胃粘膜ホモジネートの低速遠心分画をFicoll密度勾配遠心により精製し、分泌側膜小胞を得た。H+K+-ATPase依存性のプロトン輸送は、acridine orange quenching法により測定した。この膜標品はATP, KCI存在下にプロトン輸送を行い、KCI透過性が高いと考えられた。この膜を5mM Mg2+存在下で37℃10分間前処理すると、プロトン輸送が抑制されたが、これはK+-ionophoreであるvalinomycinによって完全に回復した。しかし、Mg2+によるK+透過性の減弱はプロテインホスファターゼ阻害薬calyculinAなどによって影響を受けなかった。これらのことから、蛋白のリン酸化脱リン酸化以外のものがこのK+透過性に影響を与えている可能性が考えられた。PLC阻害薬であるneomycin150μM存在下37℃10分間の前処置するとK+透過性が減少した(Fig. 1)。このK+透過性の減少には37℃10分間の前処置が必要であったのでMg2+と同様に何らかの代謝反応が介在していることが考えられた。また、neomycinのPLC阻害の作用が基質であるPIP2に結合することによるものだということが知られているので、PIP2を加えたところneomycinにより低下したK+透過性が回復した。また、PIP2はMg2+処理によるK+透過性の減少をも回復させた(Fig. 2)、しかしPIやPIPではK+透過性の回復は見られなかった。当研究室において赤木らはPITPが酸分泌において必須の因子であることを報告している。PITPをPIとプレインキュベートし加えるとPIP2と同様にK+透過性を回復させた。これは、膜上に存在するホスファチジルイノシトールリン酸化酵素によりPIP2やPIP3が産生しているものと考えられた。しかし、PIP2, PIP3は休止胃粘膜由来ミクロゾームにK+透過性を与えることはなかった(Fig. 2)。以上より、K+チャネルはH+K+-ATPaseと同じtublovesicle上には存在しないか、tubulovesicle上ではPIP2による活性化を受けない状態で存在していることが考えられた。

2.K+透過性の測定

 前述のacridine orange quenching法ではH+K+-ATPaseに依存した酸集積能からK+透過性を評価しているので、膜のK+透過性を別の方法で評価した。分泌側膜小胞への86Rb+の取り込み能を測定したところ、0.5mM neomycin処置とコントロールにおいて1分以内での取り込み能に差がみられた。さらに、K+透過性をH+の受動的拡散を指標として測定を行った。protonophore存在下でvesicleをpH=4に平衡化を行った後にvesicle外のpHを8に変化させることによりpHの勾配を作成し、vesicle内のpHの変化をacridine orangeを用いて測定を行った。その際counter cationとしてK+のみを存在させることによって、K+透過性の指標としてpHの変化を見られるようにした。その結果、Mg2+前処置によるK+透過性の抑制が観察された(Fig. 4)。以上より、Mg2+,またはneomycin処置により分泌側膜小胞のK+透過性が減弱していることが確認できた。

3.膜内ホスファチジルイノシトール量の測定

 PIP2がMg2+によって減少しているかどうかをTLCを用いて測定を行った。vesicleを[γ-32P]ATP存在下で30℃1分間処置して32Pラベルを行い、その後Mg2+, neomycin存在、非存在下で37℃20分間処置することによる変化を観察した。その結果、Mg2+処置によりPIP2およびPIP3の量がコントロールに比べ減少していることが見られた。また、neomycin処置ではPIP2量はかえって増加した。恐らくMg2+はホスファターゼを促進することで膜内のPIP2, PIP3を減少させ、neomycinはPIP2と結合することにより膜内のPI代謝に影響を与えていると考えられた。

4.ROMKのクローニング

 現在までに知られているPIP2感受性のK+チャネルとして内向き整流性K+チャネルファミリーがあり、酸分泌に関与する可能性が考えられたので壁細胞においてROMK(Kir1.1)が存在するかどうか確認を行った。ウサギROMKはクローニングされていなかったため、ウサギ胃底腺または壁細胞のmRNAよりヒト,ラット,マウスの共通配列部でRT-PCRを行った。その結果ROMKが存在し、そのスプライシングバリアントであるROMK2およびROMK6と相同性の高いものが存在することがわかった(Fig. 5)。さらに、ROMKが共通配列として持っているputative PIP2 bindig siteを含む20アミノ酸からなるpeptideを作成し、Fig. 2と同様の実験においてこれを加えるとMg2+処置を行った分泌側膜小胞へのPIP2の回復効果が阻害された。以上の結果より、ROMKが胃におけるプロトン輸送に関与する必須なK+チャネルであることが示唆された。

[まとめ]

 本研究では私は、胃酸分泌の最終的な調節因子であるK+チャネルがイノシトールリン脂質要求性であることを初めて示した。壁細胞の分泌側膜においてこのイノシトールリン脂質はPITPにより供給されるPIから膜上で生成されることが示唆された。K+チャネルの本体としてイノシトールリン脂質要求性のチャネルが考えられ、ROMKを候補として提唱した。

[参考文献]

Omi, N., Nagao, T. and Urushidani, T., (2001) Am. J. Physiol. 281, G786-G797.

Fig. 1 Mg, neomycin前処置を行うとK+透過性が減少する

Fig. 2 PIP2によるK+透過性の回復

Fig. 3 Rb+influxの速度はneomycin処置により減少する

Fig. 4 Mg2+処置によりvesicleからのH+のリークは遅くなる

Fig. 5 human ROMK2とrabbit ROMKのアミノ酸配列の比較(M1, M2−膜貫通領域H5-pore region *-putative PIP2 binding site)

審査要旨 要旨を表示する

 壁細胞における胃酸分泌において,プロトンポンプであるH,K-ATPaseが管腔側のKと細胞内のH+を交換し,これと独立してCl-が放出されHClが生成する.この反応が持続するためにはATPの供給と管腔側への持続的なK放出が必要である.酸分泌の活性化はプロトンポンプそれ自体の活性化を必要とせず,分泌膜上のKチャネルの活性化が直接の引き金であると考えられている.しかしながらこのKチャネルの実体はまだ解明されておらず,生理的に重要で実在が提唱されていながら同定されていない最後のチャネルといわれ,世界中の研究者による激しい競争がつづいている.これは,生理学的興味に加え,理想的な抗分泌薬のターゲットとしての可能性があるからである.

 このKチャネルの実体については,幾つか候補が提唱されてきている.中には,その機能を抑制することにより酸分泌が抑制されるというKCNQ1の様なチャネルも報告されている.しかし,例えば異なる種類のKチャネルサブユニットが40種近くも存在する下垂体細胞の例を見ても分かるとおり,生体には多種多様のチャネルが存在し,それらが別々の重要な生理的役割を果たしているとすれば,大きなエネルギー消費とイオン環境変化を伴う酸分泌反応で見ている限り,直接分泌活性化に関与するチャネルを同定することは困難である.この目的には,プロトンポンプが働いている場で,直接K透過性を修飾するような,生理的に意味のある手段の開発が必須のものとなる.

 尾見はこの問題に別の方向からアプローチした.以前次のような実験結果が報告されていた.すなわち,酸分泌を刺激した動物から精製した壁細胞の分泌側膜小胞はK透過性を示すが,この膜標品をMg存在下にインキュベーションするとK透過性が低下するというものである.この膜標品にはMg依存性のフォスファターゼ活性があることから,壁細胞の分泌側膜にはリン酸化によって活性化されるKチャネルが存在すると解釈されていた.

 尾見はこの実験を再現し,Mgの効果は蛋白フォスファターゼによるものではないことを示した.しかし何らかのリン酸基の関与が考えられたため,種々の薬理的プローブを用いて検討した結果,neomycinがMgの効果を模倣する事をみいだした.このneomycinの効果はphospholipase Cの抑制によるものでなく,フォスファチジルイノシトール2リン酸(PIP2)に結合することによると考えられた.また,分泌側膜小胞のK透過性が低下するにはneomycin,Mgいずれの場合にも,37℃10分程度のインキュベーションを必要としたため,これらが膜内でのイノシトールリン脂質の代謝に影響を与え,結果としてKチャネル活性に必須のイノシトールリン脂質が低下することにより,K透過性が低下したと考えられた.このことは,neomycinやMg処理で低下したK透過性が,PIP2やPIP3の添加により回復することから支持された.また,膜内のPIP2, PIP3量がMg処理によって実際に減少していることも測定された.

 休止状態の壁細胞ではプロトンポンプは小管小胞とよばれる細胞内小胞に存在し,刺激に伴って分泌側膜に融合する.このとき分泌側膜上でKチャネルが活性化するが,休止状態でKチャネルがどこに存在するのかは明らかでない.しかし精製した小管小胞にPIP2やPIP3を添加してもK透過性は出現しなかったため,小管小胞膜上にはKチャネルが存在しないか,またはPIP2非感受性の状態で存在していると考えられた.

 また,neomycinやMg処理で低下した分泌側膜K透過性はフォスファチジルイノシトールの添加では回復しなかったが,これをリコンビナントのフォスファチジルイノシトール輸送蛋白(PITP)に結合させて添加すると,K透過性が回復した.以上のことを,同じ研究室で得られた知見,すなわち透過性細胞を用いた系で,PITPが酸分泌に必須の因子であることを示した実験結果と考え合わせると,次のような機構が推定できた.すなわち,壁細胞が刺激を受けるとプロトンポンプが分泌側膜に移行し,同時にKチャネルが活性化する.この活性はPIP2またはその誘導体を要求するが,それらは膜内の酵素で合成され,他の膜系からフォスファチジルイノシトールがPITPによって供給されれば維持される.

 このKチャネルの本態として,PIP2依存性のKチャネルであるROMKを考え,これが壁細胞に存在するか否かを検討し,ROMKのスプライシングバリアントであるROMK2とROMK6のウサギホモログを壁細胞からクローニングした.ROMKが持つPIP2結合サイトに対応するペプチドが,低下した分泌側膜K透過性のPIP2による回復を抑制したことは,今回の仮説を支持するものである.予備的検討で,ROMK共通配列部分の抗体に反応するが分子量の遙かに大きい新規ROMK様蛋白が胃粘膜特異的に存在する可能性が示されたが,残念ながら現在までこれを同定するには至っていない.もしこれが存在すれば,胃特異的に作用する抗分泌薬のターゲットとして有望なものである.

 以上,本研究は胃酸分泌の生理学において中心的な謎である分泌側膜のKチャネルの本態に迫る先端的な研究であって,生理学領域ばかりでなく創薬科学にも多大な寄与をするものであり,博士(薬学)に値すると判断した。

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