学位論文要旨



No 117445
著者(漢字) 豊田,英司
著者(英字)
著者(カナ) トヨダ,エイジ
標題(和) 赤道暖水域に対する熱帯大気循環のパターン形成過程 : 水惑星アンサンブル実験による研究
標題(洋)
報告番号 117445
報告番号 甲17445
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(数理科学)
学位記番号 博数理第189号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 石岡,圭一
 東京大学 教授 山田,道夫
 東京大学 助教授 一井,信吾
 東京大学 教授 薩摩,順吉
 東京大学 教授 菊地,文雄
 北海道大学 教授 林,祥介
内容要旨 要旨を表示する

赤道上のSST偏差に対する熱帯大気の応答の形成過程を観察するために、水惑星GCMを用いてアンサンプルスイッチオン実験を行った。大きさ128のアンサンブルを作ることによって,小規模な対流活動や大規模な季節内振動に伴い時間変動するノイズを効果的に消去して観察できるようになった。

アンサンブル平均された応答場の初期の構造はGill(1980)が示したものに似ている.すなわちSSTの高温偏差域に位置する対流中心から温暖ケルビン波的な偏差が東に射出されるとともに、温暖ロスビー波的な偏差が西に射出される。初期応答形成は対流闇中上層では明らかに観察できるが、それに比べると地表近くの西側では不明瞭であった。東側の領域ではケルビン波状のシグナルが届くとともに降水が減少するが、数日後には増加に転ずる。このような変叱はケルビン波構造による赤道域の低気圧偏差部に向かう地表での摩擦収束のためである。西側の領域では、ロスビー波の構造の特徴である赤道の南北の低気圧偏差に伴い地表近くで摩擦発散が起るため、降水は単調に減少する。西側域における降水の減少は負の熱源の役割を演じるため、30日目以降に地表面では高気圧偏差が現れる。

水惑星暖水域実験の長期間平均場を観察したHosaka et al. (1998)でみられた循環構造は、対流中心の西側の負の降水偏差による二次的熱源の寄与を考慮に入れさえすれば、熱的に駆動された赤道波応答の枠内で理解できる。

このアンサンブル実験を実行するにあたって最大の困難は、巨大な数値計算結果の処理にあった。計算機の能力の限界に挑むような巨大な数値計算にあっては、データ処理能力が研究の効率ばかりか信頼性まで左右しかねない。困難の性質を正しく問題として認識し、研究を着実に遂行するために、気象や海洋等の地球流体科学分野の格子点数値データを前提としたデータ処理技術について研究した。

まずアンサンブル水惑星実験で用いたGCMの入出力ライブラリおよび解析可視化ツールGTOOL3についてその功績の明確化と問題点の抽出を行った。

GTOOL3は,故沼口敦博士が中心となって1990年ころから設計実装した、大気大循環モデル等で必要となる格子点時系列データのための入出力ライブラリおよび解析可視化ツールである。本論文ではGTOOL3の設計と実装を再検討することにより、文書化されていなかったGTOOL3の現代的意義を明らかにした。GTOOL3の大域的構成は構造化設計パラダイムに基づいている。オブジェクト指向設計や層化技法などは使われていないが、FORTRAN 77の機能を徹底的に活用した疑似モジュール的な情報隠蔽手法を気象の数値シミュレーションモデルではじめて実現したという点に先進性がある。

ついで、GTOOL3の課題を解決しつつ、より制約や無駄な手間の少ない環境を実現することを目的として入出力ライブラリおよび解析可視化ツールgtool4を構築した。データ表現においてはファイル形式の基礎としてnetCDF (Rew et al., 1997)を採用することで可搬性や任意次元配列の処理を実現した。さらに、現実に流通しているデータとの互換性を重視しつつ、GTOOL3の特長を継承するnetCDF規約を構築した。実装においてはFortran 90の採用によってモジュール設計を明確化しつつ、構造型によるデータ抽象化手法をFortran 90による実用的なプログラムで実証した点に新しさがある。ここで作られたプログラム書法の多くの部分が気象庁コーディングルール(室井ほか,2002)に反映された。gtool4はデータアクセスに関してnetCDFよりも整理されたインターフェイスを提供する。実装を通じて我々が多次元配列を部分アクセスするときはほとんどスキャンパターンで記述できることがわかった。

審査要旨 要旨を表示する

 地球上の降水分布がいかにして決まるかということは気象学における最も根源的な問題の一つである.現実の気候においては海面温度の高い赤道域で強い降水活動が見られているが,この降水分布のパターンは海面温度や海陸の分布に大きく規定されている.しかし,これらの境界条件から降水分布への因果関係は単純なものではない.海面温度の分布が降水分布にどのような影響を与えるかを吟味するために,Hosaka et al. (1998)は水惑星すなわち全球が水で覆われた仮想的な状況においてGCM=大気大循環モデルを数値積分し,赤道上に置いた局所的な海面水温暖水域に対する熱帯大気の応答について調べた.その結果,暖水域の有無による降水量の変化を赤道に沿ってみると,暖水域上に降水活動が活発ないわゆる対流中心が現れることは予想されたことだが,対流中心の東側では降水が増加,西側では降水が減少という東西非対称な応答が現れることが示された.しかし,この東西非対称なパターンは,長期間積分を行って得られたデータの時間平均によって個々の積雲活動等による細かな「ノイズ」を除去して初めて見えてきたもので,その成因を因果的に究明していくのは困難であった.

 本論文は,このような背景を踏まえ,初期条件を若干変えた128ランのアンサンブル実験を行い,時間平均ではなくアンサンブル平均をとることによって「ノイズ」を除去し,暖水域に対する熱帯大気の応答の初期形成過程を初めて時系列として抽出した.その結果,降水の東西非対称性の形成は赤道波の性質によって理解できることが明確に示された.すなわち,熱帯域を浅水流体と考えると対流中心は加熱域すなわち低気圧の強制であり,そこから低気圧偏差が東向きには赤道ケルビン波によって,西向きには赤道ロスビー波によって伝播するが,東西の違いは波の構造によって発現する.すなわち,赤道ケルビン波の低気圧偏差は赤道を中心とするのに対し,赤道ロスビー波の低気圧偏差は赤道の南北10°くらいに中心があり,接地境界層での摩擦風による水蒸気輸送は低圧部に向かうため,対流中心の東側では水蒸気収束が降水の増強を通じて低気圧偏差を維持するのに対して,西側では逆センスに作用することになり,地表近くで摩擦発散が起るため,降水は単調に減少する.これによっていったん西側領域の降水が減少すれば,負の熱源としてさらに西側領域に高気圧偏差をもたらすことになり,さらなる西側領域の降水の減少につながる.という過程が時系列として明らかになった.この応答形成過程は,Hosaka et al. (1998)で推測されてはいたが,本論文の結果はこれに初めて裏付けを与えたものである.また,東向きに伝播している赤道ケルビン波は,湿潤過程によるフィードバックを含んでいるため,乾燥大気中の赤道ケルビン波に比べて位相速度がかなり遅いが,このような湿潤赤道ケルビン波の伝播の様子ついても,アンサンブルをとったことによって初めて明瞭に示すことができている.

 さらに,申請者は,上記のアンサンブル実験を行うにあたって膨大なデータの処理という困難に直面したが,これについては,既存の入出力ライブラリGTOOL3の設計思想をベースにして全く新しい入出力ライブラリおよび解析可視化ツールgtool4を構築した.データ表現においてはファイル形式の基としてnetCDF (Rew et al., 1997)を採用することでファイルの可搬性や任意次元配列の処理を実現し,現実に流通しているデータとの互換性を重視しつつ,GTOOL3の特長を継承するnetCDF規約を構築した.実装においては,Fortran 90の採用によってモジュール設計を明確化し,構造型によるデータ抽象化手法をFortran 90による実用的なプログラムで実証した点に新しさがある.また,gtool4はnetCDFよりも整理されたインターフェイスを提供し,スライススキャンAPIなどは多次元配列のある断面を2次元配列のように部分アクセスすることも可能にしている.申請者はgtool4を用いることによって,膨大な実験データのさまざまな断面をとることや平均操作および可視化などの処理を容易に行える環境を整備して本論文の研究を可能にした.また,このgtool4は汎用的なツールであり,一般の使用に供するべくインターネット上で公開されている.

 以上,本論文では,多数のアンサンブル実験を行うことによって,これまでの水惑星実験で得られていた赤道暖水域に対する降水分布の応答の形成過程を時系列として初めて明らかにしただけでなく,湿潤ケルビン波の伝播の様子の可視化にも成功している.また,アンサンブル実験のデータ解析を可能にしたツールgtool4を構築したことも意義あることである.

 よって,論文提出者豊田英司は,博士(数理科学)の学位を受けるにふさわしい充分な資格があると認める.

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