学位論文要旨



No 117471
著者(漢字) 稲木(菊池),美紀子
著者(英字)
著者(カナ) イナキ(キクチ),ミキコ
標題(和) ショウジョウバエの肢の中央領域のパターン形成におけるHedgehogの機能とその抑制因子Pxbの同定
標題(洋)
報告番号 117471
報告番号 甲17471
学位授与日 2002.04.08
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4233号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 多羽田,哲也
 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 教授 西郷,薫
 東京大学 助教授 飯野,雄一
 東京大学 助教授 能瀬,聡直
内容要旨 要旨を表示する

 hedgehog(hh)遺伝子群は脊椎動物や無脊椎動物の器官形成過程において最も重要な遺伝子群の一つである。ショウジョウバエの成虫器官は幼虫期に形成される成虫原基と呼ばれる上皮組織から分化する。成虫原基は、ジンクフィンガー蛋白質をコードする。cubitus interuptus(ci)遺伝子を発現する前部区画と、一対のホメオボックス遺伝子engrailed(en)/invected(inv)を発現する後部区画に二分化される。分泌蛋白質であるHhは後部区画で発現し分泌され、前部区画でdecapentaplegic(dpp)やwingless(wg)、patched(ptc)、enなどの遺伝子の発現制御を行う。翅原基や肢原基においてHhはdppやwgの発現を誘導し、分泌蛋白質であるDppやWgがモルフォゲンとして働き、前部及び後部区画全体の運命決定を行い、Hhのlong rangeの機能を担っている。近年、翅においてHhはlong rangeの機能の他にDppとは独立に、直接、翅の中央領域(前後境界領域)を決めるshort rangeの機能を持つことが報告されている。3齢幼虫中期以降の翅原基では前後境界領域でenやCOE転写因子をコードするcollfer遺伝子がHhにより誘導され、それらが翅におけるHhのshort rangeの機能を媒体していることが示されている。このHhのshort rangeの機能については他の系ではほとんど解析されていない。

 私はhhの温度感受性変異体hh9kを許容温度で飼育すると翅において中央領域のみがなくなるHhのshort rangeの機能が欠失したような表現型を示すことをみいだした。このハエを詳細に解析したところ肢においても先端節の腹側のhairや背側の先端のbristleといった中央領域の構造物が欠失していることがわかった。また、最高レベルのHhシグナルのみを伝達すると言われている、serine-threonineキナーゼをコードするfused(fu)遺伝子の変異体fu1のホモ接合体においても同様に中央領域の構造物が欠失する表現型がみられた。これらのことから肢の中央領域のパターン形成には最高レベルのHhシグナルが必要であることがわかった。私はこのHhの機能に関わる新規遺伝子を得るため、エンハンサートラップ系統のスクリーニングを行い、肢原基の前後境界領域で特異的に発現制御される遺伝子を探索した。その結果、L71及びPXb41という2系統が得られた。L71においてリポーター遺伝子lacZは3齢幼虫初期の肢原基では発現はみられないが、3齢幼虫後期以降では前後境界に沿った帯状の発現を示し、その発現領域はPtcの強い発現の領域とほぼ重なっていた。PXb41においてlacZは肢原基の前部区画特異的に発現し、3齢幼虫中期以降は前後境界に沿ってPtcの強い発現の領域で発現が消失していた。L71-lacZの発現は許容温度で飼育したhh9kやfu1の肢原基では消失していたことから最高レベルのHhシグナルにより正に制御されていることがわかった。同様にしてPXb41-lacZの発現は最高レベルのHhシグナルにより負に制御されていることを確かめた。

 L71においてはen/inv領域のinv遺伝子の第2イントロンにP因子が挿入していたことからen/invの前部区画の発現のエンハンサーをトラップしていると考えられた。enは翅原基では3齢幼虫中期以降に前部区画にも発現してくるといわれているが、L71-lacZの発現は肢原基においてもenが前部区画で発現することを示唆しており、実際、幼虫期ではみられなかったが蛹期の肢原基ではEnが前部区画にも発現することが確かめられた。これらの結果は肢においてもshort rangeのHhの下流でenが機能している可能性を示唆している。

 PXb41においてP因子は新規遺伝子pxbの上流に挿入していた。Pxb蛋白質は疎水性アミノ酸残基に富む領域を一ケ所持つため膜貫通型蛋白質であると推察された。細胞内領域とおもわれる領域にはprolinに富む領域を、細胞外領域とおもわれる領域にはhistidineに富む領域や糖鎖の付加部位が多数みられたが既知の蛋白質との相同性はみいだされなかった。pxbの機能を調べるためP因子の再転移法により遺伝子欠失変異体の作製を試み、第1エクソンを含む領域を欠失するnull変異体と考えられる系統、pxb37-2を得た。pxb37-2のホモ接合体は致死性及び不妊性は正常であり、成虫肢に異常はみられなかった。そこで、Gal4-UASシステムを用いて強制発現による機能解析を行った。pxbをHhにより抑えられている前後境界領域で過剰発現させると肢の先端節の腹側のhairの数が減少し許容温度で飼育したhh9kと類似した表現型を示した。このことから、Hhによるpxbの発現の抑制が肢の中央領域の構造物の形成に必須であることが示された。またpxbは翅原基ではほとんど発現はみられないが、翅原基の前後境界領域で異所的に発現させると、その領域に由来する成虫のscutellumにおいてもscutellar bristleの数の減少というhh9kと類似した表現型を示した.これらの結果からPxbは異なる二つの組織でHhシグナルの減衰因子として機能することが示され、肢ではその発現をHhが抑制することで肢の中央領域のパターン形成を行っていることが示唆された。

 肢原基の前後境界領域においてはdpp及びwgもHhにより発現制御されている。それらの関与についても解析を行った。前後境界領域においてそれらは高レベルに発現していると考えられ、また、dpp及びwgの強い変異体では肢の複製や先端領域の消失が起きてしまうため、dpp及びwgついても弱い変異体を観察する必要がある。そこでRNAi法を用いてこれらの弱い変異体を作製した。RNAi法を用いたdppの変異体では翅の翅脈の、wgの変異体では翅の縁の消失がみられ、また両方において低頻度ながら肢の最先端にある爪の消失がみられたことからRNAiによりDpp及びWgの活性が低下していることが確かめられた。このdppの変異体では背側のbristleの消失はみられなかったが、wgの変異体では腹側のhairの消失がみられた。これらの結果から肢の中央領域の腹側ではHhの下流でWgがhairの形成に関して正に働いていることがわかった。Dppについては翅と同様に肢の中央領域のパターン形成には関与していないと考えられた。

 Hhによるpxbの制御をさらに詳細に解析するためモザイク解析を行った。Hhの受容体でHhシグナルに拮抗して働くptcの変異体のクローンでは細胞自立的にpxbの発現の抑制がみられた。また、Hhの下流で働く転写因子のCiの活性化型を発現するクローンでも細胞自立的にpxbの発現の抑制がみられた。翅原基ではHhによりenが前部区画で誘導され、Enは様々な系で転写抑制因子として働くことが知られている。そこでpxbの抑制にもEnが機能しているかを調べた。前部区画にできたptc enの二重変異体のクローンではptcの変異体のクローンと同様にpxbの発現が消失したため、Hhによるpxbの抑制はenに非依存的であることがわかった。後部区画にできた窺cenの二重変異体のクローンの細胞は異所的にpxbを発現したため、後部区画の細胞ではpxbの発現はEnにより抑制されていることがわかった。Hhにより発現が誘導されるWgのシグナルの関与についても解析を行った。Wgの下流で正に働くAmadilloの活性化型を発現するクローンではpxbの発現に変化がみられなかったことから、Hhによるwgとpxbの制御は独立に行われていることがわかった。

 以上の結果から最高レベルのHhシグナルが肢の中央領域の正常なパターン形成に必要であり、最高レベルのHhシグナルはその抑制因子として働くpxbの発現を抑制し、また、中央領域のパターン形成に正に働くwgの発現を誘導することで二重にその領域を決めていることが示された。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文では、ショウジョウバエの肢の中央領域におけるHedgehogの機能とその抑制因子Pxbの同定について述べられている。

 hedgehog(hh)遺伝子群は脊椎動物や無脊椎動物の器官形成過程において最も重要な遺伝子群の一つである。ショウジョウバエの翅原基や肢原基において、Hhは後部区画で発現し分泌され、前部区画でdecapentaplegic(dpp)やwingless(wg)などの遺伝子の発現制御を行う。分泌蛋白質であるDppやWgはモルフォゲンとして働き、前部及び後部区画全体の細胞運命決定を行い、Hhのlong rangeの機能を担っている。近年、翅においてHhはlong rangeの機能の他に、Dppとは独立に、直接、翅の中央領域(前後境界領域)を決めるshort rangeの機能を持つことが報告されている。このHhのshort rangeの機能については翅以外の系では解析されていない。そこで、論文提出者は肢におけるHhのshort rangeの機能に焦点を絞って研究を行った。

 論文提出者は、hhの温度感受性変異体hh9kを許容温度で飼育すると翅において中央領域のみがなくなるというHhのshort rangeの機能が欠失したような表現型を示すことを見出した。このハエでは、肢においても先端節の腹側のhairや背側の先端のbristleといった中央領域の構造物が欠失していることがわかった。また、高レベルのHhシグナルのみを伝達すると言われている、セリン/スレオニンキナーゼをコードするfused(fu)遺伝子の変異体fu1のヘミ接合体においても同様に中央領域の構造物が欠失する表現型がみられた。これらの結果から、肢の中央領域の正常なパターン形成には高レベルのHhシグナルが必須であることが示された。

 論文提出者は、このHhの機能に関わる新規遺伝子を得るため、エンハンサートラップ系統のスクリーニングを行い、肢原基の前後境界領域で特異的に発現制御される遺伝子を探索し、新規のII型膜蛋白質をコードする遺伝子pxbを単離した。pbxは肢原基の前部区画特異的に発現し、3齢幼虫中期から後期では前後境界領域で抑えられていた。pxbの転写の抑制が、許容温度で飼育したhh9kでは見られないことから、pxbの転写は高レベルのHhシグナルにより負に制御されていることがわかった。

 pxbのnull変異体では成虫肢に異常はみられなかったが、Gal4/UASの系を用いて前後境界領域でpxbを異所発現させると、肢の腹側のhairやscutellumのbristleの数が減少し、許容温度で飼育したhh9kと同様の表現型を示した。このことから、Pxbは高レベルHhシグナルを抑制する機能を持つことが示された。また、HhのリセプターであるPtcが発現していない後部区画にpxbを異所発現させても、前部区画の前後境界領域でhairの減少が見られたことから、Pxbが、HhがPtcと結合する前にHhに作用し抑制因子として働くことが示唆された。

 肢原基の前後境界領域においては、wg及びdppもHhにより発現が誘導される。そこでRNA interferenceの系を用いて、Wg及びDppの発現を減少させたところ、Dppの減少による背側のbristleの消失は見られなかったが、Wgの減少によって腹側のhairがほぼ完全に消失した。よって、肢の中央領域の腹側では高レベルのWgシグナルが、hairの形成に関して正に働いていることがわかった。Dppについては翅と同様に肢の中央領域のパターン形成には関与していないと考えられた。また、モザイク解析により、Wg及びDppシグナルはpxbの抑制には関与しないことが示された。

 これらの結果から、肢の前後境界領域においては高レベルのHhはpxbの抑制とwgの誘導という2つの機能を持つことが示された。PxbはHhシグナルの抑制因子として働くことから、肢の前後境界領域ではpxbの抑制を介した正のフィードバック機構が働いており、それにより維持される高レベルのWgシグナルがhairの形成に関して正に働いていることが示唆された。

 以上のように、論文提出者は本論文において、Hhの肢の中央領域における新たな機能と、そのシグナル伝達の新たな制御機構についての重要な知見をまとめている。

 なお、本論文は小嶋徹也、上田龍、及び西郷薫との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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