学位論文要旨



No 117472
著者(漢字) 西川,明日香
著者(英字)
著者(カナ) ニシカワ,アスカ
標題(和) 生理機能の解明を指向したPhosphatidylinositol-3,5-bisphosphateの合成
標題(洋)
報告番号 117472
報告番号 甲17472
学位授与日 2002.04.10
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1006号
研究科 薬学系研究科
専攻 分子薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橋本,祐一
 東京大学 教授 大和田,智彦
 東京大学 教授 小林,修
 東京大学 教授 柴�ア,正勝
 東京大学 助教授 長澤,和夫
内容要旨 要旨を表示する

【背景・目的】

 Phosphatidylinositol(PI)類は他のリン脂質と共に生体膜を構成する脂質であり、細胞外刺激により活性化された酵素群の働きでイノシトール環上の水酸基がリン酸化/脱リン酸化され、セカンドメッセンジャーとして働くことが知られている。近年発見されたphosphatidylinositol 3,5-bisphosphate(PI 3、5-P2(1)、Figure 1)1は、ゴルジ体や液胞形成など細胞膜輸送に関わっていると考えられているが、細胞内濃度が極めて低く生化学的手法では入手困難であることが大きな制約となり、1がどの様な分子を介して機能しているのかは明らかでない。本研究では未だ発見されていない1の細胞内結合タンパク質の探索を目的として、PI 3,5-P2 APB(2a)及びPI 3,5-P2 C4(2b)を設計し、その立体選択的合成を計画した。

【合成戦略】

 PI類はメゾ体であるグリセロール(3)とmyo-イノシトール(4)がリン酸ジエステル結合を介して結合し、それぞれが非対称化されることで初めて光学活性な分子として存在する(Figure 2)。2a、2bの合成を行うに際し水酸基が適切に保護された光学活性なmyo-イノシトール誘導体5を重要中間体として設定したが、5を4から合成する方法では光学分割による収率の半減が回避できない。そこで光学活性なD-グルコース(8)を出発原料とし、7→6への分子内RCM反応、6→5への面選択的な四酸化オスミウム酸化反応を鍵反応として、5を8から立体選択的に合成する計画を立てた(Scheme 1)。

【シクロヘキセン6の合成】

 グルコース誘導体9より合成したアルデヒド10に対する、立体選択的な1,2-付加反応によりsyn-11を合成する目的で、求核剤として臭化ビニルマグネシウムを試みたところ立体選択性はほとんど認められなかったが(Scheme 2、Table 1、entry 1)、対応する有機銅試薬では目的とするsyn-11のみを得た(entry 2)。この立体選択性は5員環キレーション構造12において、立体障害の少ない紙面左側から有機銅試薬が接近したためであると考えている(Figure 3)。

 次いでsyn-11の水酸基をベンジル基で保護した後、脱アセタール化反応に続くアノマー位へのWittig反応により7とし、これを閉環メタセシスによりシクロヘキセン6とした(Scheme 3)。

【面選択的な四酸化オスミウム酸化によるイノシトール骨格の構築】

 シクロヘキセンの3位置換基に対しsyn方向から面選択的にジオールを導入するため、Rを種々の保護基に変換した6,13-15への触媒的四酸化オスミウム酸化を検討した(Scheme 4、Table2)。RにPMB基や2-methoxybenzyl基を導入した6や13(entry 1、2)、立体的に嵩高い14(entry3)では立体選択性が見られなかったが、ベンゾイル基を導入した15では、目的とするsyn-19を優先的に得ることができた(entry 4)。

 この立体選択性発現の理由については、ベンゾイル基のカルボニル酸素の四酸化オスミウムに対する配位効果によるものと考えている(Figure 4)。

【PI 3,5-P2(2a、2b)の合成】

 syn-19のベンゾイル基をPMB基に置換して5とした後、イノシトールの1位水酸基のみをベンゾイル化して21を得、さらに2位水酸基へのBOM基導入に続き、脱ベンゾイル化を行い22を合成した。これを別途合成したジアシルグリセロアミダイト23と縮合させた後、PMB基の脱保護、リン酸エステル基の導入を行い、最後に接触還元にて脱保護し2a、2bをそれぞれナトリウム塩として得た(Scheme 5)。

【ヒト胃ガン細胞株NUGC4からのPI 3,5-P2(1)の結合タンパク質の探索】

 合成した2aをAffigel 10に結合させてアフィニティークロマトグラフィー用坦体を調製し、これを用いて1の結合タンパク質の探索を行った。その結果、ヒト胃ガン細胞株NUGC4より1に特異的に結合すると考えられる約45kDのタンパク質を見いだした。

【結語】

 細胞膜輸送に関与すると考えられている1の結合タンパク質を探索することを目的とし、グルコース誘導体より有機銅試薬のアルデヒド10への高ジアステレオ選択的な1,2-付加、面選択的四酸化オスミウム酸化を鍵反応としたmyo-イノシトール骨格の構築法を開発し、2a、2bの立体選択的合成に成功した2。さらに2aを活用することで、世界に先駆けてPI 3,5-P2の特異的な結合タンパク質の候補を検出するに至り、化合物の有用性と共に1の特異的結合タンパク質の単離・同定が実現しうることを示した。

Figure 1

Figure 2

Scheme 1

Scheme 2

Figure 3

Table 1

Scheme 3

Scheme 4

Table 2

*syn、antiはイノシトール3位置換基に対する相対配置を示す。

Figure 4

Scheme 5

審査要旨 要旨を表示する

 Phosphatidylinositol(PI)類は生体膜を構成する脂質の一種であり、細胞外の刺激により活性化される各種酵素によってイノシトール環の水酸基がリン酸化/脱リン酸化を受け、それぞれが特異的なセカンドメッセンジャーとして機能するとされている。近年発見されたphosphatidylinositol 3,5-bisphosphate(PI 3,5-P2(1):図1)は、新たなPI系セカンドメッセンジャーとして注目されており、各国の研究陣がその結合蛋白の探索に着手しているが、未だ成功例はない。その主たる要因は、研究に供する十分量のPI 3,5-P2を天然から入手する方法が未だ確立できておらず、加えて天然PI 3,5-P2の合成法が確立されていないこと、にある。

 このような状況の下に西川は、PI 3,5-P2の生物学的機能解析のための使用に耐えるPI 3,5-P2類縁体の合成を通じて上記問題を解決し、更にはPI 3,5-P2特異的結合蛋白を探索するという作業仮説を構築した。

 すなわち西川は、所属研究室に集積しているPI類の構造活性に関する実験結果からその生物学的同効性がほぼ確立している、天然PI 3,5-P2のグリセロール2位の不飽和脂肪酸を短鎖飽和脂肪酸にて代替えしたPI 3,5-P2C4(2b)及びそのアフィニティゲル化に供するための誘導体PI 3,5-P2APB(2a)(図1)を設計し、その立体選択合成法を確立した。

 光学活性PI類の立体選択的な合成を行うには、シクロヘキサン環上の6個の水酸基がそれぞれ適切に保護された、光学活性myo-inositol誘導体8をいかに効率良く合成するかが鍵となってくる。そこで西川は、D-グルコース(3)を出発原料とし、その2,3,4位水酸基の有する立体化学を活用することにより、8を立体選択的に合成することを計画した(スキーム1)。即ち、3をアルデヒド4に導いた後、立体選択的な1,2-付加反応によりsyn-5を合成する目的で、臭化ビニルマグネシウムとの反応を試みたところ、CuBr-Me2Sを共存させることにより、選択的に望むsyn-5が得られることを見いだした。さらに得られた5をジエン6に導いた後、分子内閉環オレフィンメタセシス反応(RCM)により効率良くシクロヘキセン7を得ることに成功した。そこで次に、得られたシクロヘキセン7に対し3位水酸基に関してsyn方向から面選択的にジオールを導入することを目的とし、3位水酸基を種々の保護基Rで保護した基質7a-7cに対する触媒的四酸化オスミウム酸化反応の検討を行った。その結果、ベンジルエーテルやシリルエーテルで保護した7a、7bの場合には面選択性は見られなかったが(50:50)、ベンゾイル基で保護した7cの場合には、ほぼ完全な面選択性(98:2)で酸化反応が進行することを見いだし、望む8cを立体選択的に得ることに成功した。これは、ベンゾイル基のカルボニル酸素の四酸化オスミウムに対する配位効果によるものと考えられる。以上の様にして得られた8cは、水酸基の保護基の変換をへて9へと導き、別途合成したジアシルグリセロアミダイト10と縮合させた後、リン酸エステル基の導入、脱保護を行うことによりPI3,5-P22a,2bの立体選択的合成に成功した(スキーム2)。

 次いで西川は、合成に成功したPI 3,5-P2APB(2a)をゲル単体に結合させ、これを用いてPI 3,5-P2特異的結合蛋白の探索を行った。各種ヒト培養細胞から調整した蛋白抽出物をスクリーニングした結果、ヒト胃ガン細胞株NUGC4より、約45kDaのPI 3,5-P2特異的結合蛋白を検出するに至った。本蛋白は、類縁のPI3やPI 4,5-P2には結合せず、PI 3,5-P2受容体の有力な候補と考えられる。

 以上、西川は、PI 3,5-P2類の立体選択的合成を達成し、かつそのバイオプローブとしての有用性を証明し、世界に先駆けてPI 3,5-P2特異的結合蛋白の候補を検出してその同定が実現しうることを示した。

 よって本研究は、分子設計及び有機合成を通じてPI3,5-P2系情報伝達の分子論的解明に向けての端緒を開くものであり、有機化学・細胞生物学の更なる発展に寄与するものであり、博士(薬学)の学位を授与するに値するものと認めた。

Figure 1

Scheme 1

Scheme 2

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