学位論文要旨



No 117478
著者(漢字) 大野,威
著者(英字)
著者(カナ) オオノ,タケシ
標題(和) 職場における「強制」と「同意」 : リーン生産方式労働の参与観察にもとづく考察
標題(洋)
報告番号 117478
報告番号 甲17478
学位授与日 2002.04.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(社会学)
学位記番号 博人社第356号
研究科 人文社会系研究科
専攻 社会文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 庄司,興吉
 東京大学 助教授 松本,三和夫
 東京大学 助教授 武川,正吾
 東京大学 助教授 佐藤,健二
 早稲田大学 教授 河西,宏祐
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は、職場のあり方-とくにリーン生産方式における職場のあり方-を、「強制」と「同意」という2つの観点から批判的に分析しようとするものである。

 これまで、職場のあり方が批判される場合は、もっぱらその「強制」的側面が批判の対象になってきた。「強制」的側面というのは、禁止や抑圧あるいは命令=統制にかかわる側面のことをいう。たとえばテーラー・システムは、労働の遂行様式を厳格に統制(コントロール)するという点において批判の対象とされてきた。

 しかし、職場は、そのような「強制」という観点から批判・分析されるだけでは十分でない。職場には、労働者がみずから進んで仕事をしたり欠勤を抑制したりするよう仕向けていくさまざまな仕組み、あるいは、労働者が職場状況-管理や労働のあり方-を受け入れ、それに順応するように仕向けていくさまざまな仕組みがある。それは「自発」性を強制する仕組み、あるいは「同意」を強制する仕組みということができる。職場は、そのような「自発」性の強制、あるいは「同意」の強制といった観点からも批判・分析が進められていかねばならない。とりわけ、リーン生産方式についてはそうである。本文にあるように「自発性」を強制する、あるいは「同意」を強制するメカニズムはある程度どの職場にもそなわっているのであるが、リーン生産方式は、そうした仕組みの多さとその実際の効果において抜きんでたものになっているからである。

 本論文は、以上に述べたことを理論的・学説史的に整理するとともに、とくにそのような観点からリーン生産方式について実証分析をおこなっている。後者については2つの自動車メーカーでおこなわれた参与観察がもとになっている。

 各章のおもな内容は次のとおりである。

 第1章は、リーン生産方式の説明である。トヨタで生みだされたリーン生産方式は、フレキシブルで効率的な生産方式として、現在世界中の自動車メーカーで導入が進められている。そのリーン生産方式の基本思想は「徹底したムダの排除=徹底した原価低減」であり、在庫に代表される「物的ムダ」と過剰人員や作業上のムダといった「人的ムダ」の徹底排除により、フレキシブルで効率的な生産を可能としている。

 第2章は、リーン生産方式をめぐる論争の整理である。世界的な規模でリーン生産方式への関心が高まり、また実際に海外での移植・導入が進むにつれ、さまざまな議論がまきおった。とくにリーン生産方式の労働、労働組織、技能形成のあり方については、評価が大きく分かれ、現在も激しい論争が続いている。肯定的な立場をとる人々は、リーン生産方式は、生産にかんする多くの権限を現場の作業チームに委譲するとともに、多能工化などにより労働者の技能を拡大するものであると主張している。一方、批判的な立場の人々は、リーン生産方式における労働は、単純反復作業の組み合わせであるという点で、これまでとまったくかわるところがないと主張している。

 第3章では、筆者がおこなった参与観察という調査手法について、その系譜-参与観察がどのようにはじまり、いつごろ労働研究分野に導入され、どのような実証的、理論的成果を残しているか-が検討される。次にみるブラウォイの同意理論は参与観察をつうじて生みだされたものである。

 第4章では、ブラウォイの同意理論が検討される。ブラウォイは、テーラーシステムを原則とするような職場であっても、職場には自律的領域(労働者が自由に意思決定・判断できる領域)が残されていることを明らかにした。そのうえでブラウォイは、そのような自律的領域でインフォーマルに営まれるメイキングアウトのゲームによって、「自発」的によく働き、管理に「同意」する労働者主体が生み出されるとする同意理論を唱えている。

 第5章では、管理は、統制(コントロール)の観点からだけなく、自律性を方向付ける(=ディシプリン)の観点からも分析されなければならないことが明らかにされる。

 第6章では、X社の分析がおこなわれる。リーン生産方式を導入しているX社では、職場に一定の自律性が与えられると同時に、それを企業にプラスの方向で発揮させるメカニズム(協同責任・相互監視のメカニズム)が備えられていた。ただ、X社において、管理者は自律性の発揮のされ方を一様には規制しえておらず、そうした間隙を縫って職場では様々な非生産的・反生産的行為-暗黙の職場規制-が行われるに至っていた。

 第7章では、リーン生産方式をもっとも純粋な形で実現しているA社における労働のあり方が分析される。具体的には次のことが明らかにされる。A社の労働の質は、フォードシステムなど従来からある働き方と大きく異なってはいない。A社の特徴は、人々の「自発的」「積極的」労働を引き出す巧妙なメカニズムをそなえていることにこそある。ただ、A社の仕組みも完全なものではなく、職場では非生産的なさまざまな慣行がおこなわれていた。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、日本の自動車工業に始まり世界に波及して、国際的な論争の対象となったリーン生産方式(トヨタ生産方式)について、その正確な実態を把握し、それが肯定派のいうように労働者の自主性を尊重したものなのか、それとも批判派のいうように、労働者の自発性を尊重するように装いながら、じつは労働者をより徹底して効率的に働かせるものなのかについて、これまでの諸論を整理しつつ、それらを自らの参与観察に基づいて吟味して検討したものである。題目は、この生産方式においては、職場における労働者への労働に向けての「強制」が、一見そうではないかのように構造的に行われ、結果的に労働者が自発的に働いているかのように「同意」が調達されていることを意味している。

 全体は序章、本論5章、終章、および補論からなる。著者はまず、序章でこの世界的に波及した生産方式の実態を明らかにすることの意義を説いたのち、第1章で、提唱者の議論などを忠実にフォローしながら、「JIT」(ジャストインタイム)と「自働化」とを2本柱とするこの生産方式が、「徹底したムダの排除」を基本思想とし、物的ムダと人的ムダ双方の排除においてそれを実現する仕組みであることを明らかにする。そして第2章では、この生産方式をめぐってこれまで展開されてきた論争を整理し、ジョブ・ローテーション、ローテーション、多能工化、QC(品質管理)や提案制度による改善活動、チーム制などを特徴とするこの方式につて、肯定派が、労働者の自律性の増大、助け合いの促進、非権威主義的な管理構造などを評価してきたのにたいして、批判派は、それらが結局は高い労度密度と厳格な労働管理に帰着している点を批判してきたことを指摘している。

 続いて第3章で、著者は、テーラーシステムをめぐる労働過程論争の展開にまで遡及し、従来の本質論的労働者主体把握を越えたブラウォイ、ナイツ、クレッグなどの説を援用しながら、フーコー的な「主体化」論を具体化する形でリーン生産方式を分析することがもっとも適切であることを示唆する。そのうえで第4章と第5章では、著者が自ら雇用されて働き、参与観察を行った2つの自動車工場での体験を詳細に分析し、労働とは本来こういうものであるというような本質主義に立たず、現場での労働過程に自らの身体を投じてこの生産方式の現実の作動を謙虚に見るかぎり、リーン生産方式は、それを組み込んだ工場の構造をつうじて労働者を徹底して無駄なく労働するよう「強制」しながら、それをそうは感じさせないようなやり方で労働者の「同意」を取りつける、巧妙なシステムであることを明らかにしている。これらをふまえて終章では、そういう角度から「肯定派の虚構」が批判され、補論では、自らの実施した参与観察を研究史の文脈に位置づけるべく、マリノフスキーやシカゴ学派から労働研究分野に波及した参与観察の歴史が整理されている。

 このように、この論文の最大の特徴は、労働・産業社会学の分野で国際的な論争の対象となってきたリーン生産方式について、その仕組みを提唱者などの主張に即してできるだけ客観的に把握したうえで、それをめぐる論争を丁寧に整理しつつ自らの視点と理論を明確にし、それにたいして最終的には自らの参与観察の冷静かつ詳細な分析をとおして裏付けを与えている点にある。この点で本論は、リーン生産方式をめぐるこれまでの論争に1つの決着をつける画期的なものといえる。第3章でテイラー・システムにまで戻って議論をやり直す部分について、そこまでの必要があるかどうかなどの指摘もあったが、それらはいずれも本論の高い価値を傷つけるものではまったくないといってよい。

 それゆえ、審査委員会は、本論文が博士(社会学)の学位を授与するに値すると判定する。

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