学位論文要旨



No 117479
著者(漢字) 久保,健一郎
著者(英字)
著者(カナ) クボ,ケンイチロウ
標題(和) リーリンシグナルを伝達する分子メカニズムの解析
標題(洋) Analysis of the molecular mechanisms that mediate Reelin signaling
報告番号 117479
報告番号 甲17479
学位授与日 2002.04.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2017号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井原,康夫
 東京大学 教授 桐野,高明
 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 教授 竹縄,忠臣
 東京大学 教授 山本,雅
内容要旨 要旨を表示する

 哺乳類の中枢神経系では、大脳、小脳、海馬など、神経細胞が脳の表面に並行して規則正しく配置する層構造が見られる。このうち大脳皮質では、各々の層毎に特徴的な形態と繊維連絡をもつ神経細胞群が整然と配置する6層の多層構造が形成される。この多層構造の各層内の神経細胞は、脳室近く(脳室帯)で誕生し、脳表面の軟膜方向へ向かって移動し、規則的な配列をとって層構造を形成する。常染色体劣性遺伝を示すリーラー(reeler)突然変異マウスは、この神経細胞の配置が乱れて全体として逆転することから、約半世紀前より多くの研究者に研究されてきた。最近、このリーラーマウスの変異遺伝子座と、そこに存在するリーリン(reelin)遺伝子が同定された。reelin mRNAは、3461アミノ酸から成る蛋白質をコードする。Reelin蛋白質は、分子量が400kに及ぶ細胞外マトリックス様分子で、脳発生過程において、大脳皮質の最表面に位置するCajal-Retzius細胞から分泌される。本研究において申請者は、このReelin分子を中心に、脳皮質形成を制御する分子メカニズムについて解析した。

 近年、細胞内のリン酸化アダプター蛋白質であるDisabled1(Dab1)の変異がリーラーと同様の表現型を示すことが発見され、Dab1がReelinのシグナルカスケードの下流に存在することが示唆された。実際、神経細胞の分散培養にReelinを添加すると、Dab1のチロシンリン酸化が誘導される。これらのことから、細胞外に分泌されたReelinが、細胞表面上のなんらかの受容体に結合して、細胞内のDab1のリン酸化を誘導することが予想された。そこで、申請者は、Reelin分子が結合する蛋白質をスクリーニングすることにより、Reelinのシグナル伝達に必須な分子の同定を試みた。

 cDNA libraryを株化細胞(293T)に導入・発現させ、Reelinをコートした培養皿上にまいて、洗浄後、残った細胞からcDNAを回収する作業をくり返すことにより、Reelinに結合する分子を持つ細胞を濃縮した。その結果、意外にもreelin cDNAそのものが次第に濃縮されてくることを見いだした。この結果は、Reelin分子間のホモフィリックな結合の存在を示唆したので、このReelin同士のホモフィリックな結合を、異なったエピトープタグをつけたReelin分子の免疫共沈降によって生化学的にも証明した。すなわち、FLAGタグまたはHAタグをつけたReelinを混合し、FLAGタグで免疫沈降を行うと、HAタグをつけたReelinも沈降した。FLAGタグをつけたReelinがない時にはHAタグをつけたReelinは落ちてこず、FLAGタグを付けたReelinがHAタグをつけたReelinと会合していることが証明できた。

 そこで次に、Reelin分子は何分子が互いに会合するのかを検討した。Reelinは単量体でも分子量400kの大きな蛋白質であることから、Reelin分子を電気泳動する際にアガロースPAGE法を用いることにより、会合体の分子量を調べた。無血清条件下で培地中に分泌されたReelinは、還元剤の非存在下では、2量体に当たる分子量にシフトした。これは架橋剤を用いても同様で、3量体以上の多量体は検出されなかった。血清存在下ではさらに大きな分子量をとりうるが、多くは2量体として存在するという結果が得られた。脳のサンプルを用いても同様の結果が得られ、生体内でもS-S結合による2量体を基本構造として存在すると考えられた。

 丁度この頃、他研究者により、偶然に、リポ蛋白質の受容体であるvery low density lipoprotein receptor(VLDLR)と、ApoE receptor2(ApoER2)のダブルノックアウトマウスが、リーラーと同様の表現型を示すことが見いだされた。そこで申請者が独自に検証した結果、ApoER2は直接Reelinに結合することが生化学的に明らかになった。リポ蛋白質受容体は、細胞内でDab1と結合することが既に知られていたことから、以上の結果は、2量体のReelin会合体が受容体に結合し、細胞内のDab1をチロシンリン酸化するシグナル伝達経路の存在を強く示唆した。さらに現在までに、cadherin-related neuronal receptors(CNRs)とalpha3betal integrinも生化学的にReelinに結合する受容体として報告されている。しかし、これらの受容体はいずれも細胞内にチロシンキナーゼ活性をもたないため、Reelinが如何にDab1をチロシンリン酸化するかが、次に明らかにされるべき最も重要な問題となった。

 さて、Reelinが互いに会合することは、細胞外において、複数のReelin受容体がリガンドを介して架橋される可能性を示唆する。また、Dab1は、細胞内のチロシンキナーゼであるSrcファミリーチロシンキナーゼによってチロシンリン酸化を受けうることが既に試験管内では知られていた。果たしてReelinによって誘導されるDab1のチロシンリン酸化がSrcファミリーチロシンキナーゼによるものであるか否かを検証するために、Srcファミリーの阻害剤であるPP2、及び対照としてPP3で処理して、リーリンによるDab1のチロシンリン酸化誘導に与える影響を調べた。PP2で処理した際にのみ、リーリンによるDab1のチロシンリン酸化誘導が特異的に阻害された事から、培養細胞においてDab1がSrcファミリーチロシンキナーゼによってリン酸化されることが初めて確かめられた。そこで、申請者は、Srcファミリーのチロシンキナーゼが濃縮されていて、細胞膜上の受容体の架橋によりシグナル伝達分子が集積する、細胞膜上のラフト構造が、Reelinのシグナル伝達に関わっているのではないかとの仮説を立てた。ラフトは、界面活性剤不溶性糖脂質複合体(detergent-insoluble glycolipid-rich complexes,DIG)とも呼ばれ、コレステロールとスフィンゴ糖脂質によって作られる特異な構造体である。低温で界面活性剤に不溶性で、密度勾配にかけると浮遊性画分として回収される。そこでまず、Dab1がラフトでチロシンキナーゼと共存しているかどうかを調べてみた。

 マウス胎仔の脳からラフト画分を精製し、Western Blotにより解析すると、報告されていたようにSrcファミリーのチロシンキナーゼはラフト画分に多く存在した。Dab1はラフト画分には少量しか含まれなかったが、Dab1に特異的な抗体で免疫沈降によりDab1を精製したところ、ラフト画分に存在するDab1は可溶性画分よりはるかに少ないにも関わらず、チロシンリン酸化はむしろ全体量としても多く、ラフトでDab1が高度にリン酸化されていることが示された。

 次に、Dab1のラフトヘの局在がReelinに依存しているか否かを調べるために、reelerの皮質細胞を初代培養して、Reelinを添加した。その結果、最初は可溶性画分に存在していたDab1が、Reelin処理により時間経過とともにラフト画分に移行することを発見した。このとき、可溶性画分とラフト画分からDab1を免疫沈降してみると、Dab1蛋白質あたりのチロシンリン酸化は、ラフト画分において五倍程度亢進していた。

 次の問題は、Dab1のラフトヘの移行が、チロシンリン酸化の結果として起こる現象であるのか、逆に移行した結果としてラフト内でリン酸化されるのかである。この点に答えるために、Srcファミリーの阻害剤であるPP2、及び対照としてPP3で処理して、リーリンによるDab1の不溶性画分への移行に与える影響の有無を調べた。その結果、PP2によってDab1のリン酸化が阻害された条件下であっても、対照と同様に、リーリンによる不溶性画分への移行は認められた。

 次に、ラフトの存在が、ReelinによるDab1リン酸化のために必要であるかどうかを検討するために、ラフトを破壊して、その影響を調べた。その結果、ラフトを破壊した後では、ReelinによるDab1のリン酸化は著しく減少した。以上の結果から、ラフトが、ReelinのDab1へのシグナル伝達に非常に重要な役割を果たしていることが明らかになった。

 さらに、Dab1のラフトへの移行が、その後のチロシンリン酸化にとって十分条件でありうるかを検討した。まずは、細胞内分子をラフトに強制的に局在化させるシグナル(CAAX)を、Dab1のC末に付けた。Neuro2A細胞に強制発現させると、CAAXシグナルを付けたDab1は、Reelin非存在下でも高度にチロシンリン酸化されるのが観察された。そこで、Reelinシグナル伝達に必須とされるDab1上のチロシンをフェニルアラニンに置換し、Reelin依存的なチロシンリン酸化を受けなくなるように変異させた5F-Dab1に、CAAXシグナルをつけて同様の実験を行ったところ、チロシンリン酸化は見られなかった。この結果は、Reelin非存在下で強制的にラフトへ局在させたDab1で見られた高度のチロシンリン酸化は、Reelinシグナル伝達に必須のチロシンで起こったことを意味する。さらに、以上のDab1の変異体を培養神経細胞に導入した。するとやはりCAAXをつけたDab1でのみ、高度のチロシンリン酸化が見られた。以上より、ラフトに移行したDab1は、Reelinが存在しなくても、移行することのみで本来のチロシンリン酸化が効率的に誘導されることが分かった。最後に、発生期の大脳皮質におけるラフトの局在を可視化したところ、確かに、Reelinの機能部位とされている辺縁帯に非常に濃縮されていることが確認できた。この結果は、in vitroの系で得られた上記のラフトを介した機構が、in vivoにおいても機能していることを強く示唆する。

 従来報告されていたReelinの受容体は、いずれも細胞内にチロシンキナーゼ活性をもっていないため、Reelinが如何にDab1をチロシンリン酸化するかが最重要な疑問であった。本研究により、Reelin会合体(2量体)の受容体への結合は、Dab1のラフトヘの移行を引き起こし、その結果として、ラフトに存在するチロシンキナーゼによってチロシンリン酸化を受け、さらに下流へとシグナルを伝達することが分かった。皮質層構造という高度に秩序付けられた形態形成を可能にするうえで、細胞の極性化と効率的なシグナル伝達の両方に関わるラフトが、重要な役割を担っていると考えられる。Reelin-Dab1シグナル伝達経路の生体内での役割は、今をもって判然としていないが、本研究によって、その解明に新たな視点が加わった。また、Reelinのシグナル伝達経路において、受容体を共有するApoEを初め、アルツハイマー病に関連した分子がしばしば登場することも関心を呼んできたが、ラフトはアルツハイマー病を引き起こすAβが作られ蓄積される場所として知られており、発生過程と病的過程の新たな接点が明らかになった。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は哺乳類中枢神経系の層構造の形成に必須であるリーリンシグナルの伝達メカニズムを明らかにするため、リーリン分子の多量体形成とその下流に存在するDab1のチロシンリン酸化のメカニズムについて解析し、下記の結果を得ている。

1)Reelin同士のホモフィリックな結合を、異なったエピトープタグをつけたReelin分子の免疫共沈降によって生化学的に証明した。

2)Reelin分子は何分子が互いに会合するのかを検討した。Reelinは単量体でも分子量400kの大きな蛋白質であることから、Reelin分子を電気泳動する際にアガロースPAGE法を用いることにより、会合体の分子量を調べた。無血清条件下で培地中に分泌されたReelinは、還元剤の非存在下では、2量体に当たる分子量にシフトした。これは架橋剤を用いても同様で、3量体以上の多量体は検出されなかった。脳のサンプルを用いても同様の結果が得られ、生体内でもS-S結合による2量体を基本構造として存在すると考えられた。

3)機能阻害抗体によって認識されるReelinのN末部分を欠損させると、2量体にとどまらずに3、4量体も形成した。一方でDab1のチロシンリン酸化誘導能も低下する事から、N末は規則正しい2量体形成と、効率的なDab1のチロシンリン酸化の両方に重要な役割を持つ可能性がある。

4)変異体の作成によりReelinはC末でリポ蛋白受容体と結合する事が明らかになった。

5)Reelinによって誘導されるDab1のチロシンリン酸化がSrcファミリーチロシンキナーゼによるものであるか否かを検証するために、Srcファミリーの阻害剤であるPP2、及び対照としてPP3で処理して、リーリンによるDab1のチロシンリン酸化誘導に与える影響を調べた。PP2で処理した際にのみ、リーリンによるDab1のチロシンリン酸化誘導が特異的に阻害された事から、培養細胞においてDab1がSrcファミリーチロシンキナーゼによってリン酸化されることが強く示唆された。

6)reelerの皮質細胞を初代培養して、Reelinを添加すると、最初は可溶性画分に存在していたDab1が、Reelin処理によりSrcファミリーのチロシンキナーゼが濃縮されているラフト画分に移行することを発見した。このとき、Dab1蛋白質あたりのチロシンリン酸化は、ラフト画分において高度に亢進していた。

7)ラフトを破壊した後では、ReelinによるDab1のリン酸化は著しく減少した。このことから、ラフトが、ReelinのDab1へのシグナル伝達に非常に重要な役割を果たしていることが明らかになった。

8)さらに、Dab1のラフトヘの移行が、その後のチロシンリン酸化にとって十分条件でありうるかを検討した。細胞内分子をラフトに強制的に局在化させるシグナル(CAAX)を、Dab1のC末に付けた。CAAXシグナルを付けたDab1は、Reelin非存在下でも高度にチロシンリン酸化されるのが観察された。Reelinシグナル伝達に必須とされるDab1上のチロシンをフェニルアラニンに置換し、Reelin依存的なチロシンリン酸化を受けなくなるように変異させた5F-Dab1に、CAAXシグナルをつけて同様の実験を行ったところ、チロシンリン酸化は見られなかった。この結果は、Reelin非存在下で強制的にラフトへ局在させたDab1で見られた高度のチロシンリン酸化は、Reelinシグナル伝達に必須のチロシンで起こったことを意味する。

 以上、本論文は、Reelin会合体(2量体)の受容体への結合は、Dab1のラフトヘの移行を引き起こし、その結果として、ラフトに存在するチロシンキナーゼによってチロシンリン酸化を受けて下流へとシグナルを伝達することを明らかにした。従来報告されていたReelinの受容体は、いずれも細胞内にチロシンキナーゼ活性をもっていないため、Reelinが如何にDab1をチロシンリン酸化するかが最重要な疑問であった。皮質層構造という高度に秩序付けられた形態形成を可能にするReelin-Dab1シグナル伝達経路の全容の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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