学位論文要旨



No 117486
著者(漢字) 青木,栄一
著者(英字)
著者(カナ) アオキ,エイイチ
標題(和) 現代日本の教育行財政における政府間関係 : 公立学校施設整備事業の制度と実施過程を素材にして
標題(洋)
報告番号 117486
報告番号 甲17486
学位授与日 2002.05.08
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第83号
研究科 教育学研究科
専攻 総合教育科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小川,正人
 東京大学 教授 浦野,東洋一
 東京大学 助教授 根本,彰
 東京大学 教授 汐見,稔幸
 東京大学 教授 金子,元久
内容要旨 要旨を表示する

 本論文の課題は、現代日本の教育行財政における政府間関係を制度と実施過程の両面から分析することである。

 本論文の構成は、まえがき、序章、第I部(第1章〜第5章)、第II部(第6章〜第II章)、終章である。

 序章では本論文の課題が詳述される。まず先行研究の分析枠組の特徴が指摘される。第1に分析対象が文部省と地方教育委員会(以下、地方教委)との関係に集中していた。第2に文部省所管の公式制度を分析対象としていた。この分析枠組から導かれた先行研究の主張は、文部省は地方教委の動向とは独立して政策立案を行い、かつ制度を創設、改変することが可能であり、地方教委は文部省の立案した政策を実施するにすぎない従属状態におかれているというものである。これに対して本論文では政治学・行政学における政府間関係論を援用することで、先行研究とは異なる分析枠組が構築される。

 つぎに以下のような政府間関係論の主たる特徴が指摘される。第1に従来地方自治体として認識されていた地方公共団体を、地方政府として認識する点である。政府とは立法、行政、司法機能を担うものであり、現在のわが国はすでにこの機能を十分に担っていると認識される。この政府概念によって、地方政府は自律的に政策を立案、実施するものとして把握される。第2に従来の中央地方関係論では中央政府と地方政府との関係を分析対象としていたが、政府間関係論は地方政府同士の関係も分析対象としている点である。つまり都道府県と市町村、都道府県同士、市町村同士の関係が分析対象とされる。

 さらに先行研究と対比しつつ以下のような本論文の分析枠組、分析対象が述べられる。第1に、分析対象を文部省と地方教委との関係だけにとどめず、文部省と都道府県教育委員会(以下、県教委)との関係、県教委と市町村教育委員会(以下、市教委)との関係、県教委同士の関係、市教委同士の関係を分析対象とする。

 さらに、文部省や教育委員会にとどまらず他省庁や首長部局をも分析の対象とする。第2に、政策の立案、実施や制度創設、改廃をめぐって、先行研究とは異なり行政組織だけではなく政治団体についても分析の対象とする。第3に、地方政府は後述する意味においては自律的行動が可能であり、政策立案、実施いずれの局面においても中央政府に従属しているものでないという前提に基づいて分析を行う。

 以上の点をふまえて以下のような本論文の分析視角が設定される。第1に、行政組織同士の関係への着目である。この関係では従来は、中央政府の行政組織が地方政府の行政組織に対して政策を実施させるという構図が想定されていたが、加えて地方政府が中央政府へ自ら立案した政策を実現するために中央政府へ働きかけるという行動を抽出する。第2に、政治団体が政府間を通じた制度や実施過程に与える影響への着目である。先行研究では政治団体を分析枠組から捨象していたが、本論文では政治団体が中央政府の政策立案に与える影響や、地方政府の行動に与える影響を分析する。第3に、法令等に定められている個々の公式制度(狭義の制度)だけではなく、公式制度群が構成する構造である「制度」(広義の制度)をも分析視角に組み込んでいる。第4に、広狭両義の制度に加えて、制度が実際に機能する実施過程を分析する。先行研究では制度分析を通じて制度の実態をも論じているが、あくまで推測によるものであった。これに対して本論文では制度の機能が発現する実施過程も分析対象とし、制度や「制度」と実施過程との関係についても論じる。

 以上の点をふまえ以下のような本論文の理論的主張が提示される。すなわち、現在わが国の教育行財政の政府間関係において、地方政府は制度や「制度」に行動を枠づけられながらも、以下に述べる意味では「自律的」行動が可能であり、かつそのように行動しているというものである。

 これを明らかにするために、分析対象として公立学校施設整備事業(以下、施設事業)が選択される。その理由は、中央地方を通じた制度が整備されており、かつ中央地方を通じた政策実施を行うという構造になっており、政府間関係分析の対象として適切だからである。

 第I部「制度分析」

 第I部では施設事業に関する政策と制度が分析される。

 第1章「第1部の課題設定」では、序章の議論をふまえて第I部の作業課題が述べられる。

 第2章「戦後日本における公立学校施設整備事業の変遷」では、施設事業に関する政策(以下、施設政策)について以下の点が明らかにされる。第1に戦後、施設事業では財政制度の新設、改変等を通じて政策の実現を図られてきたことが示され、財政制度を分析する意義が確認される。第2に1980年代以降、施設政策の重点が量的整備から質的整備へと転換したことが示される。第3に政策転換以降文部省が制度の新設や改変を行う前には、地方政府の先進事例を参考にするという地方政府に依存した政策形成パターンが観察されるようになったことが示される。

 第3章「国庫支出金制度の変容」では、第2章で明らかにされた施設政策の転換が文部省所管の補助負担金予算額の変化として表れていることが示され、政策転換が制度面から論証される。具体的には、量的整備を主に担っていた負担金の予算額が児童生徒数の減少に合わせて減少傾向であること、その一方で質的整備を主として担う補助金の予算額が増加しつつあることが示される。

 第4章「市町村公立学校施設整備事業の財政統計分析」では、中央政府から地方政府への財政トランスファーのマクロ分析が行われる。全市町村の小学校費総額に占める施設事業費の算出と、施設事業費に占める中央政府からの財政措置(補助負担金、地方債、地方交付税)の割合を算出し、市町村が施設事業を行う場合、中央政府からの財政措置の比率が高いことが示される。この分析結果から、市町村の施設事業の実施においては中央政府による財政措置が不可欠であるという「制度」が成立していることが示される。

 第5章「財政制度の構造・機能と市町村財政との関連」では、中央政府から地方政府への財政トランスファーのミクロ分析が行われる。個別の市町村が施設の新増築事業を実施する場合の財源構成を算定し、総事業費に占める中央政府からの財政措置が8割を超える場合があることが示される。この分析結果から、個別市町村が事業を実施する場合、中央政府からの財政措置を不可欠としている「制度」が成立していることが示される。

 第4、5章の分析から、市町村が学校施設を整備する場合には中央政府に財源を依存しているという「制度」が明らかにされる。つまり市町村が施設整備を行う場合には完全に中央政府から独立して行うことは事実上不可能であることが指摘される。

 第II部「実施過程分析」

 第II部では政府間を通じた実施過程分析が行われる。第1部の政策分析、制度分析から明らかにされた制度と「制度」の制約下において、市町村や県教委は後述する意味では「自律的」に行動できることが示される。

 第6章「第II部の課題設定」では、序章の議論をふまえて第II部の作業課題が述べられる。

 第7章「実施過程の基本構造」では、文部省、県教委、市町村が構成する実施過程において、市町村に対して文部省や県教委が行うコントロールが観察できる局面が明らかにされる。つまり会合(研修会、会議)や補助負担金の申請手続き、事業完了後の検査という局面で市町村に対するコントロールが観察される。

 第8章「都道府県教育委員会の行動と機能」では、県教委について質問紙調査と聞き取り調査によって第7章で示されたような県教委のコントロール機能以外の機能が明らかにされる。つまり、第1に市町村との関係では市町村に対する財政面での配慮、技術的指導といった援助機能を担うこと、第2に文部省との関係では、文部省からの指導を受容するだけではなく市町村の事業計画を最大限実現させるために文部省に働きかけることが明らかにされる。

 第9章「教育政策をめぐる利益団体の活動と機能」では、利益団体である各都道府県の公立学校施設整備期成会(以下、県期成会)が分析される。県期成会は市町村が構成し、主として県教委が事務局を担当する団体である。分析の結果、第1に、県期成会は主催する研修会を通じて政策情報を文部省から市町村へ伝達する機能を担うと同時に、県独自の政策情報も市町村に共有させる機能を担うこと、第2に、県期成会は自らの政治的要求を中央政府に表明し、予算編成に影響を与えていることが明らかにされる。

 第10章「市町村の実施過程分析(1)」、第11章「市町村の実施過程分析(2)」では、それぞれ質問紙調査、聞き取り調査による市町村分析を通じて以下のことが明らかにされる。第1に、制度や「制度」の制約については、市町村は財源を中央政府に依存してはいるものの、そのことがただちに市町村の行動を完全に制約するものではないことが指摘される。その理由として市町村が事業実施に際して中央政府に依存した財源に加えて独自の財源の調達が可能であること(財源調達の自律性)が示される。第2に、県教委や文部省との関係では、市町村は県教委から指導を受けるだけではなく、場合によっては県教委に対して計画達成のために働きかけや陳情を行うなどの自律的行動を行うことが明らかにされる。第3に、他市町村との関係では市町村は事業実施に必要な政策情報等を他市町村から入手しており、県教委からの情報にのみ依存していないことが示される(情報収集の自律性)。

 終章では、これまでの分析をふまえて、現在では地方政府は制度や「制度」の制約下におかれているものの、その制約下では上述の意味において自律的行動が可能であることが序章の課題と対応する形で理論的に結論づけられる。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、公立学校施設整備事業(以下、施設事業)の負担・補助金制度の機能と政策実施過程の分析を通じて、国6都道府県・市町村の関係を軸に戦後教育行財政制度の構造を明らかにしようとしたものである。これまでの教育行財政制度研究の多くは、総じて、「垂直的行政統制モデル」と称される分析枠組みに依拠し、法制度の権限規定等の「静態的」分析に傾き国の集権的統制と自治体の自律的施策・事業遂行の脆弱さを描き出すという性格のものであった。それに対して、本研究は施設事業という政策領域を対象に政策実施過程に焦点をあてた法制度と政策の「動態的」分析を試みることで、国による限定的制約をうけつつも自治体が裁量的に政策・事業を実施することが可能であったこと、特に、施設事業の量的整備が確保され質的整備へと政策の基調が変化した1980年代以降は国と自治体の相互依存的な政策形成が進行する下で自治体の裁量的な政策・事業が広く実施されてきたことを明らかにして国・自治体関係と法制度研究に新たな知見を加えた。

 本論文は、本研究の課題と方法、分析枠組みを提示した序章と施設事業の政策・制度を分析した第I部(1章〜5章)、政策実施過程を分析した第II部(6章〜11章)、終章から構成されている。序章では先行研究の総括と問題が整理され本研究の政策過程研究の意義や政府間関係の分析枠組みが論じられている。第I部においては、第I部の課題設定(1章)の後、戦後の施設事業政策の変遷(2章)とその負担・補助金制度の成立・変容が分析され、負担・補助金が自治体の施設事業の実施にとって不可欠で施設事業のナショナルミニマム確保と格差是正に大きな役割を果たしてきたことを明らかにしつつ(3章、4章、5章)、量的整備から質的整備へと国の政策課題の重点が移行する1980年代以降に国の政策が自治体の施策・事業に依存していくという政策形成パターンの変容が見られ国と自治体の相互依存の関係が形成されてきたことを指摘している。第II部では、第II部の課題設定(6章)に続き、施設事業の実施過程の手続きと仕組みが明らかにされ(7章)、都道府県教育委員会の行動と機能は国の市町村に対する統制・管理を増幅するものではなく、市町村への基準伝達と援助助言・補助を主たる目的とするものであること(8章)、市町村は施設事業の財源を国に依存しながらも独自の財源調達=自主財源の投入で国基準を超える「継ぎ足し単独事業」を実施し裁量的な施策・事業を広く行ってきたことを指摘している(10章、11章)。加えて、行政機関内部の政策実施過程だけでなく施設事業の利益団体という政治的アクターも取りあげ自治体の施設事業要求の国への押し上げという政治的動態を分析している点も先行研究には見られない本論文の大きな特徴となっている(9章)。

 以上のように、本論文は、施設事業に関する政策・法制度の展開と機能変容、そして、その実施過程を綿密な資料統計と調査で分析・叙述することで戦後日本の教育行財政制度の構造を新たな視点から析出した優れた研究であり、又、政策の類型化にもとづく教育政策実施過程研究の先駆的研究ともなっていると評価された。

 よって、本論文は博士(教育学)の学位を授与するに値するものと判断された。

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