学位論文要旨



No 117487
著者(漢字) 内山,智裕
著者(英字)
著者(カナ) ウチヤマ,トモヒロ
標題(和) 農業経営の継承メカニズムの研究 : 無形資産に注目して
標題(洋)
報告番号 117487
報告番号 甲17487
学位授与日 2002.05.13
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2465号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農業・資源経済学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 八木,宏典
 東京大学 教授 谷口,信和
 東京大学 教授 生源寺,眞一
 東京大学 助教授 小田切,徳美
 東京大学 助教授 木南,章
内容要旨 要旨を表示する

 本論の目的は,農業経営の継承メカニズムを分析し,農業経営の継続性確保に向けた理論的基礎を提供することにある。

第I章:農業経営継承問題の論点

 第I章では,先行研究の整理および経営継承の動向把握を行い,本論の位置付けと分析視角の提示を行った。先行研究は,後継者問題からと新規参入問題からの2つの流れから整理し,従来の研究は専ら有形資産に注目していること,継承システムのオープン化が必要であることを示した。

 農業経営の無形資産継承に関連した研究蓄積として,経営者能力論と後継者育成論がある。経営者能力論では,後継者が労働者機能から経営者機能遂行へと至る「継承階梯」を提示している。後継者育成論は,後継者育成の「場」を議論しているが,その焦点は農家から地域へとシフトしており,継承当事者の「協調」と「闘い」の側面は軽視されている。

 以上の研究動向を鑑み,本論の位置付けを次のように行った。第一に,オープンシステムのフィージビリティの検証である。オープンシステム論は議論が先行しており,これを実態としても定着させることが問われている。第二に,無形資産への注目である。従来の研究は無形資産への注目が低いばかりでなく,継承階梯以外の継承メカニズム構成要素は不明である。第三に,無形資産継承の「場」としての継承当事者の関係性への注目である。無形資産の把握は困難であり,継承当事者間での意識ギャップを生じやすいため,経営者と後継者の関係性が重要となる。

 本論の課題は,(1)農業経営における無形資産に注目し,継承メカニズムの構成要素を明らかにする,(2)経営継承のオープンシステムのフィージビリティを検証する,の2点である。分析の枠組みは,経営者機能遂行に必要な熟練を主要な無形資産とし,経営者機能の権限委譲過程分析を通じて,その継承を把握する。熟練の特性は,特殊性と継承困難性から分類する。継承当事者の個性とその関係性については,経営者機能遂行の得手・不得手を経営者の個性として,人としての個性をFFS理論から把握する。また,経営者のライフサイクルに加え,事業体のライフサイクル(ビジネスサイクル)にも注目する。

 事例の選定は,(1)先進国における農業経営継承の視点から米国アイオワ州,(2)我が国農業の「多様な担い手」の視点から,家族経営と法人経営をそれぞれ位置付けた。

第II章:米国アイオワ州における農業経営の無形資産継承

 アイオワ州立大学ビギニングファーマーセンター(BFC)の取り組みとして,第三者継承マッチングプログラム(ファームオン)に注目し,BFCは情報提供に徹し,マッチングは当事者の主体性に任されていることから,ファームオンは現代版農業階梯の構築を目指す取り組みであると評価した。

 事例分析では,第三者継承の三事例を取り上げた。継承当事者の得意分野と権限委譲の関係について,継続事例では後継者の得意分野に応じた権限委譲であるのに対し,断念事例の権限委譲は後継者の得意分野と逆行していることから,後継者の得意分野について継承当事者間の評価に差がある場合,継承を阻害する可能1性を示した。

 また,継承密度概念を,継承密度=(後継者の不得意度の大きさ)×(熟練の特性)/(継承期間)という式で表した。継承密度の高低にかかわらず,円滑な経営継承を行うためには継承計画が重要となるが,アクシデント発生など想定外の事態における当事者の対応はその個性に依存するとの仮定からFFS分析を行った。その結果は,継承当事者間で「安定」志向の落差が大きいとアクシデント時に対立が深刻化することを示している。

 以上,(1)継承過程における後継予定者の得意分野に応じた権限委譲の有効性,(2)後継予定者の不得意分野・その熟練の特性・継承期間から規定される継承密度の重要性,(3)継承過程における「個性」の意義の3点を仮説的に示した。

第III章:我が国の家族経営における無形資産継承

 認定農業者アンケートの分析から,(1)継承当事者間にコミュニケーションの問題がある,(2)経営者機能のうち技術分野へ関心が集中している,(3)第三者継承への潜在的可能'性は低くない,の3点を示した。

 これを踏まえ,稲作(新潟県)・酪農(北海道)の第三者継承事例分析を行った。

 技術分野の熟練の内容として,作業体系,圃場毎の「クセ」(稲作),飼料作管理,牛・牛舎の「クセ」(酪農)等を抽出した。また,無形資産継承は短期間の指導とその後のアドバイスにより行い,後継者の不得意分野を見極めたものであることを明らかにした。

 第三者継承への意識については,「集落に対する責任感」,「農場が継続してほしい」という前経営者の思い,「一から始めるより優良経営を引き継いたほうが一歩リードできる」という後継者の判断などが見られた。また,後継者が経営資源をセットで獲得し,順調な経営成績をおさめていることを継承効果として示した。

 農業経営継承システムの課題については,北海道別海町を事例として取り上げた。後継者のいない経営者および就農をめざす研修牧場研修生の双方とも,一定期間引継ぎ研修を行った後に経営移譲を行うリレー方式に肯定的であり,潜在的需要は高い。しかし,FFS分析によれば,人としての個性と無形資産継承への意向との間には関連がみられる。したがって,体系的研修が可能な研修牧場と特殊熟練を有する個別経営者が,後継者育成に向け役割分担すべきであることを示した。そして,我が国では有形資産継承に支援が行われる結果,無形資産継承が不調に終わった場合「退場」するのは前経営者であり,無形資産継承が困難となっていることを示した。

第IV章:我が国の法人経営における無形資産継承

 法人のアンケート分析から,継承メカニズムの構成要素の有効性を確認した。

 無形資産継承の規定要因については,(1)継承当事者のライフサイクルが技術・財務分野の権限委譲を,(2)熟練の特殊性・継承困難性が雇用分野,(3)継承当事者の個性が戦略分野,(4)ビジネスサイクルが技術分野と販売分野のそれを,規定していることを示した。

 権限委譲ギャップについては,経営者機能毎の権限委譲の進行度と後継者の得意度との関係に注目し,(1)後継者の得意分野に応じた権限委譲を行う「順列型」,(2)後継者の得意分野に逆行した権限委譲を行う「逆列型」,(3)後継者の得意分野と無関係に権限委譲を行う「無列型」,に分類した。そして,逆列型は,(1)経営者の得意度,(2)継承当事者の個性の関係性,(3)ビジネスサイクル,の影響を受けていることを明らかにした。そして,権限委譲ギャップは,後継者の得意分野の権限委譲が遅れることで経営者との間にコンフリクトを生じさせるマイナス要因だけでなく,後継者の不得意分野を早期に権限委譲し,経験を積ませ後継者の不得意分野の克服を図るというプラス要因も存在することを示した。

 そして,農業法人では経営者のライフサイクルと法人のビジネスサイクルが錯綜,経営継承が困難となるとまとめた。

第V章:結論

1.無形資産継承の重要性

 本論は,後継者に無形資産を継承できるメリットが大きいことを明らかにしたが,一方で,無形資産の把握を専ら経営者の主観的評価に頼らざるをえなかった。無形資産の客観的評価は今後の課題である。

2.有形資産継承と無形資産継承

 有形資産継承の目標は,(1)経営者の老後(リタイア後)の生活保障,(2)子供たちに対する平等(equal)ではなく公平な(equitable)扱い,(3)経営資産整理に要する費用(相続税など)の最小化という3条件を同時に達成する継承のあり方を考えることにある。しかし,これには経営をゴーイングコンサーンとしてみる視点が欠落している。本論は,上記3条件に事業の継続性確保という新たな条件を加える必要性を示したが,前3条件と第4の条件の関係は必ずしも明らかにできなかった。これら4条件の統合が今後の課題である。

3.経営継承へのインセンティブ

 経営者の経営継承へのインセンティブは,「保有する無形資産価値への評価」および「経営者の責任感・経営倫理」の2点に整理できる。経営継承の円滑化に向けた政策的インプリケーションとしては,経営者の経営継承への政策的インセンティブを付与することよりも,自分の経営の継承について的確な判断を下せるような「経営者らしい経営者」の育成,経営継承に向けた経営者の意識啓発,無形資産の評価手法確立,が重要となる。

4.後継者の「確保」と継承当事者の「関係性」

 継承プロセスには後継者による継承の意思決定以前の「インキュベーション」段階も含まれ,継承の試みがうまくいかずに『後継者がいなくなった』結果として『後継者がいない』場合,それは継承当事者の関係性の問題となる。本論は,「継承者選択」段階以降の継承当事者の関係性が重要であることを示したが,「インキュベーション」段階をも含んだ継承当事者の関係性は,今後解明すべき課題である。

5.農業経営継承システムの確立に向けて

 継承システム確立のための課題は,以下の諸点にまとめることができる。

 第一に,社会的教育機関の機能と前経営者の機能を効果的に組み合わせることである。

 第二に,継承当事者の個性の多様性に応じた継承システムの構築である。

 ここで提起されるのが「継承戦略」の重要性である。継承戦略の策定主体は,農業経営者と地域の経営継承システム運営主体の二者である。特に経営者の継承戦略策定を支援するためには,具体的な個別対応・コンサルティングの手法を開発していく必要がある。

6.無形資産の継承から創造へ

 農業経営における無形資産の中核をなす経営者能力の醸成は,継承場面に限らず経営者として常に求められる。したがって,無形資産継承の問題は,無形資産創造の問題に昇華する。社会的教育機関の役割を考えた場合,教育コンテンツの開発が必要である。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文の目的は、農業経営の継承メカニズムを解明し、農業経営の継続性の確保に向けた理論的基礎を提供することにある。農業経営の継承に関する従来の研究は、専ら有形資産の次世代への継承に注目してきたきらいがあり、(1)子供たちに対する公平な相続と経営継承、(2)経営資産整理に要する費用(相続税など)の最小化、(3)経営者の老後(リタイア後)の生活保障、などに研究の焦点があてられてきた。しかし、従来の研究には、経営をゴーイングコンサーンとしてみる継続性の確保の視点が欠落しており、しかも経営管理能力や技術、販売ノウハウ等の無形資産の継承という面の分析が欠如していた。また、継承メカニズムの構成要素の解明が不足していること、無形資産の継承の「場」としての継承当事者の関係性の分析が欠如していることなど、未解明な部分の多い研究領域であった。

 また、農業経営の無形資産の継承に関連するこれまでの研究としては、経営者能力論と後継者育成論がある。経営者能力論では、後継者が労働者機能から経営者機能の遂行へと至る階梯については分析されてきた。後継者育成論では、後継者の確保や育成の「場」については議論されてきた。しかし、経営継承のための経営内部における権限移譲の過程や当事者の関係性など、継承のメカニズムそのものについては明らかにされて来なかった。

 本論文は、事業の継続性の確保という新たな条件を加え、経営継承のための重要な要件は有形資産の継承とともに経営者能力などの無形資産の継承にあること、しかもそれは継承当事者の関係性の視点から分析する必要があることなどの問題意識から、国内外の代表的事例の分析を通じて、無形資産の経営継承の構成要素を明らかにするとともに、その継承メカニズムを実証的に解明したものである。しかも、これまでの研究では最も困難とされてきた継承当事者の個性と関係性の把握において、FFS理論(Five Factors and Stress Theory;応用心理学系の因子分析理論)をわが国でいち早く適用し、その分析に成功している。また、経営者のライフサイクルとともに、事業体のライフサイクル(ビジネスサイクル)にも着目して継承のありかたを考察している。

 まず第1章では、先行研究の整理および経営継承の動向把握を行い、本論の位置付けと分析視角の提示を行っている。

 続く第2章では、アイオワ州立大学ビギニングファーマーセンター(BFC)の第三者継承マッチングプログラム(ファームオン)に注目し、そのプログラムに関連する第三者継承の3事例を分析している。その中で、継承密度概念を、継承密度=(後継者の不得意度の大きさ)×(熟練の特性)/(継承期間)という式で表し、継承密度の高低による経営継承の態様を分析するとともに、FFS分析による継承過程における後継予定者の得意分野に応じた権限委譲の有効性、後継予定者の不得意分野・その熟練の特性・継承期間から規定される継承密度の重要性、継承過程における「個性」の意義などについて明らかにしている。

 第3章では、わが国の家族経営における無形資産継承について、認定農業者アンケート分析と稲作(新潟県)・酪農(北海道)の第三者継承の事例分析などを通じて、経営継承システムのあり方について考察している。この中で、無形資産継承はその期間と後継者の不得意分野に大いに関連があること、また、人としての個性と無形資産継承への意向との間に相互の関連がみられること、我が国では有形資産継承のみに支援が行われてきた結果、むしろ無形資産継承が困難になっている場合もあることなどが明らかにされている。

 第4章では、我が国の法人経営における無形資産継承の規定要因を分析し、継承当事者のライフサイクルが技術・財務分野、熟練の特殊性・継承困難性が雇用分野、継承当事者の個性が戦略分野、そしてビジネスサイクルが技術分野・販売分野の、それぞれの権限移譲を規定していることを明らかにしている。また、経営者機能ごとの権限委譲の進行度と後継者の得意度との関係から、後継者の得意分野に応じた権限委譲を行う「順列型」、後継者の得意分野に逆行した権限委譲を行う「逆列型」、後継者の得意分野と無関係に権限委譲を行う「無列型」のあることを明らかにした。そして、現在の農業法人では経営者のライフサイクルと法人のビジネスサイクルが錯綜しており、経営継承を困難にしている点が指摘されている。

 第5章では、農業経営継承システムを確立するための課題がまとめられている。農業経営における無形資産の中核をなす経営者能力の醸成は、継承場面に限らず経営者として常に求められる点であるため、このための社会的支援が必要であること。特に経営者の経営継承を支援するためには、具体的な個別対応・コンサルティングの手法を開発していく必要があること。無形資産の継承にあたっては、社会的教育機関の機能と経営者の継承戦略を効果的に組み合わせることが有効であること。また、継承当事者の個性の多様性に応じた継承システムの構築が必要であること、などが指摘されている。

 以上、本研究において、農業経営継承のメカニズムに関する実証的研究を通じて有用な知見が得られ、学術上・応用上貢献するところが少なくない。したがって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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