学位論文要旨



No 117488
著者(漢字) 笠原,武朗
著者(英字)
著者(カナ) カサハラ,タケアキ
標題(和) 監視・監督義務違反に基づく取締役の会社に対する責任について
標題(洋)
報告番号 117488
報告番号 甲17488
学位授与日 2002.05.16
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第167号
研究科 法学政治学研究科
専攻 民刑事法専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩原,紳作
 東京大学 教授 高橋,宏志
 東京大学 教授 能見,善久
 東京大学 教授 樋口,範雄
 東京大学 教授 山下,友信
内容要旨 要旨を表示する

 本稿は、株式会社取締役の監視・監督義務違反に基づく会社に対する責任について検討するものである。

 取締役会は代表取締役等に対する監督機関であるが、代表取締役と取締役会の権限の関係に関する並立機関説と派生的機関説とでは説明の仕方が異なる。しかし、いずれにしても、そのような監督機関の構成員である取締役は代表取締役等の業務執行一般に及ぶ監視義務を負っているという理解にはほぼ異論がない。

 しかし、近時のコーポレート・ガバナンスに関する議論においては、取締役会の監督機能がより重視され、取締役会は会社経営全体のあり方を決める重要な主体となることが求められている。そのことを端的に示すのが、内部統制システムに関する取締役会の役割に対する期待である。このような変化は、取締役会・取締役の監視・監督の対象が、単に二六〇条一項が規定するような取締役の業務執行に止まらず、会社経営全体に及ぶようになっていることを意味している。本稿では、このような取締役会の役割を、業務執行ラインの上位者として会社経営全体に対する監督の職責を負う代表取締役等に対する監視の職責に基づくものとして理解するのではなく、取締役会と代表取締役の権限の関係を派生的機関説に立って理解し、取締役会による監督は本来会社経営全体に及ぶべきものであると解するところから導いた。

 以上のような役割を有する取締役会の構成員として取締役は監視・監督義務を負う。その違反に基づく責任についてであるが、従来、取締役の監視・監督義務違反に基づく責任が問題となる事例の殆どが小規模閉鎖会社における商法二六六条ノ三に関するものであったため、取締役の監視・監督義務の具体的内容とほぼ無関係に責任の有無に関する判断が為されるという問題点があった。そこで、アメリカ法を参考としつつ、責任の有無の判断のあり方とそこで義務の具体的内容をどのように考慮するのかについて検討し、また、義務の具体的内容を責任の判断に資するような形で整理することを試みた。

 取締役が会社に損害を与えるべき他の取締役や従業員の行為について知っていた場合には、そこで採るべき是正措置を採らなかったことにより監視・監督義務の違反が認められる。次に、そのような行為について知らなかった場合には、それが知りうべきものであったか否かについて問題となる。第一に、そのような行為の存在につき疑いを生ぜしめる事情を知っていたのに調査を為さなかったことにより監視・監督義務の違反が認められる。

 第二に、疑いを生ぜしめる事情も知らなかったが、取締役が普段果たすべき義務を果たしていなかった場合にも監視・監督義務の違反が認められる。以上のように、採るべき是正措置を採らなかったこと、調査を為さなかったこと、普段果たすべき職責を果たしていなかったことが監視・監督義務違反の内容を構成し、それは損害の賠償を請求する原告の側が立証しなくてはならない。これに対して、取締役の監視・監督義務違反が認められれば、そのような義務違反と会社に生じた損害との間の事実的因果関係は経験則上推認され、従って事実上推定されると考える。事実的因果関係がないことを意味する事情、まず被告取締役の側が主張し、因果関係の存否を真偽不明としなくてはならない。

 以上のように整理すると、監視・監督義務の具体的内容を、普段果たすべき義務、調査義務、採るべき是正措置とに分けて整理する発想が生まれる。まず、取締役が普段果たすべき義務として、取締役は、取締役会に出席し、そこで与えられる情報を把握し、会社の財産状態や業務について一般的な知識を得ておかなければならない。問題は、取締役が与えられる情報の正確性についてどの程度コミットしなければならないかであるが、ある程度以上の規模の会社においては、取締役が以上のような職責を果たしているだけでは不十分であり、内部統制システムに関する取締役の義務を考えることが不可欠となる。次に、取締役が疑いを生ぜしめる事情を知っていた場合における調査の義務である。何が疑いを生ぜしめる事情かは場合によるとしか言えないが、例えば金融機関等において、その監督機関が従前から内部統制システムの不適切さを指摘していたとすると、そのような指摘については取締役は当然知っているはずか、あるいは普段果たすべき義務の履行上知っていなくてはならない事項であり、監督機関による指摘が疑いを生ぜしめる事情としての意味を持つことがある。最後に、採るべき是正措置の問題である。基本的には取締役会を通じての是正措置を採ることが求められるのみであるが、特に金融機関などにおいては、取締役会を通じない個人的な是正の試みを為すことを求められる場合も考えられてよいのではないだろうか。

 次の問題は、監視・監督義務違反の場合に典型的に現れる、責任を負うとされた各取締役が負うべき責任額の問題である。商法二六六条一項は取締役の「連帯」責任を定めるが、これは、責任を負うとされた各取締役が常に全額についての責任を負うことを意味すると解されている。しかし、結果的に取締役に過度に酷な結果をもたらすことがあるという認識から、各取締役が負うべき責任額に様々な差を認めるべき提言や解釈論が出されている。 そこで、まず商法二六六条一項の「連帯」の意義について検討した。

 商法二六六条一項の沿革、あるいは従来の学説・裁判例はこの点について考えるための材料を提供してくれない。そこで、本稿では、共同不法行為に関する議論とアメリカ法の考え方を参考として、商法二六六条一項の意義として以下のように考えるべきことを提案した。各取締役に損害発生ないしその危険性の認識・認容という事情が認められる場合には、商法二六六条一項は、各取締役の任務懈怠と会社が被った損害との間の事実的因果関係、相当因果関係=民法四一六条を個別的に考えることを不要とし、また、「寄与度」減責の理論の適用可能性自体を排斥する。これに対して、そのような事情がない場合については、各取締役について個別的な事実的因果関係、相当因果関係=民法四一六条が存在することが責任の要件となる。また、「寄与度」減責の理論の適用可能性自体は排斥されない。

 以上のような商法二六六条一項の意義に関する理解を前提として、各取締役の責任額が異なる可能性について検討した。まず、相当因果関係=民法四一六条=予見可能性の問題として各取締役の責任額が異なる可能性であるが、各取締役に損害発生ないしその危険性の具体的な認識・認容がある場合には、予見可能性に基づき各取締役の責任額が異なる可能性はない。それ以外の場合については、各取締役の予見可能性により責任額が異なる可能性がある。

 次に、生じた損害についての各取締役の関与の度合いとしての「寄与度」に基づく減責の可能性について検討した。まず、民法学説における複数不法行為者の「寄与度」減責に関する議論を整理することを試みた。「寄与度」減責は、各行為者の「寄与度」が「量的」に把握できる場合とできない場合(「質的」に把握される場合)とに分けて考えられる。「量的」把握が可能な場合については減責の可能性が広く認められているが、「質的」把握のみが可能な場合については、過失の程度に著しい差がある場合等に公平の見地から減責を認めるべき場合があるとするのが一般的な考え方である。

 以上のような「寄与度」減責の理論と商法二六六条一項の意義とを前提とすると、各取締役の関与の度合いが「量的」に把握できる場合には、そのような「量的」把握を基礎とする「寄与度」減責の可能性が広く認められることとなる。例えば、一連の違法行為があり、その各違法行為のレベルで見れば各取締役につき義務違反が認められる時期ないし期間が異なるが、その一連の違法行為を理由とする一体的な損害が生じた場合が考えられる。このような場合には、各違法行為の量的・数的な把握を参考としつつ各取締役の損害に対する寄与の度合いを考え、それに基づく法的評価としての「寄与度」減責を行う可能性を 広く認めてよいと思われる。

 また、各取締役の関与の度合いが「質的」にのみ把握できる場合、すなわち、各取締役の関与の度合いの差が過失や義務違反の態様といった点でしか認められない場合についても、本稿では、過失に基づく監視・監督義務違反取締役については「寄与度」減責を認めるべきことを提案した。取締役会の監督機能の重視により、取締役の監視・監督義務の内容も拡大している。そのような義務を前提として責任の有無が判断されると、会社に損害を与える直接の行為からより離れた、非難可能性の小さい者にも責任が認められる可能性が高くなる。そのような者に関しては、取締役の対会社責任の文脈では例外的取扱いを考えるべき事情があるように思われる。それは、株式会社においては、資本の集中と企業活動の巨大化により、取締役の会社に対する責任の額が非常に巨額のものとなることがあるからである。そのような非難可能性と責任額とのアンバランスは、本来取締役間の求償により解消されるべきものであるが、求償は非現実的である。監視・監督義務の履行に向けたインセンティヴを損ない、取締役に監視・監督義務を課した商法の趣旨を没却することになるのではないかという批判が考えられるが、アンバランスな責任に裏打ちされた取締役の義務の履行が、取締役の非難可能性と均衡の取れた責任により裏打ちされた義務の履行よりも優れたものになるとは思われない。また、「寄与度」減責の可能性を全く認めないとすると、裁判所が義務違反の認定を過度に抑制し、本来何らかの責任が認められるべき取締役についても責任を全て否定するということになりかねない。

 以上が、本稿の検討の要点である。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、株式会社取締役の監視・監督義務に関し、その法的位置付け及び具体的な内容、その違反に基づく会社に対する責任等について、主にアメリカ法との比較法的研究を通じて、総合的・包括的な研究を行なったものである。そのような論文としては、初めての本格的な研究と言えよう。

 まず第一章では、論文における問題意識及び検討の対象を明らかにする。取締役は、「取締役ノ職務ノ執行ヲ監督ス」との規定に基づき(商法260条1項)、互いに他の取締役を監視・監督する義務を負う。しかし最近まで訴訟になったのは、小規模閉鎖会社の破綻により損害を被った会社債権者が、3名以上の取締役を要求する商法規定を充たすために名義貸しを行なったような名目的取締役を被告に、実際に業務執行を行なった代表取締役に対する監視義務違反を理由として、商法266条ノ3の取締役の第三者に対する責任を追及するものが殆どであった。このため、監視義務違反の存在は当然のこととされ、その具体的内容が検討されることは余りなかった。本来は会社に対する義務であるところの監視・監督義務に違反した場合の会社に対する責任について、その賠償範囲とか連帯責任とされること(商法266条1項)の意義等、具体的な問題が検討されることも余りなかった。

 ところが平成5年の商法改正等をきっかけに、それまで殆ど利用されなかった株主代表訴訟の件数が急増し、大会社の取締役の監視・監督義務違反による会社に対する責任が、株主代表訴訟等によって追及されるようになった。特に大和銀行株主代表訴訟判決は、11名の被告取締役に70億円から800億円の責任が認められ、その多くが監視・監督義務違反による責任であったことから、監視・監督義務の具体的内容、複数取締役がその責任を問われた場合の責任の範囲・分担といった問題が、クローズアップされることになった。本論文はこれらの問題を取り上げるものである。

 検討の方法としては、会社支配のあるべき姿、いわゆるコーポレート・ガバナンスの在り方から、取締役の果たすべき役割を明らかにし、そこから監視・監督義務の具体的内容を考え、責任範囲等も定めていくべきであるとする。従来我が国においては、取締役会の業務執行の意思決定機関としての機能が主として注目され、取締役の義務や責任も、代表取締役、業務担当取締役、使用人兼務取締役といった業務執行ライン上の義務・責任が主に問題となった。しかし現在は、商法改正法案に見られるように、アメリカ型のコーポレート・ガバナンスの考えを導入し、いわゆるモニタリング・モデルを採用するなど、取締役会は会社の仕組みや在り方といった全体の統制に当たる監督機関としての役割が重視されるようになっている。取締役の責任も、業務執行ライン上の責任とは区別される、そのような監督機能を果たす取締役会のメンバーの一人としての責任が検討されなければならないとする。具体的には、大和銀行代表訴訟判決や商法改正法案が認めたところの、取締役会の内部統制システム構築義務等を認めるとともに、それを実現するものとして、取締役会における各取締役の具体的な監視・監督義務の内容が詰められていくべきであるとする。

 また、各取締役の損害賠償責任の範囲を考えるうえでは、損害賠償法の一般理論からの検討が必要である旨を指摘する。そしてそれは我が国に特有の問題として考察せざるをえないことを指摘し、その検討方法につき論じる。

 第二章においては、アメリカにおける判例法との比較から、取締役の監視・監督義務の具体的内容とそこから生じる責任の検討を行なっている。即ち、取締役会に出席し、会社の状況を把握する義務、問題を認識したときにそれを是正する義務等があり、会社の状況を把握する等のために、内部統制システムを構築する義務があることを論じる。そしてこれらの義務を果たすことに任務懈怠があったときに責任が問われるとする。従って、責任を認めるためには具体的な義務違反を詰める必要があることを指摘する。

 そして責任を認めるためには義務違反と損害の間に因果関係がなければならないが、監視・監督義務違反と損害の間の因果関係の立証には、不作為と損害の間の因果関係を立証するという困難がある。そこでアメリカ法との比較法的研究を通じて、監視・監督義務違反が認められれば、損害との間の因果関係は事実上推定されるという解釈論の提唱を行なっている。

 第三章では、内部統制システムに関する取締役の義務の意義とそれが取締役の責任に与える具体的な影響の検討を、アメリカ法との比較を通じて行なう。即ち、アメリカで内部統制システムという考えが形成されてきた経緯を見ることによって、その意義とシステム構築責任が何故取締役会にあるとされるかを明らかにする。そして特に破綻金融機関の取締役の責任が追及された多数の判例を分析することによって、内部統制システム構築義務が取締役会にあるとされることが個々の取締役の責任に与える意味を検討する。

 即ち、これらの判例の分析から、従来、取締役の会社に対する責任追及訴訟でネックになっていたのは、裁判所が経営判断の内容に関し適切な制限を課す能力を有していないこと、及び取締役が問題とされる取引につき不知の抗弁、又は担当者を信頼して任せていたとする信頼の抗弁を対抗することであったことが分かる。ところが金融機関における取締役会の機能の認識を改め、内部統制システムを構築することをその主たる役割とし、融資に関しては具体的な融資の決定ではなく融資基準の設定が取締役の義務と認めることによって、取締役の責任追及訴訟は、その基準の不適切さを問題にしたり、その基準が守られていないことを放置した取締役の責任の追及するという形をとることになった。その結果、裁判所もそのような判断ならできるし、不知の抗弁や信頼の抗弁を封じて責任追及が可能になったことを明らかにする。またこれらの抗弁を封じたり、基準そのものの不適切さや、基準の違反放置を認定するうえで、金融監督当局による検査報告書における指摘が重要な役割を果たしていることを、指摘する。

 なお第三章では、ドイツの1998年株式法改正を紹介することによって、ドイツでも内部統制システムの構築がコーポレート・ガバナンスの重要な要素と認められるに至ったことを明らかにしている。但し、ドイツでは構築義務を負うのは業務執行に当たる取締役であって、監督機関である監査役会はその監視に当たるという違いがあることを指摘する。ここから我が国の場合、内部統制システム構築義務をアメリカ式に考えるかドイツ式に考えるかということを検討し、アメリカ式に考えて監査・監督機関である取締役会に構築義務があるという考えを採るべきであり、そのためには取締役会と代表取締役の関係につきいわゆる派生機関説を採ることが妥当であると論じている。

 第四章では、監視・監督義務を負う取締役が複数いるときに、その間で会社に対する損害賠償責任をいかに負担すべきかを論じる。そのために、まず商法266条1項が定める複数取締役の間の連帯責任が、各取締役の損害全額に関する責任まで規定したものかを検討する。同条の沿革及び民法の分割債権の原則の検討等からは、同項の規定は単に分割債務の原則を排除するために設けられたものであり、責任の及ぶ範囲を規定しようとするものであったり、寄与度減責を否定するものではないと論じる。

 次ぎに、商法266条1項と同様に賠償義務者間の連帯責任を定める共同不法行為に関する民法719条の考え方が取締役間の賠償責任の負担の問題にも応用できることを論じる。即ち、各取締役に損害発生ないしその危険性の認識・認容という事情があるという主観的共同が認められる場合は、共同不法行為の場合と同じく、各取締役につき賠償すべき損害との間に個別の因果関係を要求する必要はないし、寄与度減責の可能性を認める必要もないとする。そして取締役の責任に関するアメリカ法においても、同様に取締役の行為が concerted action とされるときは個別的因果関係は不要とされ、損害全額につき連帯責任とされることを紹介している。

 第五章では、複数の取締役が会社に対し責任を負う場合に、各取締役が損害の一部についてのみ責任を負うものと減責される可能性につき検討する。民法における寄与度減責の理論を整理したうえで、各取締役の会社損害の発生に対する関与の度合いが量的に把握できる場合に限って、第四章における検討結果を修正して、損害発生ないしその危険性の認識・認容という事情が認められる場合であっても、寄与度減責の可能性が認められるべきであるとする。更に量的には把握できない場合でも、主観的共同がなければ、取締役の義務違反の態様だけを理由に寄与度減責する可能性を認めるべきであり、商法266条1項はその妨げにならないとする。そして監視・監督義務違反の取締役に義務違反の態様を理由とする寄与度減責を認める実質的理由として、以下のような主張を行なっている。即ち、第一章以下において論じたように、取締役会の監督機能がより重視され、監督が内部統制システムを通じて会社全体に及ぶことが要求される等、取締役が監視・監督義務違反に基づく責任を負う可能性が高くなっているため、非難可能性の小さい者にも責任が認められる可能性が高くなっていること、資本の集中と企業活動の巨大化により、取締役の会社に対する責任の額が巨額のものになる恐れがあること等からは、寄与度減責を認めるべきであるとする。そのように非難可能性と責任額のバランスを回復するための寄与度減責によっては、取締役の監視・監督義務の履行に向けたインセンティブを損なうことにはならないと論じる。但し、取締役に故意又は重過失がある場合は、寄与度減責の可能性を認めるべきではないとしている。

 第六章では、全体の議論の総括を行なっている。

 以上が本論文の要旨である。

 本論文の長所としては次ぎの諸点が挙げられる。

 第一は、現在の会社法学及び会社法の実務において大きな問題になっている、取締役の果たすべき役割、監視・監督義務の位置付けと具体的内容、内部統制システム構築義務、これらの義務に違反した場合に取締役の負担すべき損害賠償責任の範囲、といった問題に正面から取り組み、主にアメリカ法を参考にしながらも、これらの諸問題につき独自の考察に基づいて自らの解釈論を導いていることである。本論文は、これらの問題を包括的・総合的に検討する我が国における最初の本格的研究といっても過言でない論文である。

 第二に、これらの問題に対するアプローチとして、取締役会が株式会社のコーポレート・ガバナンスにおいて果たすべき役割から取締役会の内部統制システム構築義務を導き、そのような取締役会の機能を果たすために取締役会のメンバーとして取締役に課せられる監視・監督義務の内容を明らかにし、そのような義務の違反に結び付けて取締役の責任内容を決するという有機的・総合的考察を行なったことは、従来の学説・判例に不足していた視点を提供したものとして、重要な貢献である。

 第三に、考察を行なううえで主にアメリカ法との比較法的検討を行なっているが、特に破綻金融機関の取締役の責任を追及する訴訟において、内部統制システム構築義務を認めることが、金融監督当局による検査結果の通知と相俟って、取締役の不知の抗弁や信頼の抗弁、或いは経営判断原則を覆す結果を招いていること等、従来我が国において紹介されていなかったアメリカの取締役責任追及訴訟の実情を明らかにしている。これは我が国の判例・学説が、アメリカにおける経営判断原則、信頼の抗弁、内部統制システム構築義務等の考え方を、単に理論としてのみ直輸入する傾向が強い中で、そのような理論の実際上の運用や機能を認識させる研究であり、重要な指摘となろう。

 第四に、商法266条1項に基づく取締役の会社に対する損害賠償責任を、民法の損害賠償責任の一般理論の見地から見直しを行ない、同項の規定が設けられることにより、一般的な債務不履行責任と比較してどこまで特別の扱いが認められるかを明らかにしたことである。具体的には、取締役の監視・ 監督義務違反という場面において、複数の債務者が債権者の同一の損害につき債務不履行責任を負うときの当該責任に関する連帯債務関係、各債務者についての損害との間の因果関係の要否、寄与度減責の可否、相殺の可能性等につき、一般理論においてはどのように考えることができるか、それを商法266条1項により修正する必要があるか、等について検討している。従来このような作業は十分には行なわれておらず、学界への貢献になろう。

 もとより本論文にも短所がないわけではない。

 第一に、共同不法行為に関する考え方をそのまま債務不履行責任に応用することができるかとか、各取締役の損害発生への関与の度合いを量的に把握ができない場合に、具体的にいかなる方法でいかなる要素を考慮してどの程度の寄与度減責ができるのか、その法的根拠は何に求められるか等、著者の考え方が法的議論としてなお十分な説得力をもって論じられてはいない問題があることは、否定できない。取締役会の監督的機能の重視、内部統制システム構築義務を強調しながら、一方でそれらの違反による責任につき減責の必要性を強調することが十分に整合的か、また説得的か、課題の残るところである。減責の必要な理由として論文で挙げられている問題は、むしろ責任免除や責任制限の問題として扱うべきではないかという批判もありえよう。その意味では、昨年末に成立した商法改正における取締役の責任免除・責任制限に関する制度との関連の研究が望まれるところである。

 第二に、アメリカの判例における summary judgment の位置付けが十分には配慮されていないこと、立証責任の問題についての検討が要件事実的に詰められていないこと、等に表れているように、外国法への理解やそれに基づく比較法的検討を行なう際の配慮の不足、隣接領域に関する理解や分析の不備が見られる。

 第三に、本論文で取り上げた取締役会のメンバーとしての取締役の義務・責任のほかに、代表取締役・業務担当取締役等の業務執行のラインとしての取締役の義務・責任についても併せて検討するとか、取締役の責任保険の問題と併せて検討するとか、取締役以外のfiduciaryや専門家の責任との比較を行なう等、より広い視野からの検討がなされるべきであった。

 このような問題点がないわけではないが、これらは本論文の学術的価値を必ずしも損なうものではない。本論文の打ち出した視点は、監視・監督義務は勿論、それ以外の取締役の義務や責任に関する研究、更にはコーポレート・ガバナンス等の研究にも、新たな地平を開くものであり、学界に対し重要な貢献をなすものと評価することができる。従って、本論文は博士(法学)の学位にふさわしい内容と認められる。

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