学位論文要旨



No 117490
著者(漢字) 土屋,健介
著者(英字)
著者(カナ) ツチヤ,ケンスケ
標題(和) 操縦形マイクロハンドリングシステムの構築
標題(洋)
報告番号 117490
報告番号 甲17490
学位授与日 2002.05.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5292号
研究科 工学系研究科
専攻 産業機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中尾,政之
 東京大学 教授 光石,衛
 東京大学 教授 新井,民夫
 東北大学 教授 江刺,正喜
 工学院大学 教授 畑村,洋太郎
内容要旨 要旨を表示する

 微細な物体を対象とする場合、従来は、大量の対象物を一つの集団としてとらえ、それに対して操作を加えて大量の結果を得る、という手法が用いられてきた。しかし、近年は、特定の1個を対象として機械的な操作を加えるマイクロハンドリングが、工学・医療・生命の各分野で必要とされている。本論文では、1mm以下の任意の微細物を対象として、対象物の状態検知・判断・操作の決定・実行というすべての過程を、人間の判断に基づいて行うハンドリングを"操縦形マイクロハンドリング"と定義し、それを実現するシステムの構築を目的とする。そのために、まず、操縦形マイクロハンドリングシステムの設計指針を提案する。次に設計指針に基づいて、マイクロハンドリングが汎用に行える操縦形マイクロハンドリングシステムのプロトタイプを開発する。さらに、各種の要求に対して、個々に対応するシステムを開発し、実際の試作・試用を通して、設計指針を帰納的に評価する。

 以下に本研究の内容をまとめる。

(1)操縦形マイクロハンドリングシステムの設計指針の提案した

 本論文では、対象が微細であることに起因して発生する制約条件を分析し、その中で特定の一つの微細物に対して機械的な操作を加えることという要求機能を満たすために、以下の3項目を、操縦形マイクロハンドリングシステムの設計指針として提案した。(図1)

1.操縦形マイクロハンドリングシステムには、対象物や工具をリアルタイムに観察できる顕微鏡、工具を並進・回転させるマニピュレータ、対象物に対して操作を行う工具、対象物を固定する機能を持ったパレット、の4つの機構要素群が含まれる

2.工具は、操作する対象物と同程度に先端が微細で、対象物を吸着させる単針構造になる

3.システムの機構要素の構成は、対象物・工具先端・工具の回転中心・顕微鏡視野が一箇所に集中する集中配置構成になる

(2)設計指針に基づいて、微細操作が汎用にできるような操縦形マイクロハンドリングシステムのプロトタイプを開発し、設計指針の妥当性を検討した

 提案した設計指針を基にして、操縦形マイクロハンドリングシステムの一つの具体例として"ナノ・マニュファクチャリング・ワールド(以下、NMW)"と称するプロトタイプを開発した。

 サブμmの精度での組立・接合作業を観察するために、顕微鏡には1μm程度以下の分解能と数10μm以上の焦点深度とが求められ、対象物に工具がアクセスする空間を確保するために、数10mm程度の作動距離が求められる。したがって、観察には約10nmの分解能と約100μmの焦点深度と50mmの作動距離とを持つSEMを用いた。また、SEMを用いて3次元の情報を得るために、作業空間を上方と側方から同時にリアルタイムで観察できるMD-SEMを開発した。工具には、100μm〜1mmの対象物を吸着・離脱するために、ニクロム線の表面をガラス絶縁膜で覆ったφ100μmの静電気力工具と、100μmのろう材を溶かして対象物を接合するために、φ300μmに絞ってレーザ光を照射できる半導体レーザ工具とを用いた。

 工具や対象物の駆動には、左右2本のアームとステージから構成され、並進・回転の合計20自由度を有する集動マニピュレータを用いた。2つの工具と対象物とをサブμmの分解能で位置決めするために、アームとステージはそれぞれ分解能0.1〜0.2μmの並進自由度を持ち、姿勢を制御するために複数の回転自由度を持つ。

 対象物を固定して搬送するために、静電気力パレットを用いた。電子顕微鏡で観察するために材質には導電体であるステンレスを用い、寸法は人手で扱える大きさの29mm×26mm×6mmで、SEMの最大視野である5mm角の範囲に対象物を固定できる。

 また、各機構要素を集中配置構成になるように組み合わせ、システムを構築した。試作したNMWの構成を図2に示す。

 試作したシステムを用いて、図3に示す1mm角の"マイクロハウス"の組立・接合作業を行い、要求機能が実現されていることを確認した。このことから、設計指針の妥当性を確認した。また、4つの機構要素のうち、顕微鏡・マニピュレータと比較して、工具とパレットは実現が難しいことがわかった。

(3)工具とパレットの設計に重点を置いて、各種の要求に対して、個々に対応するシステムを開発し、設計指針の妥当性を検討した

 個々の機能要素、特に工具とパレットに注目して、顕微授精システム、DNAサージェリシステム、微量液体ハンドリングシステムを設計・試作した。

 顕微授精システムでは、卵子の変形を抑えながら細胞膜に応力集中させて開孔するために、並進だけでなく回転する回転ピペットを開発した。φ3μmの精子を内部に取り込むために回転ピペットはφ7μmとし、φ100μmの卵子を固定するホールディングピペットはφ75μmとした。また、卵子・精子を固定して運ぶために、流動パラフィン中に卵子・精子を閉じ込めるための培養液ドロップを設けた時計皿を用いた。

 卵子・精子の観察には1μm程度の分解能で充分なため、倒立光学顕微鏡を用いた。工具の駆動には、サブμmの位置決め分解能が必要なため、液圧マイクロマニピュレータを用いた。システムは、本研究で提案した設計指針に基づいて設計し、倒立光学顕微鏡、液圧マイクロマニピュレータ・回転ピペットとホールディングピペットの各工具・時計皿パレットの4つの機構要素から構成した。また、各工具は卵子・精子と同程度に微細な先端を持ち、液体を陰圧で吸引してハンドリングする。さらに、各機構要素は、顕微鏡視野・対象物・工具先端・工具回転中心を一箇所に集中した集中配置構成にした。システムの構成を図4に示す。

 このシステムを用いて、図5に示すように卵子の変形を従来の35%に抑えて細胞膜の開孔を実現した。すなわち、低侵襲で卵子に開孔するという要求を実現したことを確認した。したがって、顕微授精システムは、操縦形マイクロハンドリングシステムの設計解の一つである。

 DNAサージェリシステムでは、φ2nmのDNAをハンドリングするためにφ20nmのナノプローブを用い、DNAを伸ばして固定するパレットとしてSAWを利用したDNA伸長チップを用いた。ナノプローブは、電子ビームの軌跡に真空中の残留気体を堆積させる3D-EBDを用いて作製して、DNAを吸着させるために表面にアルミニウムを蒸着した。DNA伸長チップは、溶液の流れでDNAを伸ばすために、圧電性基板上の櫛形電極に高周波電界をかけてSAWを起こす。

 DNAはφ2nmと光の回折限界よりも遥かに小さく、また、溶液中でハンドリングするため、観察に光学顕微鏡や電子顕微鏡は使えない。したがって、蛍光試薬で染色して蛍光顕微鏡で観察する。また、蛍光顕微鏡の分解能は数100nmであることから、工具の駆動にも、位置決め分解能が100nmの液圧マイクロマニピュレータを用いた。

 システムは、本研究で提案した設計指針に基づいて設計し、蛍光顕微鏡・液圧マイクロマニピュレータ・ナノプローブ・DNA伸長パレット、という4つの機構要素から構成される。また、DNAを操作するナノプローブはDNAの10倍の微細な先端を持ち、表面のアルミニウムでDNAを吸着させる。さらに、各機構要素は、顕微鏡視野・対象物・工具先端を一箇所に集中した集中配置構成にした。試作したシステムを図6に示す。

 このシステムを用いて、図7にしめすように、核の中からφ2nm長さ約100μmのDNAを引き伸ばし、伸ばしたDNAの一部を切り出し、移動させる作業を実現した。すなわち、要求機能が満たされているため、DNAサージェリシステムは、操縦形マイクロハンドリングシステムの設計解の一つである。

 以上のことから、操縦形マイクロハンドリングシステムの設計指針を帰納的に評価し、その妥当性を確認した。

 また、システムの設計を通して、操縦形マイクロハンドリングシステムを効率的に設計するには、要求機能に応じてまず工具とパレットを開発することが重要であることがわかった。その理由として、工具とパレットは一般に機能の汎用性が得られないこと、構造の微細性が不可欠だが微細加工が困難で実現が難しいこと、設計の整合性を保とうとすると一般に後で決めた機構が複雑になり設計が困難になること、の3点をあげた。また、実際のマイクロハンドリング作業を通して、通常は掴む・離す。転がす・滑らすなど、すべて重力・慣性力・摩擦力・垂直押し付け力のバランスで行われているハンドリングが、微細な世界では、静電気力や分子間力などのバランスで、物体間の接点で引っ張り合うことになることがわかった。さらに、今後の課題として、新たな設計解を実現するために制約の少ない顕微鏡の開発、微細な形状をもつパレットの開発、およびそれを実現するための微細加工プロセスを開発することが重要であることを述べた。

図1 操縦形マイクロハンドリングシステムの構成

図2 ナノ・マニュファクチャリング・ワールドの構成

図3 "マイクロハウス"組立接合のSEM画像

(a)静電気力工具による組立

(b)完成した"マイクロハウス"

図4 試作した顕微授精システムの構成

図5 回転ピペットを卵子の卵細胞質内まで挿入したときの卵子の変形の様子

(a)並進運動のみで挿入

(b)回転させながら挿入

図6 試作したDNAサージェリシステムの構成

図7 ナノプローブを用いたDNAファイバの引き伸ばし、切り取り作業の蛍光顕微鏡画像

(a)核から引き伸ばす様子

(b)一部を切り取る様子

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は「操縦形マイクロハンドリングシステムの構築」と題して、6章で構成される。

 微細な物体を対象とする場合、従来は、大量の対象物を一つの集団としてとらえ、それに対して操作を加えて大量の結果を得る、という手法が用いられてきた。しかし、近年は、特定の1個を対象として機械的な操作を加えるマイクロハンドリングが、工学・医療・生命の各分野で必要とされている。この要求を満たすシステムはこれまでにも開発されてきたが、それらは、マニピュレータ・アクチュエータなどに既存のものを寄せ集めて、機能ではなく手法が主導する形でシステムが設計されているため、充分に要求機能が満たされていないという問題があった。また、個々のシステムが多種多様で、そこに用いられている技術やノウハウが知識として統合されていないため、新しいシステムを設計するときに、過去の知識が活かされないという問題もあった。本論文は、1mm以下の任意の微細物を対象として、対象物の状態検知・判断・操作の決定・実行というすべての過程を、人間の判断に基づいて行うハンドリングを"操縦形マイクロハンドリング"と定義し、それを実現するシステムの構築を目的として行われたものである。そのための方法として、まず、操縦形マイクロハンドリングシステムの設計指針を提案する。次に設計指針に基づいて、マイクロハンドリングが汎用に行える操縦形マイクロハンドリングシステムのプロトタイプを開発する。さらに、各種の要求に対して、個々に対応するシステムを開発し、実際の試作・試用を通して、設計指針を帰納的に評価している。

 第1章は「序論」であるが、「研究の背景」、「研究の目的」、「本論文の内容と構成」についてそれぞれ述べている。「研究の背景」では、操縦形マイクロハンドリングの定義と、微細物を対象とする従来研究の現状を整理して、その中での本研究の位置付けを順に述べて、従来研究の問題点から本研究の目的を導いている。

 第2章は、「操縦形マイクロハンドリングシステムの設計指針を提案」である。人間が1mm以下の任意の微細物に対し観察しながら機械的な操作をするという要求機能とそのときの制約条件を分析し、その中で操作を実行するために必要な機構要素群やその機能や構成を整理し、従来の操縦形マイクロハンドリングシステムを分析することで検証し、設計指針として提案する。具体的には、微細なものは人間が直接見たり触ったりできないこと、システム自体は微細にならないこと、通常の世界とは異なった物理現象がおこること、という3つの制約条件から、システムを構成する顕微鏡・マニピュレータ・工具・パレットの4つの機構要素群、対象物と同程度に微細な先端を持つ先細単針吸着工具、機構要素の集中配置構成、の3項目を設計指針として導いている。

 第3章は「設計指針に基づく操縦形マイクロハンドリングシスナム"ナノ・マニュファクチャリング・ワールド"の開発」であるが、提案した設計指針に基づいて、操縦形マイクロハンドリングシステムの一つの具体例としてナノ・マニュファクチャリング・ワールドと呼ぶテーブルトップファクトリを開発している。要求される作業から必要な機能を分析し、それらを実現する機能要素群を統合して、システム全体を構築している。試作したシステムを用いて電子顕微鏡下で微細組立・接合作業を実現し、その試用を通して得られた知見から、システムの有用性と設計指針の妥当性とを検証し、さらにシステムを実現するには工具とパレットの設計が重要であることを指摘している。

 第4章では、顕微授精システム、DNAサージェリーシステムの設計・試作を例にあげ、個々のシステムに必要な機能要素のうち、特に工具とパレットの設計に重点をおいてシステムをシステムを開発している。実際の試作・試用を通して、前者では従来技術より低侵襲な卵子細胞膜開孔を実現し、後者ではDNAの引き伸ばし・切り取り・移動作業を実現している。この結果から、システムの有用性と設計指針の妥当性とを帰納的に評価している。

 第5章は「考察」である。第3章および第4章での設計・試作・試用を通して、第2章で提案した操縦形マイクロハンドリングシステムの設計指針を総合的に評価している。また、実際のシステム設計過程や実際のハンドリングを通して得られた知見として、システムを構成する機構要素群のうち特に工具とパレットの設計が重要であることを述べ、その理由を考察している。さらに操縦形マイクロハンドリングシステムの将来展望として、今後の課題と応用方面を述べている。

 第6章では、本論文全体の結論を述べている。

 以上に述べたことをまとめると、本論文では、特定の微細物に対して機械的な操作を加える作業を実現するために、操縦形マイクロハンドリングシステムの設計指針を提案して、それにしたがってシステムを設計することで、要求機能を実現する設計解の1つを得ることができることを、いくつかの具体例を通して帰納的に実証している。

 従来は、新しい要求ごとに、既存の機構を積木のように組み合わせて、試行錯誤して要求を満たすシステムを模索していたのに対して、システムの設計指針を明確に示した本研究は、微細な物体を対象とする工学の発展に大きく貢献すると考える。

 さらに本研究で設計解の具体例として開発したシステムはそれぞれ微細組立接合、低侵襲顕微授精、DNAサージェリという、工学・医学・生化学の各分野で必要とされるマイクロハンドリングを実現している。したがって、本研究は工学と他分野との融合領域の発展にも大きく貢献すると考える。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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