学位論文要旨



No 117499
著者(漢字) 沈,仁慈
著者(英字)
著者(カナ) シム,インザ
標題(和) 慈雲の正法思想
標題(洋)
報告番号 117499
報告番号 甲17499
学位授与日 2002.06.10
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第359号
研究科 人文社会系研究科
専攻 アジア文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 末木,文美士
 東洋文化研究所 教授 丘山,新
 東洋文化研究所 教授 島薗,進
 東洋文化研究所 助教授 下田,正弘
 東洋文化研究所 助教授 菅野,覚明
内容要旨 要旨を表示する

 従来、幕藩体制のなかに組み込まれ、政治の末端機構として機能する存在となり、政治的強制の中で、形式化・世俗化が進んだ近世の仏教は堕落仏教という烙印を押されていた。それが、長い間、近世仏教の研究を遅らせた一因にもなっており、今後の大きな研究課題でもある。しかし、近年、研究者の間で、近世仏教を堕落と見る見方を再検討し、考え直してゆく動きが出ており、しだいにその成果をあげつつある。(末木文美士『日本仏教史』pp.174・175参照)

 こうした最近の研究動向を踏まえれば、近世において仏教本来のあり方を求めて、その実践と普及に生涯を捧げた慈雲(1718-1804)について考察することは、大きな意義を持つことになるであろう。

 慈雲は江戸時代の中期から後期にかけて活躍した真言律宗の僧侶である。慈雲は近世の仏教界が排仏の風に晒され、多様な対応策が講じられていた時代状況の中で、仏教復興及び戒律復興運動を興し、十善戒によって在家信者の教化に努めるとともに、雲伝神道を創始した。

 このように慈雲の活動は仏教のみならず民衆教化や、神道研究など多方面に渉っているが、いずれの活動においてもその基盤をなしていたのは正法思想である。慈雲のいう正法とは、一切の人為的なものを排除し、本来のあるがままの状態を重んじることである。すなわち、仏教においては「仏在世賢聖在世の法」であり、仏教以外においては「一切世間のありとほり」の法、または「自然法爾」の法のことで、いずれも観念的な言説を戒め、実践を強調するものである。

 特に、慈雲は仏教復興運動において、形式化・世俗化していた当時の仏教のあり方を厳しく批判し、仏の行なった通り、戒・定・慧の三学を実践することを主張し、実践仏教の回復を目指した。

 こうした慈雲の仏教復興運動は、従来の「近世仏教堕落史観」に納まり切らないものを含んでおり、近世仏教の意義を再評価する上で、無視できないものがある。

 しかし、このような業績にも拘わらず、慈雲に関する研究は非常に少なく、慈雲の思想基盤や諸活動の全体像は勿論、各活動の特徴や意義についてさえ十分な研究が行なわれていない。

 本研究は、慈雲の思想基盤や諸活動の全体像ならびに各活動の内容と特徴について基礎的な整理を行い、近世仏教史において慈雲の果たした業績を解明し、従来の近世仏教史を見直すのに聊かでも資することを期待するものである。

 本研究は研究方法として、慈雲の諸活動の根底をなしている思想基盤を解明し、その観点に基づいて慈雲の諸活動を統合し、その全体像を明らかにすることを試みた。そのために、慈雲の生涯・正法思想・仏教復興運動・戒律復興運動・民衆教化運動など五章にわたって慈雲の正法思想について考察を進め、次のような結果が得られた。

 まず、慈雲の正法観は「仏在世及び賢聖在世の法」から、「一切世間のありとほり」の法、または「自然法爾」の法へと変化したが、いずれも本来の純粋な状態を重んじるという立場に立つという点に於いて同質のものである。こうした正法観は、諸活動において古風と実践の重視、超宗派思想と諸思想の摂取という形態として現れた。

 慈雲の正法観をそれぞれの活動に即して見るならば、まず仏教復興運動において、慈雲は仏陀の行じた法こそ正法であると定義し、仏在世の風儀を復興することに力を注いだ。すなわち、仏知見の実践として超宗派思想と梵学研究を、仏戒の実践として諸戒律の護持を、仏服の実践として如法の袈裟の裁製を、仏行の実践として禅定を修することを提唱した。

 このうち、仏陀の本意を求めての梵学研究と、諸宗を同等に見なす超宗派的態度は、漢文を主として、自宗のみを是とする傾向の強かった当時の仏教とは著しい対照を見せるものであり、持律と禅定の重視は、教学偏重の風潮に堕し、実践を軽視していた当時の仏教のあり方とは一線を画するものである。

 戒律復興運動においては、仏陀の親説である諸律部をともに尊重し、依行することを提唱した。すなわち、教学的には、五部律の戒脈を伝承するとともに、戒律の宗派化を否定し、実践的には、持律の重視と、僧団間の自由な交流を認めた。また、戒律の実践そのものに重点を置くことによって、僧団の構成員を細分し、僧団内に優婆塞・浄行優婆塞・爾農という新しい階級を設けた。

 このうち、諸律部をともに依行し、戒律の宗派化を否定する態度は、一律部に執着して他宗派と激しく対立し、また戒律を宗学の中に融合させ、戒律の宗派化を進めていたその他の戒律復興運動家の立場とは、顕著な相違を示すものである。

 また、持律の重視と、僧団間の自由な交流を認める態度は、戒学の論争に明け暮れることによって戒行を疎んじ、他僧団との往来を厳しく禁じていたそのほかの僧団の閉鎖的態度とは著しく異なっている。

 この他、古風を重んじる態皮からは、別受を復興した。別受の復興は覚盛・叡尊以来約五百年間続いてきた変質した授戒法を、伝統的な方軌に取り戻したという点において、日本仏教史の中で大きな意義を持っている。

 民衆教化運動においては、大小の諸経論を隔たりなく広く受用し、十善を人となる道のみならず仏果をも期する法として位置付けた。十善運動は、十善が卑近なものとして、日常生活の中に倫理として馴染みやすく、一切の人に適用されるという点において、正三の職業仏行説より普遍性をもっている。

 一方、慈雲の思想は十善運動と神道研究によって新たな地平を開くこととなった。

 まず、慈雲の正法観は、仏教概念から普遍的な概念へと展開したが、こうした態度は十善運動をきっかけに芽生え、神道研究によって明確化された。

 また、十善運動以降、慈雲の十善観は大きな変化を示し、十善は世間戒から一切戒の根本となる戒へと見直され、正法律と同等に位置付けられた。こうした十善観の変化は、一方では尽未来際に至る十善戒の創案をもたらし、形同沙弥戒として採用されることとなった。

 慈雲の十善観は、神道研究以後は神道と深く結び付けられ、十善は神道と表裏関係にあるものと見なされた。

 このように、慈雲の活動は仏教復興及び戒律復興運動、民衆教化運動に渉っているが、これらの活動を当時の排仏諭に対応させれば、仏教復興及び戒律復興運動は内省的立場に立って、排仏論に対応したものであるのに対して、十善運動は思想的立場に立って対応したものである。

 幕藩体制のもと、近世の仏教が形式化と世俗化への道を歩んでいた状況の中で、仏陀在世の風儀を慕い、実践によって仏教本来の姿を回凌しようとした慈雲の活動は、「近世仏教堕落史観」を再評価するのに、新たな光を投じるものであると言えよう。

 一方、慈雲の諸活動の背景には、当時の時代状況の影響も見て取れる。すなわち、諸宗の宗旨を一律に正法とし、宗・流派間の論諍を調停するという慈雲の態度には、仏教界の和合を取り戻そうとする意図が見られる。しかし、一方では、諸宗の一応の平等のもと、宗派間の抗争を禁止していた幕府の宗教政策が、意識的・無意識的に慈雲を制約していた面のあることも否定できない。

 また、一切の身分や職業をともに法を得るものとして同等と見なす一方、身分や職業を固定不変ものとして捉え、自由な移動を禁じたことも、幕府体制下における身分制度の定着化の影響によるものと見られる。

 以上の考察結果に基づいて、本研究の成果について述べるならば、次のことが言えよう。

 まず、本研究は従来の研究とは研究方向を異にし、慈雲の思想基盤に焦点を当てて、慈雲の諸活動の統合を試みた点において、新しい視点に立つものである。本研究によって初めて慈雲の諸活動の全体像が解明されたことになる。

 また、正法律、禅など、従来の研究においては個別的に研究されていたこれらの活動を、仏教復興運動のもとで統一し、整合性を与えた。

 戒律復興運動については、いままで研究者の間でほとんど関心を引くことのなかった慈雲の戒律観をはじめ、戒脈、教団組織、授戒制度などをも視野に入れ、慈雲の戒律復興運動の全体像を究明した。また、叡尊教団との比較を通じて、慈雲教団の特徴を明らかにした。

 民衆教化運動に関しては、従来の研究において十善関連の著作と倫理的側面が個別的に検討されていたものを、両方とも視野に入れ、慈雲の民衆教化運動について全体的な解明を行った。また、正三の民衆教化運動との比較を行い、慈雲の十善運動の持つ意義を明らかにした。

審査要旨 要旨を表示する

 沈仁慈氏の博士学位請求論文『慈雲の正法思想』は、江戸時代の仏教改革者慈雲飲光(1718〜1804)について、その思想を総合的に研究したものである。そもそも江戸時代の仏教は、長い間堕落仏教という烙印を押され、正当な研究対象と見なされなかった。そのため、きわめて多数の著作を残し、当時の社会に大きな影響を与えた慈雲飲光についても、その思想を学問的批判に耐えうるだけ十分に検討したものはほとんどなかった。このような中で、沈氏の研究ははじめて慈雲の広範な活動を「正法思想」という観点から統合的に把握し、慈雲の再評価のみならず、江戸時代の仏教全体に対する見直しを要求するものである。

 本論文の主要部分は、全5章からなる。第1章「慈雲の生涯と著作」では、さまざまな伝記資料を渉猟してその伝記を明らかにするとともに、多数に上る著作を分類整理している。第2章「慈雲の正法思想」では、慈雲の活動の根底をなす思想を正法思想として捉え、はじめは仏在世のあり方に戻るという運動であったのが、晩年に神道を研究してからは、自然のありのままを重んじるように転じたことを論じ、その全体を貫く特徴として、古風の重視、実践の重視、超宗派的態度と諸思想の摂取ということを挙げている。また、伊藤仁斎の古義学の影響にまで説き及ぶ。第3章「仏教復興運動」では、正法思想の中心となる仏教復興の実践について、仏知見の実践、仏戒の実践、私服の実践、仏行の実践の4つの観点から捉えている。第4章「戒律復興運動」では、その仏教復興運動のまた中心となる戒律復興運動について検討し、戒律の宗派化を否定し、持律を重視し、僧団内に新たな身分を設けて実践的な教団を作ろうとしたことを論じ、さらに南都の戒律の伝統と比較しながら、従来の復興運動よりさらにより古い伝統に戻ろうとしたその立場を明らかにする。第5章「民衆教化運動」では、十善による民衆教化の活動を検討し、仏教の世俗への適応という側面を明らかにする。さらにそれを江戸時代初期の仏教世俗化論者鈴木正三の場合と比較し、慈雲のほうがより普遍性を持った世俗化のあり方を提示していることを述べる。

 以上の5章によって、慈雲の広範な活動は、はじめて総合的に理解されるに至った。もちろん慈雲の活動はきわめて多面的で、いまだ刊行されていない著作も多い。梵学研究や雲伝神道と呼ばれる独自の神道説など、それ自体として今後さらに研究の余地は大きい。沈さんの研究はそれらの一々にまで亘るものではないが、少なくとも「正法思想」という大きな統一的な視点からそれらの活動も理解できることを示した。また、慈雲だけに限定することなく、仁斎や正三、さらには戒律の伝統にまで遡ってその思想史的位置付けを明らかにしようとしており、仏教研究のみならず、江戸時代思想史全体に対して新たな観点を提供するものとなっている。一部の形式的な不備などあるものの、大きな成果であり、博士(文学)の学位を与えるにふさわしいと判断する。

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