学位論文要旨



No 117507
著者(漢字) 川村,真人
著者(英字)
著者(カナ) カワムラ,マサト
標題(和) 2,2'-二置換-1,1'-ビナフチル類を用いる立体選択的合成反応
標題(洋) Stereoselective synthesis using 2,2'-disubstituted-1,1'-binaphthyls
報告番号 117507
報告番号 甲17507
学位授与日 2002.06.13
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5301号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 工藤,一秋
 東京大学 教授 相田,卓三
 東京大学 教授 溝部,裕司
 東京大学 助教授 橋本,幸彦
 中央大学 教授 石井,洋一
内容要旨 要旨を表示する

1. 緒言

 軸不斉2,2-二置換-1,1'-ビナフチル類は、金属種へのキレーションにより強固でかつ安定な環状構造を有する錯体を形成し、中心金属のまわりに効果的に不斉な環境をもたらすため、不斉配位子としてエナンチオ選択的反応に多く応用されている。一方、それらの1,1'-ビナフチル類を不斉補助基に用いたジアステレオ選択的反応への応用例は少ない。そこで本研究では軸不斉2,2'-二置換-1,1'-ビナフチル類を用いたジアステレオ選択的反応の開発を目的とした。また、研究の結果見出されたアリールアゾ基の配位官能基としての有用性を拡張すべく不斉配位子への展開も行った。

2. 2-アルキルアミノ-2'-ヒドロキシ-1,1'-ビナフチルを不斉補助基としたアリール酢酸のジアステレオ選択的α-アルキル化反応

 2-アミノー2'-ヒドロキシー1,1'-ビナフチル(NOBIN)のN-アルキル体を不斉補助基とする光学活性フェニル酢酸エステルについて、エノラートを経由するα-アルキル化反応を行った。窒素上に3-ペンチル基を有する1を基質とした場合に、種々のアルキル化剤との反応において高いジアステレオ選択性が発現することを見出した(Table 1)。

 1のリチウムエノラートをtert-ブチルジメチルシリルクロリドでトラップしたところ、(Z)-ケテンシリルアセタールのみが得られた。これは(E)-エノラートの生成が選択的に起こったことを示している。一方、補助基のアミノ基上に水素を持たないN,N-ジメチルアミノ体を用いて同様の実験を行ったところ、(E)-および(Z)-ケテンシリルアセタールの混合物が得られた(E/Z=6/4)。また、X線結晶構造解析の結果から窒素上の置換基が小さい場合にはアミノ基とエステルカルボニル酸素との間に分子内水素結合が存在することが示唆された。以上の結果から、分子内水素結合がジアステレオ選択性の発現に関与しているものと考えた。

3. 2-アルキルアミノ-2'-ヒドロキシー1,1'-ビナフチルを不斉補助基としたジアステレオ選択的Diels-Alder反応

 NOBINのN-アルキル体を不斉補助基とした他の面選択的な反応への拡張を目的とし、ルイス酸を活性化剤とするアクリル酸エステルのDiels-Alder反応を行った。その結果、1当量の四塩化スズを用いた場合に良好な収率、中程度のエンド選択性で付加体が得られ、エンド体において良好なπ面選択性が見られた(Table 2)。反応の立体選択性は窒素上の置換基に依存し、本反応においても、N-3-ペンチル体を用いた場合に最も良好な面選択性を示した。

4. アリールアゾ部位を有する新規な1,1'-ビナフチル類を不斉補助基に用いたエキソ選択的Diels-Alder反応

 前章までに述べたものも含め、これまでに不斉源として報告のある窒素置換1,1'-ビナフチル類では、窒素官能基としてアミン、イミン、ないしはアミドが用いられてきている。これに対し、アミンから誘導可能なアリールアゾ基は不斉源中の官能基として用いられた例はない。そこで2位にアゾ基を有する新規ビナフチル化合物を合成し、そのアクリル酸エステル7a、7bのルイス酸存在下でのシクロペンタジエンとのDiels-Alder反応を検討した(Table 3)。

 フェニルアゾ基をもつ7aとシクロペンタジエンとの反応を1当量の四塩化スズを用いて行った結果、中程度のエンド選択性、ジアステレオ選択性で対応する付加環化生成物が得られたのみであった。しかしながら、2-ピリジルアゾ基を持つ7bを用い同様の反応を行ったところ、主生成物はエキソ体となり、かつ高いジアステレオ選択性が発現することを見出した。エキソ選択性の発現は活性化剤に1当量の四塩化スズを用いた時に特異的で、ピリジン窒素の四塩化スズヘの配位が選択性の発現に関与していることが示唆された。本反応はアクリル酸エステルのDiels-Alder反応がエキソ選択的かつ高ジアステレオ選択的に進行した初めての例である。

5. アリールアゾ部位を有する新規な光学活性ホスフィン配位子の合成とそれを用いたパラジウム触媒不斉アリル化反応

 前章ではアリールアゾ基を有する1,1'-ビナフチル不斉補助基の有効性を明らかにした。ところで、アゾベンゼンはパラジウム等の遷移金属と数種の配位形式で錯体を形成することが知られており、また、光によってトランス体からシス体へと異性化し分子の形が大きく変化するというユニークな特性を持つ。このため、アゾベンゼン部位を有する光学活性ホスフィン配位子を用いた触媒的不斉合成反応に興味が持たれる。そこで、2位にアゾ基を有する光学活性ビナフチルホスフィン配位子AZOP(12)を合成し、パラジウム触媒不斉アリル化反応の不斉配位子への応用を検討した(Table 4)。

 反応は温和な条件で高収率かつ高選択的に進行した。本反応はアゾ基を積極的に不斉配位子へと応用し、高いエナンチオ選択性を達成できたはじめての例である。アゾベンゼンと錯体を形成することが報告されている2価パラジウムを用いた場合には、収率が低下するのみで選択性に変化はなかった。また、シス体に異性化させた配位子を用いて同様の反応を行ったが、収率及びエナンチオ選択性にトランス体を用いた場合との差異は見られなかった。このことから、本反応においてはアゾ基は配位座としては機能せず、反応点と離れて存在しているものと考えられる。

Table 1 Diastereoselective α-alkylation of 1

a The ratio of 2:3 was determined on the basis of HPLC analysis of corresponding methyl esters in comparison with that of an authentic methyl (S)-2-alkylphenylacetate.

Table 2 Diels Alder reaction of N-alkylated NOBIN derived chiral acrylates

a Determined by HPLC or 1H NMR. b Absolute configuration of major endo-adduct was determined by HPLC analysis after conversion into their Pirkle' s carbamate.

Table 3 Diels-Alder reaction of chiral acrylates containing an arylazo group

a Determined by 1H NMR analysis. b Relative configuration of exo-adduct 9 was determined by X-ray analysis of the corresponding racemic product. c Absolute configuration of endo-adduct was determined by the sign of optical rotation of corresponding alcohol after reduction. d Not determined. e In the presence of 0.5 equiv. of SnCl4.

Table 4 Enantioselective allylic alkylation using (S)-AZOP

a Determined either by 1H NMR in the presence of Eu(hfc)3 or by HPLC analysis using DAICEL Chiralcel OJ. b Absolute configurations of the major products were determined by the sign of optical rotation. c Reaction was performed at -23 ℃ for 4 days.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、軸不斉2-アミノ-2'-ヒドロキシー1,1-ビナフチル(NOBIN)から誘導されるC1対称2,2'-二置換-1,1'-ビナフチル類を用いた不斉合成反応に関する研究の成果について述べたものであり、以下の6章から構成されている。

 第1章は序論であり、光学活性体の入手方法としての不斉合成の重要性、不斉合成の分類、不斉合成における不斉源としての光学活性2,2'-二置換-1,1'-ビナフチル類、特にNOBIN誘導体の位置付けについて述べるとともに、本研究の目的とその意義について述べている。

 第2章では、N-アルキル化NOBINを不斉補助剤として用いたアリール酢酸エステルのジアステレオ選択的α-アルキル化反応を試みている。エステルのリチウムエノラートと種々のヨウ化アルキルとの反応を行い、高ジアステレオ選択的に対応するα-アルキル化体が得られることを見出している。窒素上のアルキル基の影響に関して検討を行い、基質のX線構造解析の結果と反応の選択性との相関から、基質における分子内水素結合の存在が高い立体選択性の発現に必要であると考察している。また、本反応においてエノラートが立体選択的に生成していることを明らかにし、中間体の構造を提唱している。さらに、補助剤の除去反応が温和な条件下で進行し、補助剤が定量的に回収できることも示している。N-アルキル化NOBINの両光学活性体が入手容易であることから、本成果は望みの立体配置をもつα-アルキル化アリール酢酸類を得る方法として、合成的見地から意義が大きい。

 第3章では、不斉補助剤としてのN-アルキル化NOBINの有用性を拡張すべく、アクリル酸エステルの立体選択的Diels-Alder反応への展開を試みている。その結果、シクロペンタジエンとの反応において、エンド体が優先的に得られ、かつ高立体選択的に付加体が得られることを見出している。窒素上のアルキル基の影響を検討し、アルキル基が比較的小さい場合にはエンド付加におけるジアステレオ選択性が高く、かさ高いアルキル基を持つものでは、エキソ体生成物に高立体選択性が見られるという興味深い事実を明らかにしている。

 第4章では、2-ヒドロキシ-2'-(2-ピリジルアゾ)-1,1'-ビフェニルを不斉補助剤とするアクリル酸エステルの異常なエキソ選択的不斉Diels-Alder反応について述べている。ルイス酸存在下このエステルにシクロペンタジエンを作用させたところ、エキソ付加物が優先的に、しかもエキソ付加体が高ジアステレオ選択的に得られることを見出している。一般に、アクリル酸エステルのDiels-Alder反応はエンド付加体を優先的に与え、エキソ体が主生成物になったという報告は極めて少ない。この結果は、その中でも高立体選択性を示した初めての例であって、合成化学的に意義が大きい。フェニルアゾ基をもった基質を用いた場合や空配位座を1つしか持たないルイス酸を用いた場合には反応はエンド選択的であったことから、ピリジン窒素とエステルカルボニル酸素がルイス酸へ同時に配位した錯体が中間体であり、その構造がエキソ選択性の発現に関与していると考察している。

 第5章では2-アリールアゾ-2'-ジフェニルホスフィノ-1,1'-ビナフチルの合成とその不斉触媒反応への応用について述べている。アゾベンゼン類には遷移金属への配位性があることが知られているが、不斉配位子へと応用された例はない。また、アゾベンゼン類にはホトクロミック性があることから、アリールアゾ部位をもつ配位子の開発は光スイッチング可能な触媒の開発につながる点で興味がもたれる。このような背景から、初めての不斉アゾホスフィン配位子である2-アリールアゾ-2'-ジフェニルホスフィノ-1,1'-ビナフチルを合成した。本アゾホスフィン配位子をパラジウム触媒不斉アリル化反応に適用し、良好なエナンチオ選択性で反応が進行することを見出した。本配位子が紫外光の照射により異性化を引き起こすことを確認し、光照射を行った後に前述の不斉アリル化反応に適用したが、異性化の前後でエナンチオ選択性に変化は見られなかった。これは、本触媒反応においてはアリールアゾ基は中心金属に対して直接配位していないためであると考察している。選択性の光スイッチングは実現しなかったものの、本配位子は触媒反応に新たな概念を提示するものとして興味深い。

 第6章では本論文の成果について要約し、今後の展望を述べている。

 以上のように、NOBINから誘導される新規不斉補助剤ならびに不斉配位子を開発している。その成果は、有機合成化学ならびに有機工業化学の進展に寄与するところ大である。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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