学位論文要旨



No 117511
著者(漢字) 風間,伸介
著者(英字)
著者(カナ) カザマ,シンスケ
標題(和) 陥凹型早期大腸癌の病理組織形態学的、および分子生物学的検討
標題(洋)
報告番号 117511
報告番号 甲17511
学位授与日 2002.06.19
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2027号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 幕内,雅敏
 東京大学 教授 小俣,政男
 東京大学 教授 深山,正久
 東京大学 講師 川邊,隆夫
 東京大学 講師 下山,省二
内容要旨 要旨を表示する

背景

 大腸癌の多くは、隆起型の形態をとる腺腫の中に癌が発生し、進行癌に発育、進展すると考えられてきた。この概念はadenoma-carcinoma sequence(ACS)として一般に広く受け入れられている。

 一方日本では大腸内視鏡技術の発達に伴い、肉眼的に隆起を呈さず、平坦、もしくは陥凹部分を伴う腺腫や早期癌が多数発見されるようになってきた。特に陥凹型早期大腸癌は、腺腫を前癌病変とせず、de novo発生し、腫瘍径が小さいうちに悪性度が高くなることが報告されてきた。

 しかしこれまでの陥凹型大腸腫瘍の研究には、平坦病変と、陥凹部分を持つ病変とを厳密に区別して検討していないものも多く、陥凹という特異的な形態を持つ腫瘍のみを対象にした、詳細かつ系統的研究はこれまでにない。また、陥凹型早期大腸癌の組織発生も充分に解明されていない。さらに陥凹形成機序についての検討もなされていない。

 遺伝子異常の観点からは、陥凹型大腸腫瘍は、K-ras遺伝子変異の頻度が低いことが報告されており、こうした肉眼形態をとる病変は、ACSとは異なる遺伝子変異の経路を経て発生している可能性が示唆されてきた。しかし、これらの報告は、腫瘍径の小さい症例を主たる検討対象とするか、大きさを考慮していないものが多く、陥凹型大腸腫瘍の発育過程でK-ras遺伝子変異が生じていないのかどうかについて結論は出ていない。

 そこで本研究では、陥凹型早期大腸癌の、1)組織発生、2)陥凹形成機序、3)生物学的悪性度を病理組織形態の面から、4)発育進展におけるK-ras遺伝子異常関与の有無を分子生物学的側面から、明らかにすることを目的とした。

陥凹型早期大腸癌の組織発生、陥凹形成機序、生物学的悪性度

1.対象、方法

 新潟大学第一病理学教室で病理組織学的検討がなされた、外科的切除陥凹型早期大腸癌87例を検討対象とした。

 陥凹部粘膜成分の有無と厚さから、陥凹型早期大腸癌を次の3亜型に分類した。絶対的陥凹型(ABS;absolutely-depressed type):陥凹部粘膜厚が正常粘膜より薄い病変。相対的陥凹型(REL;relatively-depressed type):陥凹部粘膜厚が正常粘膜と同程度か、厚い病変。潰瘍型(UL;ulcerated type):陥凹部粘膜が脱落潰瘍化し、粘膜下層の腫瘍部分が露呈している病変。

 高分化腺癌はその組織異型度から、高異型度癌(CAH;carcinoma with high grade atypia)と低異型度癌(CAL;carcinoma with low gradeatypia)とに分類した。癌のsm浸潤度をsm1,sm2,sm3に分類し、大きさは病変最大径を計測した。陥凹局面が腫瘍全体に占める割合を陥凹率として算定した。

2.結果

 粘膜内癌26例(29.9%)、sm癌61例(70.1%)で、亜型別には、UL型24例(27.6%)、ABS型23例(26.4%)、REL型40例(46.0%)であった。

 ABS型とUL型は、REL型に比し、陥凹率と純粋高異型度癌の比率が有意に高かった(陥凹率:ABS vs REL p=0.002、UL vs REL p=0.052;CAH alone率:ABS vs RELp=0.00g、UL vs REL p<0.0001)。ABS型は全例腺腫非残存癌であったが、REL型の12例(30%)は腺腫を併存していた(p=0.006)。

 ABS型とREL型間でsm浸潤率に有意差はなかったが、ABS型はREL型に比し、10mm以下の小病変から、高異型度癌のみから構成され、sm深部浸潤をきたした癌の割合が多い傾向にあった。

 ABS型の13/23(56.5%)とUL型の17/24(70.8%)は周辺隆起が反応性粘膜であり、15/23(65.2%)と21/24(87.5%)は陥凹部がCAHのみから構成されていたが、REL型の33/40(87.5%)は腫瘍粘膜隆起を伴い、陥凹部がCAHのみからなる頻度は11/40(27.5%)に過ぎず、ABS型、UL型とは有意差が見られた。隆起部と陥凹部の構成組織はABS型では8/10(80%)で組織異型度が同一で、REL型では陥凹部が隆起部に比べ組織異型度が高いものが19/33(57.6%)を占めた(p=0.069)。

3.考察

 陥凹型早期大腸癌は、組織学的には、少なくとも3つの亜型に分類されうる。中でもREL型は肉眼的には陥凹を伴う病変として認識されるが、組織学的に見ると随伴する周辺隆起に対する相対的な認識であり、むしろ平坦型、あるいは隆起型の亜型として考えなくてはならない可能性がある。

 これまで陥凹型早期大腸癌はde novo発生として報告されてきたが、従来の研究では亜分類はなされておらず、UL型が検討対象に含まれているかどうかは、明示されていない。UL型を対象に含めるとde novo発生の比率が高く見積もられ、その結果は陥凹型早期大腸癌の真の組織発生を示していない。従って本研究ではUL型は除外して考察する。

 ABS型に腺腫併存例はなく、REL型は30.0%が腺腫を併存していたことからABS型はde novoに発生した癌が多く、REL型はde novo発生とACSを介するものとがあることが推定される。癌部の組織異型度を検討するとABS型では癌部の52.2%が高異型度癌のみから構成されており、ABS型の多くは、大腸癌の中でも特異的な発生、組織発育様式を示す癌であると考えられる。

 ABS型の56.5%は腫瘍が陥凹部分のみに存在しており、ABS型はその発生初期段階から陥凹形態を呈していたことが考えられる。一方REL型の82.5%は隆起部に腫瘍性隆起を伴い、その57.6%で陥凹部は隆起部に比べ高い組織異型度の病変で構成されていたことからREL型は表面平坦、隆起型病変として発生し、陥凹局面は二次的に形成された可能性が示唆される。

 深達度から見た場合、UL型は全例がsm癌であり、陥凹型の中で最も悪性度の高い病変と考える必要がある。ABS型とREL型では深達度、sm浸潤度に有意差は見られず、生物学的悪性度の推定はできなかった。

 陥凹型早期大腸癌の臨床診断に際しては、これら生物学的悪性度の異なる亜型を鑑別することが重要である。UL型は陥凹部粘膜面の脱落所見を色素拡大内視鏡によるpit pattern観察で捉えることにより、その診断は容易と考えられる。

陥凹型早期大腸癌のK-ras粥遺伝子変異 : 特に10mm以上の病変について

1.対象

 新潟大学第一病理学教室で病理診断、組織学的検討のなされた、外科切除陥凹型早期大腸癌34例(粘膜内癌18例、sm癌16例)を対象とした。大きさは10mm以上が27例(79.4%)で、平均±SDは15.0±6.7mmであった。

2.方法

 病理組織形態学的検討は、上記の方法に従った。DNAはホルマリン固定、パラフィン包埋材料から、10μm厚、5枚の切片を作製し、一カ所につき2-27腺管をen blockとしてmicrodissection法で抽出した。DNAサンプルは34病変全体で241箇所であり、一病変あたり平均7.1±41(2-19)箇所であった。

 K-ras codon12とcodon13の変異の有無を、nested polymerase chain reaction-restriction fragment length polymorphism(PCR-RFLP)法を用いて、変異の有無を検索した。検討に先立って、本研究におけるK-ras遺伝子変異の検出感度を確認し、今回の方法ではtemplateDNA中、mutantDNAが10%以上含まれていれば、その検出が可能であった。codon12を対象に、PCR-RFLP法で遺伝子変異が確認されたPCRサンプルを用いて、その塩基配列を確認した。

3.結果

 癌部におけるK-ras遺伝子変異の頻度は、codon12で17/34(50%)、codon13で9/34(26%)であった。種々の病理学的因子との相関では、腺腫と低異型度癌の組織異型度、腫瘍の大きさのみが変異の有無と相関した。組織異型度ではcodon12において、腺腫1/8(12.5%)、低異型度癌14/23(60.9%)であった(p=0.023)。大きさでは10mm未満では、1/7(14%)にcodon12の変異が認められたに過ぎなかったのに対し、10mm以上の大きさでは、16/27(59%)、9/27(33%)、17/27(63%)でそれぞれcodon12、codon13、codon12あるいはcodon13に変異が認められた(codon12;P=0.042、codon12/13;P=0.029)。

 codon12に変異の見られた17例について、その変異様式を検討した。抽出領域すべてに同一の変異を認めた症例が2例(11.8%)、wild typeと単一の変異を示した症例が13例(76.5%)、wild typeと二つの異なる変異を示した症例が2例(11.8%)であった。これら17例の、変異検出率(変異の認められたサンプル数/抽出全サンプル数)は10mm以上の大きさの病変で35.1±30.0%、10mm未満での病変で25.0%であった。

4.考察

 10mm未満の陥凹型早期大腸癌のK-ras遺伝子変異は14%と低く、過去の報告と同様であったが、10mm以上の大きさでは59%にcodon12の、63%でcodon12かcodon13いずれかの変異が認められ、10mm未満に比較して、有意に高値であった。これらの結果から、K-ras遺伝子変異は陥凹型大腸腫瘍発育の早期には関与しないものの、後期に関与している可能性が示唆される。

 10mm以上の大きさの陥凹型早期大腸癌のK-ras遺伝子変異については、少数例の報告と本研究結果とは異なった。microdissectionした全ての領域から変異が認められた症例は、2例(11.8%)のみであり、変異検出率の平均は、10mm以上の症例で35.1%にすぎなかったことから、本研究結果と過去の報告との解離は、K-ras遺伝子変異の同一腫瘍内heterogeneityに原因があると考察される。

 陥凹型大腸早期癌でcodon13の変異を検討した報告はこれまでなく、その結果は、10mm未満で0%、10mm以上で33%であった。

 陥凹型早期大腸癌のK-ras遺伝子異常は、腺腫と低異型度癌の組織型、大きさ以外の病理学的因子とは関連が見られなかった(codon12)。さらに陥凹型亜型別でのK-ras遺伝子の分布様式でも一定の傾向は見られなかった。このことからは、同遺伝子変異の陥凹型早期大腸癌の発育における役割は、隆起型大腸腫瘍と同様に、腫瘍の大きさの増大であることが推定されたが、変異検出率から考察すると、大きさの増大がK-ras変異陽性細胞のclonal expansionの結果であるとは結論できない。また亜型別の発育にはK-ras以外の遺伝子の関与が示唆され、今後、同遺伝子変異と関係する細胞増殖や、血管新生、および他の遺伝子変異との関連も検討していく必要があると考えられた。

結語

 本研究は、第一に陥凹型早期大腸癌の病理組織形態学的検討を行った。従来一括した範疇に含められていた陥凹型早期大腸癌には、3つの亜型があり、ABS型とREL型で組織発生、陥凹形成機序が異なり、UL型は生物学的悪性度が高いことを明らかにした。

 次に、陥凹型早期大腸癌のK-ras遺伝子変異について分子病理学的検討を行った。K-ras遺伝子変異は陥凹型早期大腸癌発育の早期の段階では関与せず、10mm以上の大きさに増大する段階での関与が示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、陥凹型早期大腸癌の、1)組織発生、2)陥凹形成機序、3)生物学的悪性度に関して病理組織形態学の面から、4)発育進展におけるK-ras遺伝子異常関与の有無に関して分子生物学的側面から検討を行った。これまで陥凹型早期大腸癌に関して、過去にこうした病理組織学的検討の報告はなく、本研究で下記の結果を得ている。

 新潟大学第一病理学教室で病理組織学的検討がなされた、外科的切除陥凹型早期大腸癌87例を検討対象とし、陥凹型早期大腸癌を次の3亜型に分類した。絶対的陥凹型(ABS;absolutely-depressed type):陥凹部粘膜厚が正常粘膜より薄い病変。相対的陥凹型(REL;relatively-depressed type):陥凹部粘膜厚が正常粘膜と同程度か、厚い病変。潰瘍型(UL;ulcerated type):陥凹部粘膜が脱落潰瘍化し、粘膜下層の腫瘍部分が露呈している病変。

1.ABS型は23例全例腺腫非残存癌であったが、REL型の12例(30%)は腺腫を併存していた(P=0.006)。2.ABS型とREL型間でsm浸潤率に有意差はなかったが、UL型は両者と有意差を認めた。3.ABS型の13/23(565%)は周辺隆起が反応性粘膜であり、15/23(65.2%)は陥凹部が高異型度癌のみから構成されていたが、REL型の33/40(87.5%)は腫瘍粘膜隆起を伴い、陥凹部が高異型度癌のみからなる頻度は11/40(27.5%)に過ぎず、ABS型、UL型とは有意差が見られた。隆起部と陥凹部の構成組織はABS型では8/10(80%)で組織異型度が同一で、REL型では陥凹部が隆起部に比べ組織異型度が高いものが19/33(57.6%)を占めた(P=0.069)。

2.次に陥凹型早期大腸癌34例(粘膜内癌18例、sm癌16例)を対象としK-ras遺伝子変異の検討を行った。癌部におけるK-ras遺伝子変異の頻度は、codon12で17/34(50%)、codon13で9/34(26%)であった。種々の病理学的因子との相関では、腺腫と低異型度癌の組織異型度、腫瘍の大きさのみが変異の有無と相関した。(腺腫1/8(12.5%)、低異型度癌14/23(60.9%)、p=0.023)、(大きさ:10mm未満1/7(14%)vs10mm以上codon12;16/27(59%)、codon1319/27(33%)、codon12 and codon13;17/27(63%)codon12;P=0.042、codon12and131P=0.029)

 本研究では、第一に陥凹型早期大腸癌の病理組織形態学的検討を行った。従来一括した範疇に含められていた陥凹型早期大腸癌には、3つの亜型があり、ABS型とREL型で組織発生、陥凹形成機序が異なり、UL型は生物学的悪性度が高いことを明らかにした。

 次に、陥凹型早期大腸癌のK-ras遺伝子変異について分子病理学的検討を行った。K-ras遺伝子変異は陥凹型早期大腸癌発育の早期の段階では関与せず、10mm以上の大きさに増大する段階での関与が示唆された。

 本研究は陥凹型早期大腸癌に関して病理組織形態学的検討を行い、組織発生、陥凹形成機序、生物学的悪性度に関して新しい知見を報告している。また陥凹型早期大腸癌のK-ras遺伝子変異に関して従来の報告よりさらに比較的後期での関与を示唆しており、以上の2点から学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク