学位論文要旨



No 117513
著者(漢字) 杉原,陽子
著者(英字)
著者(カナ) スギハラ,ヨウコ
標題(和) 在宅介護の継続、入所、死別の過程における介護者のストレスの変化と不適応の予測要因 : 続柄、役割移行後の経過期間、および社会的支援の影響
標題(洋)
報告番号 117513
報告番号 甲17513
学位授与日 2002.06.19
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第2029号
研究科 医学系研究科
専攻 健康科学・看護学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 村嶋,幸代
 東京大学 教授 数間,恵子
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 教授 若井,晋
 東京大学 助教授 萱間,真美
内容要旨 要旨を表示する

背景

 在宅介護は長期化する場合が少なくない.介護の長期化に伴って介護者の健康がどのように変化するかは介護者研究における重要な課題のひとつであり,近年,縦断調査に基づく検討が行われるようになった.しかし先行研究は,医療機関や介護サービスの利用者など特殊な標本での分析が多いこと,平均値の変化といった集団レベルでしか検討していないことなど方法上の問題点があるため,結果を一般化することができない.また,在宅介護の長期化の影響を検討した研究は多いが,要介護高齢者の入所や死別によって在宅介護を終了した人も視野に入れた分析は少ない.在宅介護から施設介護に移行した後も介護を継続している介護者は多く,入所に伴い経済的な問題や施設の処遇の問題など新たなストレッサーが生じる場合もある.死別は,介護からは解放されるが,家族の喪失というストレスフルな出来事でもある.在宅介護で消耗した介護者は新たなストレッサーに対処するための予備力が少なく,ストレッサーの影響に対して脆弱になっている可能性がある.さらに,在宅介護時にストレスが強かった人は,それが心的外傷となり,介護が終わった後もストレスフルな経験について回想しつづけ,心理的に不快な状態(ディストレス)が長く継続する可能性もある.

目的

 在宅介護の継続,在宅介護から施設介護への移行,在宅介護から死別への移行の各過程において,(1)介護者のストレス(抑うつ症状と疲労徴候)が経時的にどのように変化するか,(2)各過程における適応や不適応の個人差を予測する要因は何か,を検討することを目的とした.具体的な分析課題は,以下の6つである.

1)在宅介護が長期化するにしたがって介護者のストレスがどのように変化するかを,集団の平均値と個人の変化パターンの2側面から検討する.

2)続柄や在宅介護継続期間によって在宅介護の継続の影響が異なるか否かを検討する.

3)在宅介護の継続に伴う経時的な適応や不適応のパターン(慢性的にストレスのリスクが高い,偶発的にリスクが生じる,リスクが低い状態を維持)を予測する要因を検討する.特に,公的支援と私的支援の単独の効果だけでなく,両者の補完効果を検討する.

4)在宅介護から施設介護,および死別への移行に伴う介護者のストレスの変化を,集団の平均値と個人の変化パターンの2側面から検討する.

5)続柄および移行後の経過期間によって入所や死別の影響が異なるか否かを検討する.

6)入所後および死別後の適応や不適応(ストレス症状のリスクの有無)を予測する要因を検討する.特に,在宅介護時の私的支援と公的支援の単独および補完効果を検討する.

当該分野における本稿の意義

 1)方法上の意義:(1)東京都下の一都市に居住する高齢者を悉皆調査して介護者標本を把握している.(2)3回の調査(約30ヶ月間の追跡)を行うことによって継続的な適応や不適応の出現割合とその予測要因を捉えている.(3)平均値の変化といった集団レベルの変化だけでなく,臨床的に問題がない範囲で適応できているか,問題となるリスクが生じているかといった個人レベルの変化に着目し,個人の多様性を検討している.

 2)分析枠組み上の意義:(1)在宅介護の継続,施設介護への移行,死別の各過程における介護者の適応や不適応を予測する要因を,ストレスプロセスモデルに基づいて検討している.(2)ライフコース研究の概念を援用し,「介護者と要介護高齢者の続柄」「役割移行後の経過期間(在宅介護継続期間,入所や死別後の経過期間)」「在宅介護時の状況(ストレスや社会的支援)が在宅介護終了後のストレスに及ぼす影響」に着目して,ストレス変化の個人差を検討している.(3)私的支援や公的支援が介護者のストレスを予防する効果をそれぞれ単独でみるとともに,両者の補完効果も検討している.

調査設計

 東京都三鷹市に居住する65歳以上の住民全数をスクリーニングし,要介護高齢者を把握した.その主介護者に対して,1996,1997,1998 年の3回(追跡期間平均30ヶ月)調査を行った.

分析対象

 要介護高齢者の家族で,(1)調査期間中,在宅介護を継続していた361人(在宅継続群),(2)追跡期間中に施設介護に移行した111人(入所群),(3)追跡期間中に要介護高齢者が死亡した188人(死別群)を分析対象とした.

結果と考察

 1)半数の介護者は9年以上在宅介護を行う可能性が高いことが示された.追跡期間中,在宅介護を継続していた介護者の抑うつ傾向や疲労徴候の平均値は悪化し,集団レベルでみた場合は疲弊仮説が支持された.しかし,在宅介護の長期化に伴う変化は個人差がかなりあり,半数程度の介護者は,抑うつ傾向や疲労徴候が常に少ない範囲で適応していたことが明らかになった.他方,慢性的に抑うつ傾向が継続していた人や慢性的に強い疲労が継続していた人はそれぞれ10%と13%であることが示された.これは一般成人集団で報告されている慢性的な抑うつのリスクの出現割合と比べて,約5倍の高さであった.

 2)在宅介護の継続の影響は続柄によって異なり,妻が主介護者である場合が,最も抑うつ傾向や疲労徴候が深刻であった.夫が要介護状態になることは,妻にとって介護負担だけでなく,将来の不安なども複合するため打撃が大きいこと,妻は介護を一人で抱え込む傾向があるため疲弊しやすいことが,この結果の理由として考えられる. 在宅介護継続期間との関係は,在宅介護を開始してから5年くらいまでは抑うつ傾向や疲労徴候が悪化し,その後しばらくは安定するものの,10年以上経過すると再び悪化する傾向がみられた.介護初期は精神的にも身体的にもストレスフルな期間で,その後しばらくは適応するが,さらに長期化すると疲弊する人が増える可能性が示唆された.

 3)抑うつ傾向と疲労徴候では,慢性的なリスクを予測する要因がそれぞれ異なっていた.慢性的な抑うつ傾向については,要介護高齢者のADL依存度や認知機能障害のような一次ストレッサーよりも,介護による社会活動の制約や家庭内の葛藤といった介護に起因して生じる二次的な問題の方が強い影響を示した.他方,慢性的な疲労の継続については,要介護高齢者のADL依存度のような一次ストレッサーが強く影響することが示された.在宅介護サービスのような公的支援の利用によって介護者の慢性的な抑うつ傾向や疲労徴候が防止されるか否かを検討したが,単独の効果も,私的支援との併用による補完効果も認めることができなかった.

 4)要介護高齢者の入所は,必ずしも介護者の抑うつ傾向や疲労徴候の改善につながるわけではないこと,要介護高齢者との死別は,介護者にとって身体的には疲労の改善につながるが,精神的にはストレスが強いことが示唆された.

 5)入所および死別の影響は続柄によって異なり,配偶者,特に男性の配偶者で抑うつ傾向が悪化したが,嫁では改善する傾向が示された.配偶者にとっては,入所や死別は重要な人物との別離であり,介護の終了というよりも孤独感や悲嘆の方が強いが,血縁関係でない嫁にとっては,介護の終了といった意味合いの方が強いことが考えられる.死別後の経過期間と抑うつ傾向との関係は,死別直後は抑うつ傾向が強く,その後10ヶ月くらいまでは改善するが,それ以降再び悪化する傾向がみられた.要介護高齢者との死別はストレスフルな出来事であるが,一方で介護からの解放でもあるため,死別後の経過期間と抑うつ傾向との関係は複雑になっていると考えられた.

 6)在宅介護時に公的支援を多く利用していた人ほど,入所後の抑うつ傾向や死別後の疲労徴候が低いことが示された.在宅介護サービスの利用によって,在宅介護終了後のストレスからの回復が促進される可能性が考えられた.在宅介護時に抑うつ傾向や疲労徴候が強かった人は,在宅介護を終了した後もそれらのリスクが強く,在宅介護での消耗が大きかった場合,在宅介護が終了してもその悪影響が継続することが考えられた.

結論と提言

 1)介護者全体の傾向としては,在宅介護の継続は抑うつや疲労の悪化に結びつくこと,施設介護に移行してもストレスが改善するわけではなく,死別後は抑うつ傾向が一層悪化することが示唆された.在宅介護だけでなく,施設介護や死別の過程も視野に入れた介護者の支援が必要である.

 2)在宅介護の継続や入所,死別の各過程における介護者のストレスの変化には個人差があり,在宅介護の継続の影響が最も深刻であったのは妻と介護期間が10年以上の人で,入所や死別の影響が最も深刻であったのは配偶者と死別直後の人であった.介護者への支援策を考える際には,このような特性を持つ人が特にストレスのリスクが高いことを重要視する必要がある.

 3)公的支援は在宅介護の渦中にある時のストレスを防止する効果は弱いものの,在宅介護を終了した後のストレスからの回復を促進する効果があることが示唆された.本稿は介護保険制度が導入される前の結果なので、今後,同様な調査と分析を行うことによって,介護保険制度が導入された現在,公的支援の効果がどのように変化したかを評価する必要がある.

 4)在宅介護時にストレスが強かった人は,在宅介護を終了した後も悪影響が継続することが示唆された.在宅介護時のストレス軽減は,その渦中にある介護者にとって重要なだけでなく,在宅介護終了後の再適応を図る上でも重要な意味を持つといえる.

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、介護者の身体的、精神的なストレスが、在宅介護の長期化、および在宅介護から施設介護や死別へと介護役割が移行するに伴ってどのように変化し、その変化はどのような要因によって予測されるかを、都市部の介護者を約30ヶ月間追跡調査したデータに基づき検討したものであり、下記の結果を得ている。

 1.半数の介護者は9年以上在宅介護を行う可能性が高いことが示された。追跡期間中、在宅介護を継続していた介護者の抑うつ傾向や疲労徴候の平均値は悪化し、集団としてみた場合は疲弊仮説が支持された。しかし、在宅介護の長期化に伴う変化は個人差がかなりあり、半数程度の介護者は、抑うつ傾向や疲労徴候が常に少ない範囲で適応していたことが明らかになった。他方、慢性的に抑うつ傾向が継続していた人や慢性的に強い疲労が継続していた人はそれぞれ10%と13%であることが示された。これは一般成人集団で報告されている数値と比べて、約5倍の高さであった。

 2.在宅介護の継続の影響は続柄によって異なり、妻が主介護者である場合が、最も抑うつ傾向や疲労徴候が深刻であった。在宅介護の継続期間との関係では、在宅介護を開始してから5年くらいまでは抑うつ傾向や疲労徴候が悪化し、その後しばらくは安定するものの、10年以上経過すると再び悪化する傾向が示された。

 3.抑うつ傾向と疲労徴候では、慢性的なリスクを規定する予測要因がそれぞれ異なっていた。慢性的な抑うつ傾向については、要介護高齢者のADL依存度や認知機能障害のような一次ストレッサーよりも、介護による社会活動の制約や家庭内の葛藤といった介護に起因して生じる二次的な問題の方が強い影響を示した。他方、慢性的な疲労の継続については、要介護高齢者のADL依存度のような一次ストレッサーが強く影響することが示された。在宅介護サービスの利用によって介護者の慢性的な抑うつ傾向や疲労徴候が防止されるか否かを検討したが、単独の効果も、私的支援との併用による補完効果のいずれも認めることができなかった。

 4.要介護高齢者の入所は、必ずしも介護者の抑うつ傾向や疲労徴候の改善につながるわけではないこと、要介護高齢者との死別は、介護者にとって身体的には疲労の改善につながるが、精神的にはストレスが強いことが示唆された。

 5.入所および死別の影響は続柄によって異なり、配偶者、特に男性の配偶者で抑うつ傾向が悪化したが、嫁では改善する傾向が示された。死別後の経過期間と抑うつ傾向との関係は、死別直後は抑うつ傾向が強く、その後10ヶ月くらいまでは改善するが、それ以降再び悪化する傾向がみられた。要介護高齢者との死別はストレスフルな出来事であるが、一方で介護からの解放でもあるため、死別後の経過期間と抑うつ傾向との関係は複雑になっていると考えられた。

 6.在宅介護時に在宅介護サービスを多く利用していた人ほど、入所後の抑うつ傾向や死別後の疲労徴候が低いことが示された。在宅介護サービスは、在宅介護の渦中にある時は効果を認めにくかったが、在宅介護を終了した後のストレスからの回復を促進する可能性が示唆された。在宅介護時に抑うつ傾向や疲労徴候が強かった人は、在宅介護を終了した後も抑うつ傾向や疲労徴候が強く、在宅介護での消耗が大きかった場合、介護が終了してもその悪影響が継続することが考えられた。

 以上、本論文は、在宅介護の長期化、入所や死別といった介護者がたどる過程における介護者の精神的、身体的ストレスの変化とその予測要因を、縦断調査に基づいて明らかにした。本研究は、在宅介護だけでなく、施設介護や死別の過程も視野に入れた検討を行っていること、また、一地域に居住する高齢者をスクリーニングして要介護高齢者を把握するといった世界的にみても貴重なデータベースを作成しており、介護者のストレスの長期的変化とその予測要因を実証的に検討した資料として意味があるため、学位の授与に値するものと考えられる。

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