学位論文要旨



No 117515
著者(漢字) 北村,賢哲
著者(英字)
著者(カナ) キタムラ,ケンテツ
標題(和) 民事判決手続における欠席手続論序説
標題(洋)
報告番号 117515
報告番号 甲17515
学位授与日 2002.06.20
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第168号
研究科 法学政治学研究科
専攻 民刑事法専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊藤,眞
 東京大学 教授 落合,誠一
 東京大学 教授 高橋,宏志
 東京大学 教授 能見,善久
 東京大学 教授 西川,洋一
内容要旨 要旨を表示する

 一、我が国の民事訴訟手続において妥当する処分権主義、弁論主義、さらには口頭主義のもとでは、次のような姿があるべき訴訟手続として想定されている。すなわち、原告の定立した訴訟物について審理するために、両当事者が口頭弁論期日に出頭し、そこで主張立証をなし、裁判所は、当該訴訟物について、口頭弁論期日に提出された訴訟資料に基づいて判決するというものである。したがって、当事者が口頭弁論期日に出頭せず、または出頭しても訴訟資料を提出する行為を行わないなど、当事者の懈怠は、そのあるべき訴訟手続の実現を不可能にする事態であり、それにもかかわらず、裁判所が判決をなしうるとするためには、あるべき訴訟手続として想定されたものとは別の手続を必要とする。これを欠席手続と呼ぶとすれば、日本法は、欠席手続に相当するものとして、かつて、ドイツ法に由来する闕席判決制度を有していた。それは、一方当事者の期日の懈怠の際に、被告懈怠時には請求原因事実に関する自白擬制を、原告懈怠時にはその請求に関する放棄擬制を成立させ、それに基づき闕席判決をなし、その闕席判決には理由不要の故障申立てによる救済が懈怠者に認められるというものであった。これに対し、大正民訴法改正によって闕席判決制度を廃止した日本法において、新たに形成されてきた欠席手続は、擬制自白の成否に関する次の解釈論を基礎としていた。すなわち、懈怠被告について期日の不出頭および準備書面等の不提出についての帰責性の存否を問題とし、そのいずれかの帰責性の存在を理由として請求原因事実について被告の擬制自白を成立させるというものである(「不出頭不提出擬制自白説」、大審院昭和19年12月22日民事連合部判決)。不出頭と不提出のいずれにも非難可能性が存しないことは稀であることから、この不出頭不提出擬制自白説は、不出頭と不提出の外形的認定だけで、被告が「争わない」ものとして擬制自白の成立を肯定する見解と理解される。しかし、この見解は、書面を提出しさえすれば擬制自白が成立しないとすることから、不提出に対する非難可能性を不出頭に対する非難可能性よりも強調するものであるため、書面提出を促進する機能を有していた反面、期日への出頭促進機能を十分に果たしえなくなるという難点が存した。このような解釈論を基礎とする新たな欠席手続とは、被告の擬制自白に基づいて、上記のあるべき訴訟手続が実現されたのと同様に裁判所が判決をなすというものであり、したがって、この欠席手続における判決は、形式としては、対席判決として位置づけられた。

 ところで、欠席被告に擬制自白が成立する根拠について、日本法の議論は、何らの応訴行為も存しない被告に擬制自白が認められる根拠は、「争わない」からであるとするほかに、肯認的争点決定(affirmative Litiskontestation)なる、欠席判決制度を維持するドイツ法の概念を重視する。日本法上の議論がそのようにしてドイツ法を援用する意味は、以下のとおり分析される。

 二、まず、ドイツ法における自白擬制の正当化の議論は以下のようなものであった。

 何らの応訴行為も存しない場合の自白擬制は、何らかの応訴行為が存在する場合、すなわち続行期日の懈怠時の自白擬制とも、出頭時の不陳述に基づく自白擬制とも区別される。そして、何らの応訴行為も存しない場合の自白擬制を正当化するための議論として、被告の応訴の性質について、応訴義務論と応訴権利論とが対立したが、そこでの議論は、応訴の性質が義務であるか権利であるかという性質論以外の様々な根拠が持ち込まれるかたちでなされていた。また、それらの議論の中では、懈怠被告について自白意思を認めることはできず、したがって、自白擬制は本来の意味の自白ではないことが確認された。むしろ、何らの応訴行為も存しない場合の自白擬制は、懈怠被告の意思によってではなく、裁判所が私人間の紛争解決の結果について中立の立場から解決の責務を負うことを前提として、両当事者を平等に取り扱い、訴訟を進行させなければならないことに根拠が求められた。しかも、それは事後の容易な自白取消し可能性を前提としてのみ正当化されたものであった。この見地から見ると、先の応訴義務論と応訴権利論は、この平等取扱いについての二極の見解、すなわち、原告と被告について、手続的地位の差違を顧慮した実質的平等を必要とするか、あるいは形式的平等で足りるとするかについての議論であったということができる。このような平等取扱いの要請と取消しの容易性によって自白擬制を正当化しようとする議論枠組みのもとで、原告と比較して、懈怠被告保護を支持すべきさまざまな考慮要素が指摘された。

 懈怠被告保護を支持するさまざまな考慮要素が存する。第一に、訴訟のための準備期間について原被告の差が存し、被告は訴えを知ってはじめて準備に取りかかるという事態が蓋然的に存する。第二に、被告は最初の受訴裁判所を選べず、管轄違背を主張しない限り、原告の選択した裁判所での訴訟遂行を迫られる。第三に、訴状に対する応訴の是非の第一次的判断を自ら迫られる。そして第四に、原告にとっての敗訴判決が訴訟費用支払いを命じる債務名義でしかないのに対し、被告敗訴判決は、本案の給付自体の債務名義となるため、敗訴原告よりも敗訴被告にとっての不利益の方が大きい。したがって、これらの要素を顧慮した両当事者実質的平等をいかにしてもたらすことができるかは、欠席手続の議論において常に重要な問題として意識された。

 また、ドイツ法は、原被告の手続的地位に配慮したいくつかの規定を有していることも確認されるべきである。たとえば、応訴期間が十分でない口頭弁論期日における被告の懈怠に基づく欠席判決は違法であること、被告懈怠時においては訴えの有理性の有無が判断され、有理性を欠く場合には、訴えが棄却されなければならないこと、および、その区別と関係して被告が準備書面等を提出しない場合でも、原告懈怠時に欠席判決を得られることが挙げられる。したがって、ドイツ法において、原被告の関係について形式的平等論をとる立場であっても、これらの配慮は当然の前提として、それを超えて被告へのさらなる保護の必要はないと主張する議論であり、実質的平等についての配慮を不要とする議論ではないことに注意しなければならない。

 三、以上の議論枠組みを踏まえると、ドイツ法の解釈論の変遷は以下のように理解できる。

 まず、1924年改正によって、それまで同一審級同一当事者の二度目以降の欠席判決にのみ無担保仮執行が認められていたのが、全ての欠席判決に認められることによって、一度目の欠席判決によって懈怠当事者に課される不和溢は、従来訴訟費用負担だけであったのが、欠席判決の無担保仮執行の受忍へと大きくなったため、不出頭について帰責事由の有無を判断すべきとの見解が通説化した。このことは、懈怠に基づく判決がもたらす不利益の大きさと、不出頭の帰責性という欠席手続において要求される審理の実質性とが密接不可分に関わり合っていることを示している。また、無担保仮執行の問題は、原被告の手続的地位の相違をどれだけ顧慮すべきかの問題でもあった。上記の被告保護の第四の考慮要素がここでも妥当するからである。

 このようなことから、欠席判決に対する故障申立手続を経て、同判決の内容を維持する対席判決について、無担保仮執行を肯定すべきか否かが具体的論点として誕生し、訴訟の迅速化を妨げる故障の濫用に対する制裁としてこれを肯定する見解が一時通説化したものの、1976年簡素化法は、懈怠に帰責性が存する場合において、故障申立人の執行停止に一定の制限を課すかわりに、無担保仮執行否定説を明文で規定した。簡素化法の立法者が肯定説に踏み切れなかった理由は、仮執行の機能強化が被告に対してのみ不利益を増す措置であり、両当事者の手続的地位の平等の観点から、これを正当化することが困難だったからであると考えられる。

 これに対し、欠席判決に対する故障申立手続における故障申立人の出頭義務の厳格化は、ほぼ共有された認識であり、これが期日への出頭確保の機能として重視される。その結果、一度目の欠席判決が違法になされたとしても、その欠席判決に対して故障を申し立てた当事者は、故障申立てに基づき指定された期日には出頭しなければならず、その期日の不出頭に帰責性が存する場合には、懈怠者は「二度目の」欠席判決によって故障が棄却され、その欠席判決に対する不服申立てはもはや認められないこととなる。したがって、被告に対してのみ不利益を増すことには一定の限界が存することと関係して、被告の救済範囲の拡張にも一定の限界が存しているといいうる。この出頭義務の厳格化の理由として、故障申立てにより故障者が欠席判決を知っていることの確証が存することを挙げることができる。

 結局、何らの応訴行為がないことにもとづいて正当化されるのは確定判決ではなく、欠席判決に基づく仮執行であるというのがドイツ法の立場であり、ドイツ法の欠席手続は、その欠席判決を知りながら争わないことによって、初めて争わないことを確定的に認定するという制度であると理解することができる。そして、一方で、その仮執行ですら、上記の原被告間の手続的地位の相違が存するため、欠席判決についての無担保仮執行に対する逡巡が依然として有力に存し、他方で、欠席判決が違法になされた場合であっても、これに対して故障を申し立てた当事者に対して出頭義務を強化することにより、本案審理の促進への配慮が存すると評価される。

 また、故障の効果を論ずるすべての論者は、故障後の手続と期日懈怠前の手続とが、第一審手続と控訴審手続との関係と同様に、連続性をもって一体をなすものであることを意図していたものと思われる。なぜならば、欠席判決を申し立てた当事者が、その申立てと同時に対席手続のための訴訟行為を行うことは通常考えられず、また、故障申立後の期日にて、すでになされた訴訟行為を繰り返させるという制度は合理性を欠き、訴訟状態回復の基準時をどの時点に定めても、欠席判決発令前の訴訟行為は、全て故障後の手続において有効となるからである。

 四、以上のドイツ法の分析は日本法の解釈や運用について一定の示唆を与える。

 日本法が被告不出頭不提出にもとづく擬制自白を肯定する扱いは、不出頭不提出の外形的事実のみを審査すること、自白擬制の撤回が容易であること、さらに訴状を提出した原告と同程度の訴訟行為を被告に要求している点で両当事者の平等に対する配慮が存することから、一応正当なものといえる。しかし、一方で、両当事者の地位の実質的不平等が解消されていない点で、他方で、不出頭への対応、すなわち準備書面等の提出の促進に重点があり、それに対して不出頭への対応、すなわち期日への出頭確保の機能が十分でない点で、現在の取扱いにはなお問題がある。

 まず、実質的不平等の問題については、以下の点が挙げられる。第一に、被告の応訴準備期間への配慮が規定上存しない。第二に、欠席判決に対する救済が控訴や控訴の追完によるため、控訴審では管轄違背の主張ができない。第三に、訴えに対する応訴の是非の第一次判断を迫られる点について、原告には訴状審査による補正の促しにより裁判所からの有理性補完が存することとの対比で、被告が判断を誤って応訴しなかった場合の不利益やその救済が控訴のみによってしか認められなし点が問題である。第四に、不出頭不提出擬制自白説のもとでは、原告敗訴判決は極めて稀であり、他方、被告敗訴判決は、本案の給付義務自体についての仮執行の債務名義をもたらす。そして、不提出に対する対応、すなわち書面の提出を重視し、それによって擬制自白の成立、およびそれに基づく被告敗訴判決とを回避することができるとすることの問題については、不平等の第一点と同じく、応訴準備期間への配慮を欠くこと、および法律知識の十分でない被告に書面提出を期待することはできないことを挙げることができる。

 ところで、日本法の不出頭不提出擬制自白説を基礎とする欠席手続を検討すると、以下のとおりとなる。第一審で不出頭不提出被告が擬制自白にもとづく敗訴判決を受け、被告が控訴のために、原告の主張を争う旨の控訴状を提出すると、被告の応訴行為が認められ、第一審における擬制自白は効力を失い、審級の点を別とすれば、被告・控訴人にとって原状回復としての効果が生ずる。この擬制自白撤回による原状回復は、控訴という形式を借りて、懈怠についての帰責事由を審査しないままに認められる原状回復、つまり故障であり、しかも、このような手続は、ドイツ法において故障の効果がもたらす懈怠前と懈怠後の手続の一体性と連続性とも一致する。したがって、日本法では対席判決の形式を用いてはいるが、その実質においては、ドイツ法と同様に欠席判決がなされていると評価することができる。

 五、以上に基づき、若干の提言をしたい。現在の日本法において、期日の懈怠のみから擬制自白が生ずるとすることは合理性を欠き、また、書面重視の弊害やその反面としての出頭促進機能の不充足の問題は、解釈論によって解決可能な問題ではないように見受けられる。むしろ、懈怠による不利益を正当化するためには、両当事者の平等取扱いを回復するための方策が採られるべきである。そのためには、次の基本的視点が重要である。控訴や控訴の追完による救済は、管轄違背の主張が不可能となり、第一審判決によって仮執行を受けうることから懈怠被告の負担を増大し、しかも、裁判制度の効率的運用の観点からも、控訴審が実質第一審となることによる控訴審の負担過重をもたらす点で問題があり、むしろ同一審級での救済を認める方策がとられるべきである。したがって、同一審級での救済として、懈怠事由の審査なしに口頭弁論の再開が認められるべきであると考える。

審査要旨 要旨を表示する

 1.処分権主義および弁論主義という、わが国の民事訴訟手続の原則の下では、原告によって審判の対象が定立され、その判断のための事実および証拠が両当事者によって口頭弁論に上程されることが想定されているが、現実の訴訟においては、当事者が口頭弁論期日に欠席し、または出頭しても主張や立証を行わず、あるいは準備書面などを提出しないなどの事態が頻出する。このような場面で、裁判所がどのように手続を進め、裁判を行うべきかは、一方で出席当事者の裁判を受ける権利を保障し、他方で、欠席当事者の防御権を尊重する視点から考えられなければならないが、本論文は、このような事態に対処するために現在の日本法がとるいわゆる対席判決主義、すなわち欠席当事者が出席して自白などの訴訟行為をなしたものと擬制して、本案判決を行い、その後の欠席当事者に対する救済は、上訴など本案判決に対する不服申立てに委ねるという原則の形成過程を探り、これと対立する原則である欠席判決主義、すなわち欠席の事実そのものにもとづいて欠席者敗訴の判決を言い渡し、欠席者に対しては、「故障」や「原状回復」などの固有の救済方法を認める原則について、それを採用するドイツ法およびオーストリア法の立法史、判例および学説の発展を分析し、それを踏まえて、日本法における対席判決主義の意義を解明し、なお検討されるべき問題とその解決の方向を提示しようとする。

 本論文の基本的問題意識は、期日に出頭せず、または準備書面などの書面も提出せず、何らの応訴行為が存在しない被告について、どのような根拠から敗訴判決を言い渡すことが正当化されるのか、その敗訴判決は、欠席の事実にもとづく暫定的判決であるべきか、それとも本案についての終局的判決として位置づけられるべきか、欠席についての帰責性は欠席当事者に対する救済を考える上で考慮されるべきか、考慮するとすれば、どのような手続段階でこれを行うかなどに集約される。

 2.本論文は、第一章「日本法における欠席判決法理」において、わが国法制がドイツ法を範とした闕席判決制度から、対席判決制度に移行した過程を分析し、第二章「ドイツ・オーストリア法の基盤」において、1877年のドイツ民事訴訟法の立法前後の議論を分析し、同法のとる欠席判決制度がどのような基礎理念にもとづいて形成されたかを探る。さらに、第三章「ドイツ・オーストリア法の議論の展開」では、1895年のオーストリア民事訴訟法を中心に、記録の現状にもとづく裁判など、関連する制度とのかかわりの中で、オーストリア法の規律がドイツ法との相互批判の中からどのようにして形成されたかを解明する。最後に、第四章「日本法への示唆」では、第二章および第三章の考察を踏まえて、わが国の対席判決主義が、その実質においては欠席判決主義と異ならず、むしろ欠席判決制度をめぐってドイツやオーストリアで展開された議論を参考として、欠席被告に対する救済のあり方の合理性などを再検討すべき旨が示唆される。以下、まず本論文の要旨を述べ、それを踏まえて本論文の評価を行いたい。

 3.序章において著者は、上記のような問題意識を明らかにした上で、まず現行民事訴訟法における欠席手続の構造を概観し、対席判決主義の特徴を摘出する。現行法の対席判決主義も、期日における欠席を直ちに欠席者敗訴の本案判決に結びつけようとするものではなく、一方で、欠席当事者に対する利益保護手段として、最初の期日において欠席者提出の準備書面にもとづく陳述を擬制し(民事訴訟法158条。以下、現行民事訴訟法については、条文番号のみで引用する。)、他方で、出席当事者に対する制約として、欠席当事者に対しては、すでに提出した準備書面に記載した事実しか期日において主張できないとしている(161条)。また、当事者の欠席によって訴訟手続の進行が妨げられる事態に対処する方策として、審理の現状にもとづく判決(244条)や訴え取下げの擬制(263条)の規定を置き、口頭弁論における欠席や訴訟行為の懈怠を間接的に防止する措置を講じている。ただし、訴訟が原告の訴状提出によって開始されること、あるいは被告は十分な準備なく応訴を強いられる場合が多いことなどを考えれば、これらの規定は、通常の場合原告に有利に働く結果となり、同じく欠席当事者といっても、欠席原告と欠席被告の地位を比較すると、対席判決主義の原則は、被告に不利な機能をもっことは否定できない。このような考察を経て本論文は、なぜ欠席についての帰責性の有無を問わず、擬制自白の成立を経て、欠席当事者に不利な本案判決をなすことが正当化されるのかを検討し、あわせて欠席当事者に対する救済が十分なものかどうかを検討しようとする。

 4.第1章では、わが国の民事訴訟法の立法史を大別し、明治国家成立以後民事訴訟法典を持たなかった時代、明治23年の民事訴訟法(以下、旧旧民訴と呼ぶ。)時代、大正15年改正後の民事訴訟法(以下、旧民訴と呼ぶ。)時代、および平成8年の現行民事訴訟法成立後の時期とに分ける。

 旧旧民訴は、当時のドイツ法にならって、闕席判決制度を採用した。この制度の下では、一方当事者の欠席に際して出頭当事者の申立てによって闕席判決がなされる(旧旧民訴246・249・250条)。

 闕席判決に対して、欠席当事者は、「故障」の申立てをすることができ、それにもとづいて故障期日が定められ、故障の要件が審査され、故障が不適法として棄却されるか(旧旧民訴259条)、適法と認められれば、訴訟は闕席判決前の状態に復し、手続が進行する。

 このような内容を持つ旧旧民事訴訟法の闕席判決制度は、大正15年改正による旧民訴法によって廃止され、新たに対席判決制度が導入される。廃止にともなって闕席判決に代わる新たな制度を設ける必要があったが、その一つが、改正民事訴訟法案134条(旧民訴138条)が規定する「最初の口頭弁論期日における訴状や答弁書等の擬制陳述」であった。ここでは、擬制陳述が原告の訴状や準備書面だけではなく、被告の答弁書や準備書面について認められたことが注目される。これは、両当事者間の公平を重視したものと理解される。他方、争われない事実に関する擬制自白を規定した、旧旧民訴法111条2項は、そのまま旧民訴法140条1項として引き継がれ、また、準備書面不記載の事実は、相手方欠席の場合には、口頭弁論において主張しえないとする旧民訴法247条は、旧旧民訴法252条を引き継ぐものとされたが、これらの規定は、廃止の対象となった闕席判決制度に属する規定であった。立法にかかわる事実を総合すると、旧民訴法の立法者は、闕席判決制度自体を廃止し、対席判決制度をもってそれに代えたにもかかわらず、欠席当事者の訴訟手続上の地位に関しては、実質的には、闕席判決制度と同様の取扱いをなし、ただ、故障申立てによる手続の無駄を省こうとしたものと考えられる。

 このように故障申立てを中核とする闕席判決制度を廃止しながら、それを支えていた争われない事実についての擬制自白に関する規定などを引き継いだことによって、旧民訴法下の解釈論は、欠席にもとづく擬制自白成立可能性とその要件、特に欠席についての帰責性を問題とする形で展開される。それを象徴するのが、大審院昭和19年12月22日民事連合部判決民集23巻621頁である。本判決は、擬制自白の成立は、不出頭または準備書面の不提出が欠席当事者の責めに帰すべき事由による場合に限られるとの法理を展開し、結論としては、服役中の当事者について準備書面不提出の帰責事由が認められるとして、擬制自白の成立を認めたものである。

 他方、旧民訴法下の学説は、明文の規定が存在しなかったところから、欠席にもとづく擬制自白成立肯定説、否定説とが分かれ、有力であった肯定説の中でも、さらに欠席のみによって擬制自白が成立し、争う旨の書面が提出されれば自白の効果が覆されるとする「不出頭擬制自白説」と、欠席に加えて書面の不提出があってはじめて自白の成立を認める「不出頭不提出擬制自白説」とが対立した。上記大審院昭和19年連合部判決は、このような状況の中で登場し、欠席についての帰責性の有無を自白成立の要件としたところにその特徴がある。しかし、帰責性の有無を裁判所が判断することは、審理の遅延を招くとの批判があり、戦時の手続特例の下での特殊な判例として同判決を位置づけ、その一般的通用性を否定する見解が有力であった。本論文は、この判決が準備書面不提出についても帰責事由を問題にしていることを重視して、不出頭不提出擬制自白説を前提としているものと捉え、本判決の意義を戦時特例に還元することなく、一般的法理を確立したものとして扱わなければならないとする。

 旧民訴法について昭和23年改正が実現し、旧140条に3項が付加され、欠席当事者に対する擬制自白成立可能性が明文の規定によって認められた。立法者によれば、この改正は、大審院判例を前提とするものとされたが、不出頭不提出擬制自白説を採り、かつ、欠席者の帰責性を問題とした昭和19年の連合部判決は立法に際して考慮されなかった。この改正をきっかけとして、欠席当事者について不出頭または不提出についての帰責性を問題とする意識は消滅したといってよい。他方、期日の変更可能性について、「顕著ナル事由」の解釈を問題とする判例が相次ぎ、それが厳格化することによって欠席当事者に対する救済は、結果として後退せざるをえなくなった。この傾向は、昭和25年改正によって期日の変更要件がいっそう厳格化されたことによって加速された。また、欠席当事者に対する判決言渡期日呼出状の送達が不要とされることにともなって、欠席当事者が弁論再開による救済を求める可能性も狭められた。

 このような経緯から見ると、擬制自白にもとづいて欠席当事者に対してなされる敗訴の本案判決、いわゆる欠席判決に対する救済の途は著しく狭められたことになるが、それが深刻なものとして意識されなかったのは、控訴による救済が存在し、またたとえ控訴状を提出した欠席当事者が、控訴審の第一回口頭弁論期日を重ねて欠席した場合であっても、控訴状の擬制陳述によって第一審の擬制自白の効果が覆滅されたものとして扱われたことによる。その結果として、不出頭または不提出によって擬制自白が成立するとはいえ、控訴状などの提出によって擬制自白の効果が覆滅され、他方、期日の変更や弁論再開など、期日への出頭を確保するための方策はむしろ後退したのであるから、欠席当事者についての擬制自白の根拠としては、不出頭よりも不提出に力点が置かれるようになり、いわば不出頭不提出擬制自白説は、不提出擬制自白説に接近したものと評価できる。このような不出頭の軽視は、別のいい方をすれば、欠席手続が書面主義に移行したものと評価できるし、出頭不能の当事者が書面を提出したことにもとづいて本案判決をなすことを正当化する一群の下級審裁判例は、そのような評価を裏付けるものである。

 5.引き続いて、旧旧民訴法の母法である1877年のドイツ民事訴訟法(以下、RZPOと呼ぶ。)について、その第1草案と対比しつつ、当事者欠席に対する取扱いが分析される。まず、第1草案においては、最初の期日であるか続行期日であるかを問わず、また原告欠席であるか被告欠席であるかを問わず、欠席の事実にもとづいて擬制自白が成立し、請求棄却や請求認容の欠席判決がなされる。これに対する救済としては、故障申立てが認められ、故障申立てがなされると、手続が従前のものと一体のものとして続行される。

 欠席判決に関する第1草案の規定は、第2草案において若干の修正を加えられた後、RZPOとなった。ここで本論文は、RZPOの欠席判決制度をより立ち入って考察するために、期目の懈怠の性質および効果についての普通法以来の議論を分析する。普通法では、懈怠を手続上の義務についての不服従として捉えるか、それともなしうる行為の放棄として捉えるかについて論争があり、これを基礎として、第1草案をめぐって、応訴義務論と応訴権利論との対立がみられた。応訴義務を否定する論者を代表するワッハは、応訴義務や出頭義務を否定し、訴訟行為の懈怠については、懈怠行為の排除という不利益のみを課せば十分であるとする。ワッハの立場では、懈怠や欠席に対して擬制自白の制裁を課すことに消極的にならざるをえず、せいぜい最初の口頭弁論期日に限って擬制自白の成立を認めるべきものとされる。このような考え方は、後の1895年のオーストリア民事訴訟法に受け継がれる。これに対して、デーゲンコルプは、原告の公法的訴権に対応するものとして被告の応訴義務および相手方の主張に対する意思表示義務を認め、被告の懈怠や欠席に対する欠席判決の制裁もしくは懈怠を沈黙の意思表示、すなわち自白として扱う制裁を正当化しようとする。

 この論争をめぐって、それぞれの論者に賛成ないし反対する他の論者、レオンハルト、コーラー、プロッツの議論を紹介した後に、本論文は、一連の論争の中で、本来の擬制自白と欠席にもとづく擬制自白との区別が明らかにされたこと、応訴義務を認めるか、応訴権利にとどめるかの立場の違いは、懈怠にもとづく不利益の程度を直接左右するものではないこと、論争の終末期には、RZPOの欠席判決規定を議論の前提とすることが共通の理解となり、それ自体に対する批判や自白擬制の根拠そのものを疑う考え方はみられなくなったと分析する。

 RZPO施行後の解釈論は、欠席判決の前提となる懈怠の意義および欠席判決の性質について開始された。ライヒスゲリヒトの判例は、一方で、欠席にもとづく合意管轄の発生を否定し、欠席判決は本案にかかるものに限られるとするが、他方で、訴訟要件にかかる事項についても欠席判決を認めるなど、必ずしも統一されていなかった。これに対して学説上では、欠席にもとづいて管轄の合意を自白したものとする考え方、欠席によって管轄違背の主張が排除されるにすぎないとする考え方が存在したことを紹介した上で、欠席判決を本案の弁論懈怠のみに限定するビルクマイヤーの議論、およびそれに対するトロールやワッハの学説が分析される。

 このような議論の流れから、懈怠の対象および欠席判決の性質については、本案判決説が定着し、残る議論は、もっぱら続行・延期期日における懈怠の取扱い、すなわち、トロールのように、可能な限り欠席当事者の出頭を図り、懈怠の効果を覆す口頭主張を認めることによって欠席手続の負担軽減を図ろうとする方向と、ワッハのように、続行・延期期日における懈怠から直ちに欠席判決の可能性を認め、むしろ故障申立てを制限することによって訴訟遅延を防止しようする方向が分かれ、その後の議論もこの二つの方向性をめぐって行われた。

 1895年に成立したオーストリア民事訴訟法(OEZPOと呼ばれる。)は、手続を本案前の第1回期日と本案審理のための争訟的口頭弁論期日とに分け、それぞれについて懈怠の効果を規定する。第1回期日における欠席は、相手方の主張についての真実擬制の効果を生じさせ、相手方当事者の申立てにもとづいて欠席判決がなされる。また、第1回期日後に答弁書の提出が求められたにもかかわらず、その提出が解怠されたときにも、欠席判決の可能性がある。これに対して、争訟的口頭弁論期日における欠席については、従来の訴訟資料にもとづく本案判決がなされる。これらの中で、欠席判決に対する救済としては、帰責性の不存在を要件とする原状回復の申立てが、本案判決に対する救済としては上訴が認められる。

 このようなオーストリア民事訴訟法の欠席判決制度に対して、ドイツ法の視点から批判がなされ、さらにオーストリア法の立場から反論がなされたが、オーストリア法は、訴訟遅延防止という実践的理由から、第一回期日と答弁書提出期間の懈怠に対する制裁として欠席判決と原状回復申立制度を設けたとみるのが合理的である。

 次に、本論文は、浩瀚な比較法的考察にもとづいてオーストリア法とドイツ法との分析を行い、ドイツ法を批判するシーマの所説を検討する。このような批判を背景として、ドイツ法についても欠席判決制度自体を見直そうとする動きが表面化する。その動きは、一方で1924年の改正によってオーストリア法に導入された記録の現状にもとづく裁判を従前の口頭弁論が存在しないときにも認めるなどの形で拡大し、他方で、故障申立てに制限を加えようとする形で開始された。1943年ドイツ民事訴訟法改正草案が、裁判所の判断にもとづいて記録の現状にもとづく裁判か、欠席判決かのいずれかを選択することを認めたのは、このような考え方を評価したものと思われる。

 戦後のドイツにおける解釈論の展開の発端となったのは、1924年改正によってすべての欠席判決について職権により無担保で仮執行宣言が付されることになった点である。このように欠席判決の効果が強化されたことは、一方で、ZPO335条および337条が規定する欠席判決障害事由が認められるときには、裁判所は必要的に期日を延期しなければならないとする見解を一般化させる結果を招き、他方で、無担保仮執行宣言の適用範囲について激しい議論の対立を生じさせた。後者についての具体的論点は、最初の欠席判決に対して故障申立てがなされ、にもかかわらず欠席判決を維持する判決が言い渡されたとき、その判決についても無担保仮執行宣言が認められるのか(無担保仮執行肯定説)、それとも一般則通り立担保仮執行宣言のみが許されるのか(無担保仮執行否定説)という形を取った。

 この改正をめぐって戦前から無担保仮執行否定説を採る論者と肯定説を採る論者との対立がみられたが、無担保仮執行は欠席当事者に対する圧力を目的とする、欠席判決特有のものであるとする立場から、否定説が通説・判例となり、その状態が戦後に引き継がれた。ところが、戦後の1959年にミュンツベルクが、故障の効果論と故障手続の続審性の視点から改めてこの問題を検討したことによって、議論の内容は一挙に深められるに至った。

 引き続いて、本論文は、1960年に発表されたシュテックラインの所説を分析する。シュテックラインは、欠席判決手続と記録の現状にもとづく裁判を統合する高次の概念として、「懈怠裁判のための懈怠手続」を構想し、その目的を出頭当事者の紛争解決利益の保障と、欠席当事者による訴訟引き延ばしの防止にあるとする。そして、欠席判決と記録の現状にもとづく裁判を比較したときに、懈怠手続の目的を考慮するのであれば、後者をより重視すべきであるとし、たとえば、続行期日における欠席判決を批判し、記録の現状にもとづく裁判をより積極的に活用すべく、その障害事由などについての解釈論を展開する。ミュンツベルクとシュテックラインの議論が、欠席判決制度のあり方に与えた影響は決して無視できるものではなく、これが次に述べる1976年のZPO簡素化法による改革につながる。

 簡素化法は、記録の現状にもとづく裁判や欠席判決こ対する故障などに関して、いくつかの重要な改正を行った。その主たる内容は、記録の現状にもとづく裁判について無担保仮執行宣言を認めることによってそれを強化し、また、欠席判決にもとづく仮執行の執行停止要件を厳格化するなど、ミュンツベルクやシュテックラインの提案そのものの内容ではないが、おおむねその議論の方向に沿うものであったと評価できる。また、これと関連するものとして、簡素化法によって書面先行手続が導入され、その中で欠席判決が認められたことが注目される。簡素化法は、審理促進のための方式として、早期第一回期日と書面先行手続のいずれかの選択を認めたが、それらについての欠席ないし懈怠について欠席判決を認め、かつ、期日の欠席についての救済としては、帰責性を問題としない故障を、期間の懈怠については、帰責性の不存在を前提とする原状回復を認める考え方を採用した。この考え方に沿って、書面先行手続において定められた期間内に被告が防御意思通知書面を提出しない場合には、一定の手続きを経たことを前提として欠席判決が認められ、それに対する救済としては、帰責性の不存在を要件とする原状回復申立てが規定された。

 最後に本章のまとめとして、著者は、ドイツ民事訴訟法とオーストリア民事訴訟法、その下における判例・学説の展開を対比させながら、欠席手続の合理的あり方を考える際に重要と思われる諸要素を摘出する。ドイツ民事訴訟法が故障による覆滅可能な欠席判決を認める根拠は、それによって当事者の期日への出頭を促すことと、欠席事案の簡便な処理とにあり、帰責性の不存在を要件とする原状回復制度をとらないのは、その審理に要する裁判所の負担をおそれるためである。このようなドイツ民事訴訟法の下で、欠席判決の根拠および性質について議論が展開され、それが本案にかかわる判決こ他ならないとする考え方が通説化する。オーストリア民事訴訟法の欠席判決制度は、その本案判決説を前提とするものであるが、結果としては、本案判決説を徹底するオーストリア法は、第1回期日ではなく、続行期日における欠席については、真実にもとづく本案判決が可能であるという理由から、故障ではなく、原状回復のみを認める制度を設けた。

 その後のドイツ法における変化としては、オーストリア法の影響を受けた記録の現状にもとづく裁判の導入、および欠席判決についての無担保仮執行宣言を認める改正が重要なものである。しかし、記録の現状にもとづく裁判については、それが欠席判決制度の本質を問う性質を内包しているにもかかわわらず、十分にその点の議論がなされなかったことが指摘される。また、無担保仮執行宣言の導入については、一方で、欠席判決制度の機能強化を目的としたものであるといえるが、他方で、欠席当事者の利益保護のために、やむを得ない事情が認められるときに期日の延期を裁判所に義務づける規定が設けられ、また簡素化法が、欠席判決を維持する判決について無担保仮執行宣言を認めなかったことに象徴されるように、欠席被告の利益保護が重視されたことが注目される。同様のことは、二度目の欠席判決に対する控訴理由をめぐる議論についても当てはまり、ドイツ法やオーストリア法の制度構築や、その制度の下における様々な議論の対立は、応訴権利論と応訴義務論に象徴的にみられるように、両当事者の手続上の地位について形式的平等を重視するか、実質的平等の確保を重視するかの違いであったといわれる。その意味では、形式的平等を重視するように見えるドイツ民事訴訟法においても、欠席被告の利益保護が軽視されているわけではなく、故障制度は、むしろ欠席当事者に対して出頭および口頭弁論を促す機能を期待するものであり、また、欠席判決を知りながらなお争わないことをもってはじめて、判決を確定させるという慎重な手続構造をもったものと評価される。

 6.第2章および第3章における比較法的考察をふまえて、本論文は、わが国の制度について以下のような問題点を指摘する

 同じく擬制自白であっても、何らの応訴行為が存在しないことにもとづく擬制自白は、何らかの応訴行為が存在する場合の擬制自白、すなわち続行期日における擬制自白や、出頭時に争わないことによる擬制自白と区別されるべきであり、第1の類型の擬制自白の正当性は、争う意思を確認するための審理負担の回避、および後に争うことによって容易に自白の効果を覆滅できる点に求められるべきである。このような視点から、現行法の規定の合理性が認められるとしても、争うための機会を十分に保障しているか、たとえば答弁書提出期間が十分であるかどうか、当初は、弁護士によって代理されていないことが多い被告本人に速やかな答弁書提出を期待できるかどうか、口頭主義の原則があるにもかかわらず答弁書提出を期待するだけで手続の基本原則が尊重されているといえるかどうか、欠席当事者に対する救済として上訴を認めるだけでは三審制を形骸化してしまうのではないかなどの疑問が提示される。 また、旧民訴去および現行民事訴訟法がとる対席判決主義は、ドイツ法や旧旧民事訴訟法がとる欠席判決主義の欠点を克服するものとして採用されたが、その実質をみると、欠席判決に対する故障を、対席判決に対する上訴をもって代えたのみであり、平成民事訴訟法改正において欠席判決希渡が採用されなかったのも、対席判決主義によって実質的に欠席判決制度が実現されているからであるとする。

 欠席手続においても両当事者に対する公平な取扱いを保障する視点からすれば、最初の期日に原告が欠席しても直ちに原告敗訴判決が言い渡される可能性がないこととの公平上、被告不出頭時についても、不当な不利益発生を防止する手段を整備する必要がある。現在では、擬制自白にもとづく対席判決をなし、欠席被告には控訴による救済を与えれば足りるとされているが、審級の利益との関係で問題があり、むしろ、欠席期日から、判決言渡期日まで一定期間をおき、判決言渡期日に被告を呼びだし、敗訴判決の可能性や弁論再開の可能性について教示し、申立てにもとづいて弁論再開を無条件に認めるなどの措置を提案する。

 その上で、なお被告が何らの応訴行為をしない場合には、被告敗訴の本案判決が対席判決の形式でなされ、それに対する救済は、上訴や上訴の追完に委ねられる。上訴においては、原審における不出頭に帰責事由が存在しないことを主張できるが、上記のような手続を経ている以上、帰責事由の存否は厳格に判断されるべきである。このような提言は最初の期日における欠席に関するものであり、続行期日における欠席についてどのような規律を設けるべきかについては、今後の課題とされるが、実務上では、最初の期日における欠席が最も重要な問題であるので、このような提言も一応の意義はもちうるのではないかというのが本論文の結論である。

 7.以上のような本論文については、次のような長所を指摘できる。第1は、欠席手続についての伝統的図式すなわち欠席判決主義と対席判決主義の対立について、わが国の旧旧民事訴訟法から現行民事訴訟法に至るまでの立法史、母法ドイツ民事訴訟法とその姉妹法であるオーストリア民事訴訟法の立法史ならびにその下での判例および学説の展開を徹底して分析し、二つの主義が決して断絶的なものでなく、期日の欠席や準備書面提出期間の懈怠という、訴訟手続において頻発する事態に対処するための手続として、相互に関連しながら形成されてきたものであることを解明した点である。また、その分析の過程で、従来の学説の議論が見落としていたドイツ法やオーストリア法上の議論や、ほとんど忘れ去られていた大審院昭和19年12月22日連合部判決の意義を発掘したことは、学界に対して相当の影響力を持つものと思われる。

 第2は、欠席判決主義と対席判決主義にとって共通の基礎となっている、欠席にもとづく擬制自白の成立可能性について、訴訟法律関係の基本である応訴権利や応訴義務との関係で、なにゆえに擬制自白の成立が正当化されるのかなど、いわば訴訟の原理論にまで立ち入って理論的考察を行っている点である。なぜ、1回の欠席が訴訟物についての敗訴判決を正当化するのかを問い直し、その根拠と合理性を再検討しようとする本論文の姿勢は、記録の現状にもとづく裁判など、関連する諸制度の総合的考察にもとづいて、期日の欠席や準備書面提出期間の懈怠などを包括する、「欠席手続理論」を著者が構築する可能性を予感させる。

 第3は、旧民事訴訟法以来わが国の法制が対席判決主義を採用したことによって、欠席判決主義がもつ欠陥を解消したものとされていることについて、対席判決という形式をとりながら、実質的には欠席判決と同視しうる側面をもっており、それにもかかわらず、欠席当事者に対する救済方法を上訴または上訴の追完に限定していることが、審級の利益との関係、また執行を受忍せざるをえない給付訴訟の敗訴被告との関係では、看過しえない問題を内包しており、弁論の再開可能性などの形での救済手段を充実しなければならないことを指摘する点である。

 もっとも、本論文にも短所がないわけではない。第1は、比較法的考察の対象が母法ドイツ法と姉妹法オーストリア法に限定され、例えばフランス法や英米法に及んでいないことである。欠席や解怠が多くの国の訴訟手続において共通してみられる現象であり、フランス法や英米法がそれぞれ特徴ある規律を設けていることを考えれば、これらを含めて比較法研究の対象とすることによって、著者の「欠席手続理論」がより普遍的考察に基づいた、より説得力豊かなものになったものと思われる。

 第2は、本論文の姿勢が、判例や学説の表面を紹介するものでなく、その内的構成にまで立ち入って分析しようとするものである反面として、ときとして学説の紹介の中に直接に著者の意見や評価が織り交ぜられることあり、それに起因するものと思われるが、叙述が晦渋であり、またときに飛躍したりするために、難解な論文との印象を与えるものといわざるをえない。この点は本論文の短所と思われる。

 また、本論文の考え方を解釈論や運用論として現実の訴訟の場面に適用しようとすれば、原告および被告という両当事者について、具体的な懈怠の理由などを分析し、特に欠席被告に対する手続保障の充実が訴訟の遅延を引き起こさないかどうかをより慎重に検討しなければならないと思われる。

 しかし、本論文は、日本法、母法および姉妹法における立法史および理論史の分析を主眼とするものであり、具体的な解釈論や立法論は、本論文を踏まえて本格的に展開されるべきものであるとすれば、これらの短所も、本論文の価値を大きく損なうものではない。したがって、本論文は博士(法学)の学位を授与するに相応しいものと評価できる。

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