学位論文要旨



No 117517
著者(漢字) 鈴木,聡
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,サトル
標題(和) 信念のスタティクス、信念のキネティクス : ベイズ主義の正当化への試論
標題(洋)
報告番号 117517
報告番号 甲17517
学位授与日 2002.07.08
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第360号
研究科 人文社会系研究科
専攻 基礎文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 一ノ瀬,正樹
 東京大学 教授 松永,澄夫
 東京大学 教授 高山,守
 京都大学 教授 伊藤,邦武
 東京都立大学 教授 丹治,信春
内容要旨 要旨を表示する

 我々は、新しい情報に接したとき、その情報に基づいて、それぞれの信念状態を別の信念状態へと変化させる。このような我々の信念状態および信念変化を表現する方法のうちで最も典型的な方法の一つにベイズ主義がある。ベイズ主義は次の二つの大きな原則を持つ。

(P1)信念状態-確率関数の原則:任意の合理的な信念状態は確率関数によって表現されうる。

(P2)信念変化-条件付けの原則:任意の合理的な信念変化は条件付けによって表現されうる。

 本稿の目的は、

(1)確率の主観説を正当化することに基づいて(P1)の変種を正当化すること

(2)条件付けの特性を明らかにし、条件付けを正当化することに基づいて(P2)の変種を正当化すること

(3)条件付けを一般化したジェフリー条件付けの特性を明らかにし、ジェフリー条件付けを正当化すること

(4)ジェフリー条件付けの変種であるフィールド条件付けの特性を明らかにすること

(5)相対的情報量最小の原理の特性を明らかにすること

 である。第1章[信念のスタティクス]において(1)を議論し、第2章[信念のキネティクス]において(2)から(5)を議論した。

 第1章において私は、確率を信念の度合と同一視する立場である確率の主観説を、信念の度合が、(A1)非負性公理・(A2)正規化公理・(A3)加法公理という確率計算の公理を充たすことを証明することによって正当化しようとした。この正当化を行うためのものの中で最も典型的なものの一つはダッチ・ブック定理である。この定理は、《もし誰であれそのひとの信念の度合が確率計算の公理のうち少なくとも一つを充たさないのならば、いかなるときも彼が損をするような賭けを構成することができてしまう》という直観に訴える内容を主張する定理である。しかし、ダッチ・ブック定理の証明は、適正価格関数についての共時的独立性という一般には成り立たないことを前提してしまっている。スカームズは数学的集合体というデバイスを持ち出して、ダッチ・ブック定理を擁護しようとしたが、私は、数学的集合体の身分という観点から、彼のダッチ・ブック定理擁護が正当でないことを示した。では、どのようにすれば、確率の主観説を正当化できるのだろうか。確率の主観説を正当化するために、私は、合理的な意思決定において成り立つべき選好関係についての13個の条件(公理S)を前提し、選好関係を利用して効用についての関係を定義し、更に、効用についての関係から信念の度合を定義し、そのように定義された信念の度合が実際に確率計算の公理を充たすことを証明した。この方法は、確率の主観説を正当化するためにラムジーが試みた方法である。しかし、ラムジーの意図に反して、彼が提示した選好関係についての公理は、信念の度合が確率計算の公理を充たすことを証明できるほど豊穣なものではなかった。そこで私は、ラムジーのスピリットを生かしつつ、彼の手法を修正し、その結果、信念の度合が実際に確率計算の公理を充たすことを証明することができた。更に、私が提示した選好についての条件(公理系S)から、選好関係の大小関係は期待効用の大小関係と一致するということを主張する表現定理を証明することができ、その定理の系として、《最適な行為=期待効用が最大の行為》ということを主張する期待効用最大原理を証明することができた。

 第2章において第一に、私は条件付けの特性を明らかにし、条件付けを正当化しようとした。条件付けは条件付き確率を用いて定義されるが、条件付き確率は(A4)乗法公理という確率計算の公理によって与えられる。信念の度合が乗法公理を充たすことを正当化するためのものの中で最も典型的なものの一つは乗法公理に対するダッチ・ブック定理である。しかし、乗法公理に対するダッチ・ブック定理の証明もまた、適正価格関数についての共時的独立性という一般には成り立たないことを前提してしまっている。どのようにすれば、信念の度合が乗法公理を充たすことを正当化できるのだろうか。この場合もまた、私が提示した選好についての条件(公理系S)から、信念の度合が乗法公理を充たすことを証明することができた。では、どのようにすれば、条件付けを正当化できるのだろうか。条件付けを正当化するためのものの中で最も典型的なものの一つは条件付けに対するダッチ・ブック定理である。しかし、条件付けに対するダッチ・ブック定理は、適正価格関数についての共時的独立性だけではなく、適正価格関数についての通時的独立性という一般には成り立たないことを前提してしまっている。では、どのようにすれば、条件付けを正当化できるのだろうか。確率関数がそれらを充たすときかつそのときのみ条件付けが適用可能であるような条件を求め、これらの条件を求めることが条件付けの一種の正当化であると考え、実際、確実性条件および相対的な固定性条件という二つの条件がそれらの条件に当たることを示した。この正当化の議論によって、(P2)は次の(P2-b)へと修正すべきであることがわかった。(P2-b)修正版-信念変化-条件付けの原則:確実性条件および相対的な固定性条件を充たす信念変化、そして、それらのみが条件付けによって表現されうる。

 第二に、私は、条件付けを一般化したジェフリー条件付けの特性を明らかにし、ジェフリー条件付けを正当化しようとした。では、どのようにすれば、ジェフリー条件付けを正当化できるのだろうか。ジェフリー条件付けを正当化するためのものの中で最も典型的なものの一つはジェフリー条件付けに対するダッチ・ブック定理である。しかし、ジェフリー条件付けに対するダッチ・ブック定理は、適正価格関数についての共時的独立性だけではなく、適正価格関数についての通時的独立性という一般には成り立たないことを前提してしまっていることは、条件付けに対するダッチ・ブック定理の場合と同様である。では、どのようにすれば、ジェフリー条件付けを正当化できるのだろうか。或る前提条件の下で乍ら、確率関数がそれらを充たすときかつそのときのみジェフリー条件付けが適用可能であるような条件を求めたい。これらの条件を求めることが条件付けの一種の正当化であると考えたい。実際、極値条件が前提されれば、《ジェフリー条件付けが適用可能であるのは相対的な固定性条件が充たされるときかつそのときのみである》と主張することができる。次に、操作の取り消しに関して条件付けとジェフリー条件付けの相違点を明らかにし、或る条件を前提すれば、第二階通時的確率空間上の条件付けを第一階通時的確率空間上のジェフリー条件付けによって置換できることを示した。リーヴァイは、ジェフリー条件付けに対する反例と彼が考える例を挙げてジェフリー条件付け批判を行ったが、私は、命題の身分という観点からその批判が正当でないことを示した。

 第三に、私は、ジェフリー条件付けの変種であるフィールド条件付けの特性を明らかにしようとした。ジェフリー条件付けは信念変化の順序に関して非対称的であるが、このフィールド条件付けは信念変化の順序に関して対称的である。ガーバーは、フィールド条件付けに対する反例と彼が考える例を挙げてフィールド条件付け批判を行ったが、私は、入力パラメータという観点からその批判が正当でないことを示した。

 最後に、私は、相対的情報量最小の原理の特性を明らかにしようとした。相対的情報量最小の原理は非常に一般的な原理であり、条件付けおよびジェフリー条件付けをその特殊な場合として含む。そこで私は、どういう場合に相対的情報量最小の原理が条件付けと同じ結果を齎し、どういう場合に相対的情報量最小の原理がジェフリー条件付けと同じ結果を齎すかを示した。ファン・フラーセンは、JB問題と呼ばれる有名な例を、相対的情報量最小の原理に対する反例として挙げ、相対的情報量最小の原理批判を行った。しかし、彼が依拠している第一階通時的確率空間よりも私が提示した第二階通時的確率空間の方がJB問題の確率空間として相応しいことを示すことによって、彼の批判が正当でないことを示した。

審査要旨 要旨を表示する

 鈴木聡氏の論文「信念のスタティクス、信念のキネティクス-ベイズ主義の正当化への試論-」は、確実な知識が得られない状況下での利用可能な情報によってどのように「信念」を改訂していくことが合理的なのか、という信念改訂の合理性を主題にした論文である。こうした主題は、おのずと「信念」と「確率」との相関を予期させる。というより、今日では、より自覚的に「確率」を「信念」の度合いとして規定する「確率の主観説」にのっとって信念改訂の合理性を理解する道筋がとられることが多い。このような道筋は「ベイズ主義」と呼ばれ、それは、現代分析哲学の最先端において経済学などとの連携のもとで論じられている「意思決定理論」の基礎をなすとみなされている。

 鈴木氏の論文は、この「ベイズ主義」の二つの原則、すなわち(1)「信念状態・確率関数の原則:任意の合理的な信念状態は確率関数によって表現されうる」、(2)「信念変化・条件付けの原則:任意の合理的な信念変化は条件付けによって表現されうる」、という二つの原則の独自な正当化を試みている。鈴木氏によれば、原則(1)は「確率の主観説」に基づいており、よって、信念の度合いが、非負性公理・正規化公理・加法公理という確率計算の公理を満たすことを証明することで正当化される。しかるに、鈴木氏は、一般にこうした正当化のために用いられる「ダッチ・ブック定理」(確率計算の公理を満たさない信念の度合いに基づいて賭けを行うと信念主体がいつでも損をする賭けが成立してしまうという把握に見合う定理)は、適正価格関数についての共時的独立性という受け入れがたい考えを前提していると指摘する。そして、「ダッチ・ブック定理」に基づかない原則(1)の正当化のため、状態・帰結・行為の概念を用いて「公理系S」を提示し、さらに「価値中立命題」についてのラムジーの考え方を応用することによって、ありうべき正当化を試みる。また、鈴木氏は、原則(2)に関しても、条件付けと条件付き確率との相関を明らかにした上で、やはりその正当化の際に訴えられる「ダッチ・ブック定理」の不健全性を指摘する。その上で、原則(2)の正当化のためには、確実性条件および相対的な固定性条件が必要だと論じ及び、ジェフリー条件付けとフィールド条件付けという既成の考え方を吟味することを通じて、「相対的情報量最小の原理」にたどり着き、当原理に対するJB問題という反論を斥けることによって、当原理こそ条件付けの正当化の基盤であると論じるに至るのである。

 鈴木氏の論文は、最先端の、しかもきわめてテクニカルな題材を扱うものであるがゆえに、技術的な思考に傾斜して、いささか哲学的意義についての論究が不足している感もなくはない。けれども、こうしたコンテンポラリーな重要課題について、これほど詳細に論争経緯を追い、なおかつ独自な立場を提示していることは、わが国の哲学研究全体にとっても大きな成果と見なせるものであり、博士(文学)の学位を授与するに十分値する論文であると判断する。

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