学位論文要旨



No 117519
著者(漢字) 矢野,秀武
著者(英字)
著者(カナ) ヤノ,ヒデタケ
標題(和) 現代タイにおける仏教運動 : 社会変動と瞑想実践
標題(洋)
報告番号 117519
報告番号 甲17519
学位授与日 2002.07.08
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第362号
研究科 人文社会系研究科
専攻 基礎文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 島薗,進
 東京大学 助教授 下田,正弘
 東京大学 助教授 吉野,耕作
 東京大学 助教授 福島,真人
 京都大学 助教授 林,行夫
内容要旨 要旨を表示する

 本論文の課題は、上座仏教の信徒が人口の90%以上を占めるタイにおいて、20世紀初頭から独自の瞑想実践と活動を展開している「パークナーム寺」、ならびに1970年代にこの瞑想実践を引き継いで巨大な仏教教団と化した「タンマカーイ寺」に着目し、これらの寺院における活動とその社会的背景を明らかにする事にある。この2つの寺院では、「タンマカーイ(法身)」と呼ばれる宗教的観念を中心に据えた、特異な瞑想実践が行なわれている。この瞑想は独特な「涅槃」観念を伴なっており、自己の内面に水晶や光球や仏像の姿を内観する事でこの「涅槃」に至る事を救済の目標としている。またこの瞑想を行なう事は神秘的な守護力の獲得にもつながっている。

 この瞑想実践の形成過程、ならびに上記2つの寺院の活動とその社会的背景を論じることは、単に特殊な仏教団体の歴史を明らかにする事に留まらない。それは19世紀末から20世紀初頭の近代タイにおける宗教変動の特質、ならびに急激な変容を遂げている現代タイ社会と宗教の関係など、長期にわたる歴史的ならびに社会的状況をも明らかにする事ができる。本論文は、主としてタンマカーイ式瞑想の形成と展開に着目し、このような約1世紀に渡るタイ社会と仏教との関係、ならびのその変化の特質を論じている。

 この課題に取り組むため、本論文の第1部では、パークナーム寺の歴史と活動を取り上げ、かつてこの寺の住職であったプラモンコン・テープムニー師(ソット師)の瞑想思想と活動内容ならびにその社会的背景を論じ、第2部では、都市新中間層を中心に信徒を拡大して巨大な組織となったタンマカーイ寺の活動をとりあげ、第3部においてこれら2つの寺院の活動を、タイの近代化における宗教政策や消費社会との関わりから分析している。以下はその要約である。

 タンマカーイ式瞑想の創始者であるパークナーム寺のソット師の活動と思想を詳細に検討する中から、タンマカーイ式瞑想と当時のタイ社会における宗教政策との密接な関連が明らかとなる。ソット師の自伝、ならびに師の甥であり後に僧王となったプン師による伝記、さらには初期の信徒が記した文章には、当時のサンガ制度改革の影響をうけながら、タンマカーイ式瞑想といった独自の瞑想思想と守護力信仰が形作られていく様子や、ソット師の周りに集まった信徒が村落社会における地縁的なつながりから離れた人々であった事などが記されている。

 また、思想的な特徴としては、主として次の4点があげられる。第1にソット師の思想は主流派仏教の教義をも取り入れて教義が二重化している点。第2にタンマカーイ式瞑想で内観できるとされている「内なる身体」には仮我と真我のレベルがあり、後者のレベルに達すると、ブッダやアラハン達が住する「涅槃」(アーヤッタナ・ニッパーン)といった特別の領域(空間)に入っていく事ができるという点。第3に、諸存在や諸世界全体の救済を目指すマッカポーン・ピッサダーン(微細瞑想)やウィチャー・ロップ(闘魔の術智)といった、極一部の信徒のみが実践できる秘教的な思想を有している点。第4に上座仏教内部に多様な伝統があり、タンマカーイ式瞑想の一部分は、大乗仏教と交流のあった上座仏教の傍流思想や大衆部の思想などに由来する可能性がある点。 ソット師の亡き後には、師のもたらす守護力への信仰は維持されたものの、パークナーム寺では師のカリスマ性を引き継ぐ指導者が不足していた。このことが、タンマカーイ寺のような、この寺から独立する新たな運動が生まれてくる一つの要因であったと考えられる(以上第1部)。

 1970年代から活動を開始し、主として都市新中間層を中心に広まっていったタンマカーイ寺は、1,000名近くの常住の出家者を抱え、また一般信徒の組織的活動も幅広く行なわれ、今日では世界10カ国に支部を有している巨大な仏教寺院となっている。この寺と組織の中心的な人物は、ソット師の直弟子の1人である女性修道者ウバーシカー・チャン・コンノックユーン、総代(初代住職)のタンマチャヨー師、住職代行(元副住職)のタッタチーウォー師の3名である。彼等の伝記からは、ソット師の思想に見られた他界信仰や僧侶の守護力に頼るタイプの守護力信仰などが、徐々に脱呪術化され秘儀化されていった様子が明らかになり、また、タンマチャヨー師というカリスマ的な指導者を中心に、脱俗の生活を目指す若者の集団として、この寺が形成されていったことなどが明らかとなる。その後彼らは組織拡大を推し進め、また指導力のあるエリート大学生が現れて大学生を中心とした寺院活動を刷新したことから、この運動は幅広い展開を見せていった。その背景には、政治・経済・社会・文化といったあらゆる面におけるタイ社会の急激な変動が影響していたと考えられる。

 また、この寺の一般信徒は、都市新中間層が多いと言われてきたが、この点は組織の実働部隊にのみ当てはまるものであり、信徒全体から見れば学歴の比較的低い都市民や農村出身の沙弥なども多い。そしてこれら一般信徒の信仰心は、瞑想と持戒などの規律訓練を重視し「涅槃」への到達を目指す「瞑想・修養系の信仰」と、寄進による現世利益を強調した「寄進系の信仰」が、組み合わさったものであるという事が、アンケート調査ならびにインタビューを通して明らかになった。1998年からこの寺で強調されるようになってきた守護力信仰、および瞑想修行の具体的な場やイベント化した儀礼に、この2つの信仰心の型を見て取る事ができる。(以上第2部)。

 以上のようなタンマカーイ式瞑想の形成と展開の特質をより深く捉えるためには、これを近代初頭の宗教政策や現代における消費社会化ならびにグローバル化状況の中に位置づけて、様々な視点から分析し整理する必要がある。まず考察すべき点は、近代タイ国家が仏教を全国規模で制度化し画一化した過程である。この過程によって、主流派伝統と、これを含んだ二重構造の非主流派伝統が同時に形成されていった。これを簡単に記号化すると、タイ仏教の近代化における画一化とは、[A/A+非A]という二項対立を生み出す過程であったと言える。ソット師の思想は、後者のタイプに位置している。また、前者の項[A](主流派の伝統)と後者の項[A+非A](主流派と非主流派の混合)の両方の存在様態が可能なので、前者を見ると純粋な仏教が残っていると語られ、後者を見るとシンクレティックな仏教になっていると語られるわけである。しかし、これらは画一化の過程で同時に形成された光と陰と言えよう。

 また、この瞑想実践を通して得られる守護力は、瞑想に長けた僧侶の力に頼るタイプの守護力ではなく、個々人に内在化した守護力ヘと変容しており、このことによって特異な宗教的自己を生み出している。これは、西洋近代の個人主義的な自己とは異なるが、別種の個人化された自己である。そしてそのような宗教的自己がタンマカーイ寺に2つの形で引き継がれていった。まず第1に、タンマカーイ的な宗教的自己は「寄進系の信仰」の中で展開し、聖地・聖なる物(仏像や護符等)・マスメディアによる表象などに埋め込まれる事で、新たな自己と社会関係を形成していった。そして、そのような社会関係の構築様式は、既存の民衆仏教におけるブンの共有といった実践様式を継承したものであったが、タンマカーイ寺の場合はその社会関係が間接的なものに留まり、瞑想の直接的な実感がこれを補完している。ついで第2に、この宗教的自己は「瞑想・修養系の信仰」の中で展開し、消費社会に即した組織活動を行なう心身を形成していった。もっとも、信徒達の目的は「涅槃」に達する事にあり、また主観レベルではこれらの実践が消費社会に対する「抵抗」になっているが、客観レベルでは消費社会に取り込まれていると言えよう。これは通俗的な消費批判に対する批判ともなる。

 このようなタンマカーイ寺の運動が生じる背景には、一方で急激な社会変動により地縁的で密な社会関係、ならびにその社会関係に埋め込まれていた仏教などの信仰活動をも失っていった都市民の存在と、他方でこの実感的な信仰の基盤を失い、また組織内部における争いから分裂の可能性を秘めていながらも、強固な王権の存在によって衰退を免れている公的でナショナルな仏教(近代化の過程において形成された統一サンガに体現される「国民的な公共宗教」)が存続している事が指摘できる。この両者の間におけるズレが、タンマカーイ寺だけではなくその他の新たな仏教運動にも共通の社会的背景であり、このズレを縫合し改変する多様なアイデンティティ模索の試みがなされていると言えよう。

 また、現代タイの上座仏教徒におけるこのようなアイデンティティ模索の新たな試みは、「公共性を帯びた私的宗教」と「市民社会的な公共宗教」の2つに整理できる。前者の典型といえるタンマカーイ寺では、政治的ならびに経済的な問題に介入する事よりも、独特の「涅槃」への到達を究極的な目標とし、非主流派の守護力信仰や、村落共同体の人間関係に埋め込まれていたタンブン思想を、世界経済の流通やテクノロジーと組み合わせ、消費社会を生き抜く独自の自己と社会関係を再構築する方向に向かっている。また「国民的な公共宗教」の基盤をなす主流派伝統とは異なる、特異な思想的系譜にあるため、タンマカーイ寺がミクロな次元から再構築した実感を伴なう信仰は、公的な仏教ナショナリズムの方向に向かいながらも、いささか逸脱した独自の仏教ナショナリズムを作り出してもいる。他方、「市民社会的な公共宗教」と言える改革派僧侶や「開発僧」とその支持者達の運動においては、タンマカーイ寺とは違った形でグローバル化状況を利用し、政治的ないしは経済的問題の解決に直接取り組む中で、自己と社会関係ならびにそこに埋め込まれた信仰の実感を再構築している。しかし、改革派僧侶や「開発僧」とその支持者もまた、王権と連動した「国民的な公共宗教」の重力圏から完全には逃れていないため、市民社会のグローバルな連帯意識とナショナルな仏教徒意識の狭間で揺れている。

 世俗政権主導でありながら、王権も一定の権力を有しているといった現代タイ社会の二重権力状態では、不可避的に王権=仏教複合体が公共的な意味を帯びてくる。また、公認宗教制度を採用している現在のタイでは、上座仏教の統一サンガから独立して、なお上座仏教を名のる事は容易ではない。この錯綜とした現代タイにおける仏教の制度空間は、「国民的な公共宗教」と「公共性を帯びた私的宗教」および「市民社会的な公的宗教」といった多様な行為主体間における、共棲・競合・討議によって不安定ながら維持されていると言えよう(以上第3部)。

審査要旨 要旨を表示する

 矢野秀武氏の学位請求論文「現代タイにおける仏教運動-社会変動と瞑想実践」は、20世紀のタイ仏教の全体像に照らし合わせつつ、パークナーム寺からタンマカーイ寺へと展開していく仏教運動を調査研究し、たくさんの意義深い知見を引き出している。1970年代以降に急速に発展したタンマカーイ寺は、パークナーム寺に由来する独自の瞑想法を基軸として高学歴の若者を引き寄せるとともに、広く都市化の影響を受けた人々をまきこんで展開し、1000名近くの常住出家者を抱えるに至っている。本論文はこの注目すべき宗教運動を多面的にとらえ、タイ上座仏教研究や比較宗教運動研究の分野で大きな貢献をなした業績である。

 矢野氏はまず、既存のタイ宗教研究を広い視野から検討した上で、運動形成の歴史的な研究に取り組み、資料を丁寧に掘り起こしてタンマカーイ寺の運動を南方仏教史の大きな流れのなかに位置づける。この運動の独自の瞑想やそれと関わる実践は、タイ上座仏教が近代化の過程で統一サンガを構築するなかで、周辺化されていった傍流の伝統をくみ上げて形成されたものであることを示す。そしてその信仰実践を新しい形での「瞑想・修養系の信仰」と「寄進系の信仰」とが組合わさったものであると分析する。

 続いて矢野氏は、現在のタンマカーイ運動の信仰世界の理解に踏み込んでいく。ここでは長期にわたる参与観察、インタビュー調査、さらに質問紙調査の成果を駆使して、深さと広がりの双方において、陰影に富んだ濃密な叙述を行っている。容易ではない宗教集団調査がねばり強く継続され、信仰生活のひだにまで分け入っている。さらに矢野氏はテクノロジーやメディアを多用するこの運動が、消費社会への抵抗の要素を含みつつも、実はそれになじんだ心身を形成するものであると論じる。また、それは主流サンガの「国民的な公共宗教」の枠を脅かさない範囲でグローバル化が進む環境に適応し、「開発僧」などの「市民社会的な公共宗教」とともに新たなタイ仏教のあり方を模索する試みであり、「公共性を帯びた私的宗教」と位置づけられることを論証する。欧米の素材をもとに宗教社会学で論じられてきた世俗化や公共宗教の理論が、タイ仏教の展開を見ることによって検討し直され、従来の研究の偏りの是正が求められる。

 フィールドワークによる綿密な調査研究に加えて、思想史宗教史研究、社会科学的な理論的分析が複合され、多面的な考察がなされているが、それぞれの論題についての論証が余すところなく十分とは言えず、もう一歩、踏む込みに欠けるところはある。とはいえ、全体的には骨太で重層的な厚みをもった野心的な試みであり、オジナリティの大きいすぐれた業績である。よって本論文は博士(文学)の学位を授与するにふさわしいものと認められる。

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