学位論文要旨



No 117521
著者(漢字) 山口,俊雄
著者(英字)
著者(カナ) ヤマグチ,トシオ
標題(和) 石川淳作品研究 : 敗戦直後までの作品を中心として
標題(洋)
報告番号 117521
報告番号 甲17521
学位授与日 2002.07.08
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第364号
研究科 人文社会系研究科
専攻 日本文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長島,弘明
 東京大学 助教授 藤原,克巳
 東京大学 助教授 渡部,泰明
 東京大学 助教授 安藤,宏
 東京大学 助教授 井島,正博
内容要旨 要旨を表示する

 小説家・石川淳(一八九九〜一九八七年)の作品は、一見して顕著なその文体の特異さのためもあって、《なにが書かれているか》よりも《いかに書かれているか》に議論・研究が集中して来た観がある。

 井澤義雄『石川淳』(弥生書房、一九六一)以来、加藤弘一『石川淳コスモスの知慧』(筑摩書房、一九九四)、神崎祥生の仕事が担って来た、石川作品の論理学的あるいは文法論的な解明という流れはその典型である。そこでは、概して個々の作品という単位は無視され、複数作品が横断的に論じられ、作品系譜の解明が目指される。その横断性は、しかし、テーマ批評(テマティック)風のものであるために個々の作品の一側面しか読まれず、ある観点からの系譜や語彙発想の系列は導き出されても、そのことで必ずしも個々の作品の相貌が明瞭になるとは限らない。どの作品も畢竟《精神の運動》(石川『森鴎外』一九四一)の軌跡だというところに収斂しがちであった。

 また、一九八〇年代後半から一九九〇年代にかけて、語り論的なアプローチの流行とともに、作品単位で論じた研究でありながら一作品全体を見るのではなく、語り方(叙述構造)のみを分析して事足れりとする研究も出て来たが、これも明らかに《いかに書かれているか》に偏った議論であった。

 これら《いかに書かれているか》派とは別の傾向として、戦前・戦中期から同時代的に石川作品を読んでいた評論家・佐々木基一(『石川淳作家論』創樹社、一九七二、ほか)は<政治と文学>という構図あるいは私小説批判という構図の中に石川作品を位置付けようとし、野口武彦(『石川淳論』筑摩書房、一九六九、『江戸がからになる日石川淳論第二』筑摩書房、一九八八、ほか)は(1)サンボリスト・マラルメとその弟子筋の詩人・小説家たち(ヴアレリー、ジッド)の系譜と(2)江戸文学の系譜(特に大田南畝)そして(3)<政治と文学>の構図という三つの観点を組み合わせて石川作品のかなり精密な位置付けを試みて来た。佐々木や野口の試みは、特異な作家をマイナー・ポエットとして孤立させず、文学史上の大文字の問題と関わらせ距離を測定することを通じて文学史の中に定位して行こうというそれ自体まったく正当な努力であり、その点における得難い達成が見られたが、ここでもやはり作品の個々の全体像がなかなか明確にならない憾みは残された。

 このような、あるいはテーマ批評的に作品という単位が横断=解体され、あるいは文学史的問題の構図の中に作品が解消されるという恰好で、マクロとミクロとの両極端な観点から作品が引き裂かれ、語り論的アプローチのものを除けば個々の作品を単位にした考察が少なかったという研究史の実状を踏まえて本論文が目指したのは、文学作品は何よりもまず一つ一つの作品として読まれなくてはならないという当然の地点にまず立ち返り、その地点に立脚しつつ個々の伶品単位で探究の焦点を調節し、そこに《なにが書かれているか》を丁寧に見ることによって個々の作品を明らかにすることであった。

 もちろん、元来、《なにが書かれているか》と《いかに書かれているか》、物語内容と物語言説は密接不可分のものだったはずであり、読者の前に現前しているのは、石川「文章の内容と形式」(一九四〇)も指摘しているように、両者が一体不可分のものとしてある文字の羅列(書かれたもの(エクリチュール))以外の何物でもない。従って、《なにが書かれているか》の解明が従来手薄だった瘍所でそれを検討することは、やがて《いかに書かれているか》を検討することとも改めて重なって行き、その結果として作品の全貌が明らかにされるという見通しを含むものなのである。

 石川淳研究史についてのこのような理解と問題意識とに基づいて、本論文は作家としてのデビュー作「佳人」(一九三五)から敗戦後の「焼跡のイエス」(一九四六)までの石川の代表的作品(評論一篇を含む計十二篇)を発表順に考察した。

 歴史的条件の中に、また諸テクストとの関係の中に石川淳の作品群を位置付け、それらの作品群の価値・意義を明らかにすることを目標としたたため、作品を読むに当たって、同時代の文脈(事象・言説)と、作中のそこかしこに仕組まれた明示的・暗示的なインターテクスチュアリティとに特に注意するよう心掛けた。

 考察の結果として多くの作品に共通して浮かび上がった重要な特徴を概観すれば、

(1)同時代の諸言説・諸事象に対して批評性を伴う形でふんだんに応接し、同時代の文学状況や社会・政治動向に対して散文によって旺盛に働きかけていること。

(2)筋(物語内容)や登場人物など作品世界内の事物・人物が、先行するテクストや神話的・民俗的・説話的な話型や宗教修行論や教養小説(成長小説)の枠組みなどを踏まえることで重層化され、作品世界に独特の広がり・奥行が作り出されていること。

 の二点にまとめられる。いずれも作中の個々の言葉に密着すること、すなわち《なにが書かれているか》にこだわることから出発した結果、明らかになったことであるが、それらは、明らかに方法化されていることによって、既に《いかに書かれているか》という問いの領域と重なっている。《なにが》という問いの射程が、いやおうなく《いかに》という観点にまで及ぶこととなり、結果的に石川作品を読む上での新しい知見へと導くことになった。

 「佳人」(一九三五)は、語りの構造に、当時一種の流行を見ていた自意識の小説、<小説の小説>の型を導入した上で、古代英雄の遍歴譚「オデュッセイア」とその近代的パロディであるジョイス「ユリシーズ」、禅の修行プロセスを図化した「十牛図」、同時代の転向小説などを踏まえた物語の構図を取り、芥川賞受賞作「普賢」(一九三六)になると、作中の共産党女性闘士にジャンヌ・ダルクの面影を重ね、別の一人の女性と併せて<江口の君=普賢菩薩>伝説になぞらえ、《わたし》とその親友を<寒山・拾得=普賢・文殊>伝説になぞらえ、『華厳経』の善財居士の求道遍歴譚の構図を借り、作中の兄妹を『信貴山縁起絵巻』や謡曲「蝉丸」と対比構造を導入し、「蝉丸」=醍醐天皇からさらに昭和の天皇(制)のあり方への参照を示唆するなど、過剰なまでに参照構造が輻輳され重層化されていた。スペイン内線との対比で日本のインテリゲンツィアの閉塞状態を女性に批判させる「履霜」(一九三七)では、演劇的構造、特にイプセン「人形の家」を踏まえ、日中戦争下反軍的とされ掲載誌が発売禁止を受けた「マルスの歌」(一九三八)では、軍国歌謡の流行を揶揄的に踏まえ、召集令状の下った登場人物を励ます女性に「三韓征伐」の神功皇后を重ね、芸術家小説風の長篇「白描」(一九三九)では、当時の大陸進出の進展や東亜協同体論を踏まえて物語展開の上で中国を強く意識し、「日本的なもの」をめぐる議論など民族芸術称揚の機運を踏まえ、同盟国ドイツの人種政策「血と土」・反ユダヤ主義をパロディ化し、教養小説の枠組みを借りていた。アジア太平洋戦争期の「雪のはて」(一九四二)「義経」(一九四四)「明月珠」(一九四五)になると、語り手の心情を「伝統」と詩歌のコードを借りて韜晦的・婉曲的に表明すべく和歌・狂歌・俳諧や古典的情景を散文の中に織り込んだ。「黄金伝説」「無尽灯」「焼跡のイエス」(いずれも一九四六)でも、引き続き、仏典、キリスト教思想、天皇=現人神論、バルザックの作品、石川の先行作「雪のはて」など様々な言説や作品などが踏まえられていた。

 これらの相互参照的な仕掛けの多くは、作品内部で部分的・断片的に働くのではなく作品全体の物語構造と有機的に関わっているため、物語の展開そのものが多層的な厚みを持ったものとなっている。

 また、そのために、人物の内面の実体が希薄化するという事態も生じている。「佳人」の《わたし》を例に取って見ると、それはもちろん内面を持った存在としてあり、一人称語りの形式に沿って自らの心理や認識・判断を内面として語りつつ行動するわけだが、しかし、その行動が死と再生といった神話的遍歴譚あるいは禅の修行階梯などと重なり合うとすれば、主体的存在と見えるものが一面では先行する構図をなぞったものに過ぎないということにもなるのである。もちろんそのような先行の構図・形式をなぞり、それに支えられているからこそ、他方で、同時代の事象・言説に応接する時代性を強く帯びた存在として浮かび上がるのである。

 このような物語の重層化と人物の内面の相対化は、自然主義から私小説へと向かう形で極まったこの国の近代小説を徹底的に異化するものである。そこでは、<言文一致>への努力と共に成立して行った<内面の真実>という信憑は手放されている。

 すなわち、石川の作品は、型・様式の活用、観念や概念の導入、詩歌・古典など他ジャンルとの緊張と混交、描写よりも説話、といった特徴を具備したものとして、二十世紀初頭の自然主義以降、私小説・心境小説に至る、(内面のあるいは外部の)現実を写すというミメーシス的なリアリズム小説、近代小説史の主流に対する根底的な批評であり、別なる小説史の可能性を示唆する強烈な反措定であることが明らかになった。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は石川淳の文壇デビューから終戦直後にいたるまでの代表作十二編を対象に、特に戦時体制への批判意識という観点から、これらを統一的に論じたものである。

 構成は四部からなる。まず初期の代表作を取り上げた第一部においては、デビュー作である「佳人」に禅の「十牛図」、芥川賞受賞作である「普賢」に仏教の相即論の反映を見、そこに同時代の知識人の「知」のあり方への批判や、現実認識のあらたな可能性を見出している。

 第二部は戦時下の作品を通して時流への抵抗の様態を論ずることを目的としているが、このうち「履霜」論は、イブセンの「人形の家」のパロディとしてこの小説を捉え、これまで肯定的に捉えられがちであった男性主人公の生き方への批判を読んでいる点が注目される。また、「マルスの歌」論においては、国家総動員法の大衆心理が擬似的な「自然」への信仰に基づいている事実が指摘されており、それに対する作者の批評精神を指摘している点も「抵抗」のあり方を問う上で傾聴に値する。

 第三部においては戦時下の詩歌と散文、古典文学との関係が論じられているが、従来あまり取り上げられなかったエッセイ、「祈祷と祝詞と散文」に着目し、同時代のシャルル・ペギーの受容のあり方への石川淳の批判意識が論じられている。これは同じくアランの反戦思想への石川淳の理解の質を検証した「マルスの歌」論と共に、比較文化、比較文学的な広がりを持つ成果として注目されるものである。また戦中から戦後の問題点を論じた第四部においても、「焼跡のイエス」に天皇の人間宣言への風刺を読むなど、多くの知見が含まれている。

 このように同時代の諸言説、先行テクストや話形との有機的な関係を実証的に検証することによって、これまで孤高の作家とされてきた石川淳に関し、あらためて時代状況との有機的な関係を明らかにし得た点に本論の大きな特長が認められる。総じて内外の先行作品との関係の実証に筆が割かれる分、作品自体の文体分析が手薄になる傾向が一部に見られるが、時局への批判を重層的に解釈していくその手法は、この時期の文学作品の研究方法に新たな問題提起をなすものとして高く評価することができる。

 以上の点から、審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に値するとの結論に達した。

UTokyo Repositoryリンク