学位論文要旨



No 117522
著者(漢字) 金,宗植
著者(英字)
著者(カナ) キム,ジョンシク
標題(和) 内務官僚の国民統合構想 : 明治末から昭和初期における公民教育の政治教育への転換
標題(洋)
報告番号 117522
報告番号 甲17522
学位授与日 2002.07.08
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第365号
研究科 人文社会系研究科
専攻 日本文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 野島,陽子
 東京大学 教授 吉田,伸之
 東京大学 教授 藤田,覚
 創価大学 教授 季武,嘉也
 創価大学 助教授 鈴木,淳
内容要旨 要旨を表示する

 戦前期において、政党政治からの独立性を官僚が堅持していた時期は、藩閥政府下の官僚、すなわち藩閥官僚の時期と、一九三〇年代から戦時期にかけての内務官僚の黄金時代であろう。今日までその間の時期、すなわち「政党政治期」は、政党政治の形成と政党中心の政治が行われた時期としてイメージされていた。この時期の政党政治は、現代日本政党攻治の源流として捉えられている。とすれば、同じ時期の官僚については、現代日本の官僚制の源流として捉えることも可能なのではないだろうか。

 本稿は、政党政治期の官僚の性格を把握するために、内務官僚を主体として、政党政治を論ずる視点に立っている。政党政治期の内務官僚は、主たる政治主体として、その政局の変化のなかで捉えることは困難であるので、むしろ、政党政治期の内務官僚のもっていた攻策構想のなかに見られる一貫した傾向に対する分析を行おうと思っている。

 内務官僚の一貫した政策基調は、官僚による個々の国民の把握と組織化を通じた国民統合の構想としてうかがうことができる。内務官僚による国民統合の政策基調は、内務官僚の地方行政担当者としての性格に基礎する。政党政治期の内務官僚は、地方社会の政党政治を排除するために、地方政治の領域を行政の実務に還元させることで、行政実務の視点から政治を裁断したのである。本稿は、内務官僚の国民統合の政策基調を地方次元の政党政治排除の問題を通じて検討する。具体的には、日露戦後の地方改良運動から一九三五年の選挙粛正運動までの時期を研究対象とし、第一章では日露戦後の内務官僚が地方改良運動の青年団体を政策の対象に認識する過程を、第二章では青年団体における政党政治浸透を、第三章では、青年団体に対する政党政治排除を政策化する過程を、第四章では政党政治排除の青年教育の具体化と、青年教育体制の確立過程を、第五章では、青年団体に対する組織的な指導体制の確立過程を、検討する。第六章では、青年政策の延長線で、成人における政党政治排除の基調を検討する。

 本稿で検討した内容は、以下のように要約できる。

 地方改良運動における青年政策において、内務省は青年団体を、町村の財政で賄うべき公共事業または共同事業を担う存在としたと言える。いっぽう文部省は、小学校卒業後の教育の観点から、青年を対象とする補習教育に青年政策の重点を置いていた。内務省は事業中心、文部省は補習教育中心という認識の差は、青年団体は内務省、補習学校は文部省という管轄を明確にすることにつながっていく。

 ところが事業を通じて勢力化した青年団体は、地方自治体で政治運動、とくに選挙運動に関与するようになっていく。内務省は、その対策として青年の公民教育を主張したが、具体的な政策には至らなかった。いっぽう文部省の青年団体政策は、青年と青年団体の教育の領域に限定され、青年団体の奨励は、実業補習学校奨励に附属するものであった。しかし文部省は、実業補習学校の教育内容に「国民市町村民の心得」を取り入れようとすることで、青年の公民教育の必要性を認識している内務省と歩み寄る可能性を見出していた。

 第一次世界大戦中のヨーロッパにおける青年団体の活躍で、青年政策に陸軍省も参入することになり、青年団体政策はその具体化を加速させることになった。内務省は公民教育を、文部省は補習教育の強化を、陸軍省は青年団体の組織化と在郷軍人会との系列化を目指して、青年団体政策の具体化に動いていた。

 青年団体に関する大正四年訓令と通牒は、内務省・文部省・陸軍省の青年教育の必要性に対する共通の認識によって達せられたものであった。しかしその教育の意味と内容は異なっていた。内務省の教育は青年と青年団体の地方自治体における政治活動に対する対策としての青年の公民教育を意味したのに対し、文部省と陸軍省の教育は国家が必要とする国民を養成する国民教育を意味した。内務省は公民訓練の修養機関として、文部省は補習教育機関として、陸軍省は軍隊、在郷軍人会につなぐ組織体として青年団体を把握していたのである。訓令と通牒は、青年団体に関する具体的な政策ではなく、一定の方向性を示す青写真にに過ぎないものであった。すなわち団員の最高年齢の制限を認めたが、具体的実践は内務省の主導下で、地方行政担当者に委ねられることになったのである。

 具体的に青年政策は、青年教育と青年団体の二つの方面からの課題をもっていた。まず教育において、内務省における青年教育は、青年団体による補習学校の奨励と、補習学校における体系的な公民教育であった。内務省における公民教育は青年団体、実業補習学校と有機的に関連されている青年政策の中核であった。いっぽう文部省における青年教育は、小学校の延長としての補習学校の奨励に中心が置かれていた。

 大正七年訓令による補習教育の強調、さらに臨時教育会議で実業補習学校義務化の方向性が認められたことで、文部省は実業補習学校を小学校に継ぐ学校教育の体系のなかに入れ、補習教育を内務省主導の青年政策から分離したのである。

 青年教育の主導権を文部省に奪われた内務省は、補習教育ではなく、直接管轄する青年団体を通じて青年政策を展開せざるを得ない状況になった。内務省は青年団体指導において、中央指導機関の設置と全国青年団体の組織化と、個々の青年団体に対する把握という中央レベルと末端レベルの異なるレベルの問題を抱えていた。

 青年団体の中央指導機関の設置と組織化は、青年団体を皇室と結びつける事業を通じて中央指導機関設置の端緒を生み出し、内務省管轄の地方行政体系を利用して組織化を具体化した。また個々の青年団体に対する把握は、地方行政による郡単位の中堅青年養成と、その中堅青年による青年団体の組織化と指導を通じて、行ったのである。青年団体の指導機関掌握と組織化、個々の青年団体把握は、内務省の主導で、歯車のようにかみ合って動くものであった。

 また内務省は、普通選挙実施などによる政治的変動に対応して、地方自治体の政治的安定のために、青年団体の中堅青年を町村の中心人物に養成しようと考えていた。

 内務省の公民教育と中堅青年養成で主導的な役割を果たした田沢義鋪は、一九二四年総選挙立候補と政界革新運動を通じて、本格的二大政党制確立期に見られる政党政治の「腐敗」、すなわち地方自治体における政党政治の「腐敗」に直面して、成人の政治教育を展開した。田沢は政党内閣下で地方行政を担当する内務官僚のOBとして、政党政治に対する地方自治の独立の立場を堅持した。

 田沢の政治教育論は、地方自治体における政党の争いをおこす「地方自治の政党化」に対して、「地方行政の実務化」を理論化した。「地方行政の実務化」とは、地方自治体における自治事務の公共的性格と、地方自治体住民の共同利益の視点に基づいて地方自治における政党の党争を排除して、選挙粛正を達成しようとする考えであった。

 田沢は、昭和初期の農村の経済危機を克服するために、地方自治を具体化し、独自の「小国家主義」の地方自治論を主張するにいたる。その地方自治論は、地方自治を政党政治から引き離すための理論的基礎を提供したのである。

 この地方自治論は、とくに一九三五年の選挙粛正運動において、「部落懇談会」という形で具体的に活用されるようになった。選挙粛正運動の部落懇談会は、政党政治を排除し、国民の組織化を導く役割をはたすことにもなった。

 日露戦後から選挙粛正運動にいたる内務官僚による地方における政党政治排除は、地方自治体住民の非政治化過程でもあった。地方自治体住民の非政治化を通じてみられる内務官僚の一貫した政策基調は、国家-国民との関係での抽象的に把握される国民とは異なる、国家-地方自治体-住民(公民)という系列な関係のなかで具体的に生活する個々の国民を把握することにあった。すなわち地方自治体住民の非政治化は、政党政治排除を媒介に、内務官僚による個々の地方自治体住民の把握と結びつけられたのである。

 政党政治期の内務官僚による地方自治体住民の非政治化は、個々の地方自治体住民を把握し、組織化することで、政党と異なる国民統合を導いた。地方自治体住民の非政治化は、官僚の政党政治に対する独立性、すなわち「官僚の独立化の傾向」を支える力になったといえるだろう。

 地方自治体住民の非政治化は、内務官僚の基準で政党政治を裁断することで、官僚の基準による政治のイメージを浸透させる役割を果たすことになった。内務官僚は、政治を利害調整の生々しい過程を通じて獲得すべきものと考えるのではなく、あるべき政党政治像を基準に裁断し、現実の政党政治を非難し、「国民の非政治化」を誘導する力になった。また地方自治体住民の非政治化は、国民を下から組織化することでもであり、政党政治の衰退とともに、内務官僚による下からの国民組織化を導く役割もはたすことになったとの見通しをもつことができる。つまり内務官僚による国民統合は、結果的に政党政治による国民統合を全面的に排除することになったのである。

 現代官僚の政党政治に対する独立性は、彼らの優秀な能力または膨大な情報力などとともに、地方自治体住民の非政治化に基づく「国民の非政治化」観念に依存しているとも考えられる。地方自治体の住民、すなわち「公民」を日本近代史のなかで具体的なイメージとして構築することが、今後の課題となる。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、政党政治期の内務官僚の特質について、これまで研究が積み重ねられてきた「官僚の政党化」の方向からではなく、「官僚の独立化」に注目する方向から分析したものである。官僚の独立化とは、市町村レベルヘの政党の影響力浸透に対抗して内務官僚が、個々の国民をいかに組織化しようとしたか、その国民統合の方式や政策基調によってはかられるとする。以上のような問題関心にしたがって執筆された本論文は、以下の点で、研究史上に新たな意義を加えたといえる。

 日露戦後から、第一次大戦期にかけて、政府中央の官僚たちが地域の青年団体に対していかなる政策を実行しようとしていたのか、その政策や政策を支える思想の大きな流れについて、内務省・文部省・陸軍省を総合的に考察することで、初めて体系的に解明した。当初、内務官僚は青年団体を、公共事業や共同事業を担う事業団体であるとみなしていたが、青年団体が町村レベルの選挙運動にかかわるようになってくると、内務省は青年の政治活動抑制のため、青年に対する精神的な補習教育の必要を認め、ここに、かねて補習教育に力を入れていた文部省との協力関係が生まれるようになる。ついで、大戦期ドイツの青年団事業から、国家に必要な国民を養成する青年団体という概念を陸軍省が導入すると、組織論の点での違いは大きかったものの、内務省はこの点で陸軍省とも一致点を見出していくのである。このように、青年団体をめぐる三省の姿勢は固有の立脚点をもっていたものの、二大政党制の確立前までには、協力関係が成立していたことを極めて実証的に明らかにした。

 いっぽう、近世以来の村の構造、若者組の位置づけや、政党化/独立化という軸以外の、政治的無関心層への官僚の対応など、今後の研究で解決されるべき、残された論点もある。しかし、これまで史料不足から分析されてこなかった領域に果敢に挑み、官僚たちの論稿や各種の青年団関係史料を緻密に分析することで、骨太な結論を導き出すことに成功しているので、審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に十分に相当する論文であると判断する。

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